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チェンジ 〜From heaven Till hell〜  作者: 井上陽介
第二部
25/55

第25話

「茜さんと八尋君って本当にいいカップルですよね。もう何年も一緒にいるみたい」

 彩菜の言葉に茜は嬉しくなった。茜もそう思っていたが他人に言われると尚更嬉しいものである。

 付き合いは短いが茜は速人の思っていることや、して欲しいことが何となくわかるのだった。色々な男と付き合ってきたがこんな感覚は今まで感じたことは無かった。

 もちろん人間なのだから独りよがりにわかったつもりになっている場合だってあるはずだけど。

 それにしても廃屋巡りなんて。まったく子供じみてる。茜は苦笑せざるをえない。

 普通の男ならこんな綺麗な海のある島に来て時間を与えられたら、恋人を誘い二人で浜辺を歩いて甘い言葉でも囁いたりするだろう。しかし現実には茜の恋人は〝廃学校〟なるものを見に行ってしまいここにはいない。速人ったら今頃何してるのかしら。茜は速人の顔を思い浮かべた。その時、何故だかわからないが、ブルッと悪寒に似たものを感じる。特に寒いわけでもないはずだ。茜は何となく速人のことが気になった。

「あっ、あれ涼子さんじゃない?」

 由紀が遠くを指差して言ったので、茜もその方向を見た。確かに涼子の姿があった。携帯をいじっているのかこちらに気付いていない。彩菜と由紀が手を振り、大きな声で叫ぶと流石に気が付いたらしく手を振り返し小走りに近付いてきた。

「みんな、ここにいたんだ?」

 涼子がいつもの透明感のある声で言った。女性の茜から見ても涼子は美しかった。女優と言われても不思議には思わないほどの美貌。それでいて性格は男っぽくて嫌味さがない。

「久美ちゃんに付き添ってたんじゃなかったの? 彼女、大丈夫?」

 茜は久美子のことを思いだして尋ねた。

「一人でいいって言うから。ゆっくり寝たかったのかもね。それでみんなを探してたの」

 そう言って涼子は達也たちの方を見た。不思議そうな顔をして尋ねる。

「あれって何してるの?」

「野球……みたいなものらしいよ」

 しばらく前から男たちは拾った鉄パイプをバットに見立て、海に向かって石を打ち続けていた。誰が一番飛ばすことが出来るかを競っているらしい。男らが夢中になっているので茜や彩菜、由紀の三人は座ってそれを眺めながら話していたところだったのだ。

「まったく男ってのは……」

 涼子が呆れ顔で言う。茜も同感だったが、男のそういう童心に戻った姿は嫌いではなかった。

「でも、楽しそうだよね。わたしもやらせてもらおうかな」

 彩菜がそう言い、立ち上がった時、車のエンジン音が響いた。宿舎から続く道路に一台の黒いセダンが停まっていた。エンジン音が消え、男が二人出てきた。見知らぬ男たちなので国分寺からの研修者ではないのだろう。交流会の時と違いスーツではなくジーンズにジャンパーというラフな格好だった。

「ラッキー、綺麗どころじゃん。大当たりだぜ」

 男の一人が薄笑いを浮かべながら言った。

 何て品のないこと。ナンパならもう少しやりようがあるんじゃないの。茜はそう思って嫌悪感を感じた。どっちにしろ付いていく気は全くない。嫌そうな顔を隠そうともせず男たちを見やった。

 他の女性たちも同じく思ったらしくそれぞれ硬い表情をしていた。完璧な拒絶の雰囲気を醸し出しているのだが、男たちは構わず近付いてくる。

「邪魔なのが、数人いるな。一応、言っておくが目的を忘れるなよ。女はお楽しみに使えることだしな。お前は女が逃げ出さないように見張っておけ」

「よーく、わかってるって。この胸の大きいのは俺にくれよ」

 女を見張れと言われた方が茜を見て舌なめずりした。手には大きなサバイバルナイフがあった。

「大人しくしてれば殺さない。わかった?」

 ナイフを見せびらかすように茜たちに向かって言った。

 茜はいきなりのことに何が何だかわからなかった。ナンパされるのかと思ったら、次の瞬間にはナイフで脅迫されてる。彼らの姿を見てから一分くらいしかたってないだろう。彩菜の方を見ると口を開けてまだ状況がつかめてない様子だった。

