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チェンジ 〜From heaven Till hell〜  作者: 井上陽介
番外編
55/55

Run & Gun

 その砂浜には多くの空薬莢が散乱していた。

 打ち寄せる波と共に近付く海の匂いの中に硝煙の香りが混じっている。

 波は寄せては戻り、戻るたびに海岸から血の汚れを消し去っていく。

 数時間前、この海岸は人間と怪物で溢れていた。完全武装の人間とカニの怪物、通称〝クラブ〟と呼ばれる生き物の間で非友好的な接触が行われていた。

 上半身はカニで下半身はタコに似ている。8本から10本の足が生え、4本のハサミを持ち、背中に透明なゲル状の袋を背負っていた。平均的な大きさは足が地面に広がった状態で2m近くあった。体重は200キロ超。

 それがクラブと呼ばれる生き物だった。

 ある日を境に世界中の海岸に現れたその怪物は驚異的な速度で海辺の町を襲った。

 いきなり押し寄せる怪物の群れに人々は為す術もなく殺され続けた。

 怪物たちは背中に背負っている袋に生きている人間を放り込む。さらにそれを切り離し、色々な場所に透明なゲル状の人柱を立てた。

 背中の袋に入れられた人間は生き続けることができた。逆に言えば死ぬことはなかった。卵を産み付けられ体内から小さなカニが大量に溢れ出てくることもあったが、それはかなり時間が経過した後であり、早い段階なら無事に救出することも可能であった。

 背中に背負った袋の中と幾多の人柱。その中の人間が生きているという事実は戦いを困難なものにしていた。人質を取られているのと同じようなものだったからだ。

 ミサイルはおろか、爆撃も不可能だった。

 昔ながらの白兵戦が人間とクラブの間で繰り広げられることとなる。

 各国からそれを任じられた歩兵隊が派遣され、世界規模での軍隊が組織された。日本からも新設された日本国海兵隊が派遣されることとなる。

 各地で人類と怪物との戦いが行われ、多大な被害を出しながらも人類は徐々に勝利しつつあった。

 そして、ここインドネシアのヤムデナ島でも日米連合軍とインドネシア軍が協力し、海岸に押し寄せた数百匹のクラブの撃退に成功したのだった。




 八尋速人はサラブレッドが描かれた銀のジッポを開けては閉めてを繰り返していた。カチンという音が心地よい。

 くわえたラッキーストライクにはまだ火はついていなかった。

 仮設された基地の簡易ベッドの上に寝転びながらジッポから金属音を何度も鳴らし続ける。

 周囲では仲間の隊員たちが各々、一時の休息を過ごしていた。

 酒を飲むもの、音楽を聴き踊り出すもの。静かに本を読んでいる隊員もいるが、基本的にはみな騒がしい。あちこちで卑猥な冗談が飛び、大音量で「THE CLASH」の歌が流れている。

 お気に入りの曲が流れると全裸になり踊り出す男もいれば、サビの部分になると何人かで合唱をはじめたりする始末だ。とは言ってもそれは合唱というよりは怒号に近い。

 三等軍曹である速人はこのテントの班長である。下士官である速人にとって周りで騒いでる隊員たちは部下と言うより仲間という意識の方が強い。

 にわかにテントの中が騒がしくなった。隊員たちがテントの入り口に集まる。

「みーちゃん、俺さ、今日は7匹もやっつけたぜ」

「今夜、暇なんですけど付き合ってもらえないですか?」

「うおー、女神が俺たちのテントに来たぜ」

 聞こえてくる言葉の内容からその方向を見なくても、速人は誰が来たのかがわかった。両足で反動をつけベッドから体を起こす。

 入り口の方を見ると、市ノ瀬美奈准尉の姿が見えた。

 男たちが彼女に群がっている。

 それまで全裸で踊っていて下半身を露わにしている男もいるが、彼女はまったく気にしていないようだった。笑いながら隊員たちと話している。

「はいはい、わかったわよ。みんなよく頑張ったわね。って言うかあなたはその粗末なものをしまいなさい」

 そう言った後、少しだけ険しい顔になり付け加える。

「あなたたちさ、みーちゃんって呼ぶのをやめなさいよ」

 市ノ瀬准尉はヘリのパイロットである。身長は165センチほどで均整のとれた体つきをしている。大きめの胸の谷間がTシャツから見えていて、男たちから遠慮の無い視線を浴びるが彼女はそんなことはまったく気にしないようだった。

 日焼けして真っ黒になった顔は健康的でやや鼻が低いのを除けば美人に入る部類だろう。軍にいる女性兵の平均よりは髪は長めで、いつもそれを束ねてしばっていた。

 男たちをかき分けながら市ノ瀬准尉は速人のいるベッドに向かって声を発した。

「八尋軍曹、ちょっと時間ある?」

「無いように見える?」

「いいや、まったく。だったら一緒にきてくれない? 明日からの任務のことで少し相談したいことがあるの」

 速人はそれを言った時、彼女がウインクしたのを見逃さなかった。

 彼が立ち上がり背伸びをすると、周囲からはブーイングの嵐が巻き起こる。

「何だよ、また軍曹かよ」

「そりゃあ、ないっすよ。たまには俺とも遊んでよ、みーちゃん」

 男たちの悪気の無い罵声を浴びながら速人はテントの中を歩いていく。

 市ノ瀬准尉と顔を合わせ、速人はにこやかに笑った。

「お待たせしました。みーちゃん」

「だからみーちゃんって呼ぶなって。一応、あんたらの上官なんだからね。処罰するわよ」

 どう見ても本気で怒っていない様子で彼女は言う。

「了解しました。みーちゃん准尉」

 速人はわざと仰々しく敬礼しながらそう答える。

「こいつめ。わたしだって知ってるんだからね。あんたが米兵から何て呼ばれてるか」

 それを聞き、周りの隊員が大笑いをはじめる。手裏剣を投げるしぐさをし始めた兵士もいる。

「行きましょう。ニンジャボーイさん」

 周囲が爆笑に包まれた。

「いいぞ、みーちゃん。軍曹に負けんなよー」

 速人は苦笑しながらも何も言い返さないでおいた。

 ニンジャボーイ。速人は確かに米兵からその有り難い異名を授かっていた。

 米軍との合同作戦の時、速人の戦い振りを見た米海軍特殊部隊、SEALsの隊員が叫んだ時があったのだ。日本文化に対する間違った認識と速人の童顔が混ざりあってできた言葉がニンジャボーイだった。

