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チェンジ 〜From heaven Till hell〜  作者: 井上陽介
第二部
50/55

第50話

 福永邸の居間は何とも言えない沈黙に包まれていた。

 光司は話を終え、持っていた書類をテーブルに放る。

 速人は視線だけをニコに向けたが、いつもの通り彼は無表情を貫いていた。

「そんなに静まらないでくれよ。さっきも言ったけど、これが本当の話という証拠は何も無いんだ」

 光司が沈黙を破る。

「確かに突拍子もない話だな。きっとやつらの作り話だろうよ」

 達也が吐き捨てるように言う。

「捜査本部でもそういうことになってるよ。海外でもそうさ」

「だったらどうして俺たちに話したんだ?」

「自分でもよくわからないんだけどな。何というか、無視できなかったんだ。もしかしてって思ってしまったのかもしれない。みんなには一応、伝えておくべきかもしれないと思ったんだ。余計な事だったかな?」

「どうだろう? あまり気持ちのいい話ではないかもね」

 達也が速人やニコの方を見ながら言う。

「でも、とても興味深いですよ。真偽は別としても」

 身を乗り出すようにして発言したのは川井だ。

「実家であの怪物について色々と調べてみたんです。シェイプシフターというのは世界各地に言い伝えがあるみたいでした。色々な地域で似たような伝承があるんですよね。別にスキンウォーカーと呼ばれる場合もあるみたいですが、こちらは主に獣に変身するみたいです。僕が調べた中には、地球外生物じゃないかって説もありました。地域によって違うんですが、その正体は悪霊や幽霊、悪魔などと思われているみたいです」

「霊ってことはないだろ? 銃やナイフで倒せたからな。何にしろ、あれは生き物だったぞ。殴り合う霊なんて聞いたことがない」

 それまで黙っていたニコが低い声で言った。

「俺たちが知らないことなんていくらでもあるさ」

 速人はニコに向かって言う。悪霊でも悪魔でも何でもいいと速人は思っていた。

 銃で頭を撃つと死ぬ悪霊。

 それはそれでいい。むしろそうでなければ困ってしまう。

「倒せれば何だっていいよ」

 速人の言葉にみんなが笑みをこぼす。

「それで川井君。他には何かわかったことはあったのかい?」

 光司が川井に先を促す。

「僕が次に調べたのはドッペルゲンガーについてです。ドッペルゲンガーについてはみなさんもご存じですよね。自分とそっくりの人間に会うと死んでしまう、というやつです。日本でも江戸時代の頃から記録があるそうです。病気や脳腫瘍からくる幻覚など色々な説があるようですが、僕はこれも関係があるんじゃないかと思ったんです。もしあいつらが誰かに成り代わろうとしたら、結果的に同じことになりますよね。他人がその場面を目撃でもしたら……。全部ではないと思いますが、幾つかはシフターの仕業のせいでこういう超常現象が語られるようになったんじゃないでしょうか」

 それを聞き、達也が大きく頷く。茜と由紀は川井の方をじっと見ていた。

「わたしね、今まで幽霊とか怪物とかって全然信じてなかったんですよ。でも今回のことでそうは思えなくなったかもしれないです。もしかして他にもいるんじゃないかって。そう思うとなんだかとても怖くなったんですよね」

 川井を見ていた由紀がぼそっと呟くように言う。

「あたしも同じかも。あんな怪物が本当にいるんだもの。自分が今まで信じてたものが色々と引っ繰り返された感じ」

 茜もすぐに由紀に同意する。

「俺はカニの化け物を初めて見た時からそう思ってたけどね」

 速人はクラブ戦役で初めて敵を見た時のことを思い出して言った。開いた口が塞がらなかったのを覚えている。それまで映像や資料で見ていたが、目の前でみるそれは想像を超えていた。人間を背負うカニとタコの混ざり合った怪物。あの時、速人はまさしく茜が言ったことと同じ感覚を覚えたのだった。

