第32話
川井を車から降ろした後、速人は色々な場所で一時停止を繰り返し、頃合いを見て車を森の中に停めた。素早く車を降り、その場を離れる。ここから皆が隠れている家までは数キロ程は離れているはずだった。本当は果てしなく遠い場所に捨てておきたいが、そうすると戻るのもかなりしんどくなる。このあたりが丁度いいだろうと考えてのことだった。
もちろん、車には何の追跡装置も無く、全てが無駄だという可能性もあった。しかし速人はその可能性に皆の命を賭ける気にはなれなかった。何から何まで仕組まれていたのだ。いくら用心しても足りないと彼は思っていた。それに加えて、川井と一緒に逃走している時、車の中で無線から流れた会話の内容が速人を不安にさせていた。川井にはまだ誰にも言わないよう頼んでおいた。
速人は頭を一つ振って、雑念を振り払った。今の目的は、みんなと合流すること。
優秀な兵士の例に漏れず、速人も地形や道を覚えるのが得意だった。デタラメに走っていたように見えて頭の中では簡単な地図を描きながら車を走らせていたのだ。そのおかげであの空き家の場所はよくわかった。
もう夜の八時を超えていた。街灯などないので辺りは真っ暗だ。これなら大丈夫だ。夜の闇は敵の姿もわからないが、自分の姿も隠してくれる。そこまで考えて、あることに気付いた。普通の眼球を持つ相手ならこの暗闇は自分にも味方してくれるだろう。でも、もしやつらは闇でも見える目をもっていたら……。一瞬、体が固まったが速人は自分の考えを打ち消した。それならそれで仕方ない。
速人は気配を完全に消しながら闇の中を素早く移動した。途中、何度か銃声を耳にしたが目指す方向とは逆だったので無視することにする。とりあえず今は戻ることだ。自分たちの他にも研修生はいて、同じように生命の危機に瀕しているのは確かだったが、今は考えないことにした。
茜の笑顔が急に脳裏に浮かぶ。今頃はさぞかし心配しているだろう。大丈夫、俺は今、君の元へむかっているよ。速人は脳の中の茜に向かって言った。テレパシーってやつが存在するならいいのに。残念ながらその能力は彼にはないようで、茜からの返信はなかった。
物陰から物陰へ。音も無く速人は移動し続ける。感覚は鋭敏に研ぎ澄まされ、どんなものも感じ取れるようだった。運が良かったのか、速人は敵には全く遭遇せずに目的地の空き家の前に辿り着いた。
さっき川井を降ろした場所だが、みんなは無事にここにいるのだろうか。川井には誰もいなかった場合は中で隠れていろと言っておいた。速人は一旦、止まって中の様子を覗うことにした。
三分も経たないうちに、速人には中に誰かがいることがわかった。超能力者ではないので、気配がいくつあるとかまではわからない。しかし確実に中には誰かがいる。
家の後ろ側に回ってみると裏口と思われるドアがあった。ニコならここから入るだろう。そう判断した速人はゆっくりとドアに近付き、それを開いた。
中に入ると誰の姿も見えなかったが、誰かに見られている感覚があった。
「速人か。無事で何よりだ」
ニコが暗がりから姿を現した。同時に銃口を下に向けるのが見えたので暗闇からジッと狙っていたのだろう。ドアから入ってくる気配を見逃すほどニコは甘くない。
「みんな。大丈夫だ。速人のお帰りだぜ」
ニコの声に呼応して、みんなが姿を現した。
「ただいま。パパが帰ってきたよ」
我ながら使い古された冗談だと思いながら速人は軽口を叩いた。その冗談が終わらないうちに速人の体に茜が飛び込んできた。ほとんどタックルに近い。
「よかった。本当、よかった」
茜は両手で速人の頬を包んだ。暖かさが心地よい。速人は茜を抱き寄せ、頬ずりした。どうしてこんなに暖かくて気持ちがいいんだろう。ずっとこうしていたいと思ったが、久実の視線で彼はあることを思い出した。
「ニコ、銀のナイフ持ってるか?」
ニコは無言で頷き、右手でそれを前に出した。
速人はニコの前に左手を差し出す。ニコは躊躇いなく刃を腕に当てて軽く横に払った。
「本物だろ?」
「最初から疑ってないけどな。あんな下手な冗談をいうやつはお前くらいだから」
達也が速人の肩を叩きながら言った。