 ちなみに速人の親友である田上雅夫伍長は普段、ニコと呼ばれているが、それ以外に別名もあった。

 〝鉄人27号〟というものである。ニコがもう少し進化するとお馴染みのあの青いロボットになるというわけだ。

 二人はテントを出たが、速人はふと足を止めてテントの入り口に戻った。顔だけを出してテントの中にいる隊員たちに声をかける。

「みんな大人しくしてるんだぞ。あんまり騒ぐなよ。怒られるのは俺なんだからな。それと今夜は帰らないかもしれないんでよろしくな」

 罵声や揶揄する声と共にビールの缶や雑誌が速人の顔めがけて飛んでくる。それをひょいと首を引っ込めてかわすと速人は市ノ瀬准尉に向き直った。

「さて、どちらへ? みーちゃん」

「わたしのテント。パイロットの特権であなたたちみたいなタコ部屋じゃないのよ。よく休めるようにってね。他の仲間はみな出かけてるから誰もいないわ」

「作戦の相談ってのは?」

「ただの口実だってわかってるくせに。一緒に飲みましょ」

「そりゃあ魅力的なお誘いだなあ」

 所々のテントから大きな笑い声と音楽が聞こえてくる。その中を二人は歩いていく。

 部屋に入ると彼女は髪をしばっていたのをほどいた。

 バサッと髪が肩に落ちてより女性的になる。

 これが市ノ瀬准尉から市ノ瀬美奈に変わる合図だと速人は知っている。

「ビールでいいよね?」

 美奈はそう言ってビールを速人に向けて投げる。

 二人で乾杯し、色々な話をはじめる。他愛のないことばかり。

 戦いと戦いの間にあるこの少しだけの時間をどうせなら楽しく使いたいと速人は思う。

 明日も明後日もその次も戦いは続くのだから。

 美奈はとても話の上手な女性で面白い話をたくさん知っている。いつものようにバカ話をしていたが、そのうちにふと真剣な表情になった。

 速人の顔をジッと見る。

「速人ってさ、どうしてあんなに怖いもの知らずなの? 単にバカなの? 今日だって危なかったでしょう。死にたいの?」

 今日の戦いであったある出来事について美奈が尋ねた。

 クラブには飛び道具がある。ハサミの付け根から投げ槍のような硬質化された物質が発射されるのだ。兵士たちはそれをトライデントと呼んでいる。

 今日、一人の兵士がそれで腹部を貫かれた。それを見た速人は衛生兵からモルヒネを預かると、その投げ槍が飛び交うなかを走り抜けその兵士のもとへ向かった。そこでモルヒネを注射し彼を抱き上げ安全地帯まで連れて戻った。しかし結局、その兵士は内蔵がグチャグチャに破壊されていて戦死した。

「何でだろうなあ。気が付いたら走ってたんだよ」

「長生きしないタイプね。ニコもそうだけど。あんたらよく似てる」

 美奈はニコと仲が良かった。ニコにヘリの整備や運転などを教えたりしている。

 もちろん非公式でだが。

 ニコは巨漢だが手先の器用な男で、機械をいじったりするのが大好きだった。

「そう言えばニコのやつはどこにいるんだ?」

「あいつならヘリの所。うちの整備兵と色々と何かしてたわ」

「そっか。あいつの実家ってバイク屋なんだって」

「なるほどねえ。へぼな整備兵よりよほど役に立つわよ」

 言いながら美奈はもう一本、ビールを投げてよこす。

「どうせだったら生きていて欲しかったよ」

 速人はビールを喉に流し込み、そして話を元に戻した。

「でも無駄だったわけじゃ無い。あんたのおかげで彼は安らかに死ねたと思うよ」

「だといいけどね。死んじまったやつに『安らかだったか?』って聞けないからなあ」

 速人はそう言ってタバコに火を付けた。煙を吸い込み空中に向かって吐き出す。

「あんたさ、もしかしてへこんでる?」

「さあ、どうだろう?」

「伊達にあんたより3つも年上じゃないんだよ。それにわたしはバカな男じゃ無くて賢い女なの。それくらいすぐにわかるわ」

 美奈は速人に近付き、頭を撫でた。短く刈った速人の頭を優しくさする。

「速人さ、死ぬんじゃないよ」

 美奈の胸元に汗が滲んでいるのが見えた。日焼けした肌の上をその液体が見えないところへ落ちていく。

「なあに? またしたくなっちゃった?」

 美奈がからかうように言った。

 以前、一度だけ速人と美奈は関係を持ったことがあった。酔った勢いだったが、それからも特に二人の関係は変わっていない。

 速人が答えないでいると、美奈は自分の唇を速人のそれに押しつけた。

 唇を離し、美奈は速人に笑顔を向けた。

「わたしなら別にいいわよ」

 速人も美奈にキスをして、二人は手早く服を脱いでいく。

 まさにそれを始めようとした時だった。

 テントの入り口が揺れ、誰かが入ってくる気配がした。

 美奈は薄いタオルケットを引っ張り、二人はそれにくるまった。

「市ノ瀬准尉はいるか?」

 その男は低い声でそう尋ねる。

 その声には二人とも聞き覚えがあった。タオルケットにくるまってその男の姿が見えなくても誰だかがわかった。

 速人は顔だけを出す。

「よお、ニコ」

 ニコは少しだけ驚いた顔をする。同時に速人の隣で美奈が顔を出した。

「あら、ニコ。どうしたの?」

 二人とも体には何も身に付けていないので首から下はタオルケットに包まれたままだ。

 速人はそこから顔だけを出しニコに向かって苦笑いしてみせた。

 美奈を見ると、少しだけ恥ずかしそうな顔をしている。

 すべてを察したのかニコは何度か頷きながら、右手の手の平で何かを制するようなしぐさをした。

 そして黙ってテントの入り口をくぐって出て行こうとするが、最後に振り返った。

「それが終わったらでいいんで、ちょっとヘリについて聞きたいことがあるんだ。構わないかな?」

「いいわよ。何だったら今すぐでも構わないけど」

「いや、別に急いでない。それに速人のことだから、そんなに時間はかからないだろう」

 ニコはそう言って大きな体を縮めてテントを出て行った。

「どう言う意味だよ。そんなに時間かからないって」

 速人はニコが出て行った後、抗議の声を上げる。

「さあ、どういう意味なんでしょうねえ」

 美奈がおかしそうに言いながら速人の首に両手をまわした。

「さあ、軍曹。頑張って待ちぼうけさせてあげましょ」

 速人はそれを聞き、笑いながら彼女にキスをする。

 そして挑むように彼女に覆いかぶさった。




 翌日。速人はニコと銃の点検整備をしていた。速人が普段持つ銃は3つ。

 M4カービンとM24狙撃銃、そしてコルトガバメント45口径拳銃。

 速人の射手としての技量は隊の中でもトップクラスだった。

 ボルトアクションのM24を分解して丁寧に整備をする。

 その時、二人に来訪者があった。夢中で整備をしていた二人の前にその男は静かに現れた。

「大尉、どうしたんですか?」

 速人が敬礼しながらその男、神崎大尉に向かって尋ねる。彼は速人らの中隊長である。

 部下にとても優しい上官で戦闘指揮能力も高い。既婚者で子供が二人いる。

「そのまま続けてくれ。邪魔して悪いな」

 ニコも一度、手を止めて敬礼したがすぐにそれを聞いて作業に戻る。

「そのままでいいから聞いてくれ。上から命令が来た。このヤムデナ島のそばにはいくつかの小島があるんだが、ある村と連絡が取れないらしい。空中から偵察したところクラブの姿は見えないが村から黒煙が上がっているそうだ。その村人の安否を確認しに行かなければならない」

