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立ち上がった僕と凰花は、自身も立ち上がろうとしていた後輩二人に指示を出した。
「真紀ちゃん、将成くん。避難して」
お願いと言っても差し支えないかも知れないそれは、しかし、僕たちの先輩としても義務でもあった。
「でも……」
「戦い方も知らないあなたたちを、戦場へは出せない。今は、私たちの戦いを見ていて欲しい。いつか、一緒に戦うときのために。いい?」
凰花の言葉に二人は苦虫をすりつぶしたような顔をして、そして、最後に頷いた。
「分かりました」
「頑張ってきてください」
二人に笑顔を残して、僕は凰花と一緒に教室を出た。そのまま真っ直ぐ本部へと直行する。実技を見ても、知識を見ても、彼らは十分優秀な部類に入ると僕は思っている。きっとすぐに、強い討伐者になるだろう。
本部は大まかに二つの機能が備わっている。一つは、管轄地域の電脳化具合やCCの発生状況をモニタリングしている司令管理区画。もう一つは、今回のような緊急任務や通常任務を行う時に、詳細を説明したり、会議を開いたりする伝達会議区画。僕らが今向かっているのは、当然ながら伝達会議区画の方だ。
本部までは、走って行けば数分で辿り着ける。
開け放たれた本部の扉の先には、すでに数人の先着がいた。そのうち、栗色の髪をした背の高い男子がこちらを見て、ニヤッと笑った。
「やあ、今日も仲睦まじくってところ?」
「うるさい」
声をかけてきたのは、真榊鉄斎という、この拠点では数少ない僕の友人だ。百八十センチを越える屈強な体躯は、僕よりも頭一つと半分以上大きい。アバターの容姿がまだ移植されていない地毛の癖毛をかきながら、鉄斎は茶目っ気たっぷりの笑顔を凰花に向けた。
「今日もよろしく」
「頼りにしてるわよ《聖騎士》さん」
「《魔王》に頼られるとは、光栄至極だね」
プイッとそっぽを向く凰花の素っ気ない返しにも、嬉しそうに笑うテツ。
「なんかアンバランスな組み合わせだよなぁ。聖騎士と魔王って」
僕がそう呟くと、お前が言うなよ。とでもいうように四つの目がさっと僕の方を向いた。僕が何か言おうとするより前に、耳障りの悪い、鼓膜を嘗めるような声が横から入ってきた。
「今日も仲良く友達ごっこか、意気地なしの勇者」
入ったときから、此処にいたのは知っていた。禽獣を思わせる鋭い金色の瞳が、
僕の少し上からギロリとこちらを睨んでいた。後ろには、瓜二つ、そっくりな顔をした二人の少女が立っている。
長門銀河。
何かにつけて僕に絡んでくる、名門長門家のお坊ちゃまだ。自尊心が服を着て歩いているような、できれば相手にしたくない種類の人間だけど、何しろ強いのだから仕方が無い。ランクの高い討伐者が招集される場では、必ずと言って良いほど、彼と顔を合わせなくてはいけないのだ。そして、毎度毎度こんなふうに、嫌みが飛んでくる。
「悪いけど、僕はお遊びで戦いに出たことはないよ、罪深き錬金術士」
珍しく、悪意ある表情がおもいっきり顔に出ていたのだろう。まずいと思って表情筋を緩めたときには、もう遅かったようだ。艶のあるプラチナブロンドの髪をかきあげる。
それを見て、僕は心の中で溜息をついた。あぁ、今度は何が飛んででくるのやら。
こっちからはあんまり波立たせたくないなぁ。もうすぐ任務なんだし……と、思って身構えていると、この剣呑な空気に水を差したのは後ろに控えていた二人の少女だった。
「銀河もクソ勇者も、大人げないですね。たまには、仲良くしたらどうですか」
「つーか凰花ちゃん、そんな変態勇者にかまってばっかじゃなくってさぁ、たまには一緒に戦おうよぅ!!」
白酒燐。
黒酒煉。
