10話 彼女は彼に薦めたい
次回、明日
「……急にどうしたの? あんた、そんなの読む人だっけ?」
俺の問いかけに、一瞬苦い表情を浮かべた大槻さんだったが、少し間をおいてしゃべりだすと、まるで見間違いだったかのようにいつもの冷たい目つきに戻っていた。
「ん? ああ、それは……」
様子がすぐ変わったのを見て一瞬言葉が出てこなくなったので、一度咳をして落ち着いてみる。
「……図書館に、いつも特設コーナーをあるのは知っているか?」
「ああ、入り口近くで本をお勧めしてるやつのこと?」
「それを今度はライトノベルで作ってくれって先輩から指示されたんだ」
「それでライトノベルを読もうって? 別にそんなの、ネットとかから適当に紹介文拾ってきて作ればいいじゃない」
「うちは自分がお勧めできるものだけお勧めするっていうのがポリシーだから」
「……意識高いわね」
関心半分、呆れ半分といった様子だった。
「でもだからって私に聞く必要はないんじゃないの? 本屋にでも行って取り上げられている作品適当に買えばいいじゃない」
「それは、大槻さんがどんな作品を読んでいるのか興味があったから」
「……ふ、ふーん」
「……まあでも、無理にとは言わない。自分で何とかすることだしな」
先ほどの一瞬見せた反応を見るに、あれこれ聞きすぎないほうがいいのかもしれない。そう思った俺は、ゆっくり座席から立ち上がる。
それ見て大槻さんが引き留めてくる。
「ちょっと、どこ行くの?」
「とりあえず自分で探してみようと思って。1階のライトノベルコーナーを見に行こうかと」
大槻さんもあまり気が進まないみたいだし、と心の中でだけ付け足して、そのままその場を去ろうとした。
その時、勢いよく大槻さんが立ち上がって慌てながら言った。
「ちょ、待ちなさいよ。私のおすすめを聞きたいんでしょ」
「え?」
「何よ。別に嫌とは言ってないでしょ」
「じゃあ、良いのか?」
こちらの問いかけに、大槻さんは、目線を外して少し暗い顔を浮かべた。そうして、そのまま少し悩んで、そして。
「…………まあ、一応……教えてあげないこともない……というか」
渋々、といった感じでそう答えた。
てっきり断られると思っていた俺は、一瞬呆気にとられたが、すぐにうれしさの方が勝った。
「そうか、ありがとう」
「ただし! お勧めしてもいいけど……その前にいくつか質問させて」
「質問?」
「アンタの好みを探るためよ。とりあえず座りなさい」
促されるまま椅子に座りなおす。
大槻さんは、カバンからノートと筆箱を取り出すと、何やらメモを書き始める。
ちょっとした取り調べでもされるかのようだ、なんて考えながら大槻さんの様子をうかがっていると、急に視線をこちらに向けこう尋ねてきた。
「アンタ、いわゆる萌え絵っていける?」
「……もええ?」
「萌え系って言われるようなイラスト。抵抗あるタイプ?」
「ああ、ええと、好むというほどではないが、抵抗はない」
「抵抗なし、ね……普段読む小説はどんなのが多い感じ?」
俺が答えると、大槻さんはそれをしっかりとノートにメモしていき、少し考えてから、また質問をしてくる。
「あまりこれといったのはないな。コメディや恋愛もの、ミステリーやSFも読む」
「苦手なジャンルはない?」
「おそらく」
「ジャンルは何でも……何でもって一番困るわね……」
……それは申し訳ない。
「……漫画とかアニメは普段見る?」
「アニメ映画を見たりすることはあるな。漫画は、友達から勧められた時くらいだ」
「勧められるって、どんなの?」
「スポーツものとか、アクションが多かったかな……」
昔の記憶を思い出して、いくつかタイトルを伝えると、彼女は表情を難しくする。
「……ん~、やっぱ少年漫画よりよね……」
そういった後、何やらぶつぶつとつぶやきながらペンを走らせていく。
「そんなにしっかり考えてくれなくても大丈夫だぞ?」
「別に、アンタのためじゃないわよ。作品のためよ」
「作品のため?」
「アンタに合わない作品を教えたら、『大槻は気持ち悪い作品読んでるんだぜ~!』って学年中に言いふらすかもしれないじゃない」
「しないが」
「可能性は0じゃないでしょ」
相変わらずその辺の信頼は薄いらしい。
……とはいえ、その心配をしているのにもかかわらず、できるだけこちらの好みを把握したうえでお勧めしようとしてくれているのだ。
「次の質問いくわよ」
「……ああ、わかった」
それならば、出来るだけ質問に誠実に答えるのが筋だろう。
俺はこの後もしばらく続いた大槻さんの質問に、一つ一つ答えていった。
そうして、答えた質問数が10を超えた頃。
「……1日待ってもらえないかしら」
「え?」
大槻さんは思わぬ提案をしてきた。
「ちょっとゆっくり考える時間を頂戴。明日までには必ず絞り込んでくるから。アンタ、明日も図書館にいるでしょ?」
「ああ、いるが……」
「そう。じゃあ、また明日ね」
言うだけ言うと、大槻さんはそそくさと荷物をまとめると、読んでいた小説をまとめて持ち上げる。
