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チェンジ 〜From heaven Till hell〜  作者: 井上陽介
第一部
18/55

第18話

 携帯のアラーム音が夢の中にまで入ってきていた。夢と現実が一瞬、ごちゃ混ぜになり次第に現実が打ち勝っていく。目を開けると研修所の天井が見えた。現実が完璧に勝利したようだ。


 意識がはっきりしてくると昨夜のことが自然と思い出だされ、茜は一人で笑ってしまった。


 あたしったら変な人みたい。


 そう思ったが自分の気持ちに素直な彼女は笑顔をやめられなかった。週末なので部屋には誰もいないので何も遠慮することはない。


 昨日、茜と速人は付き合うことになった。それももちろん嬉しいことだが、その時に彼が言った言葉が茜をさらに喜ばせていた。


「俺には君が必要なんだ」


 彼がそう言ってくれたことが茜には本当に嬉しかった。


 八尋速人は、茜がひいき目に見ても難しい男だ。表面的にはごく普通の不器用な男だが、彼の内面は一度ズタズタにされていて完璧に治ったとは言い難い。そこから派生した肉体的な問題もあり、恋人同士となればその問題もより深刻なものになるかもしれなかった。


 茜は彼と初めて長い時間を過ごした時、幸か不幸か彼の抱える悩みや問題を知った。その時点で彼のことを忘れることも出来ただろう。しかし実際のところ、茜はそう思ったことは一度もない。忘れるどころか彼のことをもっともっと知りたくなっていった。


 彼のような男は二言目には〝大丈夫〟を繰り返す。常に一人で抱え込んで平気なフリをするのが美徳だと思い込んでるような男たち。きっと速人もそんな男の一人だ。


 思えばあの夜、彼が涙を流し悩みを打ち明けたのはどうしてだろう? 知り合って間もない女にどうして話してくれたのか? 状況や話の流れでそうなったとは言え、彼のような男にはとても恥ずかしいし珍しいことだったに違いない。


 そんなことを何度か考えたことがあったが、今ではその疑問も一言で解消できた。


 その一言とは〝相手があたしだったから〟


 だから彼にはあたしが必要なんだ。それを彼も認めてくれた。


 いつのまにこんなに彼のことが好きになってしまったんだろう? 茜はふと疑問に思ったが、すぐに考えるのをやめた。


 どうでもいいんだ、そんな事柄。


 彼女の心には確かに彼を愛する気持ちが存在し、それを彼女はしっかりと自覚していた。なぜそうなのかを考えるなんて意味がない。好きなものは好きなのだ。


 茜は元気よく起き上がり一つ伸びをした。洗面所へ行き、朝の支度をする。


 朝食を食べに食堂へ行こうと思い、速人に連絡しようと思ったがやめておくことにする。昨夜、別れ際にみんなで飲むんだと言っていたのを思い出した。今頃は男友達と深酒してまだ寝てるだろう。そう思って茜は一人で食堂に行った。流石に日曜日の朝なので普段よりは人が少なく特に並ぶ必要もなかった。


 軽めの朝食を食べ終え、一人でコーヒーを飲んでいると茜の視界にある四人組が見えた。


 あのうざいやつらだ。彼女はここに来た最初の頃を思い出した。


 確か三日目くらいだったか。茜が授業を終えて歩いていると、軽薄そうな男四人組が声を掛けてきたのだ。色々としつこく誘ってきたが、ほとんど相手をしないで断った。他にも声を掛けてくる男はいるが、断れば大抵は紳士的に去ってくれる。その四人組は本当にしつこく嫌な男たちだった。最近は姿を見なかったので忘れていたのだ。