凰花や銀河の後ろに隠れて目立ちはしないけれど、二人とも、A級の討伐証を持つ、大戦力だ。というか、さっき僕の呼び方、すごく馬鹿にされたような気がしたんだけど。
抗議の声を上げようとしたところで、伝達室の巨大ディスプレイに壮年の男性が映し出された。
僕らはそれを見て諍いを中断し、すぐに画面に向かって敬礼した。不思議なことに、何百年たっても、軍において最も普遍的な敬意を表す動作に変わりはない。ここが軍かどうかは、ちょっと難しいところな気はするけれど。
『各員、ご苦労』
男が口を動かすと、心臓を振るわせるような重低音が室内に響いた。それが、スピーカーから流れてくるデジタル情報であることを理解していても、僕たちの弛んだ空気を引き締めるのには、それだけで十分だった。
『第七戦線の討伐者諸君。CC討伐戦線西日本支部総轄の出雲彌勒だ。急な呼び出しに答えてくれたことに感謝しよう』
赤銅色の髪に銀の筋が刻まれ初めてはいるが、鷲の様な鋭い眼光と威厳ある姿。
かつて、西国の鬼神と呼ばれた男の輝きは、今でも衰えることを知らない。
『現時刻をもって、諸君ら六名の討伐者を第一部隊として、瀬戸内海第二地区の電脳界から生じたCCの討伐に派遣することとする。
現在、座標北緯34度44分、東経134度11分に、CCが大量発生中。任務はこれを殲滅することを。殲滅目標時間は現在時刻よりおよそ三十分。一四:〇五までとする。
クリア難度はB。諸君らの実力があれば、達成は難しくないと思われるが、ゆめゆめ気を抜かぬようにしてほしい。個々は弱小なれど、数は多い』
ランクC個体の強さの目安は、「C級の討伐者が一分間に同時に三体相手をして倒すことができる個体」というふうに設定されている。基本的に、ランクによる強さの定義は一〇倍と考えればいいので、B級の討伐者はCランク個体を三〇体。A級の討伐者は三〇〇体、同時に相手をして倒せると言うことになる。ただ、討伐者の職業や戦闘スタイルによって、強さの方向性は違ってくるわけで、そう一概に言うことはできない。これは数字であって、ただの目安だ。
とはいえ、いま伝達会議室にいる六人を見渡せば、
廻間凰花:SS級
伊月祓:S級
真榊鉄斎:A級
長門銀河:S級
白酒燐:A級
黒酒煉:A級
という戦力が並んでいるわけで、さっきの単純計算をしてみると、大体三万七千体のCCを一分間に倒せる計算になる。銀河と僕らが共闘できるかどうかは、さておき……。
単純とは言え、指標は指標。捜索時間込みでも、今回の任務はそこまで苦労することはなさそうだ。もちろん、出雲支部長に言われたように、油断は禁物だけど。
『質問がある者は?』
いつもなら、特に問答することなくやり過ごされる言葉に、今回は珍しく質問者が現れた。
『長門隊員、発言を許そう』
「ありがとうございます。今回の任務は先ほどBであると聞きました。しかし、今此処に集められている隊員は、本拠点が即座に召集できる戦力の中では最も強力な部類に含まれると思います。任務の難易度に対して、戦力が過剰では無いでしょうか?」
まあ、確かに、理論値とはいえ、五百体程度のC級のCCでは、一分と言わずとも五分あれば任務を完遂できるだろう。ある程度の安全マージンを取って任務を行うことは常識と言えば常識ではあるが、今回投入する戦力は、少し過激と言ってもいい。
ただ、司令室からこのような通達が来ると言うことは、大きな理由があるのだろう。という僕の予測は、残念ながら外れてしまった。出雲さんが発した言葉は
『勘だ』
という、至極個人的な理由だった。
当然、質問者が黙っているはずがなかった。経験の差だ小僧。とでも言われたような気がしたのだろう。けれど、画面の向こう側の生ける伝説は、銀河の動きを手で制した。