 茜が抗議の声を上げようとした時、男の顔面に何かが飛来した。男は鼻を押さえてうずくまる。地面に鼻血がダラダラと垂れていた。近くに転がっている石が犯人だった。

「物騒なもん出して、何してんだ、お前」

 石を投げた男、福永達也がもう一つの石を右手で弄びながら、少し離れたところに立っていた。茜達は急いで達也の方に向かって走る。

 無傷の方の男は、その様子を見て慌てることもなく、背中に手をやり両手に革袋のようなものをサッと取り出した。そしてゆっくりと近付いてくる。

「ブラックジャックなんか持って、どっかの用心棒か?」

 達也は相変わらず余裕の表情で軽口を叩いていた。男はそれに答えずいきなり素早く動いた。一瞬にして達也の目の前に立ち、手にした武器を振り下ろす。

 茜は達也が吹っ飛ばされたと思ったが、実際はニコが達也の襟首を掴み思い切り後ろに引っ張っただけだったのだ。そのおかげで男の攻撃は空を斬り、達也は無傷だった。

「どいてろ。こいつは俺が片付けてやる」

 ニコが拳を鳴らしながら男に相対する。達也は茜たちの近くに下がった。仁科からバット代わりに使っていた鉄パイプを受け取る。

「あっちの男の方にも気を付けろよ」

 仁科と川井に向かって達也が言った。男はまだ鼻を押さえているが、すでに立ち上がっていた。憎しみを込めた目で達也を睨んでいる。今にも襲いかかってきそうだった。

 その一方で、ニコは猛然と男に殴りかかっていた。当たれば首ごと持って行ってしまいそうな勢いで右フックを放つ。しかし男は軽く首を捻りそれをかわした。手にしたブラックジャックを右下からニコの顎に向かって振り上げる。ニコはすんでのところでそれをかわすが、男の右足がニコの胸を蹴り飛ばした。信じられないことにニコの巨体が宙に舞った。砂浜に打ち付けられたニコは自分が吹っ飛ばされたことに驚いた顔を見せたがすぐに立ち上がる。

 茜はそれをハラハラしながらただ眺めていた。戦いが始まる前は、多少安堵の気持ちがあった。ニコが負けるはずが無いと思ったからだ。しかしニコが苦戦してるのを見て安堵の気持ちは吹っ飛んだ。この男たちは何者なんだろう。何故、いきなり私たちにこんなことを? 数々の疑問が心中に浮かぶ。

 その間にもニコは必死に戦い続けていた。時折、ニコの放つローキックなどが相手にヒットするがそれほどダメージを与えていないようだった。ニコも致命的な一撃をもらわないようにしていたが、茜の目にはニコが不利なように見えた。

 その横では鼻血を出した男が大きなナイフを達也に振るっていた。達也は鉄パイプを持ち、その攻撃を左に右にかわしていた。時折、男の体に鋭い突きを放っていたが、当たってもさほど効いてはいないようだった。達也の動きも見事だったが、相手が本気で達也を殺そうとしているのか茜には疑問だった。どうも遊んでいるようにしか見えない。そのうち男の動きが急に素早くなる。今までは準備体操だったとばかりに倍速で動き出した。達也が防戦一方になった時、仁科が拳大の石を男に投げつけた。またもや顔面に石を受けた男はナイフを取り落とし両手で顔を押さえた。そこを川井が後ろから下半身にタックルし地面に引きずり倒す。間髪入れずに達也が手にした鉄パイプを男の顔面に叩き込んだ。グシャッとした音。

 ニコの方の相手も今ではさっきまでとは違いもの凄い速度で動いていた。パワーも桁違いでニコは何度も吹き飛ばされていた。だが流石にニコは戦いに慣れているのか相手の動きに対応しはじめていた。決してブラックジャックの決定的な一撃は食らわずに戦い続ける。倒されて立つたびに位置を変え、まるでどこか狙ったところへ飛ばされるのを待っているかのようだった。

 そして何度目かのブラックジャックの振り下ろしを避け、ニコのキックが男のボディへと炸裂する。男はそれをものともせずにニコに回し蹴りを放つ。ニコはそれを両手で受けその衝撃で飛ばされた。茜の目にはニコが自分でその衝撃を利用して跳んだように見えた。

 ニコの倒れた先には人の体ほどの流木が流れ着いていた。そこでニコはグッタリした様子で倒れ、すぐには立ち上がらなかった。ついに疲れ果て諦めたかのように見えた。

 男は素早くニコの元に行き、顔面を踏みつぶして止めを刺そうとした時だった。

 ニコはその流木を掴み、男の顔面にそれを叩き込んだ。その流木は強度はそれほどでもなかったが、途中で折れた枝の後などが所々に突き出ていて、その一つが男の右目に突き刺さった。

