第6話
「これで全員だね。よし、それではこれからクラス委員等の役職を決めることにしましょう」
速人の心配は取り越し苦労だったようで、自己紹介と言っても非常に簡単なものだった。大抵は出身地、前職、そして名前。笑いをとるやつもいれば、必要最低限だけ言って席に戻るやつもいた。元サッカー選手や元警察官だのバリエーション豊かな職歴。もちろん大学新卒もいたし、高校新卒もいて少し驚いた。速人と言えば、出身地と名前、年齢を言った後、少し黙り込んで、しばらく悩んだ振りをして「後、特に何もないや」と冗談ぽく呟き、少しの笑いを誘って終わらせた。流石に今日で研修も四日目なので、かなりみんな打ち解けた雰囲気になっていた。
ちなみに隣の西川由紀、メガネの女性は高校を出たばかりとのことで男どもから嬌声が沸いていた。今時の高校生というものが、どういうものなのか速人にはさっぱりわからなかったが、きっと〝今時〟ではない様な気がする。携帯をいじるより静かに本でも読んでいそうなタイプだ。男どもが囃し立てた時も緊張した硬い表情を崩さなかったので、人前に出るのは苦手なんだろう。
そして何故だか見とれてしまった網谷彩菜は大学新卒の社会人一年目だった。明るい性格と照れ隠しなのか満面の笑みで話していた。年齢は秘密らしい。ほとんど秘密になっていなかったが。
この二人と竹本久美子、それに三上涼子という女性の四人が同室ということだった。この三上という女性は、掛け値無しの美人で百七十センチ以上ある身長と見事なモデル体型を持ち、さらに非常に理知的な話し方していた。速人の見るところ、一番人気というやつだ。自己紹介の際も一瞬、場が静まりかえっていた。恐らく単勝人気は一倍台といったところだろう。
クラス委員は男女一人ずつということで、最初は自薦、つまり『やりたい人、手を挙げて』から始まった。すぐにやる気満々な男女が現れて、あっさりと決まった。やりたいやつがやるのが一番なので、すぐに決まってよかったと速人は思う。
次は部屋長というの決めることになった。これは部屋ごとに置かれ、就寝時間の三十分前に自分の部屋に全員がいるかどうかを書類に記載(と言っても名前を書くだけだが)し、クラス委員に提出するだけの仕事だ。後は色々と連絡事項があればまず部屋長に知らせると言うことだが、仁科と二人の部屋では、形だけの仕事になるのは明白だった。
何人かが手を挙げた後、速人も挙手する。簡単な計算じゃないか、これをやっておけば他の仕事は回ってこないはずだ。速人はそう思い名乗り出たのだった。これもあっさりと決まる。男は約半数がなることになる。
とりあえず役職決めはこれで終わりとのことだったが、最終的には全員が何かしらの役目を負うことになり、今回、何も役に付かなかった人がこれから研修内容によって出来てくる仕事をすることになると逸見から宣告された。まさに速人の予想通りの展開だった。
「あっさり決まったから時間がまだまだあるね。どうだろう? 親睦を兼ねて体育館にみんなで行こうか?」との逸見の提案に、大半の人間が同意の声を上げる。かなり緊張も解け、所々で会話の花が咲いていた。何と言っても女性が多いので、一度慣れれば、すぐに華やかな賑わいを見せる。
体育館に向かって歩いている途中、速人と仁科のすぐ前に例の四人が歩いていた。三上涼子の頭が一段、高いところに見える。仁科がこちらをチラリと見る。話しかけたいが、何を話せばいいのかわからない、と言った様子だ。すると三上涼子が何気なく後ろを振り向き、こちらを見た。その整った顔が一瞬、笑顔に変わり、すぐに元通り前を向く。そして四人で何事か話しながら歩いて行った。
少し歩く速度を遅め、聞こえない位の充分な距離をとると仁科が言う。
「あれ、やばいですね。凄い美人じゃないですか。しかもこっちみて笑いましたよ」
「笑ったのは確かだけど、特に意味はないんじゃない? よく知らないからとりあえず笑っとけってやつだよ。まあそんな愛想を振りまくタイプにも見えないけどね。確かに凄い美人だよね。きっと競争率は高いだろうねえ、ほら」
速人が指さす先には早速、他の男たちが彼女ら四人組に話しかけていた。
「福永さんが知ったら喜びそうですね」
「知ったらね、言わなきゃ喜びようがないよ。教えたら橋渡ししてくれってうるさいぞ、きっと。でも隠したところで無駄だろうけど。あれくらいいい女じゃあ、他でも噂になるだろうし。そういうの本当、早いからさ、あいつ」
「確かに早そうですわ。いやあ楽しくなってきたなあ。今から何するんですかね?」