「どのくらいの人数で行くんですか?」

「問題はそれなんだ。そこは森が多くてな。大部隊が展開できない。しかも上の考えでは村はもうすでにクラブの襲撃を受けたらしい。人口は三十人ほどの小さな村だそうだが」

 神崎大尉は苦々しそうに言った。速人はその様子をみて事の次第を理解した。

「つまり本当のところは安否を確認するんじゃなく、村人を救いに行ったという事実を作りたいってわけですか」

「多分、そういうことだろうな。上は十人ほどを送れと言ってきた」

「十人ほどで行くんですか? 行けと言われれば行きますがもしクラブが現れた場合、そのくらいの人数では歯が立たない可能性もありますよ」

 言う必要のないことだと速人にはわかっていたが、あえて彼は口に出した。大尉にそれがわかっていないはずはないのだ。

「現場を知らないやつが命令を出しているのは間違いないな。きっと小さな村でも見捨てないってところをアピールしたいんだろう。しかし被害は出したくない。それで出た数字が十人なんだろうよ。生存者がいた場合でもそれ以上はいないって計算なんだろう」

「民間人を救うのに軍人の被害を計算しちゃあ本末転倒ですけどね」

 速人は辛辣に言い放った。

 軍隊が存在する理由。それはひとえに民間人を守るためなはずだった。

 歴史的に見ればその逆の方向に向かうことがほとんどだったが、本質的にはそうあるべきだと速人は思っていた。

 少なくともその建前を速人は大切にしたかった。

「俺もそう思うよ。可能性が残されていれば何人だろうが全力で救いに行くべきだ。それが十人とはな。部下に死んでこいと言うようなものだ」

「どうする気なんです?」

「せめて俺が指揮を執ろうと思う。お前とニコにも付いてきてもらいたい。お前らは俺の隊の中でもとびきりの兵士だからな」

 速人はニコと顔を見合わせた。大尉に付いていくのは構わない。しかし十人という人数が速人には気に入らなかった。

「もしクラブが現れた場合、十人でどうしろって言うんですか? 五十匹も現れたら終わりですよ。昨日は五百匹以上現れました」

「わかってるさ。でも命令には逆らえん。何とか無事に帰ってくるように努力しよう」

 速人は少し考えた。頭の中で考えをまとめる。

「正直なところ、村人が生き残っている可能性はどのくらいですか?」

「多分、一割あるかないかだろう。すでにクラブに襲われたあとらしいからな。三十人ほどの民間人ではひとたまりもないはずだ」

「クラブがいる可能性は五分五分ってとこですかね?」

「だろうな。何と言ってもここらは小島だらけだ。どこに集まっててもおかしくない」

「わかりました。行きます。ただし大尉はここに残ってください。行くのは俺とニコ、後もう一人くらいでいいでしょう。十人でも三人でも戦いになれば同じです。だったら少ない方が見付からなくていい。俺たちが無事に帰ってきたら作戦の書類には行かなかったやつを適当に書いておけばいいんじゃないですか? 帰ってこなかった場合は三人戦死七人生還って事で問題ないでしょう」

 神崎大尉はそれを聞き眉を寄せる。

「しかしそれでは……」

「中隊長が戦死したら中隊はどうなります? 実戦経験のないアホな士官が来たらみんな死んじまいますよ。それに格好つけて言ってるわけじゃ無いんです。これが一番、いい方法なんじゃないかと思って提案してるだけです」

 唇を噛んで神崎大尉は悩んでいた。

「その代わり、条件があります。帰ってきたら俺たちに休暇をください。ついでにお小遣いなんかも要求したらやり過ぎですかね」

 速人は笑って言った。

「お前ってやつは。……仕方ないな。それでいこう。それが一番の方法みたいだ。書類はこっちで適当に作っておく。それであと一人は誰を連れて行くんだ?」

 するとそれまで部屋の片隅で寝ていたように見えた一人の男が手を上げた。

「俺が行きますよ。聞かなきゃよかったけど、不幸なことに途中で起きちまって話を聞いてしまいましたからね」

 そう言ったその男は高代博上等兵だった。

「寝たふりをしててもよかったろうに」

 ニコがふざけてからかう。

「その手もありましたね。今からじゃもう遅いですけど」

 博はことさらに残念そうな素振りを見せる。

「八尋、ニコ、高代。すまないな。俺にもっと力があればいいんだが……」

「大丈夫ですよ。それで充分です」

 速人はそう言うとニコと博を見た。

「さて、準備をするぞ」




 ヘリの振動で気持ちよくなり半ば眠ったような気分で速人は座っていた。

 市ノ瀬准尉の操縦するブラックホークにニコと高代博と共に乗り込み、ヤムデナ島を離れ小さな小島へと向かっている。

「このたびは当機をご利用いただき誠にありがとうございます。当機はまもなく目的地へ到着いたします。お忘れ物のないようご注意ください。なお帰りの運賃は行きの三倍の値段となっておりますのでご了承ください」

 パイロット席の市ノ瀬准尉がいつもの冗談を言っているのが、耳のインカムから聞こえる。

「って言うか八尋軍曹。いつまで寝てるの。しゃんとしなさい」

「起きてるよ、みーちゃん」

 そう言った後、速人は少し待ったがいつも通りの言葉が返ってこなかった。

〝みーちゃんって言うな〟はどうした?