そのまま立ち上がって、重そうに本を抱えながら立ち去ろうとする大槻さんを見て、俺は。
「……本、持とうか?」
「…………お願いするわ」
……運ぶのが大変なら無理にたくさん持ってこなきゃいいのに。
結局、その日は大槻さんはそれ以上何も言うことはなく、そのまま帰ってしまった。
***
次の日の放課後、何故かやたらと行く先を聞いてくる高野先輩を適当にあしらって、暇な時間に2階のいつものスペースへ。
相変わらず人のいない、図書館でも随一の静かな場所で、大槻さんはいつものようにいた。
「ああ、大槻さん……って、どうしたんだそれ」
大槻さんの方に近づいてみて、俺はギョッとした。
彼女の目の前にあるテーブルの上には、いうに10冊は超えそうな大量の本が山積みになっている。それを難しい顔で見下ろしながら、何かぶつぶつと悩んでいるらしい。
どうやらこちらの呼びかけに気付いていないらしく、視線は大量の本に向けられたままだ。
声をかけていいのかどうか悩んでいると、こちらに気付いたようで、鋭い非難するような目つきを向けてくる。
「見世物じゃないわよ」
「……悪かったよ。集中してたみたいだから」
謝りながら俺も椅子に座る。大槻さんはすぐに俺から目線を逸らして、また山積みの本を見て黙り込んでしまう。
時に、本を手に取っては、独り言で何か言った後、その本を違う山に積み上げていく。
その動きを追っていると、どうやら本を2つの山に分けているらしいことがわかった。
どういう基準で振り分けているのだろうか……と、その動作をじっくり眺めていると、やがて、すべての本が2つの山に分かれ、そして、大槻さんがようやく口を開いた。
「決めたわ」
「……勧めてくれる本、だよな」
「ほかに何があるのよ」
「それはそうなんだが……」
「まあ、何でもいいけど。はい、これ」
そういって彼女は、2つの山之内より小さな山の方をこちらに差し出してきた。
2冊の文庫本と、1冊の単行本の計3冊の本が積まれている。
「3冊もおすすめしてくれるのか」
「何、文句あるの」
「いいや、むしろありがたい」
コーナーを作るときは複数冊分の情報が必要なので、よい作品に出合うためにできるだけ多くの本に触れる必要がある。一冊教えてもらえればいいと思っていたので、ここまでしっかり勧めてくれるのはうれしい誤算だった。
感謝を伝えると、彼女は照れ臭そうに目線を逸らす。
「…………別に、大した手間じゃなかったし」
1日がかりで考え込んで、大した手間じゃなかったというのも無理がある気がするが、そこには突っ込まない。
「わざわざありがとう。じっくり読ませてもらうよ」
素直に感謝を伝えながら差し出された本を手に取った。
まず文庫本の2冊を見てみる。1冊は表紙に制服を着たヒロインの絵が描かれており、もう1冊はなにかメカニカルな銃器のようなものを男女2人組が構えているイラストが表紙だ。
もちろん、全く知らない小説だ。一応うちの図書館の本らしいが。
内容が気になって裏側のあらすじを読んでいると、大槻さんがぽつぽつと作品の解説をしてくれる。
「制服のほうは学園ラブコメで、設定がユニークで面白いのと、男子も女子も魅力的なキャラが多いから会話してるだけで面白いの」
「……確かに、特徴的な設定だな」
「シリーズものでかなり長いけど、1巻だけでも楽しめると思うわ」
「こっちの武器を持っているほうは?」
「SFアクションよ。1巻で完結だけど、そう思えないくらい濃厚な話で、多分アンタの趣味にも合うと思う」
「結構ハードそうな作品だな」
「ちょっとショッキングなところもあるけど……映画になったりするくらいの人気作だし、面白さは保証するわ。あと面白いのがね――」
そう述べながら、彼女は柔らかく笑う。とても、楽しそうな微笑みだった。
いつも、眼鏡の向こうのその表情は、こちらに対しての警戒とか、そういったマイナスな感情を宿していることが多かったからだろうか。大槻さんの笑顔が、とても素敵なものに思えて、思わず一瞬じっと見つめてしまった。
「そこがこの作品の肝になってて……何? なんか文句でもあった?」
そんな視線に気づいてか、彼女が怪訝そうな眼付きでこちらに問いかける。
「え? ああいや、ボーっとしていただけだ」
「……あのねえ、人が話してる時にボケっとしないでよね。ちゃんと聞いてた?」
「聞いてたよ。要は時間の巻き戻しが大事になるんだろ?」
「……聞いてたのね」
「大槻さんの話が面白いからな。早く読んでみたくなったよ」
「……はあ?」
「紹介がうまいんだな。大槻さんに教えてもらうとすごい面白そうに思えてくる」
「……お、お世辞はいいわよ」
「いや、別に今のは――」
「いいから! ……気を使わなくても」
別に、気を使ったわけじゃ――と言い訳しようとしたところで、気づく。
大槻さんの頬が赤くなっている。表情も、嫌悪感とかそういうのがあるわけじゃなくて、なんというか、感情を抑えているような。
もしかすると、照れているのだろうか?