『もちろん、それなりの理由が無いわけでもない。五百体とは言え、これだけの数のCCが突如発生するのはあまりあることではない。それに、その数は現時点でも徐々に増えている。下手をすれば、君たちが現地に到着する頃には五千体近くにまで増えているはずだ。ここまでくると、いかに君たちが優秀であっても、全ての敵を漏らすことなく討ち果たすことは難しいだろう』
横でテツがギョッと、驚くが、それほどのことでもない。
これだけのメンツがそろっていれば、五千程度のC級CCであれば、やりようがないわけではない。条件付きではあるけれど。
『それともう一つ。そろそろ、君たちに仲良くなって欲しい。と言うのがある。長門。それから伊月』
あぁ、なるほどなぁ。まあ、確かにそれは、無い事も無い。
『今回の任務、首尾良く達成するためにはある程度の連携が必要になるだろう。時には、気の合わない相手と共闘しなければならないこともある。それを理解してもらうことも含めてのこの戦力だ』
「分かりません。今回の任務、俺と煉、燐だけでも十分達成できるものと思われます」
『まぁ、そう急くなよ。大地の倅や。お前の父は、もう少し物わかりが良かったのだがな』
「故に、死にました。俺は、もう親父を超えている」
『このあたりでやめにしよう。他に質問がないならば、速やかに任務に移ること』
特に質問者も無く、出雲さんの敬礼に、僕たちも敬礼を返して、伝達会議室を出た。
伝達会議室は、伝達事項を隊員に伝えた後、すぐに電脳世界にログインすることができるように、転送室の近くにおかれている。そもそも、本部の造り自体が円柱で、その片っ方が伝達会議区画で、そもう片っ方に司令管理区画が振り泡蹴られているのだ。そして、その円柱の地下にも、建物は広がっている。この地下空間一階から三階までを占めるのが、転送室だ。
そこには、僕たちが電脳世界に出入りするための唯一の装置である「開扉機」が、百二十台も設置されている。まさに、第三戦線における「真の中枢」と言っても過言ではない。
ここには、旅団、部隊、個人と言ったような、同時にログインするグループの大きさに対応するように、細切れに部屋が作られていて、依頼の種類や用途、プレイスタイルによって使い分けることができる。が、ある程度の成績上位者になると、個人用に開扉機が与えられる。自然な話、個人部屋がそのまま与えられるか、仲の良いメンバーと部隊規模の小部屋が個人の部屋として使うことができるようになる。たいていの場合は、S級以上の隊員にこの権限が与えられる。僕と凰花は、八台の開扉機がおかれている、部隊規模の小部屋を二人の専用スペースとして与えられているけれど、部屋の内部構造自体は与えられる前と同じ状態なので、あと六台分の空きがある。成り行きとして、今回はテツがその空きの開扉機を使うことになる。
当然、S級隊員の銀河にも部屋が与えられていて、おそらく、部隊規模の部屋を借りているのだろう。燐と連を伴って、僕らとは別の方向に行ってしまった。
小部屋の中は、46インチのディスプレイと硬いソファがおかれた六畳ほどの共用スペースの他は、個室になった更衣室と、開扉機がおいてあるだけだ。ここは基本的に生活空間ではないため、それ以外の物はない。
併設されている個別型の更衣室に入って、用意されていた専用のボディスーツを身につける。ぶかぶかの服がボタン一つで肌に吸着する。このままだと全裸よりマシ程度の格好になってしまうので、浴衣みたいな薄手の服を軽く羽織る。
「よし」
いつも通りの支度を終え、共用スペースに戻った。テツ、少し遅れて凰花もやってくる。しかし、今回の依頼について話し合おうとしたそのタイミングを見計らったかのように、画面の電源が入り、白衣姿の女性が映し出された。
『やあ、魔王組。開扉機の準備はできてるから、いつでもあっちの世界にいけるわよ』
