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右手に持った、茶色い剣を握り直す。存在しないはずの重さを確かめて、ひと思いにそれを振った。剣先が何かに触れたと思った瞬間、撃破エフェクトとして光の粒子が吹き上がる。視界を追うそれが晴れる前に振り下ろされた二本の棍棒。僕の二倍近い屈強な体躯から繰り出された凶器を最小限の動きで躱しながら、反撃の態勢に入る。地面を抉った火焰鬼の棍棒を横目に見ながら、ステップを踏んで一体目、二体目と皮の鎧に覆われた赤銅色の胴体を斬りつける。弾ける光の粒子。
一打で僕をゲームオーバーにすべく設定された攻撃を相手にして、準備運動には少し激しい戦いがもう一時間近く続いている。敵自体はCランク相当で、動作パターンも熟知し尽くしているとはいえ、時間が僕の集中力を蝕み、体は加速度的に重くなっていく。
倒しても倒しても無限に湧き出てくる火焰鬼の棍棒が、鼻の前を掠める。あぶな……。
重心を前に持って行くと同時に疾風の如く突き進み、喉仏にフォルティスを突き刺す。撃破。
振り向きざまにオルティスを一閃して、棍棒ごと敵の首を切り落とす。撃破。
ピンポーン。
皮肉めいた明るい音色と共に、レベルの上昇が知らされた。
僕のレベルじゃない。難易度の方だ。
出現速度と、行動値パラメータが上書きされ、もしかしなくてもこちらの処理が追いつかなくなる。思考を断ち切って、直感の元に剣を振った。
剣技【ホライゾン】
ライトブルーの光が宿った剣が、拘束で横一文字に振るわれる。
撃破。
剣技【サンライズ】
敵の足下から頭上に掛けて、跳躍と共に一気に切り上がる。
撃破。
剣技【セブンスクロス】
十字切りを高速で七つ繰り出す大技。
撃破。撃破。撃破。撃破。撃破。撃破。撃破。撃破。撃破。……………………。
ピンポーン。ピンポーン。…………。
そしてそれから数回レベルを上げたところで、頭部を庇った左手に棍棒の衝撃が……伝わることはなく。視界から火焰鬼は消え、無機質な練習部屋が現れた。
◆ ◆ ◆
「いやぁ、惜しかったねぇ。もう少しで記録更新だったのに」
ヨレヨレの白衣を着た僕より背が高くてひょろひょろの女博士が冗談まじりの口調で画面の向こう側からそう言ったのを、僕は荒い息をしながら聞いていた。
練習部屋の天上を見つめながら、大の字になり、とにかく新しい酸素を求めて呼吸する。
あーもう、まじで疲れた。
人型CCーーコードネーム【紅鱗】ーーとの接触より丸一日時間が経過した。予想を超えた電脳世界での活動から、人体への電脳化の進行を抑えるため僕たちには三日間の休暇が言い渡された。正確には、電脳世界へのダイブを一切禁止するというもの。そのかわり、その辺りでゆっくりするもよし、データを検証するもよし、そして、訓練に明け暮れるもよし、という、自由な時間を与えられた。凰鏵は煉と凛に連れられて近くのカフェまで連れていかれたし、電脳世界で無茶をした銀河は、完全な休養。鉄斎は趣味に没頭している。
そして、超絶真面目な優等生こと伊月祓は現在、滅茶苦茶ハードな訓練をこなしたところだ。
ドーナツ型をした本部の南東側に集合した特訓室。使用していたのは、専用のスーツと特殊な磁場を発生させる部屋を組み合わせることで、仮想世界を擬似的に再現する一昔前の技術。機能を完全に使うことができれば、仮想世界と遜色ない動きを体験することができるけれど、技術とお金の問題で、今はそこまでの活用はできていない。
肉体に多大な負荷を掛けることと専門のトレーナーを同行させないと訓練ができないことから、ここを利用しているのは一部の物好きな討伐者だけだ。というか、最近は僕と凰花くらいしか来ない。それと、鉄斎がたまに……。それも、まともな訓練と言うよりは、さっきと同様に訓練とゲームを混ぜクチャにしたような事をしにくる。いや、もともとゲームの世界で戦っているんだから、戦いことがゲームなのかも知れないけれど、そう言うのだけじゃなく……。今回やっていたのは、無限に出現《Pop》する火焰鬼を近接武器だけで何体倒せるかっていうヤツ。