「……ふっ」
「アンタ今笑った?」
「笑ってない」
「ニコニコしながら言うなっ!」
「ごめんごめん」
普段、厳しい目線を向けられることが多いからか、大槻さんの反応が微笑ましくて、どうもその思いが顔に出てしまったらしい。
「悪意はないんだ」
「じゃあ真意は何よ! 嘲笑!?」
「……癒し?」
「意味わかんないわよ!」
「落ち着けって。図書館内は静かにするもんだぞ」
俺が仕草でやんわりと落ち着くように促すと、勢いのあまり立ち上がっていた彼女も不服そうではあったが、一度大きなため息をついて座りなおした。
頬は興奮からかまた赤くなっていて、こちらに視線を向けようとしない。
そんな彼女に親しみを感じながら、彼女からおすすめされた本がもう1冊あったことを思い出す。
「そういえば、これはどんなやつなんだ?」
先ほどの山の最後の一冊を手に取り大槻さんに示す。先ほどまでの2冊とは異なり、単行本サイズ。しかも、ブックカバーがかかっていてタイトルや表紙は見えない。ラミネート加工もされていないし、大槻さんの本だろうか?
こちらの質問に、大槻さんは、先ほどまでと打って変わって言葉に詰まる。
「え? ……あ、ああ、それはね……」
何かしゃべりかけては、口を閉ざして考え込む。そんなことを2,3度繰り返している。
もどかしくなって、こちらから尋ねてみる。
「これは大槻さんの本なのか?」
「そう、ね。私のだけど……」
「どんな本なんだ?」
「あ、ちょっと待ちなさい!」
気になって、表紙を開いてみようとしたところで、大槻さんが慌てて止めに入る。
どうした? と視線だけで尋ねると、彼女は、パクパクと口を開いた後、勢いよく立ち上がって足元の荷物を抱えると。
「帰る」
「え?」
そのまま、慌てた様子で立ち去ろうと歩き出した。俺は反射的に彼女を追いかける。
「お、おい、急にどうしたんだ?」
「何でもないわよ、用事を思い出しただけ!」
強い口調に拒絶のニュアンスを感じる。先ほどまでは楽しそうにしゃべっていたのになぜなのだろうか。
2人で早歩きで追いかけあいをしながら口論をしているので、読書中の学生が不思議そうにこちらを見てくる。
「何でもないってことはないだろ」
少しだけ声を静めて言った。
「うるさいわね。何でもないったらないわよ! ……あ、あと、言い忘れてたけど」
そこで彼女は立ち止まると、くるっとこちらの方に振り向いて、けれど視線は合わせないようにしながらこう言った。
「……3冊目、気に入らなかったら読まなくていいから。そんだけ、じゃあね!」
言いたいことだけ言い切ると、そのままあっという間に階段を下ってしまい、すぐに見えなくなった。
「……どうしたんだろうか」
思わずため息が出る。それなりに交流は増えてきたが、まだまだ彼女については不理解なところが多いということを再認識した。
仕方なしと先ほどの席へ戻る。彼女が勧めてくれた本と、おそらく選考落ちしたであろう本が変わらず積みあがっている。
「……大槻さん、戻し忘れたな」
このままにし解くわけにはいかないので、元の場所に戻さなくては。
とりあえず、借りない本だけ戻しに行こうと本の山を持とうとして、ふと、視界に大槻さんが貸し出してくれた3冊目の本――ブックカバーの付いた単行本サイズの――が目に入る。
「……結局、これはどんな本なんだ?」
気になって手に取ってみる。表紙を開けば、色鮮やかなイラストにタイトルロゴが。
とても、長いタイトルだった。
「『神様のミスで死んでしまった私は異世界転生をして……』……これは……」
大槻さんの勧めてくれた3冊目は、いつも彼女が楽しそうに読んでいる本。
異世界転生物だった。