「三人とも無事に帰ってきてね」

 それまでと違う口調で彼女は言った。

「大丈夫、任せとけって」

 前方に黒煙が上がっている場所が見える。

 その場所に村があるはずだった。なるべく近くで降りたいが、村の周りは森林が広がり、どこに敵が潜んでいるかわからない。

 それに敵にはトライデントという飛び道具があり、集中攻撃されればヘリも落とされてしまう。

 少し離れてはいるが、海岸から少し離れた場所に広い草原がありそこに降りることにする。

 ロープを下ろし、速人、ニコ、博の順番でスムーズに降下する。

 ヘリがその場から離れていく。

 その音が聞こえなくなると、その草原はとても静かになった。

 ニコがFNミニミライトマシンガンを構えて周囲を警戒している。

 高代博はM203グレネードランチャーを装着したM16A4を持ち、背中に無線機を背負っていた。

 無事に島へ降り立ったことを無線で基地に伝えるよう速人は指示する。

 風に乗って焦げ臭い匂いがかすかに感じられる。

 村の方向を見ると、空に向かい黒い煙が立ちのぼっていた。

 速人はしゃがみながら周囲を充分に警戒する。この場所は安全だった。クラブの気配は感じられない。

「とにかくまず村へ向かおう。生存者がいるか確かめないと。そしてさっさとここからおさらばしよう」

「この様子でいるんですかね」

 博が首を傾げながら言った。

「わざわざ来たんだからいて欲しいけどな」

 ニコは前方の森を睨みながら言った。

 速人は先頭に立ち森の中へ足を踏み込んだ。

 森の中は鳥の声や虫の声で溢れていたので、ひとまず安心する。

 クラブが岩のように擬態して隠れていても鳥や虫までは騙せない。

 それでも速人は全身の神経を研ぎ澄まして進んでいった。

 森の奥へと一歩一歩進んでいく。

 三十分ほど歩き続ける。村までは後、少しのところまで来ていた。

 そこで速人は違和感を感じ、立ち止まった。後ろの二人にも止まるように合図する。

「どうした?」

 耳のインカムからニコの声が聞こえる。

「何かいる」

 速人は短く答える。耳を澄ますと小さな足音が聞こえた。

「身を隠せ」

 二人に向かって手早く指示をしながら、速人自身も伏せて銃の照準をのぞく。

 ドットサイトが装着されたM4を音のした方向に向け、赤い点を中心に見ながら何が音を立てているのかを探す。

 木々の間を素早く横切る影が視界に入る。銃を横に動かし、その影を追う。

 正体を確かめた速人は急いで立ち上がり、その影に向かって走り出した。

 影は必死に走っているが、速人とは速度が違う。

 彼はすぐに影に追い付き、声をかけた。

「待ってくれ、俺たちは味方だ」

 その影はその声に振り向く。

 怯えた瞳で速人を見ているのは、まだ十歳くらいの少女だった。

 目を大きく見開き、小さな体を震わせている。

 速人は彼女に近付き、手の平を見せて落ち着けと促す。

 ニコと博もそばにやってきた。

「何があったんだ?」

 速人は尋ねるが、直後に舌打ちする。言葉が通じるわけはないのだ。

 少女は首を振るばかり。浅黒い顔をしていて、目の大きな可愛い少女だった。服は血に汚れている。

 ニコがポケットからチョコレートの欠片を少女に渡す。

 おずおずと少女はそれを受け取る。すると突然、彼女の瞳から涙が溢れだした。

 口を動かしているが、声は聞こえない。泣きながら黒煙の登る村の方角を指差している。

「喋れなくなっているんじゃないですか?」

 博が彼女を見て言う。ショックで声が出せなくなることは特に珍しいことではない。

「言葉も通じないしな」

 ニコが言った時だった。

「やばい! 伏せろ」

 速人は少女の肩を掴み、地面に伏せさせる。同時に自らも地面とキスをする。

 ニコと博もほぼ同時に伏せた。

 今まで彼らが立っていた場所に、一メートルほどの槍状のものが何本も飛来する。

 周囲の木に突き刺さるそれはトライデントと呼ばれるクラブの飛び道具だった。

 速人は何度か体を回転させながら飛んできた方向を見る。

 少女が走ってきた方向に数匹のクラブの姿が見えた。

 ニコが素早く少女を抱え、大きな木が盾になるような場所に彼女を移動させる。

「博、彼女は任せたぞ。左に逃げろ」

 速人はそう言うと、M4のトリガーを引いた。ニコもミニミを連射する。

 二人は撃ちながら交互に場所を変え、少しづつ左側に寄っていく。

「ニコ、やつらはランドセルは背負ってるか?」

 ランドセル。クラブは人間をゲル状の袋に入れて背負っている場合がある。速人らはそれをそう呼んでいた。しかし中身は教科書ではなく生きている人間である。

「ここから見てる限りでは背負ってない」

 速人はそれを聞き、手榴弾を取り出す。ピンを抜きクラブに向かって投げる。

 爆発が起こり、クラブが一匹、バラバラになった。ハサミの一本が宙に舞い上がるのが一瞬だけ見える。

「三時の方向!」

 博の叫ぶ声が聞こえる。

 別の場所からも多数のクラブが現れたのだった。

 ニコがそちらにも銃弾をバラ撒く。

 再び複数のトライデントが飛来する。その内の一本がニコの肩をかすめた。

 かすっただけだがニコの肩から赤い血が飛び散る。

「大丈夫か?」

「問題ない」

 ニコは傷口を見ようともせずに銃を撃ち続けた。

 正面から来る敵の数はどんどんと増えていた。二十匹は超えている。

 威嚇のつもりなのかハサミを振り上げ、何度も開閉して嫌な音を鳴らし続けている。

 速人は銃を撃ちながら、このままではまずいと思っていた。

 博たちを先に行かせて、ニコと交互に後退してはいるが、クラブの数が多すぎる。

「ニコ、スモークだ」

 速人とニコはスモークグレネードを同時に投げ込む。

 グレネードから多量の煙が放出され、二人は博らの方向に走り出した。

 空気を切り裂く音が聞こえ、速人の足に痛みが走る。トライデントが左足のふくらはぎの端を削り取っていた。

 構わずに走り続ける。

 博は少女を抱きかかえながらその少し前を走っていた。

 その博の背中を見て、速人は天を仰ぎたくなる。

 くそっ、こいつは厄介なことになりやがった。

 トライデントの発射音が後方に聞こえる。木々に突き刺さる音が続けて聞こえてくる。

 何とか逃げられそうだと速人は感じた。

 とりあえず、今は逃げろ。

 足の痛みに耐えつつ速人は走り、ニコと少女を抱きかかえた博も走る。

 森を抜けると、その島の海岸に出た。

 岩場があり、森から見えなくなる場所があり、いったんそこに座り込む。

 三人は荒い息をしながら、お互いの顔を見やった。

「やばかったな」

 速人は負傷をした足を見ながら言った。

「大丈夫か?」

 尋ねながらニコは止血帯を速人の足に巻き付ける。

「すげえ、痛えよ」

 歯を食いしばりながら痛みに耐える。

 そして速人は博の背中にある無線を見た。

「博、そいつは捨てちまえよ。もう役立たずだ」

 博は怪訝そうな顔をして無線機を背中から外した。

 それには白い槍が突き刺さっていた。博の顔色が青くなる。

「よかったな。頑丈な無線で」

 速人が言うとニコが小さく笑った。

 実際は笑いごとではない。これで救援を呼べなくなった。本来ならすぐにでも迎えに来て欲しいところだ。

「大丈夫だよな、ニコ。俺たちはまだやれるよな?」

「ああ、問題ない。どうにかするだけだ」

