第9話
「速人は茜ちゃんで、俺は君か。まったく何て言えばいいのかわからないな」
「俺だって同じですよ。でも、まあいいじゃないですか。もう一杯いきましょうよ」
速人を電車に残し、西国分寺駅前に降り立った福永達也と仁科聡はそんな会話をしていた。それも悪くない話だ。達也はそう思い、二人はすぐに研修所には帰らずに駅前にある居酒屋に入った。
早速、生ビールを注文する。すぐに店員がそれを運んできた。
酒を飲みながら達也は上本茜のことを考えていた。彼女と出会った時のことを思い出す。
少ししか話してないが、性格の良さそうな女姓だった。最初から期待しすぎるのはよくないが、速人にとっていい出会いになればいい。
「速人のやつ、今夜は帰ってくるのかねえ?」
「どうなんでしょう? それにしても八尋さん、なんですぐに食いつかなかったんですかね。あんな子に誘われたら、俺だったら即座に行っちゃうけどなあ。何か迷ってませんでした?」
仁科が首を傾げながら、不思議そうに言った。
「やっぱりそう思った? よく知らなければ不思議に思うよね。まあ理由があるんだけどさ」
「聞いてもいい感じですか?」
達也は少し考えたが、大丈夫だと結論を下した。
「速人はね。多分、自分が生きてることに引け目を感じてるんだよ。あいつが海兵隊員だったってのは話したよね。クラブ戦役にも従軍してる。そこでさ、普通では考えられないような経験をたくさんしたんだ。あいつは自分が生きてる代わりに、他の誰かが死んだんだって考えてる。当然、そんなこと無いんだ。でも、どこかであいつはそれを思い込んでる。だからああいうラッキーなことでも、どこか喜びきれないんじゃないかな」
「そんなもんですか。普段は結構、元気なんですけどね。でも、俺がわかんないだけなのかな」
「そんなこと無いよ。俺だってわからない時がたくさんある。今の話だって俺の予想さ。あいつは誰かに泣きつくタイプじゃない。たださ、一つだけ言えるのは、あいつは問題を抱えているが、いいやつだってことだ。それだけは、覚えておいてくれよ」
「うん、わかりますよ。いい人と言うか、いい男ですよね。それに福永さん、本当に八尋さんと仲良いんですね。何かいいなあ。まさしく親友じゃないですか」
達也は、目線を少しだけ下げて、何かを思い出すような仕草をした。そして仁科の方を見る。
「俺はさ、速人とニコがいなければ多分、死んでたんだ。比喩じゃないよ。文字通り命が無くなってたかもしれない。日本海に舳倉島ってあるだろ。その近くにある虹森島って知ってる?」
「虹森島ですか。ああ、確かクラブ戦役の時、襲撃にあった島ですよね。島民がほとんど亡くなったってニュースで見たことある気がします」
「ほとんどの人がクラブに殺されたんだけどね。俺はちょうどあの日、そこにいたんだよ。学生だった俺は遺跡を調べたり、合間に野鳥観測したりと、まあ半分は遊びで滞在してた。二百人ほどの島民と俺みたいな観光客が二十人ほどいたんだと思う。クラブが海からやって来た時はビックリしたよ。数十匹がいきなり現れたんだ。とにかく逃げた。海岸の近くにいた人たちはみんな逃げ切れずに、恐ろしい叫び声を上げてた。正直、小便ちびりそうなくらい怖かったよ。クラブなんて言うけど、俺にはカニじゃなくタコの化け物にしか見えなかった。なんとか最初の襲撃をやり過ごした時、速人ら海兵隊がヘリに乗って来たんだ。俺にはやつらが天使にしか見えなかったよ。ヘルメットをかぶった無骨な男たちだったけどね。百二十名ほどの天使の集団さ。そりゃあもう頼りになるやつらだった。後から聞いたが、最精鋭の部隊が送られてきたたみたいでさ、すぐに生き残った住民を町の小学校に誘導し三十人ほど残して、海岸線に向かって行った。彼らは何も恐れてないみたいで、俺からすれば驚異的な連中に見えたさ。だけどその間にクラブの数は数十倍になってたんだ。どんどん海中から上陸してた。数百匹にはなっていた。海岸はやつらで溢れかえっていたらしい。前線から報告をうけて、隊長らしき男が無線で連絡してた。すぐに救援をよこしてくれってね」
その時のことを思い出すと流石にいつも瀟洒な達也も、悪寒に似たものが身体を走る。あの時は、本当に怖かった。生命の危機というものは、それを味わった者にしかわからない恐怖があった。今している話にしても、後から聞いた情報があるからこそできるのだ。あの時点ではパニックでわからないことだらけだった。
仁科は夢中で話を聞いている。少しだけ吸った煙草を指に挟んだままジッとしている。
