第43話
ニコの撃った弾丸が速人から数メートル離れた地面の土を飛ばした。速人もニコに向けて発砲する。ニコの隠れている木に当たり、破片が飛び散る。
ニコは遮蔽物に隠れているが、速人は池のほとりでほぼ無防備に立っていた。ニコが続けて発砲し、速人の周囲の空気を切り裂いた。
速人が手にしたスマホを見ると、速人とニコが銃撃戦を繰り広げているこの場所のすぐそばに何者かが近付いているのがわかる。足下を見ると、速人の姿をした死体が倒れていた。そこから左に数メートルの場所には二人の男の死体。
再び発砲音がして、今度はその死体に弾丸が当たる。
ニコのやつ、遊んでやがる。速人は苦笑しながらただそこに立っていた。
後方に気配を感じる。振り向くと見知らぬ男が走ってくるのが見えた。ニコは発砲を続けている。両手をクロスし、頭だけは防ぐ振りをしながら速人はその男に話しかけた。
「あの木の向こうに一人いる」
男は薄く笑うと、手にした拳銃を撃ち始めた。ニコが隠れている場所から逃げていくのが見える。速人はそれに向かって発砲した。ニコがそれまで隠れていた木に銃弾が連続して当たる。
新しく現れた男はニコを追おうとする。
「追う必要は無いぞ。大して価値のあるやつじゃない」
男は振り返り速人の方を見た。ふんと鼻を鳴らし、地面を蹴って走り出す。速人の言葉は聞こえたはずだが、それに構わずニコを追いかけていく。
うまく逃げろよ。速人はそう思ったが、ほとんど心配していなかった。
数分間、そこで待っていると男は戻ってきた。
「ダメだ。姿を見失っちまった」
男は舌打ちしながら速人の足下にある死体を見ている。
「こいつのせいで二人やられちまったよ」
速人はそう言いながら自分の姿をしている死体を蹴った。男はその死体の顔をまじまじと見ていた。
「これは八尋ってやつだろ?」
「ああ、しぶといやつだったぜ」
速人はその死体を足で押しやり、池に落とした。池に落ちた死体に向けて銃を放つ。
「おいおい、もう死んでるぜ」
男は呆れたように言う。速人は池に向かって唾を吐き捨てた。
「とりあえず一度、戻るかな」
曖昧な言葉を男に向かって言う。具体的な場所は知らないのだ。
「お前はそれでもいいだろうな。でも、その前に報告しておけよ」
報告? 速人に緊張感が走った。まずい。意味がわからない。
「いや、ちょっとそれが難しいんだ」
不審に思われたら撃ち殺せばいい。速人は適当に答えた。拳銃の感触を確かめる。
「何だ? もしかしてスマホ壊れちまったのか?」
「そう、そうなんだ。思いっきりぶつけちまって。反応が悪くなっちまったんだよ」
「本部で新しいのに取り替えてもらえ。小言を言われるだろうけどよ」
「そういうわけだから、お前が代わりにしてくれないか?」
速人がそう言うと、男はじっと見返してきた。もしかしてまずいことを言ったのだろうか?