 二人の言葉に博が半ば呆れた顔をする。そして立ちすくんでいる少女に向かって声をかける。

「ねえ、お嬢ちゃん。日本語はわかんないだろうけど、何があったんだ? 何か少しでも教えてくれないか?」

 博は身振りと手振りを交えて少女と何とか意思を疎通させようとする。

 少女は言葉がわからないのに加え、話すことが出来なくなっているようだった。声が出ないのだ。

 速人は砂浜に行き、少女に見せるように日の丸の絵を砂のキャンバスに描いた。

 少女にも意味がわかったようで、砂浜に絵を描き始める。

 村が襲われたことと村には大量の人柱があることが少女の描いた絵で何となくわかった。

 ニコはその間も油断無く周囲を警戒し続けている。

 とりあえずはクラブは追ってきてはいないようだった。

 博が一生懸命に無線からトライデントを引っこ抜き、何とか使えないかと四苦八苦しているが、確実にそれは破壊されていて使うことは出来ないようだ。

 やがて博はその役立たずになった無線機を苛立ち紛れに蹴飛ばした。

「まずいっすね。どうしますか?」

「泳いでいける……距離じゃないよなあ」

「船か何かを探しますか? 現地の島民が使ってるはずですよ」

 そんなことを話していると、少女が速人の袖を引っ張った。

「うん? どうした?」

 少女は砂浜に電話の絵を描いた。それも今風のスマホではない。初期のトランシーバーのような携帯電話の絵だった。

「電話か? どこかにあるのか?」

「電話があったって島の外には繋がらないはずです。電話線が……。待てよ。衛星電話なら使えますよね」

 少女はその絵を指差し、手を耳に当てて通話しているしぐさをしている。

「他の島との連絡手段のために一台くらいあってもおかしくないな。それでそれはどこにあるんだ?」

 速人が当然の疑問を発すると、少女は首を傾げていたが何度か同じ質問をすると、やっと意味がわかったのかある方向を指差した。

 その小さな指は空に向かって立ち昇る黒い煙を差していた。

「だよな。敵だらけの村の中にあるらしいぜ、ニコ」

「だったら話は単純だ。取りに行こう」

 無表情でこともなげに言うニコ。

 博は天を仰いで、大きく息を吐き出した。

「さあ、電話探しだ」

 速人はそう言って少女の頭を優しく撫でた。

 少女の村に着いた時、速人らの目に入った光景はとてもひどいものだった。

 何本もの人柱が村のあちこちに立てられていた。半分ほどは体内から食い破られ真っ赤に染まっていた。幾つもの惨殺された死体が転がっている。

 思わず速人は少女の頭を押し下げて、その恐ろしい光景を見せないようにしたが、恐らくは無駄なことだった。少女はこの場所から逃げてきたのだから。博が彼女の肩に優しく手を当てる。

 速人らは身を低くして周囲を見渡すが、クラブの姿は無かった。しかしそれは安全だと言うことにはならない。耳を澄ますと、そんなに遠くない場所に敵が存在しているのは間違いなかった。

 少女が体を震わせながら一軒の小さな家を指差した。

 速人はニコと顔を見合わせて、頷きあう。小さく息を吐くと、そこから立ち上がり一人でその家に向かって近付いていった。

 目的の家の壁に張り付き、安全を確認した後、手でニコらに合図する。

 そして速人、ニコの順番で家の中に飛び込む。その家の中はまったく荒らされていなく、まったく普段通りのように見えた。この家の住人はクラブが現れた際に外へ飛び出してしまったのだろう。

 家の中と外とのギャップが激しい。家から一歩出れば、ちぎれた手足やハサミで真っ二つにされた胴体が転がっているのだ。

 テーブルの上に置かれたカゴに果物が幾つか置かれていた。時計の針はいつも通り規則正しく動き、部屋の壁に飾られた家族写真はいつも通り笑顔だった。

 速人はその写真を一瞥して、すぐに目を離した。その写真には一歳か二歳くらいの幼児が若い母親に抱かれていたのだ。どうなったのかは考えたくなかった。

「この家にあるんだよな? どこにあるかわかるか?」

 博が手振りで電話をする真似をしながら、少女に尋ねる。

 少女は首を黙って首を振っていた。博が途方に暮れた表情をする。

 写真には少女の姿は無いのでこの家の子ではないのだろう。速人はそう思いながら、家の中を注意深く探し始めた。ニコも同じように周りを見渡し、すぐに隣の部屋へ入っていった。

 その時、外から嫌な音が聞こえた。ハサミを開閉する音。クラブが近くに来ているのを感じる。

 速人が窓から外を覗くと、五匹ほどのクラブがすぐそばを移動していた。

 そしてクラブの一匹がまだ血に染まっていない人柱をハサミで掴み、背中のゲル状の袋に放り込むのが見えた。

 もう一つの窓から同じものを見ていた博と顔を見合わす。

 お互いに身を這わせて、二人は顔を近付けた。

「あれってまだ生きてるんですよね?」

「多分な」

「見なかったことには……」

 そう言った博の顔を速人は真っ直ぐに見つめた。

 そして口元を軽く歪める。

 博は一瞬だけ苦笑いに近い表情になるが、すぐに真剣な面もちになった。

「何でもありません」

 博が答えるのと同時に隣の部屋からニコが音を立てずに戻ってきた。手には大きな電話を持っている。それを速人に手渡す。

 速人はその大柄な電話機の液晶画面を見ると、通話可能な状態だった。すぐにでも連絡したいところだが、そうしている間に家の外ではクラブがまた人柱を背負っていた。これで二人目。

 やり過ごした方が安全なのはわかっていた。恐らくクラブは五人の生きている人間を背負った後、この場所から去るだろう。

 そしてその後、電話を使い連絡して救援を待てばいい。

 どのみち人柱にされた人間の生存確率はよくて五分五分といったところだった。人柱から人間を取り出すのはナイフがあれば可能だが、その後は医療チームが必要だった。

 そのチームはここにはいない。

 しかしまだ生きている人間なのだ。ここで速人らがクラブを倒せば、助かる命もあるかもしれない。

 兵士とは民間人を守るために存在しなければならない。

 建前かもしれないが、それを大切にしたい速人にとってこの場で何もしないということは耐えがたいことだった。

 今、この場所で最も階級が高いのは速人だった。決断は自分がしなければならない。

 その時、少女と目が合った。

 少女は何も言わないがその瞳は悲しみだけではなく、別のものも浮かべていた。

 視線をそらした先は、先刻見たこの家の家族の写真。 

 速人は心を決めた。

「ここで指をくわえて隠れているか、外にいるカニ野郎をぶっ殺して一人でも救うかだ」

 速人はいきなり博とニコに向かって言った。

「人前で指をくわえていいのは赤ちゃんだけですね」

 博が言う。

「俺たちは赤子じゃないな」

 すぐにニコが続ける。言いながら背中からショットガンを抜き、床にそれを置く。

「ランドセル持ちは俺が撃つ。ニコと博は他のをやってくれ」

 それを聞いて博はヘルメットを外し、少女の頭にかぶせた。サイズが合わないので顔が半分くらい見えなくなってしまった。

 速人はその少女の頭をポンと叩いた後、窓に向かってM4を向けた。

「さあ、やっちまおうぜ」

すでに人間を背負っている一匹に狙いをつける。

 目と目の間にある小さな窪みの部分がクラブの弱点でそこを撃ち抜けば大抵は一発で動かなくなる。もう一つの弱点は上半身と下半身を繋ぐ部分にあるがそこは普段、隠れていた。大量の弾丸を撃ち込めば弱点では無くても倒せるが、ここは一発で仕留めたいところだった。