針金みたいな細い腕で頬杖を突きながら、何処で手に入れたのか不明なパイプをスーハーしている。研究所内でたばこ吸っても良いのかどうかは、審議が必要な問題であるはずなのだが……本人は特に気にする様子もない。
「了解しました。白木博士。本日もよろしくお願いします」
凰花によるまさに見本のような敬礼に、僕らも追従する。
『おう。礼儀正しくて宜しい。ところで、祓』
落ち窪んだ眼球がこちらに焦点を合わせた。出雲さんのような眼力は無いけれど、この人に見られると心を見透かされているような気分になる。例えそれが画面越しであったとしてもだ。
「は、はい」
『この間の天空龍討伐で消費したとか言ってた七つ星ポーション補給しといたから。ありがたく思いなよ。まあ、お礼くらいは受け取っといてあげるから』
と言って、白木博士はにやっと笑った。
「あ、ありがとうございます。あんな貴重なものいただいて、本当に申し訳ないです」
「いいってことさ。私も君たちの戦闘データから、有意義な情報をいくつか採取できたしね。討伐敵わず撃退とは言え、よくもまあ、生きて還ってきたものだよ。さすがまおゆうコンビと言う所かな」
感心の呆れの声がスピーカーから流れ出る一方で、隣の聖騎士も呆れ百パーセントの表情でこちらを見ていた。
「七つ星ポーションって、S級クエ一回で一つ手に入るかどうかっていう最強のポーションだよね……しかも、旅団をフルにしていっても撃退するのがやっとな天災級相手にして、たった二人で撃退だなんて……もう、これだから……」
「最後のカウンターが決まってなかったら、二人仲良くあの世行きになってたけどね……ブレスがかすったり、風圧の効果圏内にいるだけでHPが一割削れるような敵だったわけだし。今思い出しても、あのクエストに乗るんじゃなかったって後悔してるよ」
「祓だって、聞いたときにはすぐに飛びついてきたじゃない」
「だって報酬が天空龍の鋭尾鱗だったから。もう後あれだけで,僕の剣は完成だったんだ。旅団組んで尻尾を破壊して撃退報酬であれをもらうには、僕には人望も人脈もなさ過ぎるよ」
そういうのは、銀河くらいの力が無いと。と、言いかけて、口を閉じる。例え冗談でも、彼らを目の敵にするような言動は避けないと。出雲さんの勘が当たっていれば、僕らは彼と共同しなくてはならないのだから。
『まあ、仲が良いのは良いことだが、そろそろ始めてくれよ。むこうはもうログインしているよ』
向こうとは、もちろん銀河たちのことだろう。
「了解です」
『うむ。健闘を祈っているよ』
画面の向こう側の博士に敬礼をして、僕は自分用にいくらかのカスタマイズがなされた開扉機に向かった。開扉機の外見は、すこし潰れた卵のような形だ。高さ×横×長さが二×一・五×一・五で、かなり大きめな作りになっている。だが、脳信号をキャッチしたり、侵食に対するアンチプログラムを搭載していたり、その他たくさんの機能が付随しているため、逆にこの大きさに納められていることが奇跡といってもいい。
指紋と虹彩認証後、開扉機の上半分が観音開きになる。その中に仰向けになって入ると、ちょうど自分の両手を伸ばした先にある半球状のタッチマウスのうえに掌を乗せた。
プシュー。という音がして、両側から扉が閉まった。同時に、高密度生命維持流体がカプセルの中に充満されていく。
目の前に三次元ディスプレイが現れた。
国内ランキング七位。西日本ランキング二位。
伊月祓。
その数字自体に、意味は無い。大切なのは、僕という人間が今此処で、確かに存在していると言うことだ。
目の前に現れた『出撃しますか?』の文字の下に映る『Yes』のボタンを、右手のマウスでタッチする。
「さて、いきますか」
そう呟いた直後、何度繰り返しても慣れることのできない寒気が全身を覆い、僕の意識は遮断された。