そんな会話をしているうちに体育館に着いた。バスケットコートが横に二面ある。よくある体育館だった。研修施設にこんな設備があるなんて凄いなと、素直に思い口に出すと、元々はある企業の保養所を買い取ったらしいですよとの仁科の説明に納得して頷く。
同じような理由で体育館に来たクラスが他にもあったらしくかなりの人数がそこでバスケに興じていた。速人は一旦、仁科と別れて適当にブラブラとうろついてみると、地下には卓球台が何台も設置されており、すでにそこは満杯状態だった。男だけだったり女だけだったり、男女混合だったりしたが、どこの台も楽しそうに大きな声を出し、一ポイントに一喜一憂して楽しんでいた。
速人は自然と海兵時代を思い出す。駐屯地でも派遣された基地でも、こういう娯楽施設はあって、どんなにくだらない勝負でも兵隊たちは、ムキになって勝ちにいったものだった。時には殴り合いになったものだが、ほとんど問題にはならない。今になって思えば何故、あんなに一生懸命になったのだろう。どんなに小さい勝負でも勝ちたかった。不思議なもんだ。
仁科の元に戻ると、どうやら先に来ていたクラスとバスケの勝負をすることになったらしく、試合はもう始まっていた。両方のクラスの試合に出ていない人間が応援する声でいっぱいだった。見ると相手のクラスは全員、男だが、こちらはあの三上涼子が五人のうちにはいっていた。一見して元バスケ部だとわかる動きで、男たちの間を縦横無尽に切り裂いていた。
「あの子、大したもんだな」
速人は本気で感心していた。超絶美人が汗を流している姿は、ほとんど芸術に近い。
「いやあ、凄いですよ。まあ相手の男らも遠慮しちゃって微妙な感じなんですがね」
そう答えた仁科の視線が自分の後ろに向いたまま止まっているので速人は振り返った。
そこには研修所に一緒に来た上本茜の姿があった。
「こないだはありがとね」
茜が言う。今はスーツではなくTシャツにジャージという格好なので、嫌でも豊かな胸が強調されている。まずい、視線がつい胸にいってしまう。速人は何となく恥ずかしくなった。
曖昧に頷きながら、「今、うちのクラスとバスケの勝負してるクラスなんだ?」とほぼ確定事項の質問をした。しかし、なんだってこんなにいい女が多いんだ、ここは。もしかして顔で選んでるんじゃないだろうなと半ば本気で思う。
「そうだよ。君はバスケやらないの? 上手そうだけど」
「そっちこそ、上手そうだよ」
「あたしはパス。応援してる方が好きだし」
そうこうしてるうちに、両方の担当教官の間で話が付いたらしく、勝った方のチームに負けた方の担当が飲み物をおごるということになっていた。スコアは両軍0に戻る。十五分ハーフ。
「頼むから勝ってくれよな。今月はちょっとピンチなんだから」と逸見がみんなにわざとらしく懇願する。さすがにこういう場所で研修を担当しているだけあって、盛り上げ方がわかっている。
「何か面白いことになってるね。本当は自分のクラスを応援しなきゃだけど、君には親切にしてもらったしなあ。よし、君が出たらそっち応援するね」
茜が笑いながら言った。全くクラクラしそうな笑顔だ。
自分のクラスの仲間に呼ばれて茜は速人から離れたが、ずっとそばで話を聞いていた仁科が速人に迫ってくる。
「何ですか! 今の人は」
少し詰問口調で言う。無理もない。
「いや、たまたまここに来る時知り合ったんだ」
「それにしては随分といい感じな風に話してたじゃないですか。くそう、福永さんより抜け目がないとは。流石ですね」
「いやさ、本当のこと言うと達也が駅前で話しかけたんだよ。それで一緒にここまで歩いてきただけ。それだけなんだ」
本当はそれだけじゃないんだけど。
「しかしまたいい身体してますね。たまらんですわ」
「君がそういう風に言うと、凄い親父くさいからやめた方がいいよ」
「あっ、ひでえ。いいですよ、どうせ老けてますよ。ちなみに俺の見たところ、かなり八尋さん気に入られてますよ。福永さんは知ってるんですか?」
「それはどうだろう……」
「なるほど福永さんは知らないんですね。そうですか、そうですか」
これは話題を変えた方がよさそうだ。速人はそう思い軌道修正を試みる。
「試合はどうなってる?」
いつの間にか得点係とタイムキーパーまでいる始末だった。スコアを見ると、八対十五で負けていた。流石に男に本気を出されると三上涼子もつらいらしい。それでも一生懸命やっている姿から涼しげな美貌と裏腹に結構熱い性格なのかなと速人は思った。