「でもさ、川井君が調べたことのなかに、お兄さんの話と合致するところがあるわよね」

 茜が少しだけ首を傾げながら言った。

「世界各地に伝承があるって言ってたでしょ? 色んなところに灰は辿り着いたってあったじゃない」

「そうですよね。じゃあとりあえず本当の話だとして考えてみましょうか。お兄さん、ちょっとだけその書類を借りていいですか?」

 光司は笑顔で書類を由紀に渡した。二人の女性はそれを左右から見つつ話し続ける。

「この母なるものっていうのはきっと地球よね」

「多分そうだと思います。となると〝それ〟っていうのは地球の意思ってことになりますね。ずっと昔から海の底にいて、たまに地上に出てきたって感じでしょうか」

「そして〝それ〟は何にでも姿を変えられる。人間に姿を変えた時に殺されてその灰がシフターになった」

「その灰は世界各地に飛んでいった。その灰は人間を憎み、人間の姿に変身できる生き物に変わったってことですよね」

「うん。そして地球を汚し続けるのを知った〝それ〟は人間を滅ぼそうと思ったわけね」

「死体がカニに食べられて、そのカニがタコに食べられて、それが海底に沈んですべてを知った 〝それ〟はその記憶から生き物を作ったってありますよね。それって……」

「クラブのことなのかな」

「こうしてみると、何だか本当の話に思えてきちゃいますね」

 二人の女性が話しているのを男性陣は黙って聞いていたが、やがて達也が笑いはじめた。

「そりゃあそうだよ。作り話にしたって真実に思えるように作るはずさ」

「じゃあ、お前はこれが絶対に嘘だって言い切れるのか?」

 それまで黙っていた達也の父、総司郎が言った。

 達也はすぐに答えなかった。

「言えないだろう。だから光司も気になったんだよな」

 ちょうど由紀から書類を返してもらっていた光司が頷く。

「仮に本当の話だとすると、いい気分はしないがね。地球が我々人類を滅ぼそうとするなんて。しかし思い当たる節はいくつもある。確かに人間は地球を汚し続けている。地球を一人の人間だとすると人間は癌細胞のようなものかもしれない。どんどん増殖し、体を壊し続ける。その話に何度も出てくるが、人間は殺し合いをやめようとしないしな。有史以来、世界のどこかで必ず戦いは存在した。唯一、クラブの襲撃があった時だけは全世界が協力した。あの時はテロ組織でさえもクラブとの戦いに参加したからね。人類同士の戦いは皆無だった。今はどうだ? また世界各地で紛争やテロが頻発している。この話が本当なのか作り話なのかはわたしにはわからないが、どこか否定できない部分があることは確かだ」  

 総司郎の話し方は穏やかで決して声も大きくないが、自然と周りが聞き入ってしまうような力が彼にはあった。まさしく全員が傾聴してしまっていた。

「まあ作り話であることを祈ろう。地球が敵だとは思いたくないものだからね」

 総司郎が最後は笑って言った。

 速人はどちらかというとこの話を信じていない。

 そんなことあってたまるか。

 それが彼の偽らざる心情だ。しかし仮に本当の話だったら。速人はニコに顔を向ける。

「ニコさ、どう思う? もし本当だったら?」

「本当だったらか? 海底でそんな陰険なことを考えているやつがいるのならさっさと始末するべきだろうな」

 ニコは表情を変えずに言った。速人は思わず笑みをもらす。

 確かに人間は地球を汚してるかもしれない。

 殺し合いをやめないのかもしれない。

 けれど速人たちは人間で、今もこの地球上で生きているのだ。

 地球の意思だか何だか知らないが黙ってることはない。

「だよな。放っておいたら次はイカとエビの怪物と戦うはめになりそうだ」

「そうなる前に吹き飛ばそう。魚雷でも撃ち込めばいい」

「問題は水圧だな」

 速人とニコは二人だけで好き勝手に話を続けた。

「あなたたちったら。そういう話はそこまで。まったくもう。もし本当だったら相手は地球そのものなのよ」

 茜が呆れた顔で速人とニコに言った。達也は今にも吹き出しそうな顔をしている。

「そんなの知るかよ」

 速人とニコの口から同時に同じ言葉が飛び出す。

 総司郎が大きな声で笑った。達也もついに吹き出した。

「お前らのそういうところ、最高だぜ」

 達也が笑いながら言う。彼の兄の光司も笑顔で頷いていた。

「本当か嘘かはわからない。もし本当だとしたら人類全体の責任だからね。嘘であってほしいものだよ。けれど、それから学ぶ必要はありそうだとは思わないか? 環境汚染についてだとか、人間同士の争いのこととかね」

