第37話
速人らが外へ出た後、茜は自分の首にかけている銀のネックレスを眺めていた。
あの人が初めてくれたプレゼント。これからももっと貰いたいし、自分もたくさん何かをあげたい。だから必ずこの島から抜け出さなきゃ。銀で作られた十字架を指でなぞる。
「皆さん、ちょっといいですか?」
川井の声で茜は十字架から目を離した。
「僕が今、生きてるのは仁科さんと八尋さんのおかげです。もしもですよ、皆さんが逃げなきゃいけない事態に陥ったら、僕のことに構わず逃げてくださいね。もう自分のせいで誰かを危険な目に遭わせたくないんです」
確かに川井は一人では逃げられない。速人たちがいない今、もし敵に襲われたら困った事態になるだろう。川井は小柄だが、女性陣では彼を担いで逃げることは難しい。
「そんなこと言わないの。みんなでここから逃げるのよ」
茜はそう言ったが、川井は即座に首を振った。
「昨日、八尋さんは僕を助けに来てくれました。あの教室は怪物に囲まれていたんですよ。茜さんも相当、心配だったと思います。僕のせいで八尋さんはわざわざ危険をおかしたんです。あの時は怖くて何も考えられませんでしたが、一晩考えてたんです。色々と気付かされました」
川井は下を向いて申し訳なさそうに話していた。
確かに茜は一瞬だが、速人が川井を助けに行こうとした時、行かないで欲しいと思った。でも、それは無理なことだというのもわかっていた。彼はそういう男なのだ。元々の性格、それに加えて過去の経験。色々な要素が彼をああいう行動に駆り立てているのだろう。
「川井君が責任を感じることじゃないのよ。速人はああいう人なの。それにあの時はあなただってみんなを逃がそうとしたわけでしょ。あなたも立派よ。確かにさ、あたしは心配だった。でもね、仕方ないのよ。そういう男に惚れちゃったんだから」
「そうだよ。川井君だって立派だよ。八尋君はきっと自信があったんじゃないかな。とにかくあなたも無事。八尋君も無事だった。それでいいじゃない?」
彩菜が殊更に強い口調で言う。昨夜と違って彩菜はとても元気だった。
「でも、川井君の言うことも一理あるわね」
久実が冷静に呟いた。
「だから、こうしたらどう? 川井君には二階の押し入れに隠れていてもらう。もちろんあの三人が帰ってくるまでよ。わたしたちが逃げなければならなくなった時は、そのまま隠れていて。わたしたちはあなたを置いて逃げるわ。そうすれば、どっちかが助かるかもしれないでしょ」
久実の提案は川井を納得させたようだった。茜は少し川井が気の毒に思ったが、実際、彼を担いで逃げるわけにはいかないのだ。それに彼を目の前にして置いていける自信もなかった。
それに久実の提案は、ほとんどは川井を納得させるためのものだと茜にもわかっていた。すぐにあの三人は帰ってくるのだから。
「それでいきましょう。申し訳ないですが、ちょっと手を貸してください」
茜は彩菜と一緒に川井に肩を貸して二階に連れて行った。速人が寝ていた部屋の押し入れに彼を入れる。何事もなければこの処置に意味はない。何事もないことを茜は祈った。
一階に戻ると、由紀が自分の服についた埃を一生懸命にはたいていた。
「もう、いやになりますね。着替えがないし」
五月に入ったばかりだがこの島は暑い。みんなTシャツにジーパンやチノパンなどの軽い服装だった。速人だけはウインドブレーカーをはおっている。もちろんこんなことになるなんて思っていなかったので誰も着替えなど持っていない。
流石にそろそろ着替えたいものだ。茜はそう思った時、あることに気が付いた。
「服はコピーできないよね?」
シフターは人間に成り代わることができるらしい。でも服は別じゃないのか。だって生き物じゃないし。
三人は顔を見合わせた。
普段であれば何の意味もないことだ。しかし幸か不幸か今は着替えすら出来ない状況である。ずっと同じ服を着ているのだ。今の状況では顔や体と同じく個性の一つだった。殺して服を奪わない限り、完璧に成りきるのは無理だろう。
速人たちが出て行って三十分ほどが経過した。
時折、二階に上がりそっと外をうかがったりして茜たちは彼らを待ち続けた。
「あっ、八尋君だよ」
二階から外を見ていた彩菜の声が聞こえた。茜もそっと二階に上がる。
彩菜が窓から身を乗り出して、外を見ていた。
慌てて茜が彩菜を引っ張る。その際、一瞬だけ外の様子が見えたが、確かに速人の姿があった。しかし相手は変身が出来る化け物なのだ。彩菜の行動はあまりに無警戒すぎる。
「彩ちゃん、駄目だよ。危ないって」
「でも服装が同じだよ。きっと本物の八尋君が戻ってきたんだよ」
茜はそっと外を覗いてみたが、彩菜の言う通りだった。でも他の二人はどうしたのだろう?