「別に構わないけどよ。俺にも手柄を分けてくれないか?」
どうやら大丈夫だったらしい。あらためてこいつらが研修中なんだということが頭に浮かぶ。
「いいぜ。二人で片付けたことにしよう」
男は笑みを漏らすと、懐からスマホを取り出して操作を始めた。どこかへ連絡しているらしく通話するように耳に当てる。
「金井です。えーっとランクDの八尋速人を殺害しました。ええ、そうです。B班の黒田と一緒です。こっちも二人やられました。はい、それでは失礼します」
よし。こいつの名は金井。自分はどうやら黒田という名前らしい。黒田。宿舎で最初に握手を求めてきたやつの名だと気付く。あの野郎か。
「ありがとうよ。これで俺も何とか合格ラインに達しそうだぜ。お前はもう余裕だろうからな。お前らの班はさっきも女を二人、生け捕りにしただろ? 俺はなかなか生け捕りができなくてよ。ついつい殺しちまう。生け捕りの方が評価が高いのはわかってるんだけどなあ」
速人は何気ない様子を装っていたが、その言葉に危うく反応しそうになる。
女を二人、生け捕りにしただと。
川井の言葉を思い出す。隠れ家にはニセ者の速人が現れたと言っていた。
間違いない。その二人とは茜と由紀だ。
金井は近くで倒れているシフターの死体を調べていた。
「こいつらのスマホがあるじゃないか。これで報告すればよかったろうに」
「それもそうだな。つい忘れていたよ」
金井が余計なことに気付く。速人は冷や汗をかいたが、さほど気にしていないのか彼の態度に変化はなかった。スマホを回収する様子もない。
「位置情報の死亡データも未入力だよな」
速人は曖昧に頷く。金井はスマホの操作を始めた。速人はそっと後ろからのぞき見る。
画面にはこの付近の地図が表示されている。黄色い光点が四つ。金井はその内の二つの点にタッチし、素早く何かを入力した。その点は青色に変わる。
「これでよしと」
なるほどね。速人は何となく仕組みがわかった気がした。青い点が動いた場合、人間が拾ったと判断するのだ。この状況で携帯を見付ければ必ず拾ってしまう。そうでなくても現代人は携帯がないとパニック寸前に陥るやつもいる。この罠はなかなか回避できないだろう。速人らにしても達也がそれに気付かなければ危ないところだった。
そして速人はある可能性に気付いた。この罠の仕組みはそれだけなのだろうか? 例えばこうだ。青い点になったスマホには正確な位置情報は表示されないように細工されているとする。そうすれば拾った人間は、間違った位置情報を見ながら敵に居場所が筒抜けになるだろう。何のメリットもなくなる。
まずいな。どうする? その時、久実の顔が浮かんだ。彼女は研修中にいつも助けてくれた。ポケットの中に手を入れる。よし、大丈夫だ。
死んでいるシフターから弾薬を探す振りをして、死体の着ている服の中に手を入れた。スマホの感触を確かめるとあらかじめ手にしていた小石で画面のガラスに傷をつける。
あまり無言でいるのもまずいだろう。適当に何か話さなければ。
「もうほとんどランクが高い獲物は残ってないだろ。あとは福永くらいか?」
恐らく自分たち以外はほとんどが殺されただろうと思い、速人は言ってみる。
「そうだな。もう数えるほどしか残っていない。みんなやっきになって福永を探してるぜ。やつさえ生け捕れば合格は間違い無しだからな」
その後も、速人は何とか金井に不審がられずに会話を続けることができた。
「とりあえずお前はスマホを交換しなきゃいけないんだろ? 俺も付き合ってやるよ」
「そうだな。女どもの様子でも見に行くか」
速人はなるべく好色そうな笑みを浮かべた。どういう反応が戻ってくるか? スマホを交換する場所と女たちが捕らわれている場所が同じなら……。
「おっ、そりゃあいいねえ。それでものは相談なんだがよ、俺にもお楽しみを分けてくれないか。二人いるんだからいいだろ?」
なるほど、捕まえた者に権利があるらしい。速人は頷いて了解の意を示した。
ここまではうまくいった。今から向かう場所に二人の女性が生け捕られていることは間違いない。そしてそれは恐らく茜と由紀だ。
池から少し離れた場所まで金井と歩いて行くと、オフロードバイクが一台停まっていた。