 光司の言葉に全員が頷く。

「さあ、そろそろ辛気くさい話は終わりにしようぜ」

 達也がそう言うと、総司郎がすぐに同意する。

 それを皮切りに場の雰囲気は変わり、いつもの和やかな夜を過ごすこととなった。



 その酒宴が終わり、各自が部屋に戻ろうとした時のことだった。

 達也が速人らに自分の部屋に来るよう言った。五人は達也に付いていき彼の部屋に入る。

「すまないな、急に」

 達也はいつもと違う真剣な表情をしていた。

「さっきの兄貴の話の真偽は別としてさ。みんなは他にもああいう怪物がいると思うかい?」

 速人は先刻、茜と由紀がしていた会話を思い出す。

 カニの怪物の次は人に変身できる怪物。この世界はどうやら未知の生物に溢れているらしい。この様子だと吸血鬼やゾンビ、悪霊や幽霊だって実在するのかもしれない。

「俺はいると思うな。今までの経験からするとどんな生き物がいたって不思議じゃない」

 速人ははっきりと言った。ニコは隣で頷いている。

「僕はこの目で怪物を見ました。今まではあんなものは本や映画の中でしか見たことがなかった。だから逆に本や映画で出てくるような怪物もいるんじゃないかって思います」

 川井も真剣な表情で言った。

「あたしも同じかな。あんな経験しちゃったんだもの。以前のようにそんなの絶対にいないなんて言えなくなっちゃったよね」

「わたしは怖いですよ。きっと色々なところに隠れてるんだろうなって。現にシェイプシフターだって逃げちゃったんですよね。どこに行ったんだろう……」

 由紀の最後の疑問は速人も持っているものだった。ただ具体的にどうすればいいのか、速人にはまだ何の考えもなかった。

「由紀ちゃんの言うようにシェイプシフターは消えちまった。そして俺もみんなと同じように他にもああいう怪物がいるんだと思っている。誰も知らないところでいきなり幸せを壊されている人たちがいるはずなんだ。何も知らない人たちが、何も知らないうちに殺されたりしているんだろう。そんなの俺には許せない。それにさ、涼子ちゃん、仁科、彩ちゃん、久実ちゃん。あの四人のことが忘れられないんだ。あの四人は急に人生を終わらせられた。将来の夢や希望、そして命まで奪われたんだ。俺は運良く生きのびられた。怪物の存在を知った上でね。だから、あんな風に殺される人間を一人でも減らしたいと思ってるんだ」

 達也は目に涙を浮かべながら叫ぶように言った。

 すぐには誰も答えなかった。しばらく無言の状態が続く。

 やがて一人の口が沈黙を破った。

「それでお前は何をしようって言うんだ?」

 ニコが静かに達也に尋ねる。

「まずはシフターを追う。やつらを追い詰める」

「その後は?」

「あらゆる手段を使って、犠牲者が出ているような超常現象などの情報を集める。兄貴に聞いたが、不可思議でとても人間が犯人とは思えない殺人事件はたくさんあるらしい。それに行方不明者は公表されているのは約八万人ほどだが、実際はそんなものではないみたいだ。十万人は超えているだろう。そのうちの何人かはきっと俺たちのような目にあったはずだ。そういう人たちを救いたい」

 速人は黙って聞いていた。達也が何を言おうとしているのかは理解していた。自分も同じだが、達也はどうしても折り合えないのだろう。涼子たちのような犠牲者が他にもいるかもしれない。怪物の存在を知ってしまった達也はそれに背を向けることが出来ないのだ。