聞けば久実の提案で川井も同じテストをされたようだった。計画では帰ってきた時、このテストをしてから速人に近付くことになっていたのだが、茜は速人の姿を見た瞬間、動いてしまったのだ。
「まったく、茜ちゃんには困ったものだわ。今回は本物だったからいいけど偽物だったら大変なことになるのよ」
怒っているのが半分、呆れているのが半分といった口調で久実が言った。
茜は首をすくめて謝罪の言葉を発している。由紀や彩菜もほっとした顔をしている。
「八尋さん」
川井が足を引きずりながら、速人に近付いてきた。
「うまくいったね。君は大したことをやってのけたよ」
「やってのけたのは八尋さんですよ。僕はただ助けられただけです」
そんなことはない。速人は彼が仲間のために命を捨てようとしたのを知っている。そしてそれは誰にでもできることでは無いことも知っていた。君は自分が思っているより凄いんだぜ。
速人は両手を広げて川井に抱き付いた。川井は意味がよくわからないようだったが、同じようにした。速人が力を込めて川井の背中を叩いた。川井はむせたような声を出す。
「これでおまえも戦友ってわけさ」
ニコが優しい目をして川井に向かって言った。川井は疲れた顔をしていたが、笑顔でそれに応えた。
再会が一段落したところで達也が速人に尋ねた。
「車に乗ってたんだろ? 例の無線から何か聞こえてこなかったか?」
速人は一瞬、ドキリとしたがなるべく平静を装って首を振った。
「大したことは何も。胸くそ悪くなるような通信ばかりだったよ」
チラリと川井の方を見ると、小さく首を一度だけ降るのが見えた。どうやら彼は約束を守ってくれたらしい。達也はその答えには、特段何の反応も示さなかったが、全員に向かって声を出した。
「ちょっと聞いて欲しいことがあるんだ。速人は仁科君を隠した時の無線を覚えてるか?」
あの時は怒りと悲しみで、かなり感情的になっていたのは確かだった。速人は記憶の糸をたぐる。たしか、五人殺害して二人生け捕りで……。
「俺は内容をはっきり覚えてるんだ。あの時、何か違和感を感じた。違和感の原因には気付いたが、それが意味することがよくわからなかったんだ。でも、さっきニコと話していて何となく話が読めた気がする。あの時、逸見はこう言ったんだ。『五人殺害、二人を捕獲している。あと残りは四十人足らずだ』ってな。俺たち研修生は何人ここに来たんだっけ?」
「たしか五十人ぴったりだったはずよ」
久実がすかさず正確な数字を出した。それは間違いなかった。
速人も達也の言わんとする違和感に気付いた。周りのみんなも大体は察しがついたらしい。
「五十人から七人引いても四十三人残ってるはずだろ。四十人足らずってのはおかしい。速人さ、四十人足らずって言われたら何人くらいを想像する?」
「三十七、八人ってところかな。少なくとも四十三人とは思わないな」
「俺はそれが気になってた。そこでだ、さっきの廃校であの女は何って言ってた? 俺はニコからそれを聞いてある推測を立てたんだ」
涼子に化けたシフターは速人とニコを吹き飛ばした後、何かを言っていた。
「たしか『自分が殺しちゃいけない』とか何とか言っていた。『研修生では歯が立たない』とか」
話しながら速人は、川井を助けに行った時、自分が思っていたことを考えていた。恐らく達也も同じ結論に達したのだろう。しかし、速人は話はそれだけではないような気がしていた。
「つまりヤツはシフターの研修生ではなかったんだ。多分、やつらの上に位置するんだろう。研修を監督している方だと思う。そして、そいつは涼子ちゃんに化けていた」
「もしかして最初から私たちの中に入り込んでいたってこと?」
それまで黙って聞いていた茜が言った。
「その通り。俺たちは五十人いたわけじゃないんだ。引き算が間違ってるわけじゃなく、元の数字が違ってるんだよ。さっき速人が三十八人くらいだって言ったけど、仮にそれが当たりだとしよう。そうすると研修生は四十五人だったことになる。つまり五人は敵側ってことだ。一人は涼子ちゃんに化けていた。残りは四人だ。四人。この人数を聞いて速人は何か思わないか?」
速人は研修所のある夜のことを思い出した。さらわれた四人。すっかり変わっていた四人。小さく溜息をつく。物事には大抵の場合、意味があると言うが、これに関しては全く無意味なものであって欲しかった。