金井がそれにまたがる。速人はタンデムシートにまたがり、金井がバイクを発進させた。すぐに森を抜け、道路に飛び出す。このまま本部に向かうのだろう。速人は達也の顔を思い浮かべ、ニヤリとする。
『死んでみないか?』
池のそばで速人と達也が伏せて隠ていた時、達也が耳打ちしてきた言葉だ。この作戦は達也のアイデアだった。速人は達也の指示通り、三人の男たちを射殺した。油断しきっている男たちを殺すことは容易だった。達也はその後、ニコの元へ走り、代わりにニコが戻ってきた。問題は時間だけだった。銃声を聞いてすぐにでも新手の敵が現れるまでに、用意をしなければならなかったからだ。
そして銃撃戦を演出した。新しく現れた敵に見せつけるように。そして速人の姿をしたまま死んだシフターを使い、速人はニセ者のニセ者になった。敵にそれを認識させるには死体の顔をよく見せる必要があった。しかし死体を探られることは避けたかったので、顔を見せた後、池に落とした。
「これは賭けだ。バレる可能性も少なくない。俺たちはあいつらのことをよくわかってないからな。人間と簡単に区別できる何かがあって、一瞬でバレるかもしれない。でも、そうでなければ内部に忍び込めるだろう。危険を冒すのは速人、お前だ。やるかどうかはお前が決めてくれ」
達也が言った言葉を思い出す。速人は即座にその作戦を実行することを決めたのだった。
もしバレたら……。簡単だ。撃ち殺してやる。最初の一人さえ、騙せればうまくいく可能性はグンと上がる。もちろん内部に潜入した後、バレたらかなり危険なことになるだろう。
しかし何もしなければ、何も始まらない。どっちにしろ危険なのだ。いつまでも受け身でいてはいつかやられる。
それに時間があまりあるとは思えなかった。茜たちは今、恐怖に怯えているだろう。いつ殺されてもおかしくはない。それを考えれば、速人に選択肢はなかった。
バイクは猛スピードで走り続ける。速人にはどこへ向かっているか察しがついていた。やはり、この島に来て最初に来た場所、宿舎だった。久実の予想は当たっていたことになる。
バイクが停車し、金井と二人で宿舎の入り口へ歩いて行く。人影はまばらだった。恐らく外へ狩りに出かけているのだろう。それでも何人かはこの宿舎に残っているはずだ。
屋上を見るとヘリが見える。よし、思った通りだ。
中へ入ると、階段の近くに男が立っていた。金井が敬語で挨拶をする。その男の顔は見覚えがあった。研修所でさらわれた四人組の一人だった。二人はもう片付けたので残りは二人のはずだ。その内の一人。金井の話している感じからやはり研修生ではないのだろう。
「おう、黒田。お前は優秀だよな。作戦を立てて女を生け捕りにしたんだろ? お前の班の連中がさっき連れてきたぞ。チームワークもばっちりだな。バカなやつはすぐに殺しちまうし、自分の評価を上げることばかり考えてる。お前のようなやつは貴重だよ。今の姿は八尋速人か。ダウンロードはしたのか?」
何と答えれば正解なのだろう。速人にはわからなかったが、言い淀む暇はない。
「もちろんですよ。こいつのことなら何でもわかります」
「そうか。大したもんだよ、お前は。一応、後でダウンロードしたのか軽いテストがあるからな」
どこでも研修は同じだな。テスト、テスト、テスト。
しかしこの研修の点数は赤ペンではなく鮮血で記される。
教官とおぼしき男と別れると、金井は速人を促し階段を登った。足取りは軽い。
「さあ、約束通り俺にも女どもを楽しませてくれよ」
こいつはかなりの好色らしい。それともこいつらはみんなこうなのだろうか。
二階の廊下を二人で歩いて行く。あるドアの前で速人の鼻は異臭を感じ取った。この匂いは……。思わず立ち止まってしまう。
「すげえ匂いだな。楽しんだ後、まだ片付けてないんだろうよ」
金井が薄笑いしながら言った。
速人はドアを開ける。鍵はかかっていなかった。
そこには女性が三人倒れていた。一人の首はあらぬ方向に捻れている。三人とも全裸で血まみれであった。三人とも生きているとは思えない。腹部を切り裂かれていたり、手足が本来あり得ない方向に曲がっている。部屋にはベッドが二つあったがシーツは真っ赤に染まっていた。