「はっきり聞くがお前は涼子ちゃんに惚れていただろう? それも関係してるのか?」

 速人は思いきって質問をぶつけた。

 達也がじっと速人を見つめる。

「そうかもしれない。私情ってやつも混ざってるかもな」

 溜息交じりに達也は答えた。

「それならそれでかまわないさ」

 速人は優しく言った。まさしく本心だった。

 私情で何が悪い? 個人的な理由で始まって、世の中のためになることなどいくらでもある。

「それで化け物専門の掃除屋でも始めるつもりなのか?」

 ニコが簡潔にまとめて言った。

「そんなとこだ。考えているのは、まず何かの商売を始める。活動資金も必要だろうからそっちも本気で取り組む。その一方で化け物を追いかける。表と裏だな。裏の仕事がそんなにあるとも思えないから、普段は表の仕事をしてもらう。そして裏の仕事に疲れたりしたら、表の仕事だけをしてくれればいいようにしておく。戦うことを引退した先を用意しておくってことだ。そうすれば一生を化け物との戦いに費やす必要もないだろ」

 速人は達也がそこまで考えていることに驚く。確かに一生を怪物との戦いに費やすなんて馬鹿げている。人間の人生は限りがあるし、状況は変わる。最初は独り身で死んでも構わないと思っていても、愛する人ができ、子供でもできれば考えが変わる場合もあるだろう。しかし、それまで怪物退治に専念していた場合、それから普通の社会人として生きるのは難しい。

 戦争から帰ってきた兵士の社会復帰が難しいのと同じだ。達也の考えていることは、細部の問題はあるにしろ、関わる人間の将来まで考慮しているものだった。

 こういう人間が会社のトップだと社員は楽だろうな。

 速人はふとそんなことを考える。同時に福永総司郎の顔が浮かんだ。

 福永財閥はいつの時代も隆盛を誇ってきた。速人にはその理由がわかる気がした。

「みんなに話したのは協力して欲しいからじゃないんだ。ただ俺の考えを知って欲しかった。シフターが野放しになっている件もあるしね」

 達也はもう普段の冷静さを取り戻していた。

「僕にも協力させてください。戦うことは出来ないかもしれないけど、それ以外なら。コンピューターなら詳しいですし。お願いします」

 意外なところから声が上がる。川井だった。松葉杖をつくその男は決然とした表情をして言った。

「本当にいいのか? 危険がないとは限らないよ」

「構いません。福永さんほどではなくても僕も同じようなことを思っていたんです。このまま何事もなかったように生きるなんて無理です。お願いです。僕も仲間に入れてください」

 達也が手を差し伸べると川井はそれをガッチリと掴んで握手した。

 それを見ながら速人は悩んでいた。本当ならすぐにでも手を上げたいところだった。しかし横にいる茜の存在がそれに歯止めをかけていた。

 彼女とこれから普通の人生を歩みたいという気持ち。

 それも偽らざる速人の本心だ。

 茜はきっと嫌がるだろう。あんな怪物たちとは二度と関わりたくないだろう。あれほどの酷い目にあったのだから、そんなことは当たり前だ。

 速人はクラブと戦った。次はシフターと戦った。

 もう充分に戦ったんだ。これから先は他の誰かに任せてもいいはずだ。

 そう思う反面、それとは違う気持ちも存在した。シフターを追い詰めて、皆殺しにしたい。彩菜たちの仇を取りたい。彼女らのような犠牲者を増やしたくない。仲間が戦うことを決意した時、自分だけ逃げ出したくない。

 俺は一体、どうすればいい? どうしたいんだ?

 速人の頭の中はグルグルと目まぐるしく回っていた。その時、誰かが肩に手を置いた。

 そのゴツゴツした大きな手はニコのものだった。

「今すぐ決めなくてもいいだろうよ。二人で相談すればいいんだ」

「お前はどうするんだ?」

「答える必要があるのか?」

 必要はなかった。ニコがシフターを放っておくはずがないのだ。

 由紀を見ると、どうすればいいのか決めかねている様子だった。無理もない。彼女はまだ十九歳だ。速人は個人的には由紀には関わらないで欲しかった。彼女には普通の平和な人生に戻ってもらいたい。