二人で一階に戻り、待っていた久実にそのことを話す。
「八尋君だけなの? 福永君やニコ君は?」
「いないみたい。後から来るのかな? 服は出て行った時と同じだったよ」
久実の質問に彩菜が答える。
その時、何かを叩く音が聞こえた。不思議なことに出入りに使っていた裏口ではなく表の玄関からその音は聞こえてきていた。
久実が拳銃を握り直す。そっとその扉に近付き、声をかける。
「八尋君なの?」
「ああ、そうだよ。鍵を開けてくれ」
声は確かに速人のものだった。
「ニコ君や福永君は?」
少し間があった後、玄関の外から答える声がする。
「ちょっとはぐれちゃったんだ」
どうやら速人は一人でここに戻ってきたらしい。服は一緒でも何かがおかしい。
その時、茜の脳裏にある記憶が甦った。宿泊施設の駐車場で集合した時。記念写真。出かける時にみんな写真を撮られていた。
「服は意味がないかも。出かける時に写真を撮られたわ」
そっと久実の耳元で囁いた。
まったく同じ服である必要はないのだ。色や種類が合っていればそれでいい。それぐらいは用意できるはずだ。こんな状況で正確に服を判別できるとは思えない。
ニセ者だとすれば、さっき彩菜が窓から顔を出した際にそれを見たのだろう。
「川井君は一緒じゃないの?」
茜が外に向かって問いかけた。
「あいつともはぐれちゃったんだよ。とりあえず早く開けてくれないかな」
久実が拳銃を玄関に向けた。片手で茜らに向かって裏口へ行くように促す。
「めんどくせえ。蹴破っちまえよ」
なかなか開かない扉に業を煮やしたのか、外から速人とは別の声が聞こえた。どうやら外にいるのは一人ではないらしい。彼らが敵なのは間違いなかった。
茜らが急いで移動しようとした時、大きな音がして玄関が吹き飛んだ。ガラスの破片が飛び散る。
「早く開けろって言ったじゃないか」
そこに立っていたのは、間違いなく速人の姿をしていたが、顔は邪悪な薄笑いを浮かべていた。茜の知る速人はそんな顔はしない。
久実が手にしていた拳銃を撃った。ニセ速人は素早く玄関の脇へ隠れる。
その逆側から黒い筒状のものが現れるのを、茜の目は捉えていた。
銃口だった。自分がその直線上にいることに茜は気付く。瞬間的に恐怖を感じたが、それより早く銃声が鳴り響く。茜は衝撃を感じたが、それは撃たれたものではなかった。
寸前で彩菜が茜を突き飛ばしていた。二人とも別々の場所に倒れ込む。
「バカ野郎、撃つんじゃねえよ。生け捕りにするんだから」
「だって銃を持ってるぞ」
そんな声が外から聞こえてくる。
久実が何発か玄関に向けて発砲した。
「彩ちゃん、ありがとう。助かったわ」
茜はそう言った後に気が付いた。倒れている彩菜の背中が血に染まっている。
彩菜は撃たれていた。背中から二発。
茜は這って、彩菜の元へ向かう。
彩菜はもう虫の息だった。口から血を吐き出し、消え入りそうな目で茜を見ていた。
「茜さん、大丈夫だった?」
絞り出すように彩菜が言った。
茜は何度も頷いた。
「あたしは大丈夫だったわ。あなたのおかげよ」
「そう、よかった」
自分の代わりに彩菜が死に瀕している。茜はその事実に愕然とする。
茜は久実の方を見る。久実は銃を玄関に向けながら、茜たちを見た。
彩菜の両目は閉じたり開いたりしていた。呼吸は今にも止まりそうだった。
「やっぱり、伝えておいてよかった」
その言葉を最後に彩菜は目を閉じた。
「彩ちゃん……」
茜は彩菜の血だらけの体を抱きしめた。
久実が素早く近寄ってくる。彩菜の脈を確かめると小さく首を振った。
「早く由紀ちゃんと裏口から逃げて、わたしがここで食い止めるから」
久実は玄関を睨みながら、茜に言った。
「早く行きなさい。彩ちゃんの死を無駄にしないで」
動けなくなっていた茜はその声で我に返る。
ごめん、彩ちゃん。ありがとう、彩ちゃん。
後ろで蒼白になって固まっていた由紀を引っ張り裏口へ向かう。
玄関の方は久実に手を焼いているのか、何も物音がしなくなった。
とりあえずここから逃げなければ。
速人たちはすぐ近くに来ているかもしれない。
彼らはどっちへ向かった? 道路を渡って……。
ダメ、考えられない。
そして茜は裏口のドアを勢いよく開けた。
ドアを開けた先には一人の人物が立っていた。
そこに人がいるのにも驚いたのだが、それよりももっと衝撃的なことがあり茜は固まった。
えっ、何これ?
その人物は驚いている茜の額に拳銃の銃口を押しつけた。
銃声が鳴り響き、由紀が大きな悲鳴をあげた。