この話を知っているのは、達也と今は亡き仁科だけだった。達也が手短に速人が目撃した深夜の誘拐劇の内容をみんなに説明した。茜などは、研修が始まった頃にその男たちに付きまとわれた経験があったので他より余計に驚いたようだった。
「お前は寝ぼけていたわけじゃなかった。あいつらは何か知ってしまったんだろう。それで成り代わられたんだ」
みんなは近くの人間と顔を見合わせて何か話していたが、速人は達也の推測を全面的に信じた。ちくしょう、うんざりだぜ。ニコを見ると同じことを思っているのがわかった。あれだけ強いのが四人残ってるのか。
「最初からハンデ付きだったんだな」
ニコが苦虫を噛みつぶしたかのような顔で言った。
「でも、涼子ちゃんといつすり替わったんだろう? 研修所からだとすると私たちはずっと怪物と一緒にいたってことだよね」
彩菜が眉に皺を寄せて、情けない声を出した。無理もないだろう。同室の彼女は文字通り寝食を共にしてきたのだ。実はそれは怪物だった、と聞かされればそんな声も出るだろう。
「そう言えば、わたしがこの島に来るのを悩んでいた時、涼子さんにやたらと一緒に行こうって勧められたんです。何となく強引だったのを覚えています。今、思えばですけど。もしかして最初から涼子さんなんていなかったのかな。初めから怪物だったのかな……」
由紀も彩菜と同じように力の無い声で言った。
「これは願望だけど、俺はそうじゃないと思う。俺たちの友達だった涼子ちゃんは確かにいたはずだよ。美人だけど、さっぱりしてて最高の女性だった。いつからなのかは正確にはわからない。けど、研修中のどこかで彼女はやつらにさらわれたんだ」
達也はいつもの飄々とした態度をかなぐり捨て言い放った。いつの間にか目は真っ赤になっていた。それを見て速人は達也が涼子のことを特別な感情で見ていたのを悟った。
仁科と涼子。短い間だったけど、友達だった。いい人たちだった。彩菜が声を上げて泣き出した。由紀と川井もそれに釣られて泣き始めた。闘争と逃走を繰り返して麻痺していた現実感に打ちのめされているようだった。茜を見ると、目を真っ赤にしながらも号泣するのは耐えているようだった。元軍人で冷静な久実も沈痛な面持ちで下を向いていた。
速人自身と言えば、心情的には皆と同じだったが戦闘で仲間を多く失っていた経験から、かろうじて感情が爆発するのを押し殺していた。ニコも同じなんだろうと思う。
全員が疲れ切っていた。このままでは体力がどんどん無くなって、逃げることすらままならなくなってしまうだろう。そう判断した速人は、みんなに寝ることを提案した。何にせよ、一度リセットすべきだ。体と心、両方とも。
「俺とニコが交代で見張る。こんな時に寝られないかもしれないけど、少しでも体を休めておいた方がいい。いざという時、体が動かなくなっちゃうから」
速人がそう言うと、静かに達也が横になった。久実もその近くに横になった。それに続くように彩菜や由紀も座り込む。何故か川井は押し入れのなかに入った。速人が理由を尋ねると子供の頃から押し入れが大好きだという。
「二階から周囲を警戒できる。最初は俺が見張ろう。速人も少し休むといい」
ニコの言葉に素直に聞くことにする。休める時は休め。大切なことだった。
「じゃあ、俺も二階で休む。二時間経ったら交代しよう」
「あたしも二階にいる。一緒でいいでしょ?」
茜の言葉に速人は頷く。ニコは肩をすくめて了解の意を示した。
まず唯一の入り口であるドアの前にテーブルや椅子を押し当て、簡単にはドアが開かないように細工する。これで誰にも気付かれずに侵入されることはないだろう。
速人たち三人は古びた階段を登っていく。古くはなっているが、とても二十年間放置されているとは思えなかった。この家全体がそうだった。そこで速人は気付いた。この島に関することはすべて、やつらから得ている情報なのだ。恐らくほとんどが嘘なのだろう。場所だって違うはずだ。島の歴史も恐らくは全然違うものなのだろう。
二階には部屋が二つとトイレが一つあった。その内の広い方の部屋に速人は向かった。ニコはもう一つの部屋に入る。一階は全ての雨戸が閉まっているが、二階からは幾つかの窓から外を見渡せるようだった。ニコが入った部屋を覗くとボロボロになったカーテンの間から、ニコが外を警戒しているのが見えた。