そのままハーフタイムになり、後半からは逸見ら担当の教官がお互いチームに入ることになった。最も二人とも四十代半ばのいわゆる〝おっさん〟である。ただの盛り上げるためのスパイス。
流石に疲れたのか三上涼子が交代を求めている声が聞こえるが、男には他にバスケの経験者がいないらしく、誰もが首を横に振っていた。そのうち彼女の視線は仁科に向かった。
「代わってもらえる?」
涼子は容姿のイメージそのままの透き通った声で言った。
仁科は首を振りかけたが、急に悪い顔になった。何か企んでやがるなと速人はすぐに気付く。
「八尋さんが出たいみたいですよ」
彼はしたり顔で言った。
「これで断ったら男じゃないですよね?」
仁科はニヤニヤ笑いながら速人に耳打ちする。仕方なく速人は無言で首を縦に振った。
「じゃあお願いします。八尋君だっけ? バスケ部?」
涼子が安堵の表情で尋ねる。
「野球部」
「じゃあ大丈夫だ。頑張ってね」
何が大丈夫なのかと、小一時間ほど問い詰めたい気持ちになったが、速人はここで駄々をこねるような男では決して無い。
実際、大丈夫なのだ。高校まで野球部なのは本当だったが、その高校は少しでも高校野球に興味があれば誰でも知っているような甲子園を狙える高校で、彼は二年からレギュラーだった。一番ショート八尋速人。別に野球留学したわけではなく、地元で一番近い高校がそこだっただけだ。彼の一年時と卒業した次の年に甲子園に出場している。自分は二年の時も三年の時も県予選の決勝で負けていた。そのレベルの高校の野球部員の身体能力は、並の高校生とは桁違いである。さらに彼は大学時代には趣味でバスケットサークルに所属していた。
後半が始まり、速人もコートに出る。パッと見て大したやつはいないと彼は思った。味方からパスをもらいゆっくりとボールの感触を確かめながらドリブルする。すぐにマークがつくが、右手から左手へドリブルし、その倍のスピードで左手から右手へボールを移す。クロスオーバー。その一瞬で出来たスキをつき、一人抜き去ると三ポイントラインの手前ですぐにシュートを放った。
綺麗な放物線を描いて直接、ネットにボールが吸い込まれる。スパッという音が心地よい。久しぶりだが、どうやら感覚は大丈夫のようだ。相手チームは慌ててボールを拾い、エンドラインの外からボールを投げ入れるが、速人はパスの受け手が自分よりずっと大きいのに目を付け、すぐに後ろに付き、彼がパスを貰って振り返るのと同時にスティールし、すぐにレイアップシュートを決める。
何なんだ、あの人は。
仁科は速人がどんなプレイをするのかを楽しみにしていたが、まさかこれほどとは思っていなかった。一人だけレベルの違う動きをしている。
「何、あの人」
仁科のすぐ横で三上涼子が隣の網谷彩菜に呟いているのが聞こえる。
「なんだか凄いよね。あっ、また入った」
彩菜もかなり驚いた様子で答えていた。
何分もしないうちに同点に追い付き、すぐに逆転する。
単純に、走る、跳ぶ、投げると言った動作の一つ一つが段違いだった。多分、運動神経はいいだろうと思っていたが、これほどとは予想外だったのである。
その時、たまたま隣にいた竹本久美子が、仁科に尋ねた。
「仁科君だったよね? あの人、凄いね。前から知ってる人なの?」
「いいや。ここで知り合ったんだ。みんなと同じ。たまたま同室だっただけ。いたずらでちょっと無茶ぶりしてみたんだけど、俺も驚いたわ」
好みの女性が話しかけてきたので、仁科の心は躍った。八尋さんありがとう。
「お陰で飲み物おごってもらえそうだね」
俺がおごります、と仁科は言いたかったが言えなかった。
それでもこれ幸いと彼は久美子と一緒に試合を見ることにした。これがきっかけで仲良くなれればいいな。そんなことを思いながらバスケの試合そっちのけで久美子に話しかけていた。
逆転して残り数分になったころ、速人は微妙に手を抜きはじめた。
久しぶりでちょっとやりすぎたようだと感じたのである。元来が目立ちたがりではない彼は、パスを回して周りにも見せ場ができるようにした。
それにしても担当の二人の動きはひどかった。まさしく運動不足の中年男性そのままで、すぐに息が切れて歩いているし、ボールを持っても困るばかりである。逸見などは研修時は、小柄でキビキビと動きそうな感じだが、さすがにバスケットは厳しいのであろう。相手の担当はと言えば、逸見よりも身長は少し高いが体重は五割増しといったところで走っているだけで大変そうだった。