 そして茜。彼女はいつものように優しく速人の顔を見て微笑んでいた。

 視線はじっと速人の目に注がれていた。

 そしてそれを外したかと思うと、由紀に話しかけ始めた。

 達也はなぜか速人には話しかけてこなかった。川井と何やらパソコンについて語り合っている。

 そのうちのその集まりは解散となった。

 結局、速人は何の意思表示をすることもなかった。



 どうすればいいのだろう。

 速人は部屋で頭を抱えていた。

 その時、部屋をノックする音が聞こえる。ドアを開けると茜の姿があった。

 茜はベッドの端に座る。

「悩んでるねえ、速人」

 茜が笑いながら言った。その言い方に速人はつい苦笑いをしてしまう。

「自分の好きなようにすればいいんだよ。あたしはどっちだろうと一緒にいるから」

 その言葉を言った彼女の顔に何の迷いも見えなかった。

「あなたはずっと戦い続けた。もう嫌だって言うんだったら、それでも構わない」

 言いながら茜は笑っている。

「でもね。きっとあなたはそう思わないわ。あたしのことを思ってくれてるんでしょ? 関わらせたくないって。確かにちょっと怖いわ。それにあなたがまた危険な目にあうのがとても怖い。だけどさ、速人。あたしはあなたにあなたらしく生きて欲しいの。あたしのせいで速人が自分を変えちゃうなんて絶対に嫌」

 茜は何の気負いもない表情で言った。

 速人は茜とした色々な会話を思い出していた。いつも彼女はこうだった。速人の気持ちを尊重し、優しく包んでくれた。

 あの島で遭遇したような状況ならともかく、普段の生活では彼女の方が速人よりもずっと人間的に成熟しているのだ。速人はあらためてそう感じた。

「あたしがあなたに合わせてるとか思わないで。全然、我慢なんてしてないから」

 速人は茜に近付いて彼女の頬を両手で挟んだ。少し力を入れると頬の肉が真ん中により茜の唇が突き出される。

「ちょっと、何するの。変な顔になってるでしょ」

 モゴモゴと茜の口から声が漏れる。

 速人はその突き出された唇にキスをする。

「わかった。俺のやりたいようにやるよ。茜はずっと俺に付いてきてくれるんでしょ?」

 速人は決めたのだった。

 茜のおかげで決められたのだ。

 悩んでいる時、茜は少しの会話だけで前を向かせてくれる。

 一生、離さないと速人は胸に誓った。

「当たり前じゃん。それより早く手を離してよ」

 相変わらず変な顔をさせられている茜が言った。それでも彼女は手で振り払おうとしない。されるがままに頬を速人の両手で挟まれ続けている。

 速人は再び、彼女にキスをして二人はそのままベッドに倒れ込んだ。

 手を離し、何度も唇を重ねているうちに茜があることに気付く。

「ねえ、速人さ……」

 速人もそれに気付いていた。見なくても感覚でわかっていた。

「ほらね、言ったでしょ。あたしと付き合ったら問題なしだって」

 茜が思い切り笑って言った。

 速人は茜を抱きしめる。そして二人で顔を見合わすと、ニコリと笑い合う。

 急いで着ているものを脱ぎ捨てた。

 そして二人は繋がった。

 速人は何度も茜を求め続けた。茜はそのすべてを受け入れた。

 朝日が差す頃まで二人は愛し合い続け、やがて一緒に眠った。

 速人は夢を見なかった。ただ茜の匂いと柔らかさだけを感じていた。



 当然ながら速人と茜は朝に目覚めることはなかった。十一時近くになりやっと起床し、二人揃ってみんなの姿を探す。広い福永邸の中を歩いていると一人の人物に声をかけられる。

「おや、どういたしました? 達也さんたちををお探しですかな?」

 彼は福永家の執事で、名前は古宮ふるみやという。古宮は穏健な人物で達也のことを非常に気にかけていた。速人たちにもとても親切に接してくれていた。常に先回りして段取りをしておいてくれるこの初老の男性はまさにこの由緒正しい福永家を取り仕切るにふさわしい人物だった。