「その時、すでに本土でもクラブの大上陸があったらしく即座に救援をよこせなかったらしい。すぐに学校に残っていたやつらは、無線で海岸に向かった連中を呼び戻した。でも、その時、海岸は地獄と化していたんだ。何度も『負傷者多数、移動できません』って声を聞いたよ。速人も海岸で戦ってたんだ。それでその隊長は部下を連れて救援に行った。何分たったのかはわからない。一時間かもしれないし、十分くらいだったかもしれない。感覚がおかしくなってた。帰ってきたのは速人とニコを含めた五人だけだった。すぐに乗って来たヘリに民間人を乗せて脱出しようとしてたんだけど、最初にクラブが現れた方角の逆側からもクラブが現れた。空中からの偵察もなかったし、あまりの数に手が回らなかったんだ。ほんの十数匹だったけどね。でも、そいつらが爪の間から何かを発射したんだ。速人らはトライデントって呼んでたよ。三発ずつ飛んでくるからって。それがヘリのコックピットやローターを吹き飛ばした。パイロットの胸に十五センチほどの細長い針みたいのが突き刺さっているのを見たよ。速人らがそいつらを倒しけど、それでまた三人が負傷してた。無線も壊れたみたいで、それを速人が悪態をつきながら蹴り飛ばしてた。さらに困ったことに飛べるヘリが一機だけになってしまったんだ。そのヘリにみんな乗り込んだ。ぎゅうぎゅうになるまで押し込んでね。けど、どうしても三人は残らなきゃいけないってことになった。負傷した三人が、血を吐きながら〝俺たちが残る〟って言ってたのを覚えてる」
一度、話すのを止めて、その光景を思い出した。勇敢で献身的な男たちだった。
「速人はそいつらを無理矢理ヘリに乗せた。速人とニコの二人は残る気だった。でも、あと一人降りなければいけかったんだよ。ヘリのなかではみんなジリジリしてた。もう少しで誰かが落とされてたかもしれない。ああいう時の人間は怖いんだ。俺はそんなの見たくなかった。気付いたら地面に立ってて、速人がこっちを見て頷いてたんだよ。そして三人ですぐにその場を離れたんだ」
達也はビールをグッと飲み干した。店員を呼び、今度はウイスキーの水割りを頼んだ。この話はビールよりも、もう少し強い酒が必要だと彼は思った。
「それで、どうしたんですか?」
「それで大体、おしまい。その後は二人が俺を守ってくれた。色んなところに隠れたりして。すぐにヘリが救援に来たんだけど、俺たちはクラブに囲まれて洞穴に隠れてた。無線もないから連絡がとれない。発煙筒もクラブが近すぎて炊けないって言ってた。ヘリが来る前に八つ裂きにされるって。元々、生存者がいる可能性は低いと思われてたし、本土でも大規模な戦いが起こってた。動けないヘリに無線があるけど、そこにはなかなか近付けなかったんだ。携帯とかも散々探した。アンテナが倒されてて意味なかったけどね。電話線は切られるし。不思議なことに、やつらは人間がどういう行動をとるのかわかってるみたいだった。やっと救出されたのは、一週間後だったよ」
「それってマジな話ですよね?」
「あんまり脚色はしてないはずだよ。ただ全部が正確かと言われれば、微妙かもしれない。俺はビビってた。とにかく怖かったんだ」
「凄い話ですね」
仁科は何を言っていいのかわからないようだった。少しの間、なんとなしに静寂が訪れる。
場が重くなったのを感じた達也がグラスをあおると琥珀色の液体が喉を通って、心地よい刺激を与えた。過去の話で暗くなるなんて真っ平だ。所詮は過去さ。
「それから帰国した後、速人は精神的にヤバくなった。最悪の時は脱したけど、まだまだ苦しんでるんだ。俺はあいつが早く元気になって欲しい。何て言うかさ、早く解放してやりたいんだ」
命の恩人だし、なにより速人はいいやつだ。達也は、必ず速人は再生すると信じていた。あいつはあの地獄の様な場所で俺を守ってくれた。今度は俺が手を貸す番だ。
「まあ元気になって欲しい理由はそれだけじゃないけどね」
ニヤッと笑い達也は付け加えた。
「あいつが元気じゃないと、俺のパイプラインが完成しないし。それについては君もしっかりと努力するようにね。ちなみに茜ちゃんは速人に取られちゃったから俺は三上さんがいい」
柄にもなく真面目に話してしまったことを恥ずかしがるように、いきなり冗談を交えて言った。
「わかってますよ、けど競争率高いっすよ」
言いながら仁科はジョッキからビールを喉に流し込んだ。達也には仁科が話から受けたショックをも流し込んでいるように見えた。
達也は自分のジョッキを掲げて、仁科にも同じようにするよう促した。
「じゃあ乾杯」
「何にですか?」
「色んなことに」
達也が思い切り笑って言った。仁科もそれにつられて大きく笑った。