速人はタイムキーパーに残り時間を尋ね、あと一分と言う声を聞く。
最後に担当さんに決めさせてあげようと彼は考えた。ボールを持ちペイントエリアにドリブルで進む。自分に三人ついているのを素早く見てとると、ノールックで斜め後ろにいる逸見にパスを出す。出した瞬間、速人はしまったと思った。
強いパスを出し過ぎた上、場所も少し間違ってしまった。すぐに首だけ振り向き肩越しにそっちを見る。
彼はほんの一瞬、違和感を感じた。
速人が見た瞬間はまだボールは宙にあり、逸見とは重なっていなかったように見えていたのだ。しかし確実に取れないと思ったボールは逸見の手に収まっていた。偶然がもたらした幸運かもしれない。失敗したかのように思えたパスは無事、目的地に達した。
逸見はそのままゴールに向かってシュートを放つ。しかしそれははエアボールとなりエンドラインを割って転がっていった。
しばらくして試合は二十五対二十二で速人らのクラスの勝利で終了した。
感嘆の声を聞きながら、速人はゆっくりとコートの外に出る。コート中央ではみんなが集まって、おごってもらう算段を付けている。何人かの女性に、賞賛をかけられるが適当に笑ってごまかす。こんなことは大したことじゃない。
「八尋さん、何者なんですか? 結局、カッコよかっただけじゃないですか」
仁科が興奮して速人に話しかけた。
「よくもハメてくれたもんだ。忘れないからね」
さほど悪意のない声で速人は答える。
「いやあ、まさかあんなに身体能力が高いとは。おみそれしました。あれ? さっきの人がこっちを見てますよ」
速人が後ろを振り返ると、それに気付いた茜が速人に向かって小さく手を振っているのが見えた。
速人も軽く手を挙げて応える。
すると茜は速人のところに駆け寄ってきた。走ると大きな胸が揺れているのが見える。
「凄いじゃん。びっくりしちゃったよ。あんまり興味なさそうだったから出ないかと思ってたんだけどね。約束通り応援してあげといた。おかげで損しちゃったけどね」
本当はみんな飲み物なんかどうでもいいはずだが、あえて乗るのが遊び心のあるやつだ。そんなの別にいらないし、なんて言うやつとは知り合いになりたくない。速人は遊び心こそ大事と思う種類の男だった。
「そいつはどうも。別に出る気なかったんだけどね」
速人は言いながら、茜が来た方向からの視線を感じた。
見れば女性が二人こっちを見ている。どこかへ行こうとしてるが、とりあえず茜を待っているのだろう。
速人は少し大袈裟にそちらへ顔を向け、茜の注意を促した。
「ありゃ、待たれてる。行かないと。それじゃあまたね」と背を向けて立ち去ろうとしたが、すぐに振り向いて、いつの間に手に持っている携帯をもう片方の手で指さした。そしてニコッと笑い、手を振る。そしてまた振り返り友達の方へ歩いて行った。
「なるほど、連絡先までもう聞いてるんですね」
ジッと仁科が速人を見つめて言う。
「ノーコメントで」
言い終わる前から二人とも吹き出していた。こんなに楽しい時間を過ごしたのは久しぶりだ。そう考えると、やはり達也には感謝しなくてはいけないなと思う。戦場での体験からダメになってた俺を救ってくれたのはあいつだ。あいつがいなかったら俺はいまだにどこにも向かっていないし、ここにもいないはずだ。
そして茜のことを思う。何故だかわからないが気に入られているらしい。正直、悪い気はしない。大人っぽさの中にも可愛さがあって、正直かなり好みだった。まだ知り合ったばかりだが、とても素敵な女性だと思う。
だがそれを素直に喜べない気持ちもある。俺にそんな資格があるのだろうか? と。
さらに、よくわからない感情が速人の中に存在した。何故か彩菜の姿を探し、茜と話しているのを見られてないかが気になったのだ。自分でもそれが何なのかよくわからない。一瞬見とれただけの女性なのだが、どうにも頭の中に残っていた。封印している何かが開きそうで開かない。そんな感じが心の中でくすぶっている。
速人は女好きと言うほどではないが、それなりに女性にモテた。仲良くなった女性はたくさんいる。しかし本当に付き合っていたと言えるのは、数えるくらいしかなかった。そのうちに戦いに行き、その後は色々な理由で女性は避けてきたので、久しぶりに感じるこういう気持ちに戸惑ってもいた。
ふと、どうしようもないことを速人は考える。これって、精神的二股って感じになるのかな?
いや別に付き合ってないし、何にも起こってない。
あらためて、救いようがないな、と自虐する速人であった。