その3。
マナだ。
ぼくは、顔を上げきる前にそう感じた。
マナの気配だ。マナの熱気だ。マナの鼓動だ。
それが、瞬時に僕に伝わった。
こちらを見下ろしている、2つのクリクリとした瞳が見えた。心の中で。
僕は顔をあげなかった。
僕が顔を挙げて、挨拶をするのを待っているのか、それともにこやかに何も言わずに見上げることを望んでいるのか分からない。
だけれども、僕にはそのどちらをする気にもなれなかった。
というか、出来なかった。
このまま、この瞬間を大切にしたいと思ったからだ。
ならば、それ以上、彼女に踏み込んではいけないし、彼女とそれ以上知り合ってもいけない。
ただ、視界に入る、彼女の美しいふとももが、ひどく僕の鼓動を高めていた。
その音が、雨音よりも大きくなり、図書館に鳴り響いていた。
彼女は動かない。
どれくらい、その状況が続いたかは分からない。
小説の内容が思い出せない。どこまでいっただろうか。
主人公は、被害者だと思っていた女性に騙され友人の命を奪われたため、女性をおびき出すために、デートに誘ったあたりだっただろうか。
マナはこの小説を読んだことがあるだろうか。
マナはよくこの図書館に来るのだろうか。
マナは本を読むのだろうか。
マナは僕に会いに来てくれたのだろうか。
マナは。
マナはもういなかった。
僕の視界には、逆さまに転がった本だけが見える。
午後の授業の開始の鐘が鳴っている。
ぼくは少し口元がゆるんだ。