あまりに凄惨な場面に速人は吐き気を押さえ込んだ。無理矢理、口を歪めて笑いを作り出す。心の中で手を合わせた。
「まったくちゃんと片付けしとけよな」
シフターにとっては普通のことなのだろう。金井の口調はまるで〝読み終わった本は本棚に戻しておけ〟と言っているようだった。
ドアを閉め、わざとゆっくり歩き金井に先に歩かせる。人間は恐怖や焦りを感じると、つい動きが雑に速くなる。速人は内心の焦燥感を抑え、ゆっくりと慎重に歩いた。
角を曲がると前方にM4カービンを持った男が椅子に座っているのが見えた。横にドアがあるので見張りなのだろうと見当をつける。
金井はそのドアの前で止まった。
「黒田か。お前が行った後、班の連中も出て行ったぞ。お前らの班はいいよな。全員合格は間違いなしだろ。俺も早く交代して狩りに行きたいぜ。おっ、金井もいるじゃねえか。珍しいなお前が誰かと一緒なんてよ。班のやつらはどうした?」
「廃校で半分くらい死んじまった。後は知らねえ」
「相変わらず一匹狼なやつだな」
どうやら金井は廃校を襲ったメンバーの一人だったらしい。その後も見張りと金井は話を続けていたが、速人はそれを遮るようにドアに手をかけた。
「お楽しみか? まだ女どもがDLを済ませてないから殺すなよ」
速人が頷くと、見張りは鍵を取り出しドアを解錠した。
薄暗い部屋の片隅に二人の女性が座っていた。
よかった。茜と由紀の姿をみとめた速人はすぐにでも駆け寄りたかったが、それを抑えてゆっくりと近付いた。
「速人……なの?」
茜の声に思わず答えそうになるが、何も言わないでおく。
「残念でした。八尋速人はもう死んでるぜ。こいつは、に、せ、も、の」
速人に続いて部屋に入ってきた金井が面白がるように言った。
目の前にいる茜の表情が蒼白になる。由紀は大きく目を見開き、そして観念したように下を向いた。
そんなにがっかりするな。速人はすぐにでもそう言いたかった。
次の瞬間、茜が飛びかかってきた。拳を握りしめ速人の顔面に向かって突き出す。速人が意外に思うほどスピードが乗ったパンチだった。しかし速人はそのパンチを軽く手の平で受け止める。そのまま腕を掴み、首を振った。
「おとなしくしろ」
茜はそれでも手足をバタバタさせ抵抗していたので、速人は無理矢理、彼女の体を右肩に担ぎ上げる。やめてよ、と茜が叫んでいるが速人はそれを無視した。
由紀も同じように抵抗していたが、金井に一発平手打ちを喰らうと大人しくなった。
「あんまり手荒なことをするなよ」
速人の言葉に金井が頷く。
「まだ殺したらダメだもんな」
ドアを開け、廊下に出る。茜はまだ叫んでいた。速人の背中を何度も両手で叩いている。
由紀は金井に突つかれるように自分の足で歩いていた。諦めきった表情をしている。
「しかし妙だな。なんでこの女、お前がニセ者だって言葉をすぐに信じたんだ?」
金井が不思議そうな顔をして呟く。確かにその通りだった。茜の行動は無理もないが、確かに金井にとっては不自然に思えるだろう。
「恋人だったらしいからな。どこか違いがあったんだろうよ。愛の力ってやつじゃないか?」
「それ、笑えるな」
金井はそう言いながら、その言葉の通り笑いはじめた。これからの楽しみに心奪われているのかそれ以上は深く考えなかったようだ。速人は内心で安堵した。
由紀と金井の後を茜を担ぎながら歩いて行く。本来、研修生が泊まるはずだった部屋がいくつも並んでいる。ドアが開いている部屋もあり、横目で見るとバッグなどの荷物が見えた。
その内の一つの部屋に金井は由紀と一緒に入った。速人もそれに続く。
「何だよ? 一緒にか? そういう趣味かよ」
「別に構わないだろ。お前だって二人とも抱きたいはずだ」
金井はそれを聞くと舌なめずりして、好色そうな目で担がれている茜の臀部と由紀を見た。
速人はドアの鍵をかけた。
茜をベットの上におろす。その部屋は先刻のぞいた惨劇の場と同じくベットが二つあった。茜と由紀が一人ずつベットの上に座らされる。茜は速人たちを睨み付けていた。
「最初はこのグラマーな方がいいな。いいだろ?」
下品な笑いをしながら金井が言う。
「待って。この子には手を出さないで。あたしが二人を相手にすればいいでしょ」
