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嫌な感じの浮遊感。体勢を立て直す暇も無く、僕は地面に叩きつけられた。咳き込みながらも必死に呼吸を整える。敵はいつ襲ってくるか分からない。
巻き上がる粉塵が誰かの風系魔法で吹き飛ばされた。
直径二十メートルはあるクレーターの中心に、CCが立っていた。オークやらゴブリンといった亜人型とは全く違う、人間然としたフォルム。赤黒い鎧を身に纏い、手には赤橙の長剣が握られている。鎧から出た手足は深紅の鱗に覆われていた。
獰猛な笑みの奥で、サメのような鋭利な歯がギラつく。
オレンジ色の瞳が、僕の瞳を捕える。
頬が変に痙り上がるのが、自分にも分った。
それは、得体の知れない感覚だった。
別れて久しい人と偶然に出会ったかのような、あたかもそれが運命であったかのような。そしてどちらにせよ、その出会いは自分を忘れそうになるような単純なる狂気を孕んでいて……。それにどうにか耐えようとする崩れかけの理性。その他諸々の、理解不能な感情の暴走で心臓がのたうち回る一方で、僕の体はピクリとも動かない。動けない。
キシャン!!!!
その硬直を解放したのは、金属が打ち合う音だった。
打ちかかったのは、鉄斎だった。白銀の霊槍ダアトで、突き、薙ぐ。敵の得物は長剣で、槍の間合いには敵わない。だが、押されているのはテツのようだった。
その戦い様は、ほとんど対人戦と言ってかまわないだろう。〈楽園の果実〉による消耗とはまた別のところで、テツは劣勢になっていた。
「しっかりしろ!!」
その言葉は、誰に向かって言われたものなのか。
次に飛び出していったのは、凰花だった。
魔剣ベヒモスを手に、テツと鍔迫り合いをしていたCCの横から攻撃を入れた。だがそれもあっけなく返される。二の太刀、三の太刀と斬撃を重ねるが、躱され、弾かれ、敵にダメージを与えることはできない。
『……くん。ハライくん』
通信が復活したらしく、白木博士の声が聞こえた。僕も、ようやく頭が回ってくるような気がした。
「博士……』
『良かった、生きていたか』
「あまり状況は芳しくありませんが」
『分かっている。時間が無いから要点だけ伝えよう。とにかく、五分耐えろ』
なぜ、と言いかけて、口をつぐんだ。凰花でも、押し切れていない。
博士の言う通り、そんな時間は無いのだ。
『五分経ったら、ワープでその戦場を抜けてくれ。お前と凰花が居るんだから、できないとは言わせない。あとは、こちら側でなんとかする』
どう、なんとかするのか。
それを聞くことはできない。なんとかすると言っているのだから、なんとかするのだろう。そんな理由なんて要らないくらいには、僕はこの人を信頼している。
「じゃあ、五分耐える戦い方をします」
『私の仕事が間に合っていないことは詫びるが、それで戦局は変らない。よろしく頼む。武運を……』
通信切断後に砂嵐が流れた所、無理矢理こちらにつないでいたのかも知れない。こうなると、僕のワープもこの場の六人全員を正しい座標に転移できるかどうかも微妙なところだ。
通信中の約三十秒で、起こった変化。
凰花のHPが半分ほどまで削られていること。
煉はテツの回復にあたって、燐は社を流れ弾から守っていた。
僕は便利機能のタイマーをセットする。
残り、五分。三百秒。
愛剣フォルティスを呼び出した。全体が茶褐色の地味な片手剣だが、先日の天空龍撃退の報酬で手に入った素材で強化は最終段階まで進んでいる。おかげで、数値的には凰花の魔剣ベヒモスに負けない攻撃力と切れ味を誇っている。
その愛剣フォルテを中段に構え、抉れるほどに地面を蹴った。
数十メートルの間合いを数秒で詰め、人型CCに切りかかる。
キィイイン!!