 男らのうちの一人が茜と目が合った。茜はうんざりした気持ちが湧いてきたが、男たちは何事もなくその場を立ち去った。何となく拍子抜けしたが、ホッと安堵の息を吐く。


 すると「おはよう」といきなり背後から声を掛けられる。


 四人組に気を取られていたので、茜は真後ろにニコがいるのに全く気が付いていなかった。少し驚いたが、それで納得する。何だ、ニコ君のおかげだったのか。


「隣に座っていいかな?」


「うん、もちろん。おはよう」


 ニコは手にチョコレートの袋とコーヒーを持っていた。茜の隣に座り、チョコレートをすすめる。


「売店で買ってきたんだ。朝飯に食べようと思って」


 茜はそれを一つ手に取り、口に入れる。


「朝ご飯にチョコレート?」


「ああ。食べたかったんだ」


 ニコは当然のことのように答える。


「速人とかはまだ寝てるの?」


「朝まで飲んでたからね。昨日は速人がやたらと上機嫌で。おかげで仁科や川井、酒の強い達也まで酔いつぶれてまだ寝てるよ。俺が部屋を出る時、四人ともベッドじゃなく床に寝てた」


「そうなんだ、ニコ君は大丈夫なの?」


「この通りだ」


 茜が見るところ全くいつものニコのように見えた。きっとこの人にとってアルコールは水と変わらないのねと適当な想像をしてみる。


「そういや速人に聞いたよ。あんたら付き合うんだろ。俺が言うのも何だが、あんたみたいな人で良かったよ」


 茜は少し照れくさくなり、笑って頷いた。


「そんなに上機嫌だったの?」


 誤魔化すように尋ねてみる。


「あんなに明るい速人は久しぶりに見た。海兵隊の頃に戻ったみたいだった。正直なところ鬱陶しいことこの上なかったね。達也が意識を取り戻したら最初にすることは、あんたに対する抗議だと思うよ。責任を取ってくれってね」


 言葉とは裏腹にニコは心から嬉しそうな表情だった。


「海兵隊の頃かあ。ニコ君もそうだったんだよね。ねえ、二人ともどんな風だったの? 速人のことも知りたいけど、ニコ君のことも知りたい」


「そんなものに興味あるのか?」


「もちろん。速人は彼氏だし、ニコ君はあたしにとっても友達だもの」


 ニコは鼻から息を吐き、少し考えたようだったがすぐに言った。


「そうだな。俺にとってもあんたは友達だ。別に大した話があるわけじゃないし構わないか。ただ俺は話が下手だからそのつもりでいてくれ」


「うん。話せることだけでいいから。男同士の秘密ってやつは黙ってていいわよ」


 茜は悪戯っぽく言い、ニコはそれを聞いて満足げに笑った。


「何から聞きたい?」


「まずはね、どうしてニコって呼ばれてるの?」


「そいつはよくわからないんだ。いつのまにかそう呼ばれてた。速人だったら知ってるかもしれない」


 茜はニコが誤魔化しているのを感じたが、黙っておいた。すぐに次の質問をする。


「じゃあね、何で二人とも海兵隊に入ったの?」


「速人に関しては本当に知らない。直接、聞いた方がいい。俺はね、成り行きってやつだ。俺の実家はバイク屋でね。親父は悪ガキ共が好きで店にはいつもやんちゃ坊主が集まってた。自然と店に来るやつらと友達になっていった。そんなやつらはしょちゅう喧嘩や何だと揉め事ばかりだ。俺もよく助っ人を頼まれた」


「暴走族とかってこと?」


「いいや。俺はそういうのには入ったことはない。知り合いはたくさんいたけどな。特にワルって訳でもなかったんだ。ただ昔からこんな風だったから、何もしなくても周りには恐れられてた。それに自慢にもなりゃしないが……」


「喧嘩が強かったのね」


「そう。それで揉め事があると引っ張り出された。友達に頼まれると断れなくてな。気付いた時には何度も警察に捕まってた。だけど近所のお巡りがお節介なやつで、俺を気にかけてくれてたんだ。そいつが両親と相談した結果、俺は海兵隊に叩き込まれたってわけだ」


