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電脳世界とそれによって生み出されている電脳生命体は、本来一と零だけで成り立つ電子信号なわけで、一般的な世界の法理法則を適用するのであれば、それが形と質量をもって現実世界に存在するのは間違っている。
質量保存もエネルギー保存もクソ喰らえな現実ブッ壊し現象が起こるはずがない。
とまあ、こんなふうに考えるのが常識なわけで、故に、現実世界を仮想的に再現するVR技術は成功しても、仮想世界を現実に再現するRV技術なんて言うのは、夢のまた夢。法則無視も良い所な空想の産物であると考えられていた。
しかし実際には、第二次情報革命の第一弾として全感覚型のVR技術が完成された後、次世代の情報技術として電子情報を現実世界に出力する研究が様々な場所でなされていた。
知能の一部を最先端のAIに肩代わりさせてもなお、気の遠くなる膨大な演算とデータの採集が繰り返され、何万人に一人、何億人に一人の天才たちが額を付き合わせて議論と実験を積み重ねた。
結果、人類は世界法則の強制力にムラがあることを突き止めた。
何千何百何万回もの実験と考察を繰り返し、思考の片隅で抱いた微かな違和感。それに気がつくことができることが天才たる所以であり、それを突き詰めることができるが故に、天才だった。
空間上に生じていた、本来存在しないはずの、些細な揺らぎ。
全ての始まりはこの発見だった。
画期的な発見は数多の仮説を生んだ、その中に、こんなものがある。
空間の揺らぎは、小さな波が重なって大きくなるように、在る条件の下で重ね合わせが起きることで、強大無比な世界法則を決定的なまでに弱体化するのではないか。弱体化した世界に、非現実を投射することで、新たな世界を創造できるのではないか。
あまりにも突飛な予言だった。
しかし、その予言はあまりにも夢と現実性がありすぎた。同時に、世界を滅亡させるほどの危険性も。
けれど、人類は進むことを躊躇わない。
進んだ先に何があるとしても、人間の好奇心と競争心を沈めることはできない。それはきっと遺伝子レベルで人類に刻まれた性癖のようなものなのだろう。
弛まぬ研究の成果として、遂にその時はきた。
しかし残念ながら、人類の被造物たちによって。
世界最高峰と謳われた各国の人工知能たちが結託、暴走、融合し、新たな世界を創造するに足る知識と能力を得たソレは、意気揚々と世界の「ユラギ」につけ込んで、彼らの世界を造り始めた。
「さっさと起きろやぁぁぁあああああ!!!!!!!!」
鼓膜を振るわせる気合いと共に、ドドゥン!!!!!!!! という衝撃が体を突き抜ける。気持ちの悪い浮遊感のあと、地面に体を打つ付けた痛みで、たたき起こされると言うには大仰にもほどがある「たたき」を受けて、僕は「起こされる」ことになった。
普通に蹴られただけのような気もするけれど。
腰をさすりながら上体を起こすと、悪いびれる様子もなく凰花がこちらを睨んでいた。隣で鉄斎が苦笑いをしている。
「何も蹴ることはないだろうに……」
「マップに転送されているのに眠っているアンタが悪い。敵に急襲されたらどうするつもりなのよ」
怒気をはらんだ深緑の瞳が、僕を射貫くように見つめていた。毛先の緑みがかった銀髪が、全部逆立っているように見える。色気の欠片もない全身真っ黒な防具から溢れる負のオーラが、よけいに僕を萎縮させる。今の凰花なら、人にらみ下だけで下級のCCを倒せてしまいそうだ。
「ま、凰花が起こるのも無理はないね、ハライ」
覚醒が遅れてしまうのはアンチプログラムの副作用みたいなもので、仕方が無いと言えば仕方がない物ではあるのだが、危険であることは事実なので此処は頷いておくしかない。
「ああ、悪い。気をつける」
僕は起きあがると、電脳世界における自分の姿を確認した。
味気ない灰色の生地に、燃盛る炎を纏った不死鳥が描かれたロングコート。同じく灰色を基調としたレザーメイルと、ボストム。髪は現実世界でそうなりつつあるように、完全な白。打って変わって黒い瞳。無彩の勇者とはよく言ったものだ。
無彩に無才を掛けてくるのは冗談じゃなく傷つくから是非とも辞めて欲しいけれど。
「それで、敵はどこに居るのかな?」