茜は由紀を庇うように隣のベットに移り、由紀と速人たちの間に入った。茜の体はブルブルと震えていた。震えながらも気丈に振る舞っている。
「お前なあ。そんなの聞くわけねえだろうが。どうせお前らはもうすぐ死ぬんだからよ。別に減るもんでもねえだろ」
金井は茜の言葉に全く耳を貸さない。むしろその勇気を嘲笑するような態度だった。
「死ぬのはお前だよ」
金井がその言葉を聞いて、振り返るより早く速人は銀のナイフを彼の後頭部へ突き刺した。すぐに口を押さえる。叫び声がそこから漏れてくるが、速人は構わずナイフを奥深くへと捻り込む。そしてそれを一気に引き抜くと、後ろから膝裏に強烈な蹴りを放つ。金井の体は顔面から床に倒れ込む。速人は金井の髪の毛を掴み、首筋を露わにするとそこにナイフを当てた。思い切りよく横に一閃。そのまま顔面を床に力一杯叩きつけた。立ち上がり、頭を踏みつける。
何が起こっているのかわからずに呆気にとられている茜と由紀に向かって速人は顔を向けた。ふうっと小さく息を吐きながら笑いかける。
「速人……速人なの?」
「本物のね」
茜が速人の胸に飛び込んだ。しっかりとお互いを抱きしめた後、彼女は体を少しだけ離して速人の顔をじっと見た。安心したのか、一瞬のうちに茜の瞳から涙が大量に流れ出る。すぐにまた顔を速人の胸に押しつけた。言葉が何も出ないようで、ただ嗚咽を漏らしていた。
茜を抱きながら速人は由紀の方を見る。由紀も涙ぐんでいたが、さっきまで気丈に振る舞って自分を庇ってすらいた茜の姿を見て、自分の感情を爆発させるタイミングを逸したようだった。
速人は由紀に向かって頷いた。それが契機となり由紀も抱き付いてきた。速人の体に茜が抱き付き、茜の体に由紀が抱き付いている形になっている。
ゆっくりと速人は茜を引き離した。本当はずっとこのままでいたいものだが、そうもいかない。ここは敵地なのだ。茜の顔は涙で濡れてグシャグシャだった。顔を手で拭いながら彼女は笑った。
「二人とも無事でよかった。一応、聞いておくが二人とも本物かい?」
半分は冗談だった。まずは一旦、落ち着かせること。速人は戦場でそれを学んでいた。
それを聞いて茜も由紀も苦笑する。
「それって抱き付かせる前に確認すべきじゃないの?」
茜が泣きながら笑って言う。由紀も同じような表情だった。
「だって茜は銀のネックレスしてるじゃん。由紀ちゃんは……。本物?」
「だったら八尋さんだって本物かわからないじゃないですか」
由紀の体はまだ少し震えていたが声ははっきりとしてきていた。
その言葉に速人は笑いながら新しい銀のナイフをポケットから取り出す。
「じゃあテストしてみる?」
茜が首を振った。
「ううん。そんな必要ない。あなたは速人だわ。あたしにはわかるもん」
そう言って茜は速人の頬にキスをした。その後、両手で速人の顔を包み込む。
「わたしはずっと茜さんと一緒でした。茜さんが本物ならわたしだって本物ですよ」
うんうんと茜が同意する。
元から疑っていたわけではなかった。ただこの一連の会話で、彼女たちの精神を少しでもほぐそうとしただけだ。多少は成功したらしい。二人とも何とか笑えている。何かをされる前に救い出せて本当によかったと速人は安堵する。
「茜ってさ、複数プレイとか好みなのか?」
茜も由紀も怪訝そうな顔で速人を見ていたが、すぐに茜が意味に気付き速人を睨む。
「そんなわけないでしょ! この大馬鹿者」
そう言って速人の胸を小突いた。由紀は呆れた顔している。
ちょっとこれは余計な一言だったみたいだ。しかし非日常的な状況での、場違いな冗談は精神における清涼飲料水のような役割を果たす。
二人が落ち着いたのを見て取ると、ここまでの経緯を手短に説明する。久実の死を伝えた時は二人とも落ち込んだようだった。しかしこれで終わりではないのだ。ここから脱出しなければならない。速人は二人に計画を説明した。
まだこの場所に着いてから三十分も経っていないだろう。計画を進めるにはまだ早過ぎる。
頼むぞ、ニコ、達也、川井。
後は合図だ。ぐるっと部屋を見渡す。
「もう少し、ここにいなけりゃいけないな」
速人はそう言って鍵をかけたドアを見つめた。




