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「遅えぞ、禁術」
復帰してきた銀河の左腕はなく、紫藍の光沢に光る右腕には暗黒の陽炎が纏わり付いていた。
代償の回復は段階的じゃない。左腕だけにペナルティが残るなんてことは有り得ない。
「二回目?」
禽獣を思わせる金色の瞳が僕を一瞥して、未だ舞う砂煙の方に向かう。
「犠牲なしにアレに勝てンのかよ」
砂塵が晴れたそこには、人型CCが二振りの長剣を構えてこちらを睨んでいた。彼我の差は、三十メートルほど。
「あと一分」
「知ってらぁ!!」
その叫び声に合わせて、銀河が飛び出た。いや、飛び出さざるを得なかった。
金属同士がぶつかり合うリアルな衝撃音が響き、一瞬遅れて衝撃波が走る。その中心で、赤橙の双剣とそれを掴む紫藍の右腕が重なっていた。
ギギギギィィーー、キャインンン!!!!
両者が跳び退り、そして再び剣と拳が交わされる。
紫藍の右腕は武装として組み込まれているのか、銀河のヒットポイント自体に変化はない。でも、それがいつまで続くのかは、正直分からない。
両者の攻防は加速度的に苛烈さを増した。たぶん銀河は身体能力の方にも補正を掛けている。じゃないと、あんな速さで動けるはずがない。
すでに、赤橙の残像と暗黒色の陽炎の軌跡の交点と、火花と、衝撃音と、雄叫びでしか、その応酬を知ることができないまでになっている。
ふわっとある疑問が現れて消えるその刹那の間に、大地にはいくつかのクレーターができあがっていた。
極限までに強化された右腕と、灼熱の剣の攻防。
今は均衡を保っているけれど、それもいつまで持つか分らない。
あと、五十秒で援軍が来るはず。だが、その数十秒がいまではとてつもなく長い。あのCCに比べたら弱者でしかない僕らがここから全員無事に生還するのは、正直相当難しい。
でも、やることはやらなくちゃ行けない。
きっと、銀河は、何をどうすれば良いのかちゃんと分っているはずだ。あのクソ生意気なお坊ちゃまは、人格的な問題はあれど、しっかりちゃっかりやることは分っている人間なんだから。
僕は、音声チャットを通じて、できるだけ手短に、みんなに指示を与えた。
認知できるかどうか、それすらも怪しい暴風のような攻防が突然やんだ。
地面に足を付ける二人の戦士。
片方は、ぼろぼろになった濃紺の右腕を引き摺る銀河。
もう片方は、灼熱の双剣を構え直している人型CCの姿。
一見して、力の差は歴然だった。でも、希望がゼロというわけでもない。赫赫と輝いていた紅の鱗には、禍々しい暗黒の瘴気が纏わり付いていた。
術者がダメージを負っただけ、敵にダメージを与える呪い系の禁術、病魔の纏鎧。一見して、バットステータスを自ら付与する禁術系統とは相性が良いようにも思えるが、禁術のバットステータスと重複する場合には、毎秒ごとに術者のHPが固定された数値分削れ、他プレイヤーの回復魔法の対称にならなくなる。馬鹿みたいなステータスの銀河だからなんとかなっているが、普通のプレイヤーが同じことをすれば、何もしなくても三〇秒後にはあの世行きだ。
かく言う銀河も、HPはレッドゾーンに達し、病魔の纏鎧の継続的ダメージによって減少している。
『わかってんな負け犬。俺様がここまでやってんだ。命張れよ』
通信チャットで流れてきた息も絶え絶えの声は、僕にそう言った。
そして、再び嵐が起こる。
あと少し、あと少しだ。その時を、見逃しちゃ行けない。病魔の纏鎧は、ダメージとは別に、任意の状態異常属性を蓄積させることができる。
敵の動きは素早すぎて、攻撃を当てることさえ難しい。
継続的なダメージを与えることができないのであれば、最大火力の一点突破を狙う他ないのだ。