 速人はトリガーを引いた。

 彼にとって難しい射撃ではなかった。狙った場所に命中してそのクラブは力なく地面に倒れる。

 ニコと博はまだ人間を背負っていない三匹のクラブに向けて銃を撃つ。クラブの一匹がトライデントを放ち、三本の槍が窓から家の中に飛び込んでくる。

 その中で速人は冷静にもう一匹の人を背負ったクラブに照準を合わせていた。今度は二発続けて撃ち、二発とも命中する。

 他の三匹のクラブは至近距離からニコと博がフルオートで銃撃を浴びせたので体が穴だらけになっていた。銃弾はその内の二匹の殻を突き破り撃ち倒したが、残りの一匹が窓から一メートルほどの場所まで突撃してきた。ハサミを窓に叩きつけて、その窓は枠ごと破壊される。

 その時、ニコのミニミの弾が切れた。ライトマシンガンの銃撃が止まる。

 火力が一時的に減り、クラブが窓から侵入しようとした。

 ニコは何の焦りも見せずに床に置いてあるショットガンを取り、至近距離でそれを撃った。

 ニコを狙い振り上げられたハサミを付け根から吹き飛ばす。やや後退したクラブに向かって、前に進みながら散弾を浴びせ続けた。

 最後はひっくり返り、動かなくなったその化け物の腹の部分をニコはブーツで踏み潰した。

「よっしゃあ」

 博が雄叫びをあげた。ニコは満足げに笑みを浮かべている。

 速人は弾倉を取り替え、すぐに基地へ電話をかける。

 念のために基地の電話番号はメモをしてあった。呼び出し音が数回鳴り、基地へとつながる。

「八尋だ。神崎大尉を頼む」

 電話に出た当直の兵士は意味がすぐにはわからなかったらしい。

 無理もないことである。まさか任務中の兵士から無線ではなく、電話がかかってくるとは誰も思わない。

「八尋軍曹なら任務中です」

「だから俺がその八尋だって。いいから神崎大尉を出してくれ」

 その後、数回のやり取りがあり、やっと神崎大尉が電話に出る。

「神崎だ。そっちはどうなってる? 連絡が途絶えたので困っていたところだ」

「すみません。無線がやられてしまって連絡が出来ませんでした。島はクラブだらけです。少女を一人、保護しました。村人の大半はやられてますが、人柱になってまだ生きている人たちもいます。至急、救援をよこしてください」

「よし、わかった。すぐに向かう。それまでどこかへ隠れていろよ」

「了解。早く来てくださいね」

 電話を切り、ニコと博に向かってすぐに救援が来ることを伝える。

 少女に向かって指で円を作り、笑顔を向け、再びブカブカのヘルメットをコツンと叩いた。

「おちびちゃんのおかげだよ」

 そうは言いつつも、速人はまだ安心していなかった。

 たった今、銃を撃ちまくった後なのだ。クラブが押し寄せてくる可能性は大きい。

 速人は家から出て、周囲を見渡した。

 すぐ近くにかなり大きな家があった。屋根の高さが他の家よりずっと高い。

 その場所なら周りをよく見渡せるはずだと思い、彼はその家の屋根に登った。

 思った通りその場所は遠くまでよく見ることができた。遙か遠くには美しい海も見ることができた。

 そして見たくないものも見えた。それは数え切れないほどのクラブが村へと迫っている姿であった。




 電話を切った後、神崎はすぐに部下を呼び寄せた。

 手早く指示をして、自分も装備を身に付ける。

 彼はこの事態に備えて独断で緊急出動チームを待機させていた。三十名ほどの海兵隊員がヘリの発着場で待機中だった。

 基地に残す士官に幾つかの命令を与えると、彼はチームの元へ向かった。

 その場所に着くと同時に違和感を覚える。人数が多すぎるのだ。三十人どころではなく七十人から八十人ほどが神崎を待っていた。よく見ると装備が中途半端なものも多い。

「大尉、こいつら自分も行くと言ってきかないんです」

 中隊直属の上級曹長が神崎に近付いてきて言う。

 彼の言うところによれば、電話を出た当直の兵士からすぐに情報が広まり、自然と集まってきてしまったらしい。

「八尋らがヤバいんですよね? 俺たちも連れてってください」

 一人の二等軍曹が神崎に向かって懇願する。

 自分の隊の団結力を目の当たりにして、神崎は嬉しく思ったが、事態は一刻を争うのだ。予定外の人数を連れて行く移動手段もない。

「行きたい気持ちはわかるが、今は時間がない。まずは緊急出動チームが急行する。残りのものは準備をしてこの場で待機だ。わかったな」

 普段から統率のとれている部隊である。すぐに下士官たちが自分の部下たちをまとめて、準備に移った。

 この分だと移動手段さえ確保すれば、最低限の時間でほとんどの隊員が救出に向かうだろう。こうしている間にも続々と兵士たちが集まってきていた。

「大尉、こちらの準備はできています。すぐに向かいましょう」

 ヘリの女性パイロット、市ノ瀬准尉が神崎に向かって言った。輸送ヘリにはすでに隊員は乗り込んでいる。

「よし、出動だ。全員、気を引き締めていくぞ」




 速人はM24狙撃銃のスコープ越しに敵の姿を見ていた。

 ニコと博は村の外縁部に移動していた。

 すぐに逃げることも考えたが、村の中に立っている人柱をそのままにしてはおけなかった。救援が来るまで持ちこたえる。それが三人が出した結論だった。

 少女は速人が陣取っている屋敷の中にいる。

 彼は屋根の平らな部分に伏せていた。

 遠距離射撃ですでに数匹のクラブを撃ち倒している。

「博、お前の場所から左側に大きな木があるだろ? その後ろを吹っ飛ばせ」

 インカムで速人は博に指示を与える。

 すぐにグレネードランチャーの発射音がして、速人の指示した場所に命中した。近付きつつあったクラブが吹き飛ぶのが見える。

 その右側ではニコがライトマシンガンを撃ちまくっている。

 クラブはどんどん集まってきていた。救援が間に合うのが先か、やつらが村の中に入るのが先か。状況はかなり悪い。というよりは最悪だった。

「正面から三体ほどくるぞ。ランドセルを背負ってる。俺に任せろ」

 速人は狙いをつけて銃を撃ち、それは命中した。すぐにボルトを引き次弾を薬室へ送り込む。ボルトアクションのM24ライフルの命中性能は高い。押し寄せるクラブを一匹ずつ確実に仕留めていく。