火焰鬼の出現間隔は、時間の経過とともに上昇する出現レベルに合わせて短くなっていって、最後には毎分1024体まで膨れあがる。一応、終わりが見えているように思えるけれど、一秒に17体ずつ増えていく敵を、攻撃を受けずに倒していくなんていうのは、現実世界では不可能に近い。現在日本の討伐戦線に君臨すると言っても過言ではない僕の幼なじみで親友かつ魔王様こと廻間凰花でさえ、毎分128体前後でゲームオーバーになる。ただ、このゲームは討伐戦線発足時以前からクソゲー・無理ゲーの類いとして存在していたようで、ランキングには見知った名前がいくつかある。たとえば、
432体/分 出雲弥勒
361体/分 下総万梨阿
360体/分 長門大地
とか、今では東西を統括している武闘派統轄者の二人と、禁術使いの銀河の親父。彼も、天災級CCの単独撃退とかなんとかの業績があって、どこかの戦線のトップになっていたはずだ。
呼吸もだいぶ落ち着いてきたことだし、僕は体を起こした。極薄人工筋繊維の埋め込まれた特別製の訓練服がその動きを助ける。こんなことまでしなくてもいいんだけどなぁ。画面の向こう側の白木博士は、あいもかわらず、どこから手に入れたのか分らないパイプをスーハーしている。
「そこ、禁煙じゃないんですか?」
「いや、これハーブだから大丈夫だよ」
絶対嘘だろ。
「それよりも祓くん。私の研究室に来てくれよ」
「了解しました」
「ついでに、凰花くんも連れてきてくれ」
「それは、良いですが……」
それならそうと、本人に言えばいいのに。
「私は人見知りなのだよ。人と話す機会というのは、少なければ少ない方が良い」
「はぁ…………いつ頃伺えば良いでしょうか?」
「まあ、今日中ならいつでも大丈夫だよ。できれば、常識的な時間に来てくれることを祈っている。それじゃあね」
そう言うと、白木博士はディスプレイの電源を切った。と思ったらまたついた。
「あ、そうそう。私が見ていないところで訓練するのは辞めてくれよ。その部屋は、私の管轄なんだから、勇者様に何かあったら私が困るんだ。片手間とは言え、私はもう一時間も付き合ってあげたんだ。今日はさっさと上がってくれよ」
そして、ディスプレイからはまた博士が消えた。たぶん人見知りなんじゃなくって、面倒くさいだけだろこの人は。まあ、専門のトレーナー役をしてくれている事には感謝しているので、僕は訓練服の機能を停止させて、言われた通り訓練を切り上げた。軽くシャワーを浴びて自分の部屋に戻って軽く身支度を調えると、僕は凰花に電話した。一瞬、食事中だったら申し訳ないなぁと思ったけれど、数回のコールで凰花が出た。
『何?』
「白木博士に呼ばれた。凰花も一緒に来てくれだってさ」
『了解。いま三人で私の部屋にいるから、来てくれない?』
「なんで僕が……」
『いいじゃない。私みたいな美人を迎えに来れるなんて、光栄でしょう?』
「まあいいや。わかったよ。」
『それじゃあ10分後ね』
「あいよ」
ふむ。
凰花の部屋に行くのは行きなれているけど、煉と凜が一緒にいるとなると、面倒なことが起こる都市か思えないんだけど、いいのかな……。
とかなんとか考えながら、適当に支度をする。といっても、使うかどうかも分らないデータ端末を一つ持っていくだけだから、大して時間はかからない。服装も、制服を着ていけば別に失礼には当たらないだろうし、それは今も身につけている。
凰花の部屋って、僕の一つ上の階だし、ものの数十秒で着いてしまう。
10分後と言われると、10分待たないと行けなくなるから、暇でしかない。かといって、やることもないのでダラダラと10分間を過ごした。