そして遂に、その時が来た。
『みんな、頼む!』
蓄積されたバッドステータスが、遂に人型CCの耐久値を超えた。
叫び声と同時に、凰花、鉄斎、煉、燐が、それぞれの最高火力の大技を放った。
僕に。
そして僕は、
「九重の鏡壁」
自分の力だけでは何ら意味の無い自分だけの魔法を発動した。
九層からなる鏡の壁が、僕の目の前に立ちはだかり、四人の大技を受け止め、反復と複製を繰り返して九倍に威力を増した一筋の光となって反射された。
その光の向かう先は、もちろん人型CCの、その急所と思われる頭部へ。
アァァッッッ――――――――
声にならぬ叫びと共に、敵は音速を超えて吹き飛ばされ、目測で数百メートルの彼方に巨大なクレーターを作った。
やったのか、それとも、まだ足りないのか。その解が求まる前に、クレーターを紫電の結界が覆った。
それは明らかに、僕ら六人の誰の魔法ではなかった。
新たな敵の出現。
その絶望的な可能性に打ち拉がれそうになったとき、音声チャットに聞き覚えのある深く重い声が響いた。
『諸君、ご苦労だった』
そして同時に、目の前に巨漢が現れた。聞こえた声の親近感に反して、僕が身構えたのも無理は無いはずだ。それほどまでに、その男の体は大きかった。
二メートルを超す巨体を黒尽くめの甲冑を纏い、腰には風神雷神の二振りの刀剣。日本人的な黄色の肌に、視界を燃やしてしまいそうな鋭い灼眼と、兜の裾から垂れる白い髪。そこにいたのは、CC討伐戦線西日本支部総轄、出雲弥勒のアバターの姿。以前、写真の中でしか見たことのなかった、紛れもない、西国の鬼神だった。
そしてもう一人、西洋騎士風の黄金の甲冑に身を包んだ女性が、ボロボロになった銀河を抱えてこちらに向かってきた。
ウェーブのかかった緋と金の長髪、悪魔もを魅了してしまうような澄んだ碧眼。口元には、聖母を思わせる暖かな笑みを湛え、うっかり見とれそうになっていた僕に向かって、その口が開かれた。
「どうも始めまして。下総万梨阿東日本支部の総轄者です」
かつて西国の鬼神と並び立つと謳われていた、東国の聖女。この人のアバター姿も、今では写真でしか拝むことができない。この人が出てくる辺り、かなり状況は緊迫しているらしい。
「お目にかかれて光栄です。聖女様」
「軽口を言えるくらいには元気みたいですね」
本物の聖女顔負けの微笑みに、この人は向こうの世界では、出雲さんと同じ六十手前の婆さんなんだぞと活を入れる。そして、たぶんその心理的動向を見透した上で笑顔を作って、下総管轄は再び微笑を湛えた口を開いた。
「後の処理は私たちが執り行います。あなたは、この子を連れて本部に帰りなさい。処置はしましたが、一刻も早く現実世界に連れ帰ったほうが良いでしょう。このままでは、こちらの世界の影響を受けすぎます」
「そっちのことは任せたぞ、祓。行くか、老体には少々キツいが、行くかババア」
「くたばるんじゃないよ、クソジジィ」
一瞬、ぶるっと寒気がしたと思ったら、目の前にいたはずの二人の姿はすでに消えていた。
僕の心理状態を読み取ってシステムがかかせる冷や汗を感じながら、ボロ雑巾のようにうち捨てられた銀河の横に腰を下ろす。ちょうど、他の四人も集まってきていた。
「お疲れ錬金術士」
「見下ろしてんじゃねぇよ。駄犬が」
息も絶え絶えにそう強がる銀河に、こちらも思いっきりあっかんべーをする。
「軽口言える程度は、元気みたいね二人とも。ハライ、さっさとワープしてくんない?」
呆れたような視線を送る凰花に何か言おうとしたけれど、面倒になって僕は詠唱を開始した。
目的地は、ログアウトできるポイント。
フワッと、何度体験してもなれない嫌な浮遊感が背筋を駆け抜けた。