1話
「みすぼらしいとは思わんか?」
初老の男は配下に広がる街並みを眺めながら、そうもらした。
仕立て良い服に身を包み、年齢にそぐわない引き締まった体躯の男だった。
「行き交う人々はボロを纏い、市に並ぶのは萎びた野菜。誰も彼も表情は暗い。人間が暮らす最も発展した国。アルスタの繁華街でさえこのザマだ。」
初老の男は街を眺めることをやめ、室内を振り返る。そこには若い男は我関せずとばかりにソファーに腰掛けナイフの手入れをする姿があった。
「お前には何も感じるものもないか、クロウ?」
初老の男はその様子に特に気分を害した様子もなく若い男にそう問いかけた。
「当然の光景だろ?亜人どもが見向きもしない荒野まで逃げ出してきた臆病者の国だ。」
クロウと呼ばれた若い男は臆面もなくそう言い放った。
「お前が生まれた国だろう、愛着はないのか?」
「俺は仲間に入れてもらえなかったからな。それよりそんなことを言うなんて、どう言う風の吹き回しだ?哀れな連中を食い物にしてきたことに罪悪感でも目覚めたか?」
「家畜は肥え太らすのは飼い主の勤めだからな」
そう言って初老の男はニヤリと口を歪める。男の名前はノルド。アルスタを二分するマフィアの一つ、ノルドファミリーのボスであった。
「そりゃ殊勝な心掛けなことで。それで?用件はなんだ?そんなことを言いたいがために呼び出した訳じゃないだろ」
手入れに満足がいったのがクロウはナイフを鞘に戻しながらそう切り出した。
「そう焦るな。わざわざ呼び出したんだ。茶でもご馳走してやろうと思ってな。その間の時間潰しの世間話だ」
ノルドが呼び鈴を鳴らすと、別室から茶器を携えた女があらわれ、手際よくお茶の準備を始める。
「エルフの国の特注品でな。淹れたての爽やかな柑橘系の香りが堪らない極上品だ。味わってくれ」
差し出された茶にクロウは苦虫を潰したような顔になる。
「どうした、俺の茶が飲めんのか?」
お茶を目の間のお茶を複雑な表情で眺めるクロウに対し、ノルドは意地の悪い笑みを浮かべながらお茶をすすめる。ノルドに促されたクロウはどこかふてくされたように乱暴にカップを取ると茶を一息であおるのだった。
「美味いだろう?お前の口に合うかと思ってわざわざ用意したんだ」
「……お心遣い痛み入るよ。それで本題はなんだ?」
「クロウ。お前はエトスって言葉に聞き覚えはあるか?」
ノルドはお茶に口をつけると、おもむろにそう切り出した。
「エトス?なんだそりゃ?」
「近頃ウチのシマでばら撒かれたヤクの名前だ」
「そりゃ初耳だ」
「だろうな。まだ大した数が出回っている訳じゃない。お前が知らなくても無理はないだろう。だが大した数ではなくとも、ウチのシマで勝手に売りさばくバカは問題だ。分かるな?」
「……ノックスの連中か?」
クロウの頭に真っ先に浮かんだのは、ノルドとともに アルスタを二分するもう一つのマフィア。ノックスファミリーのであった。
「分からん。ただ連中のシマでもヤクがばら撒かれたとも聞いている」
「それが本当ならウチとノックス両方に喧嘩を売ってきたって訳か……恐れ知らずのバカなのか、それとも俺たちを問題にしない後ろ盾でもあるのか?」
クロウの顔が険しくなる。新薬はどれほどのものかは知らないが、単純な混ぜ物でなければそれなりの人物が用意しているのだろう。そんなものをノルドやノックス以外の連中が用意できるとしたら。
そう思い至りクロウは悪い予感を感じずにはいられなかった。
「それを調べるのはお前の仕事だ。まずはヤクの出所について探ってくれ。そうすれば自ずと背後が見えてくるだろう。それと相手が分からんうちは手荒なことは控えろ。いいな?」
「了解だ。それじゃお仕事と行きますか」
クロウはソファーから起き上がると、早々に部屋を後にする。
「さて、鬼が出るか蛇がでるか……」
クロウの後ろ姿を見送ったノルドはそう呟くのだった。