と、金属のぶつかった音が弾け、火花が飛んだ。
「ヤット来タカ、ニセモノのユウシャ」
「ッ!?!?」
CCが喋った?? だがそれ以上に!!
気の動転からか、一気に敵の押す力が増したように感じた。そのまま後方に飛ばされる。飛ばされた僕に追いつく勢いで跳躍した敵の剣が、僕の喉元に迫る。が、その間に凰花が入り、寸前のところで敵の剣を弾いた。
助かった、と言う時間すら無い。
クソッ!!
再び地面を蹴る。凰花に剣を見舞う敵の側面から下半身を狙って切り込むが、見事な剣捌きによって弾かれる。返す刀で、凰花の斬撃を再び弾く。
消耗があるとは言え、S級討伐者を二人相手にしながら余裕の立ち回りを見せるこいつは、単純に考えれば天災級の力があると言うことになる。
押し合い、剣が離れ、再び交じり合う。これでは埒があかない。
その時、人型CCの頬にあたる部分の鱗が、数枚飛び散った。
三者の動きが止った。
「ン?」
オレンジをした双眸の先には、フルメイル姿の聖騎士。
それに釣られて僕らが見たのは、聖槍ダアトの先からの〈王国式魔術〉白銀角のエフェクトが終るところだった。
視界端の時計に目をやる。
残り、二百五十三秒
テツの復活は、燐の参戦も意味する。しかし、使役したCCを召喚して戦う召還術師の燐は、おそらく格の違う相手に苦労して手に入れた自分の手駒が倒されるのを良しとしないだろう。一度手放すと、戻っては来ないのだから。
「燐は、僕らのサポートにまわってくれ。テツ、三人で相手するぞ!!」
短時間で完成する防御系の結界を張ったところで、凰花と同等の攻撃力を持っているならすぐに破られてしまうだろう。ここは、燐の回復系魔法に頼ることにするのが吉だ。現状が続くなら、三人相手で回していれば、あと四分、なんとか耐えることもできるだろう。
ただ、この約一分の戦いで分ったこともある。
人型CCの動きがほとんど僕らと同じであること。そして、僕らが対人戦《PvP》に弱いことだ。モンスターのようなCCなら訓練も多いし、研究も怠っていない。けれど、その必要性から対人戦のほうはお遊び程度の決闘以外、まともに取り組んだことがない。間合いの取り方や攻撃の速さ。その他、通常の討伐と違う駆け引きへの慣れが劣っているのだ。
僕や凰花はまだ良いとして、テツにとっは少しつらい戦いだった。
「フンッ!!」
剣を払った人型CCが、僕めがけて突進してくる。僕から見て右に受け流し、振り返りざまに剣を横に振り一回転。相対して剣を構え直すと、凰花が突っかかっていた、が。
「よけろ!」
僕の声が届いたのか、それとも自分の判断なのか。凰花が大きくのけぞった。その後を、CCが付きだした左手から放たれた爆炎が通り過ぎていく。余波を受けてか、凰花のHPが数ドット削れる。
これだけの乱戦の中で、あれだけの威力の魔法を使ってくるのか。と、感嘆に更ける暇なんてあるはずもなく、そしてテツの白銀角が発動する間もなく、今度はCCの全身から炎の球が同心円状に飛び散った。
魔法発動後の硬直時間を期待し、僕はすぐに防御魔法を発動した。
防御魔法発動後のコンマ数秒後、テニスボールほどのそれは、地面に触れると同時に爆炎を上げた。至近距離で起こった連続的な爆発は、防御魔法の効果上限を振り切り、僕のHPを削る。
単純な白兵戦だけでなく、魔法を織り交ぜたこの戦い方は簡単にできるようなことではない。
向こうが魔法を使うのであれば、こちらにも工夫が要る。
最もわかりやすいのは、魔法での防御。そして、相対する魔法での相殺。