「そこで速人と出会ったのかあ」


「俺たちは同期ってやつでね。新兵訓練が一緒だったんだ。結構辛かったはずなんだが、今ではいい思い出しかない」


「その頃の速人と今の速人は全然違うの?」


「うーん、どうだろうな。今より明るかったのは確かだ。けど基本的には同じ人間だしな。全然、別人とかそういうわけじゃない。あんたも聞いてるかもしれないが、あいつは最後の戦いで心にひどい傷を負った。それさえ無ければ今とさほど変わらないよ。ただ若かった分、はしゃぎ出すと始末におけなかったな。ちょうど昨日のように」


 そこまで言ったところで、ニコは何かを思い出したかのように笑い出した。


 茜は「どうしたの?」と尋ねる。


「一度あいつと揉めたのを思い出した。理由は忘れたがね。速人と俺は本気で殴り合ったことがあるんだ。俺はこの体格だし、喧嘩に負けたことなど一度も無かった。それどころか本気を出す必要なんてなかったから、自然と手加減するのが身についてた。初めて手加減してたら負けると思った相手だったよ」


「それでニコ君が負けちゃったの?」


「あんたに対してはそう言っておきたいところだけどね。最終的には俺が勝った。二人ともひどい面をしてたし、体中アザだらけだった。二度とごめんだと思ったが、次の日に速人が俺のところに来てこう言うんだ。『さあ、昨日の続きをやるぞ』って。俺がうんざりして断るとやつは満足げな顔して笑ってた。そしてその後、それについては二人とも何も言わなかった。それからも俺たちは変わらず仲間だったよ」


「今も変わらずだものね」


「くされ縁ってやつだ」


「速人が海兵隊を辞めちゃうのはわかるけど、あなたはどうして辞めちゃったの?」


「速人から聞いてないのか? 俺たちは虹森島から帰還した後、所謂、英雄扱いされたんだ。あれだけの被害を出したからマスコミ対策もあったんだろう。あちらこちらに引っ張り回された。速人はその頃、かなり参っていて見てるこっちが辛いくらいだった。その頃は本当に今とは別人のようだったよ。一日中ビクビクして、毎晩うなされてた」


 茜はその話は速人から何も聞いていなかった。


「あたしその話全然知らない。言いたくなかったのかな」


「どうだろうな。あんたなら知っていても構わないさ。むしろ知っておくべきだろう」


「うん。ありがとう」


「それでだな、いつだったかある議員の主催するパーティーに呼ばれたんだ。戦没者の家族に渡す義援金を集めるって名目だったと思う。そこである男が俺たちに話しかけてきた。虹森島から民間人を救出する際に、負傷した兵士の代わりに福永がヘリから降りた話は速人から聞いたか?」


「うん。聞いたよ。怪我した人を乗せたら誰か一人が乗れなくなって達也君が自分から降りたって」


「そうだ。あいつは民間人だったが自分から降りた。立派だったよ。その男はそれについて意見を述べやがった。民間人を残すくらいなら負傷した兵士を一人残した方が効率がよかったんじゃないかってね。俺にはそれが許せなかった。まあ限界だったんだろうな。散々、引っ張り回されたし。速人を見ると同じことを考えてるのがわかった。俺かあいつか、どっちかが泥をかぶるってことだ。俺はそいつの鼻面を思い切り殴りつけてやった」


「あなたは速人にやらせたくなかったのね。わざわざ自分で泥をかぶったんでしょう?」


「さて、どうだったかは忘れちまった。俺も相当腹が立ってたからな。でも次の瞬間、速人も動いてたんだ。倒れたそいつに素早く近付き馬乗りになって殴りつけやがった。慌てて止めたが、もう手遅れだ。後から聞いたがその男は議員だったらしくてね。海兵隊は俺たちを最大限かばってくれたがどうしようもなかったんだ。それで二人ともお払い箱さ」