と、少しおどけた調子で尋ねるテツは、凝った刺繍が施された白銀のプレートメイルの上から、赤地に錦糸の刺繍がなされた鮮やかな防護服を羽織っている。金髪を短く刈り込んだ髪は、現実世界の姿とは、似ても似つかない。僕よりも頭一つと半分以上高いところにある青い瞳が、面白そうにこちらを見下げていた。
「分かったよ。探せば良いんでしょ」
索敵のスキルをオンにすると、たちまち、視界の端に映し出されていたマップの上に、赤いカーソルが気持ち悪いほど浮かび上がった。もはやドットではなく、辺り一面が真っ赤に映し出されているといってもいい。距離は、そこまで遠くない。せいぜい2,3キロ、目の前の丘を越えたらすぐと言う所か。ただ、その集団に向かって緑色の点が突き進んでいた。銀河たちの部隊だ。索敵スキルで得た情報を、二人と共有する。露骨に顔をしかめたのは凰花だった。
「馬鹿な奴。このまま真っ直ぐ突っ込んだら、囲まれてジリ貧。そのまま殲滅されるじゃない」
「彼には奥の手があるとは言え、あんまり余裕があるわけじゃなさそうだね」
「目の前の丘を越えたらすぐ戦場だ。とりあえずは、様子を見て、できれば共闘してもらおう」
「できれば、ね」
あきらめ顔の凰花を余所に、僕は強化魔法を立て続けに詠唱した。
電脳世界で魔法を使うにあたっては、スペルの詠唱が必須となる。詠唱をシステムが認証することで、魔法が発動される仕組みだ。魔法の仕様回数によって熟練度が上昇し、熟練度が上がれば威力の上昇や詠唱省略などの効果を得ることができる。
今回は、六人でパーティーを組んでいるので、それぞれのパラメータが僕の視界の端っこに映し出されている。HPバーとMPバーの下の能力上昇を示すアイコンがいつも通り現れたことを確認して、僕は自分に残された時間を確認した。
HP、MP、攻撃力等々、ゲームでよくあるパラメータはこの世界でも存在しているけれど、この世界独特の、というか、開扉機を使ってログインしたときにだけ追加されるパラメータも存在している。それが、活動限界、LTだ。
強化魔法を三人に付加して、各種パラメータの上昇と、電脳世界における特殊パラメータである|残時間(Limited Time)を確認する。LTは、アンチプログラムが電脳世界に対して正常に作動できる時間、つまり、僕らが連続して電脳世界にログインしていられる時間を表していて、普段は三時間ほどで限界を迎える。通常設定であれば、この限界を迎えると戦闘中だろうが何だろうがお構いなしに強制的にログアウトしてしまう。
僕がログインしてからグダグダと無駄な動きがあったせいで、すでに時間は十分ほど経過していた。今回も、与えられた制限時間は三時間で、僕らに残された活動時間は、二時間五十分しかない。MPポーションを飲んでMPを回復させると、僕らは頷きあって丘の上に走り出した。
「作戦は、分断と各個撃破ってとこかな?」
「私は、囲って中の敵を殲滅の方がラクなんだけど」
「まあ、そこは二人の動きたいように動いてくれたら良いよ。僕は、二人のサポートにまわるよ」
「今回も頼んだぜ」
前衛役の二人とパーティーを組むと、補助魔法を使うことができる僕が自動的にサポートにまわらざるを得ない。《勇者》の職業を持ちながら、後衛を担当する。それが故に名付けられたのが、後衛の子犬という、何とも皮肉なあだなだった。
数分の疾走の後に丘の上に登った僕たちが見たのは、まさにCCの海だった。
「うわぁ、やっぱ多いなぁ」
「蛍光灯に群がる虫みたい」
「その例えはどうなんだ凰花……」
と言いつつ、目の前の光景は「異様」以外の何物でも無かった。
僕たちが立っている四つの丘陵以外、特に何も見当たらない見渡しの良い平原を、CCたちが所狭しと覆っている。正確な数は分からないけれど、これが約五千のCCかと感嘆してしまう。
僕たちに残された時間はもうあと二時間四〇分と少しだけ。その時間以内に、この大量のCCを全て討伐しなくてはならない。
突如、CCの海がちょうど半分で分かたれた。
突撃した銀河たちが、その勢いのままCCの軍勢を突っ切ったのだ。
「僕らも負けてられないね」
その言葉に、凰花とテツがニヤリと笑った。
「はぁぁあああああ!!」
「行くぜ!!」
叫び声と共に凰花とテツが丘を駆け下っていく。
次の瞬間には、特大の銀槍と深紅に光る魔剣が、戦場にポリゴンの花を咲かせていた。