 ニコは立ち上がり、その流木が折れるまで男を叩きのめした。鋭利な部分が幾つも男の体に小さな穴を開けて出血を強いた。男がグッタリするとニコは男の脈を調べた。

「まだ生きてる」

 人殺しはしたくなかったのだろう。茜はニコが少し安心したように見えた。

 達也が息を切らしながらニコの元にやってくる。

「何なんだ? こいつらは。三人がかりでやっと大人しくなったぜ。お前がそんなに手間取るのも予想外だったしな」

「わからん。とにかく普通じゃなかった。ただ……」

「どうした? 何か気付いたのか?」

「速さや力は桁外れだったが、技術的には大したことなかったんだ」

「そう言えばそんな感じしたわ。俺でも何とか相手にできたからな。ナイフを振り回すばかりで正直、素人に近かった。まあ身体能力は凄かったけどな」

 茜たちはただ固まっていた。いきなり襲われたことが信じられなかった。とにかく宿舎に戻って報告して、警察を呼んでもらって。警察? すぐに来るのかしら?

 その時、達也に鉄パイプを喰らい倒れていた男が立ち上がった。彩菜がそれに気付き叫び声を上げる。近くにいた川井を左手で軽く吹き飛ばし、落としていたナイフを拾った。

「おいおい、嘘だろ」

 達也が驚いた顔で言う。茜も見ていたが達也は顔面へ思い切り鉄パイプを叩き込んだのだ。死んでいてもおかしくないはずだった。しかし男は軽く首を振ってそこに立っていた。薄ら笑いさえ浮かべながら舌で唇を舐め、目を細めながらこちらを吟味するように見ている。相方が倒れているのを見た時だけは一瞬、表情が曇ったがすぐに呆れた様な顔をした。

「だらしねえ野郎だな。人間なんかに簡単にやられやがって」

 仲間に対する心配など微塵も感じさせないような台詞を吐き、その言葉を言い終えるか、終えないうちに手にしたナイフをニコに投げつける。ニコは持っていた流木を面前に置き、それを防いだ。ナイフが流木に突き刺さる。すぐにそこからそれを引き抜き、ニコはナイフを手にした。隣では達也も鉄パイプを構え、男に近寄る。

 川井君は大丈夫? 茜は吹き飛ばされた小柄な川井を見たが、顔が苦痛で歪んでいる。とりあえず意識はあるようだが、吹き飛ばされた際にどこか痛めた様で、立ち上がることができずにいた。仁科がおずおずと川井を助けに近付く。

 男は素早くバックステップし倒れている川井のところへ飛んだ。手には再びナイフ。いまだ倒れている川井の背中にそれが突き刺さる寸前、仁科が体ごと男に突っ込み二人は揉み合いながら倒れた。ニコと達也もすぐに二人のそばに近寄ろうとする。

 二人は転がりながら戦っていた。仁科は抱き付きながら男の顔面に頭突きを放つ。それは見事に命中したが、その次の瞬間、仁科の表情が凍り付いた。男の手にしたナイフが仁科の腹部に突き刺さっていた。そして何度も仁科の腹部を突き刺し続けた。みるまに二人は仁科の血に染まっていく。

 それでも仁科は男を放さず、必死でしがみついていた。

「ニコさん、早く……」

 消え入りそうな声で言葉を放つが、男を決して放さなかった。

 ニコは素早くそこに近付き、先ほど手にしたナイフを男の首の少し上、延髄の部分に躊躇なく突き刺した。さっきは殺さないようにしていたが、仁科が刺されたとあって完璧にスイッチを入れ替えたようだった。そしてそれを脳のより深い位置へと捻り込む。男はそれでもまだ少し動いていたが、やがて小さく痙攣すると動くのをやめた。ニコはそれでも安心せずに男の首を捻って止めを刺した。

 ぐったりした男を引きはがすと、仁科の青ざめた顔と真っ赤に染まった上半身がはっきりと見えた。何度も刺されているので服はもう血で塗れていた。

 茜たちも川井を抱き起こし仁科に近付いた。ほとんど虫の息の仁科だったが、みんなの顔を見ると弱々しいが、それでも笑顔を見せた。

「ちょっと、かなり痛いんすけど」

 歯を鳴らしながら仁科は言った。彩菜や由紀の目から涙がこぼれ落ちる。涼子は呆然と立ち尽くしていた。茜は何とか助けられないかと思ったが、彼女の経験から無理だとすぐにわかった。せめて痛みを除いてあげたいと思ったが、それすらできない。茜は仁科の手を優しく握った。今はこれしかできないの。ごめんなさい。