「凰花、テツ!!」
「OK」
「分った!!」
前衛は、ひとまず彼らに任せて、僕は後衛に戻ろう。勝利条件は五分間耐えること。例え臆病者と呼ばれようと、負けるよりはマシだ。
視界端の時計に目をやる。
残り、百九十八秒
燐の援助を受けて凰花とテツが耐えている間、僕はとにかく自分が覚えている限りの攻撃魔法を敵に試し続けた。なにしろ、初見の敵だ。どの攻撃がどれだけ有効なのか全く分らない。
結果、水系統の中級魔法が最も効率が良いことが分った。
だが、六人分のワープを使うことを差し引けば、残ったMPは全体の三割も残っていない。数分、ぎりぎり足りるかどうかと言ったところだろう。ポーションで回復したいのは山々なのだが、一歩間違えれば敵の連撃の餌食になり、HPが一気に削られる綱渡り状況が続いていて、剣を手放すこともできなかった。システム上、武器を持った状態では回復系のアイテムは使えない。
「水流砲、水壁」
敵の魔法モーションも少しだが、分ってきた。
左手を突き出すと、爆炎の玉。体全体が力むと同心円状の爆炎。剣先を上にして騎士のように構えると、赤橙の剣が居低時間炎を吹き出すようになる。
動作からCCの攻撃を予測することができるのは、多少特異なところはあれどもこいつがCCであることを示していると考えることもできる。一方で、特定の武器を持ち、一定の動きをすることで発動する戦技というものもシステム上存在している。発動後の隙が多くて今は使うことができないけれど、僕ら討伐者は、これによって戦いを有利に進めている。
本来ならこんなこと考慮に入れる必要はないはずなんだけど、今はどうも気になってしょうがなかった。
水系統魔法による迎撃で、敵は魔法がかなり使いづらくなっているようだ。
それでも、剣で弾かれ、躱され、こちらから相手にはほとんどダメージが通っていない。
そこで、敵の足が止った。
攻撃のチャンスであるかのように思われたが、どう見ても隙が無い。
「コのママジャ、埒ガアカナイ」
獰猛な顔が、凶器に歪められる。
「そろそろ、本気デ行こウカ」
人型CCの体が力む。
僕は、慌てて水の壁で敵を覆った。
しかし、たっぷり三秒の時間がかかったが、何も起こらない。
いぶかしんだ僕らが動き出そうとした五秒目に、突然水の壁が吹っ飛んだ。
水蒸気爆発、こんなギミックがあったのか?
と思いながら吹き飛ばされる僕。しかし、今度は体制を整えて、地面を抉りながらどうにか着地に成功した。そしてすぐに、その原因たる敵の方を向く。靄の向こう側に立っていたのは、鎧に炎を宿し、赤橙の剣を二本に増やした人型CCだった。
視界端の時計に目をやる。
残り、百三秒
「グガァァァアアアアアア!!!!」
理性を感じさせない咆哮に、少したじろく。
そして歯を食いしばり、冷静に分析しようとする。
これは、ヤツがパワーアップした姿。単純に考えるならば、さっきの水壁を見る限りでも、中級の水系等魔法はこちらに予期せぬ爆発を与えるだけで意味をなさないだろう。ならば、上級かと考えるが、僕にそれを連発するだけの魔力はないし、さすがにそうなると、隙が大きくなりすぎてしまう。
「ガアアアァァァアア!!」
灼熱の双剣を構え、敵がこちら側に突撃をかけてくる。前衛の凰花とテツが、二人がかりでそれを受け止める。大上段から振りかぶられたそれを、二人がどうにか支える中で、ヤツは口から煙を出しながら体をこわばらせた。
今まで通りなら、爆炎を同心円に放射するあの攻撃。
だが、水壁で覆っても、迷惑をかけるだけ。なら、どうするか?