 正面から来た敵を撃ち倒した後、一旦、敵は大人しくなった。

 嫌な予感がする。そしてその予感は当たった。

「ニコ、博、重量級のお出ましだ」

 速人が見付けたそれは、他のクラブの倍ほどの大きさで全身が黒い殻で覆われていた。

 ごく稀にこのような個体が存在する。それが動き出したと同時にその周囲のクラブも一斉に動き出す。

「軍曹、敵は何時の方向から?」

「全部」

「えっ?」

「前方すべてからだ。一気に来るぞ」

 速人は可能な限り素早くボルトを動かし、撃ちまくった。敵を探す必要はなかった。どこを見ても敵だらけだった。

 ニコも博も必死に応戦する。しかし数が多すぎてどうしようもないようだ。そのうちに多数のトライデントが飛来し、ニコらは頭を上げることすら困難になってきていた。

 これ以上は無理だと判断してニコらに退却するように伝える。

 クラブは村のすぐ側まで迫ってきていた。速人は銃をM4に持ち替えて屋根から滑り降り、少女を屋敷から連れ出した。

 ニコと博が走ってくるのが見える。建物を挟み左右に分かれて速人らのいる場所に向かってきていた。

 その時、一本のトライデントが博の右足に命中する。前のめりに博は吹き飛んだ。

「ニコ、博がやられた。お前の場所から五十メートルほど離れた場所に倒れてる」

「了解。まだ大丈夫か?」

「ああ、足をやられたみたいだ」

「すぐに向かう」

 速人も走り出す。

 クラブが博のそばに現れ、タコの触手のような足を伸ばし博を掴んだ。

 苦悶の表情を浮かべていた博のそれが恐怖に変わる。触手が足に絡みつき、引きずられるようにクラブの元へ連れ去られていく。行き先はランドセルの中。

「うわああ」

 博が悲鳴をあげたのと同時に速人はM4のトリガーを引いた。じっくりと狙う余裕は無かったが、発射された弾丸はクラブの体に命中した。銃弾を喰らい、一瞬だけ動きが鈍くなったクラブに、至近距離まで近付いたニコがミニミの銃弾を浴びせる。