「大丈夫だって。すぐに病院に連れて行くから」

 達也でさえも声がうわずっていた。誰の目にも仁科がもう助からないのは明らかだった。

「適当なこと、ばっかり、言って……」

 達也はニコの方をすがるように見たが、ニコは黙って小さく首を振った。

「全く、ついてないっすね、お……れ」

「仁科さん、仁科さん!」

 川井が鼻声で叫ぶ。その叫びに仁科はもう答えなかった。

 誰も何も言わなかった。自分たちの仲間が今、目の前でいきなり殺された。その事実が信じられないようだった。すぐにでも宿舎に戻って警察を呼ばなければいけないのだが、そういう感情はどこかへ吹き飛んでいた。あまりにも急な出来事に思考が目茶目茶になっていた。

 茜はもう力の抜けた仁科の手を静かに戻した。隣で川井が泣きじゃくっていた。無理もないことだと思う。本来なら川井がこうなっていたかもしれなかったのだ。仁科は川井を助けようと男に飛び付いた。そしてこの結果だ。川井もつらいだろう。茜は川井の背中に手を置いた。

 ニコの顔を見ると、厳しい表情で先ほどニコが倒した男の方を見ていた。悲しさの度合いが少ないわけでは決してないが、流石に戦場で戦ったことのある男である。その経験がない人間とは違って、すぐに次の脅威に備えようとしているようだった。

 するとおもむろに涼子がそばに落ちているナイフを手に取った。そのまま大股で倒れているもう一方の襲撃者に近付く。

「危険だから、近付いちゃダメだ」

 ニコがすぐに注意を促し、そばに寄ったが涼子は怒りからか全く耳に入らない様子で男の目の前まで行き、顔面を思い切り蹴り上げた。ニコが慌てて涼子を引き離す。男はニコからのダメージで気を失っていたが、その一撃で意識を取り戻したらしくおもむろに立ち上がった。そして唸り声を一つあげると、目の前のニコに再び襲いかかる。

 男は大きく振りかぶってパンチを放ったが、ニコは体の左側が前に出るように、斜めにかわした。

 そのまま流れるように男の背後に回り込み、再びナイフを先ほどと同じように急所に突き刺した。そして同じように首を捻りあげる。グキっと嫌な音がしてその男も動かなくなった。

「何なんだ、こいつらは。なぜ、こんなに動けるんだ」

 ニコが誰にともなく言う。茜も同感だった。これは確実に普通じゃない。

「とりあえず、宿舎に戻ろう。仁科君をこのままにしておいちゃ可哀想だ。やつらの乗ってきた車がある。それを拝借しよう」

 いまだに沈痛な面持ちだが、多少、冷静さを取り戻した達也がみんなに向かって言った。

 もちろん誰も反対などしない。一刻も早くここから離れたかった。

 ニコが仁科を持ち上げる。かなり重いはずだがそれを微塵も感じさせずニコは仁科を丁重に運んだ。

 達也がナイフ男の死体から車の鍵を取り出し、エンジンをかける。仁科を後部座席へ寝かせて達也が車を運転した。助手席には先ほど、吹き飛ばされたときに右足を怪我したらしく足を引きずっていた川井が乗り込む。

「ゆっくり走るから付いてきて。みんな一緒にいたほうがいいでしょ」

 達也が運転席からそう言った。ニコもそれに同意するように頷く。

 茜たちは車の後ろから歩いて付いていった。達也もそれにあわせてゆっくりと車を走らせる。達也の判断は正しいと茜は思った。みんなも同じだろうがとにかく怖くて悲しかった。

 速人がいれば。茜はそう思わずにはいられない。速人がいればあんなやつら。しかしすぐに思い直す。あいつらだけじゃなかったら? もしかしたら速人も襲われていたら? しかも彼は一人だ。茜は早く速人の無事な姿を見たかった。それに一人と言えば久美子もだ。宿舎に一人で寝ていると涼子は言っていた。

「宿舎に戻って警察を呼んでもらわなきゃいけないね」

 隣で歩く彩菜の言葉が聞こえた。まったくその通りなのだが、何となく茜は嫌な予感がして仕方がなかった。予感が間違っていて、それで全てが終わって欲しい。速人が何事もなく宿舎で待っていて欲しい。

 茜は心からそう願った。


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