一瞬の戸惑いはあったが、僕はその場を駈けだした。大地を抉り取るような一歩で敵に急接近。敵の喉仏一点を狙い、その勢いのままに全体重を掛けて、僕はフォルティスを付きだした。魔法が先か、僕の突きが先か。
「ハアァァァアアアア!!!!」
そして、全身全霊をかけた突きは、魔法発動中に特定の動きしかできないヤツの喉仏にクリーンヒットした。
僕の渾身の突きを喰らった敵は、大きく後ろにのけぞった。普段であれば、このまま一気に総攻撃するところなのだが、そんなスキが生じる間もなく、ヤツは大きく宙返りをして綺麗に地面に着地した。息と共に煙と熱を出しながら、煌々たるオレンジの瞳が、僕を射く。
「この、子犬メガ。こザカシイ」
その声と重なって、僕の目の前に、剣があった。音速をもこえる電光石火の剣戟。ジン、っと右手首が痺れたのは、ある意味軌跡かも知れない。どうやら僕が反射的にフォルティスをあてがったようだった。だが、同時に僕の胸に鈍い痺れが走った。剣の防御を突き抜けて、ダメージを受けたのだ。僕の満タンに近かったHPが、音を立てるようにして減少して、瞬く間にオレンジゾーンからレッドゾーンに替わり、残り一割のところでようやく止った。
「祓!!」
凰花の声が聞こえる。そんな気がした。
熱が、近付いてくるような気がした。
「ハァ!!!!」
体を横に転がす。
さっきまで僕が居たところに、刃が刺さり、ジュッと音を立てた。
体勢の整わぬ間に、直感に任せて右手を振る。
金属のぶつかる音が、連続して聞こえた。
残り一割だったHPが、少し回復して、またジリジリと減少を始めた。誰かが、回復魔法を使ってくれているのだろう。それが無くなれば、僕の人生は終わりなんだ。
どうか、無くさないでくれよ。
もう、残り時間を気にしている余裕なんてなかった。
ほとんど目視不可能な敵の斬撃を、僕は直感のみに従って捌き、躱し、弾く。これまでに無いのではないかという剣速をたたき出しておきながら、それでも僕のHPは微妙な増減を繰り返していた。
左手の袈裟切り。切り払い。蹴りからの両手薙ぎ。一回転して、そのまま……。
いつしか笑っていた。一撃一撃が生死を分けるこの窮地のなかで、いつしか僕は笑っていた。
赤橙の残像が振りまく噴煙を頬に受けながら、めまぐるしく繰り出される双剣の連撃を寸前のところでカットしながら。僕は悦に浸った。これだけのことができるのだ。僕には、これだけの力が秘められていたんだ。だったら、だったらもしかすると……人型CCを倒せるんじゃないか。
と、そう思ってしまった。
ダメージを受けているのは僕の方だけで、それを誰かが補ってくれているだけなのに。
これだけのことができるのに。僕なら、こいつを倒せるかも知れないのに? 本当に? 負けているのに? 神速の剣戟を捌ききれる。僕は強い。ホントに? 僕は、僕が…………。
「あっ」
それは、単純なミスだった。
足払い。
見えていたはずだった。分っていた。だけど、そんな単純なものに引っかかってしまった。
視界が、青に変わる。
音も無く、二本の双剣が合わさって僕に向かってくる。口がつり上がり、サメのような鋭い歯が見えた。煌々たるオレンジの光が、馬鹿にするように笑っていた。
そこまで、見えていた。
だが、体は動かなかった。イヤだ、死にたくない。視界がぼやける。
血の気が引くってこんなことなのかなって、初めてそんなことを思った。
双剣が、振り下ろされ、僕に刺さる。
と、思ったとき。
視界から、それら全てが一瞬で消えた。
「世話が焼けるな、子犬ちゃん」
訳の分らない爆風の中。左手の無い、シルバーブロンドの髪をした少年が、鬱陶しい限りの笑みを浮かべてそう言った。
釣られて僕も笑って、こう言った。
「遅えぞ、禁術」
視界端の時計に目をやる。
残り、六十二秒。