速人はその部屋に入ると、すぐに横になった。軽く目を瞑ると、真横で茜が同じように横になったのが感じられた。
「ねえ、速人」
「うん?」
「あなたと川井君、何か隠してるでしょ?」
いきなりの質問に、速人は驚きを隠せなかった。思わず目を開けて茜の方を向いてしまう。
「隠そうとしてもムダよ。達也君が車の無線のことを聞いた時、あなたの様子が一瞬だけおかしくなった。そして川井君の方を見たわ。彼もそれに反応してた」
参ったな。速人は茜の洞察力に舌を巻いた。まあ、いい。茜の意見を聞くのもいいだろうと判断する。
「よく見てるな、とか思ってるんでしょ? 速人さ、わかりやすいんだよ。根が正直なのね。それでね、話す気はある? あるなら聞きたい。無いならもう聞かないし、誰にも言わない」
何気ない口調だが、茜が自分を信頼していることを感じ、速人は話し始めた。
「俺たちはあの学校から車で逃げただろ。その車の無線から色々な話が聞こえてきた。ほとんどが、どこで何人殺したとか、捕獲したとかゾッとするような内容だった。それでも聞き続けたんだ。何か大事な情報が聞けないかと思って」
「うん。それで何かを聞いてしまったのね」
「ああ、うんざりしながら聞いてたらさ、逸見の声が聞こえてきた。研修生全員に向けて言ってた。『福永達也は殺すな』って。耳を疑ったけど、その後も何度か聞こえてたから間違いない」
茜は何と言っていいかわからないのか黙ったままだった。
「俺と川井君は顔を見合わせたよ。なんで達也の名前が出てくるんだって。何となく微妙だと思って、とりあえず誰にも言わないようにしようって二人で決めたんだ。さっきのはそういうことさ」
「確かに意味がわからないわね。達也君だけ特別な理由ってあるのかな。まさか、向こうと通じてるって話はないよね?」
「それはない。絶対にない。達也が裏切ってるなんてありえない」
達也は銀のナイフのテストもパスしてる。化け物にすり替わってる可能性はない。だから裏切ってるとしたら〝人間の福永達也〟だが、それは速人には受け入れることが不可能なことだった。
少しだけ無言の時間が流れたが、そのうち茜が何かを思い出したかのように言った。
「あたしたちが初めて会った時さ、達也君と速人ってこの会社しか就職試験を受けてないって言ってたよね? どうしてここだけ受けたの?」
「それはさ、達也が……」
言いかけて速人は気付いてしまった。ここを受けようと提案したのは達也だったことに。
「達也君が受けようって言ったのね。ニコ君もきっと同じね」
全くその通りだった。全ては達也の提案から始まったのだ。しかし、どうしても達也が裏切り者だなんて思えなかった。虹森島で一緒だった時から、今までずっと苦しんでいた速人を助け続けてきた男なのだ。速人の表情から、茜は色々と察したのかそれ以上は言わなかった。
考えられる理由はあと一つ。達也は富豪の息子である。速人やニコとは家柄が違う。シェイプシフターが成り代わるにはうってつけの人物だろう。だからこそ殺さずに生け捕り、〝ダウンロード〟とやらをして完璧に成りきりたいはずだ。達也が裏切り者だと考えるよりも、その方がずっと速人には納得できた。しかし、そうだとすると……。それはそれで問題があることに気付く。とりあえず自分の胸にしまっておくことにする。
「それでもあいつが敵だなんて思えない。だからさ、茜も黙っていてくれないか」
茜は黙ってそれを聞いていたが、急に笑顔になって頷いた。
「わかったわ。速人がそうして欲しいならそうする。あたしだって達也君が敵だなんて思ってない。思いたくない。あなたが彼を信じるなら、あたしも信じる。あなたには信じる理由があるんだよね」
「達也は裏切らないよ。それは絶対さ」
そう言うと、速人はまた目を瞑った。速人が考えるとおりの理由だったら、達也は苦悩することになるだろう。
「そろそろ寝よう。体力を回復しなきゃ」
「そうね、速人は交代しなきゃいけないんだしね」
しばらく隣の茜の暖かさを感じていると、段々と心地よくなっていき、やがて速人は眠りについたのだった。




