第42話
茜は黒いSUVの後部座席に由紀と一緒に座っていた。向っている先は全くわからない。隠れ家でシフターに捕まり、そのまま無理矢理この車に押し込められたのだった。助手席に座る男がこちらに銃を向けていた。ニヤニヤと笑いながら時折、何か話しかけてくる。
茜の心は恐怖で一杯だったが、それに押しつぶされないように必死で違うことを考えていた。
大丈夫。速人がきっと助けてくれる。それを一心に願うが、やはり怖いものは怖い。これから何をされるのだろう? 隣の由紀はずっと震えている。密着しているので由紀の体の震えが茜にも感じ取れたが、同時に自分も震えていることに気付く。お願い、早く助けて。
隠れ家から逃げようとして裏口のドアを開けた時、目の前に自分がいた。正確には自分に化けたやつがいた。何が何だかわからなかった。久実が駆けつけてそのシフターの頭を撃ち抜いたが、そいつは一人ではなく、すぐに茜と由紀は羽交い締めにされた。必死で抵抗したが、腕力で勝てるわけもなく、あっさりとこの車に放り込まれた。すぐに体中を探られ、持っていたナイフは取り上げられた。
久実ちゃんはどうなったのだろう? 茜たちが捕まっていた時、彼女は助けに来ようとしたが、周囲にたくさんの敵がいるのを見て逆方向へ走っていった。彼女の判断は正しいと思う。あのまま助けに来ても殺されるか、捕まっているのが二人から三人になっていただけだっただろう。何とか、速人らと合流して欲しい。
そして彩ちゃん。自分をかばって銃弾を受けた彩菜の顔が茜の脳裏をよぎる。彩菜はそのままあの場所に倒れているのだろう。それを思うとどうしようもなく悲しい気持ちになる。
そのうちに車は目的地に到着したようだった。研修施設のはずだった宿舎の駐車場にSUVが滑り込む。
宿舎の入り口には何人かの男女がたむろしていた。
茜と由紀は引きずり出されるように車から降りる。銃を突きつけられ建物の入り口に向かって歩くよう促される。周囲にいた男女から賞賛の声があがっていた。冷やかすような声も聞こえる。
今更ながらに、とんでもない怪物たちが相手なんだと茜は実感した。隣の由紀を見ると今にも泣き出しそうな顔で唇を噛んでいる。
「おっ、西川じゃないか」
声のする方を見てみると、速人たちの担任教官であった逸見の姿があった。満面の笑みを浮かべて茜と由紀を眺めている。
「お前にはな、チャンスはあったんだぞ。この研修に来なければこんな目にはあわなかったのになあ。でも、どうせ帰るところなんてないか。誰も待ってないんだからちょうどよかったのかもな」
逸見は由紀に向かって、ひどい言葉を明るい口調で言った。
茜はその逸見の口調が心底、恐ろしかった。彼は殊更、由紀を傷付けようとしているのではないのだろう。ただ淡々と思ったことを口にしているだけのようだった。だからこそ、それが恐ろしい。
姿形は同じでも全く違う生き物なのだ。人間は決してゴキブリには同情しない。余程の物好きでもなければ。それと同じように彼らも人間には同情しないのだろう。
「もう一人はうちのクラスの八尋と仲がよかった上本だよな。どれどれ」
そう言って逸見は自分の携帯を取り出し、何か操作をする。
「どうやら、お前の彼氏はまだ生きてるみたいだ。何の報告もあがってきていない」
よかったな、と言わんばかりである。
その言葉に茜は少しだけ安心したが、逸見はすぐに人差し指を振って、茜と由紀を宿舎の内部に連れて行くように指示を出した。
茜たちは宿舎の二階の一室に放り込まれた。鍵を施錠する音が聞こえる。ドアの外には見張りが一人椅子に座っていた。
その部屋は何もなかった。天井に近いところに横三十センチ縦十五センチほどの小さな窓が一つだけある。蛍光灯が二本ほど設置されていたが、 全体的に薄暗い。
部屋の片隅に座っている人影を見付ける。どうやら先客がいたようだった。茜は恐る恐る近付く。そこには涙で目を腫らした女性が怯えた様子で膝を抱えていた。
茜はその顔に見覚えがあった。研修所で一緒だったはずだ。女性もそれに気付いたようで少し安心した様子だった。二言三言、交わしているうちに同じ境遇であることがわかる。
「この部屋には、もっと人数がいたのよ」
彼女はボソボソと小さい声で話した。
「わたしを含めて三人が連れてこられたの……」
茜は後の二人がどうなったのか聞きたくなかった。嫌な予感しかしない。
「何をされたの?」
「数時間前に三人とも別の部屋に連れて行かれた。その部屋には女しかいなかったわ。一人ずつ頭を指で掴まれた。それが終わったら目の前に自分がいた。そしてわたししか知らないようなことを話し始めたの。子供の頃の話とか。その後、またこの部屋に戻された。あなたたちが来る少し前に、男が三人来て品定めをするようにわたしたちを眺めた後、わたし以外の二人を連れて行ったの」
茜は由紀と顔を見合わせた。久実の話にでてきた〝ダウンロード〟に違いなかった。
「これって一体何なの? なんでわたしそっくりなのがいるの?」
女性の質問に答えようとした時、ドアの外で複数の足音と笑い声が聞こえた。
その音はドアの前で止まった。ガチャガチャと鍵を開ける音が続く。ドアが開いた。
入ってきた男たちは茜と由紀をチラリと見たが、素通りし、もう一人の女性に一直線に向かって進んだ。
彼女は腕を掴まれ狂ったように泣き叫んだが、男の一人が殴りつけると気を失った。別の男に担がれる。
「間違えるなよ。新しい二人は黒田たちがさらってきた女だからな」
見張りをしていた男が部屋の中にいる男たちに向かって言った。
「わかってるよ。だが、いい女だな」
下卑た目で茜を見て、舌なめずりしながら一人の男が答えた。
ドアが乱暴に閉められ、また施錠する音が無情に響く。
「わたしたちどうなっちゃうの?」
由紀が震えながら言った。
茜は答えるべきか迷っていた。茜には今、目の前で連れ去られた女性が何をされるかが予想できた。彼女はこれからあの男たちに犯されるのだろう。そして自分たちにも同じ運命が待っているのだ。そしてそれはそんなに先のことではないはずだ。
さっきの話だとまず〝ダウンロード〟され、そしてその後、男たちに連れて行かれる。
受け入れがたいが、まず間違いないだろう。
茜自身も怖くて仕方がなかった。泣き叫びたかった。
でもダメだ。諦めちゃいけない。
彩ちゃんが身を挺して守ってくれた。
久実ちゃんは一人で色々なことを抱えて戦い続けた。あたしには速人がいる。
自分の恋人の左腕に彫られた入れ墨の文字を思い出す。
NEVER SAY NEVER。決して諦めるな。
「由紀ちゃん。怖いよね。あたしも怖いよ。凄く怖い。でもね、まだ諦めないで。速人たちがきっと助けにきてくれるから」
由紀の質問には直接、答えずに茜は言った。そのまま由紀の首に手を回し彼女の小さな体を抱きしめる。二人ともビクビク震えていた。由紀は耐えきれずに涙を流しはじめる。
「怖い。怖いよ。茜さん」
茜は黙って、由紀の頭を撫で続けた。
今、声を出したら自分の声も涙声になると彼女にはわかっていた。