 力なく倒れたクラブの足から博を引き離し、何事もないように博の体を肩にのせて、ニコが速人の元へやって来る。

 その間も速人はM4を撃ち続けた。そのうち重量級の黒いクラブの姿が見えてくる。

 この個体の甲殻は他のそれよりも固く、アサルトライフルでは簡単に撃ち破れない。速人は何発もそれに命中させたが、撃ち倒すことはできなかった。

 嫌な感触と聞きたくない音がして、速人はM4の弾を撃ち尽くしたことが知り、博のM16を取る。博も予備の弾倉はもう持っていなかった。すぐにそれも撃ち尽くす。

 ニコもミニミの弾がなくなり、ショットガンを手にしていた。

 速人はホルスターから四十五口径を抜き、連射する。すぐに弾が切れリロードする。それを繰り返し、何とか接近してきた一匹を倒した。

 ハサミを開閉する音が四方から響き、周囲のいたる所が揺れていた。

 黒いクラブが大きすぎて村の中の細い道を通れないでいるのが見える。そのクラブはハサミを振り上げ、家と壁を打ち壊し、道を広くして近付いてきた。

「あんなのありかよ」

 速人は唖然としながらそれを見ていた。

 ハサミが速人らに向けられる。黒いクラブからトライデントが発射されるのと同時に、他のクラブもそれに呼応するかのようにトライデントを発射した。

 数十本の白い槍が彼らに向けて飛来する。咄嗟に速人は少女に覆い被さった。その内の一本は速人の肩を掠めていく。衝撃と痛みを感じたが、歯を食いしばってそれに耐えた。

 ニコはヘルメットを吹き飛ばされたが、それで運良く軌道がそれたようで無事だったようだ。一度、倒れたがすぐに立ち上がり、敵の方を睨み付けている。

 博はその場で倒れていたが、顔のすぐ側に三本のトライデントが突き刺さり悲鳴をあげた。

「ここはヤバい。家の中に逃げるぞ」

 速人は肩から血を流しながら叫んだ。家の中に逃げても無駄なのはわかっていた。しかし怪我した博を連れて素早く逃げることはできない。

「置いていってくださいよ。森の中へ逃げればもう少し時間が稼げるでしょうに」

 博は苦しそうだが、無理に笑いを浮かべながら言う。

「もう少し前だったら喜んでそうしたんだけどな。もう無理だよ」

 速人はそう言って、少女を抱き上げて一番近くの家の中へ向かって走る。

 ニコは博を肩にのせて後に続いた。

 再び飛来したトライデントが後ろから速人の左腕の辺りを掠めていく。痛みで少しだけ速度が遅くなり、ニコと並んだ形になるが、ニコも太ももの辺りから出血していた。

 何とか家の中に辿り着くが、家の外壁にトライデントが突き刺さる音が響き渡る。

 息を切らしながら、少女を優しく離し、速人は床に座り込んだ。

 止血帯を取り出し、負傷した箇所に巻き付けていく。速人もニコも複数の箇所を負傷していた。奇跡的にすべて掠っただけだったが、二人とも血だらけだった。

 博の足の処置を終えるとニコは窓に近付き、外を眺めた。

「ヤバいな。囲まれたぞ」

 別の窓が割れクラブが姿を現した。速人は座りながら四十五口径を撃つ。弱点である目と目の間に命中し窓を塞ぐようにクラブが倒れた。

「こいつの弾ももう無い」

 ニコも窓から拳銃を撃ちまくっていた。速人も博から拳銃を受け取り撃ったがすぐに全ての弾を撃ち尽くす。

「完璧に弾切れですね。ランドセルの中に入りたくはないなあ」

 博が青ざめた顔で言った。

 壁をハサミで叩く音が聞こえる。家全体が揺れた。

 速人は立ち上がる。ニコも同じように立ち上がった。

「簡単に負けてたまるかよなあ、ニコ」

 速人は確かめるように言った。

「ああ、その通りだ」

 二人は大ぶりなナイフをベストから抜き放った。

「さあ、ちびちゃん。裏から逃げるんだ」

 速人は少女に向かって優しく言った。

「お前一人くらいなら見逃してくれるだろうよ」

 ニコも少女に向かって話しかける。

 言葉は通じないが意味は通じたようだった。

 少女は裏口へ向かいかけたが、思い直したかのように首を振り、博の寝ている隣に座った。

 速人は眉を寄せて少女の顔を見たが、そこに恐怖の色は無かった。

「そんな目をして期待すんなよ。さすがにこれじゃあ無理だぜ」

 自分の手にある最後の武器を見て、速人は言う。

 しかし少女は首を振り、その場から離れない。大きな瞳でジッと速人の顔を見つめていた。

 その時、大きな音がして家の壁が破壊された。その隙間からハサミが垣間見える。黒い甲殻をもつクラブのものだった。

「さて、やりますか」

 速人の言葉にニコは無言で頷いた。

 壁の穴の開いた部分からハサミだけが、家の中に突き出される。

 狭い空間を三本の白い閃光が切り裂いた。速人は右に、ニコは左に横転しながらそれを避ける。

 速人はナイフを逆手に持ち、唾を吐いた。

 穴から入り込んでいるハサミは持ち主の意思なのか、無理矢理に上下左右と動き回り、その穴をさらに広げていった。

「この野郎、少しはマナーを守れってんだ」

 速人は首を少しだけ傾げながら言った。

 ニコの方を向き、顔を見合わせる。ニコが微かに微笑むのが見える。速人も少しだけ息を吐きながら微笑み返した。

 こいつと一緒ならいいさ。

 博は動かせないし、何故か少女は逃げようとしない。

 死は刻一刻と四人に向かって近付いてきている。

 速人は少女を救えなかったことだけが、心残りだった。しかし事態がこうなっては最早、仕方のないことであった。

 最後にやるべきこと。クラブが姿を現した時、ニコと共に懐に飛び込みナイフを喰らわせる。

 恐らくそれで二人とも死ぬだろう。

 壁の穴が広がり、もう少しで黒いクラブが家の中に侵入してくるはずだ。

 速人が疲れ切った体に力を込めた時だった。

 ヘリのローター音が耳に飛び込んでくる。

 速人にとってそれは天使の羽の音に思えた。機械仕掛けの空飛ぶ天使。

「ニコ、合図のスモークを外に投げろ」

 すぐにニコが発煙筒を屋外へ投じた。赤い色の煙がそれから噴出する。

 黒いクラブは家の中に入る寸前だったが、急に向きを変えて離れていった。

 速人が窓に近付き、外を見てみると青い空に浮かんだ三機のブラックホークが見えた。

 真ん中を飛ぶブラックホークの側面に塗装されたピンクのハートマークを見て誰が操縦しているのかがわかる。

 その三機のブラックホークのドアガンから発射された弾丸が雨のようにクラブに降りかかった。

 高速で飛来して速人らの隠れている家を通り過ぎては戻ってくる。

 地上からトライデントが発射されるがどれも命中することはなかった。

 黒いクラブは弾丸の雨をまともに受けた。三機すべてのドアガンが一斉にそれにむかって攻撃した。弱点もへったくれもない。点ではなく面での攻撃を受け、そのクラブは木っ端微塵に砕け散った。

 少し遅れて歩兵の持つ小銃の発射音が聞こえてくるようになる。

「救援がきたようだぜ」

 速人はそれを言うとその場に座り込んだ。ナイフをしまい、壁に寄りかかる。

 ニコもさすがに疲れ切っていたのか、同じように床に倒れ込んだ。

「死ぬかな、とか思ってたろ?」

 速人は絞り出すように声を出した。

「いいや、全然。お前こそ、情けない顔してたぞ」

 ニコは速人の方を見ずに答えた。

「そんなわけねえよ。まだまだ余裕だったぜ」

「ああ、そうかい。そう言うならそう言うことにしとくよ」

 ニコはそう言った後、乾いた声で笑い始めた。

 つられて速人も同じく笑い出す。

 少女を見ると、急に笑い出した二人を不思議そうに眺めていた。




 速人は階段を降りてゆっくりとロビーに向かって歩いていった。

 ロビーにはテレビがあり、それを取り囲むようにソファーがある。そのソファーには見知った顔の男が座っていた。

「速人、どうしたんだ? 今頃。また何かしでかしたのか?」

 ニコがからかうように速人に声をかける。

「いいや。どうでもいいようなことで呼び出されただけだ」

 そう答えて、速人はソファーにどっかりと腰を下ろした。

 彼はこの場所で仮眠をとるのが習慣になっていた。靴を脱ぎ、ソファーの上にあぐらをかく。自然とあくびが出てきて、眠たくなってくる。テレビではニュースか何かをやっているようだった。

「速人、今日もここにいたのね」

 女性の声が後ろから聞こえてくる。

 振り返ると、そこには速人の愛する女性、上本茜の姿があった。

 薄い赤茶色の髪をした垂れ目の美人で速人にとっては、無くてはならない存在だった。

 スタイルはいい方だが、スレンダーと呼ばれる方ではなく、グラマーと呼ばれる体型をしている。

 速人たちは、S&Sカンパニーという会社の新人研修施設に来ていた。

 速人とニコは海兵隊を退役した後、運良くこの会社に就職したのだった。

 他愛のない会話を楽しんでいると研修の仲間たちが続々と集まってきた。

 さらに他愛のない会話が繰り広げられる。

「ねえ、見て。この子、凄い偉いよねー」

 集まった仲間たちの一人、網谷彩菜がテレビを指差しながら言った。

 テレビの画面には色黒で目の大きな中学生くらいの少女がインタビューを受けていた。

 インドネシアの小さな島の出身で、小さい頃にクラブの襲撃を受けて両親を失ったらしい。運良く生き延びた彼女はその後、自分に起こった出来事を本にしたのだった。

 その本はベストセラーになり、その印税をすべて同じような戦争孤児の為の基金に寄付することを表明したのだという。

 そして世界中を周り、その基金への協力をうったえていた。今はちょうど日本に滞在しているということだった。

 日本のテレビ局が彼女にインタビューしている様子が画面に映し出されている。

 しっかりとした口調でインタビュアーの質問に少女は答えていた。字幕でその内容が流れている。

「わたしは小さな村で育ちました。それまで日本のことはお金持ちの国としか知りませんでした。今、この国に来ることが出来て本当に嬉しいです。日本のみなさん、ほんの少しのお金でいいんです。一人一人が少しずつだけでも協力してもらえれば、学校に行けない子供や、その日の食べ物が無い子供たちがたくさん救われます」

 その場にいた全員が、話すのをやめてテレビ画面に視線を向ける。

 速人もつい姿勢を正してしまった。彼女の声はそうさせる何かがあった。そして記憶の片隅にある面影。

 その本の内容に日本の海兵隊員に命を救われたという部分があり、それについて質問された彼女は視線を斜め上に向け、にこやかに笑う。

 無垢で綺麗な笑顔だった。

「日本には昔、サムライと呼ばれる高潔な戦士たちがいたことを最近知りました。でも、それをわたしに教えてくれた人はこうも言っていました。今はもういないんだよ、と。でも、わたしは知っています。サムライは過去の存在ではありません。わたしを救ってくれたのは三人のサムライでした。決して諦めることなく戦い、守るべきものを守ろうとしてくれました」

 速人はやっと気が付いた。自分はこの少女を知っている。ニコの顔を見ると、いつもは無表情な巨人が少しだけ驚いていた。

「わたしを救ってくれた部隊の人々はほとんどが亡くなったと聞きました。もしかしたらわたしを救ってくれた人たちも今はもういないのかもしれません。でも、わたしの心のなかではずっと生きています。強大な敵を前にして、わたしに微笑みかけてくれたあの人たちを忘れません。助けてくれてありがとう。わたしはこれからもしっかりと生きていきます。あなたたちに救われた人生をしっかりと歩んでいきます」

 少女は最後には涙を流していた。

 速人は自分の目に涙が溜まっていくのを感じたが必死で堪えた。涙を流す代わりにニコに向かって笑みを浮かべる。ニコもいつになく嬉しそうに笑っていた。

「どうしたの? 二人とも。やたらと嬉しそうな顔して」

 茜が二人の様子に気付いて尋ねた。そして急に眉を寄せて速人の耳元に口を寄せる。

「もしかしてさ、まさか、この海兵隊員って……」

 小さな声で、それでも驚きを隠せずに彼女は速人に言った。

 画面から少女の姿は消えて、天気予報が始まり日本地図が映し出された。

 速人は笑いながら立ち上がる。

「そんな訳ないだろ。可愛い女の子だなって思っただけさ」



                 了



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