 古宮が言うには達也たちは地下の温水プールにいるとのことだ。

「何か食べ物を用意しましょうか?」

 速人たちが朝食に来なかったのを知っているので、気を利かしてくれているのだろう。速人は何となく気恥ずかしを感じた。この優しそうな執事にはすべてを見透かされている気がする。

「もうすぐお昼ですよね。だから大丈夫です」

 速人がそう言うと、古宮は小さく頷いて、ゆっくりと歩いていった。常に彼はゆっくりと動いていた。慌てる様子はまったく見せない。

「あの人って凄いよな」

「そうね。辞書で執事を調べたら、古宮さんの写真が載ってそう」

 それを聞き速人は小さく笑いながら歩きはじめる。地下への階段を降り、ガラス張りのドアを開けるとバシャバシャと水の音が聞こえる。

 プールの真ん中付近に達也がクロールで泳いでいるのが見えた。

 プールサイドにはニコと由紀が座って話をしている。反対側にはテーブルがあり、そこには川井がどこから持ち出してきたのかノートパソコンで何かをしていた。

 ニコが速人らに気付いて手をあげる。由紀は立ち上がり、手を振っている。

 茜が由紀に向かって小走りに近付く。

 それを眺めながら速人は近くにあったプラスチック製の椅子からタオルを掴んだ。

 泳いでいる達也が速人がいる場所へ辿り着き、プールから上がってきた。全身から水が滴り落ちる。

 速人は持っていたタオルを達也に向かって投げた。達也はそれを片手でキャッチして、顔を拭う。

「よう。随分と早起きだったな」

「まあ色々とね」

 そう言って速人は笑みをこぼした。達也もそれを見て笑う。その場で二人は並んで座った。

 向かい側を見ると、ニコが茜と由紀に突き飛ばされてプールに落ちているのが見えた。ニコはそのままプールの底に沈んだまま上がってこない。

 速人は笑いながらそれを見ていた。二分を超えた頃、茜と由紀もさすがに心配になったのか、大きな声でニコに呼びかけ始めた。ニコはそれでも沈んだままだ。

「おい、あれ大丈夫なのか?」

 達也がニコを指差して尋ねた。

「まだ全然、大丈夫だよ。からかってるんだろ」

 速人がそう答えた時、青い顔をした由紀がプールに飛び込んだ。飛び込んだ瞬間、ニコが水面に浮上し、由紀を見て笑い声を上げた。そしてプールサイドのギリギリの所に立っている茜に水をかける。茜の抗議の声が聞こえ、由紀がニコの背中に飛び込むようにしがみついた。

 速人はその微笑ましい光景を見ていた。

 水飛沫を浴びて笑っている茜。

 ニコを水中に引きずり倒そうと必死にしがみついている水着の由紀。

 もっと見たい光景があった。

 見事なスタイルで颯爽と泳ぐ涼子。

 はしゃぐみんなを静かに見守る久実。

 女性たちの水着姿を見て喜ぶ仁科。

 そして由紀と一緒になってニコに悪戯する彩菜。

 隣の達也を見ると、顔は由紀たちの方を向いているが、視線は間の空中で止まっているように見えた。

「車やバイクを扱う店がいいな。それなら俺もニコも得意だ」

 速人は達也の方を見て小さく笑いながら呟いた。

 達也も顔を向け、速人の顔をじっと見つめる。

「茜ちゃんは大丈夫なのか?」

「ああ、付いてきてくれるそうだ」

 速人はそう言って立ち上がり、両手を広げて達也の濡れた体を抱きしめた。片手で強く達也の背中を叩く。達也も同じように速人の背中を強く叩いた。

「裸だから痛えよ」

 体を離した達也が笑いながら言う。

 そして達也は速人に背を向ける。水着の達也の背中には赤く速人の手形が付いていた。

 達也がプールに飛び込んだ。そのままニコと由紀の方へと泳いでいく。由紀と一緒になってニコに挑み始める。ニコも達也だと容赦しないのか、達也の体を持ち上げ水中に投げ捨てる。それを見て由紀や茜が楽しそうに笑った。

 速人は頬杖をつき、笑顔を浮かべながらそれを静かに眺めていた。


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