 ニコはそう言うと、自分の坊主頭を撫で回した。


「何だかさ、あなたたちの話を聞くと自分の人生がいかに平凡なのかを実感するわね」


「平凡が一番だ。とにかくさ、速人は色々あったんだ。だから面倒なこともあるだろう。けどあいつは本当にいいやつなんだ」


 ニコは真剣な表情で茜を見つめた。


「あいつをよろしく頼むよ」


「うん」


 改まって言うニコに対して、茜も同じように真摯さを込めて応えた。


 ニコはそれに満足した様子で、照れ笑いのような表情を浮かべる。


「あんたが相手だとどうも素直に何でも話しちまうな。速人があんたを気に入ったのもわかる気がするよ」


「ニコ君こそ本当に友達思いなのね。これからも彼を助けてあげて」


「まるで母親みたいだな」


「問題児の母親かあ。速人と付き合うにはそんな一面も必要なのかもね」


 そう言って茜はとびっきりの笑顔を見せた。そういうのも悪くない。


「そうかもしれないな」


 ニコも思わず笑ってそう言った。


 きっと偶然じゃないんだろうな。ニコと話しているうちに茜はそう思っていた。きっとこの人は速人から聞いて、あたしのところに来ようと思っていたに違いない。偶然を装ってはいたが、みんなが寝ているうちにあたしと話したかったんだろう。茜はそう確信していた。この見た目は怖いが、細やかな配慮ができる大男とこうして話が出来て茜はとても嬉しかった。速人の親友が自分を受け入れてくれて何でも話してくれることが嬉しかった。


「ちょっと教えて欲しいことがあるんだが」


 ニコが唐突に茜に尋ねた。茜にはニコがどことなく恥ずかしがっているのがわかった。


 何だろうと思いながら茜は先を促す。


「最初から速人のことを気に入ったのか?」


「そうねえ。最初に会った時から気になってはいたかも」


「最初からか。やっぱりそういうものなのかな」


「どうしたの?」


「うちのお袋の口癖でね。親父を初めて見た時、ずっと一緒にいることになる人だってわかったらしいんだ。その時はまだ話したことも無く名前すら知らなかったらしいがな」


 茜は自分が何を聞いているのか一瞬わからなくなった。この巨漢の口から〝運命の人〟についての話を聞くなんて想像を超えていた。


「どうした? 鳩がショットガン食らったような顔をして」


 それじゃあ死んじゃうじゃないの。


 かなり喩えが違うんじゃないかと思ったが、茜はとりあえず気を取り直した。


「いや、ニコ君の口からそんな話がでるなんてびっくりしちゃって。意外とロマンチックなんだね」


 真面目に話そうとするがつい笑いがこぼれてしまう。


「俺は別にそんなもの信じてないさ。耳にタコができるほど聞かされてる話だもんでね。ふと思い出して聞いてみただけだ。そんなに笑うことないだろう」


「ごめん。ふふ。そんなにその話を聞いてるってことはお母さんは正しかったのね?」


「ああ。今でも鬱陶しいくらいに仲がいい。実家から電話が来るたびに年の離れた妹や弟ができたんじゃないかと怯えてるよ」


 茜はまだクスクスと笑っていたが、ニコはもう諦めて何も言わなかった。


「でも素敵な話。教えてくれてありがとうね」


 笑いが一段落した後、茜はニコに向かって笑顔で言った。


「あんたならきっとうまくいくよ。速人はラッキーなやつだ」


「ありがとう。なんだか何度もありがとうって言っちゃってるね。でも、いいか。ごめんなさいって言ってるよりずっといいよね」


「まったくだ。それにしても俺がこんなに人と話したのは久しぶりだよ。さっきも言ったがあんたが相手だとスラスラ喋れちまう」


「だったらいつでもどうぞ。無口なキャラクターに飽きた時はあたしが話を聞いてあげるわ。もちろんみんなには内緒でね」


 ニコはまるで負けを認めたような表情をしながら両手を広げる。


 茜にはそれは降参の印のように見えた。


「あんたはさ、いつもそんなに完璧なのか?」


 茜はうん? と首を傾げたが、すぐに笑顔で答えた。


「曜日と天気によってはね」


 その答えにニコはもちろん言った茜さえも吹き出してしまった。


 ニコにしては珍しく食堂中に響き渡るほどの大声で笑ってしまう。周囲の人間が二人を何事かと眺めていたが、茜もニコもまったく気にせず笑い続けた。


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