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チェンジ 〜From heaven Till hell〜  作者: 井上陽介
第一部
16/55

第16話

 土曜日の朝、空は雲一つ無い晴天だった。


 速人は京王線の八王子駅のホームに立っている。速人は昨日の夕方から振り出した雨を心配していたが、それは杞憂だったようだ。雨でも出かけられないことはないのだが、彼は今日だけは何となく晴れて欲しかった。


 あの日は大雨だったからな。


 速人は美咲が亡くなった日のことを思い出した。


 今日はこれから美咲の墓参りに行く予定だった。


 彩菜が美咲の従姉妹だと知った際に、頼んだことはそれだったのだ。美咲が亡くなった時、速人は葬儀に参列できなかったし、その後も色々なことがあって墓参りも行っていない。思い出したからには一度はちゃんと行っておきたかったのだった。


 彩菜は八王子市のめじろ台にある霊園に彼女の眠る墓があると教えてくれた。八王子なら研修所からそう遠くない。


 そして速人は彩菜に美咲の両親に自分が墓参りをする許可をもらって欲しいと頼んだのだ。彩菜は別に必要ないんじゃないかと初めは言ったが、最終的には快く引き受けてくれた。


 言わなければわからないことではあるが、速人はそう言うことを善しとしない性格だった。一度は葬儀の参列を断られたのだ。きちんと許可を得ておきたかったのである。


 久しぶりに叔母さんたちにも会いたいと言うことで彩菜は朝から美咲の実家に行っているので、昼過ぎに現地の駅前で落ち合うことになっていた。


 ホームに電車が滑り込み、速人はそれに乗り込む。座席に座りながら、茜に対して嘘をついてしまったことを考えていた。達也らには適当に少し出かけてくると言えばそれで済んだ。聞かれたら正直に答えればいいだけの話だ。そう思った時は大抵の場合、深く聞かれないものである。


 速人は茜には正直に言えなかった。別に美咲と恋人関係にあったわけではないので問題はないはずなのだが、何となく言いづらくて嘘をついてしまったのだ。嘘をついて彩菜と二人で出かける方が問題なのかもしれないが、速人にはよくわからなかった。どうして俺は嘘をついたんだろう。


 茜が一緒に過ごそうよと連絡をくれた際、「ちょっと買い物があるんだ」などと言って断ってしまった。茜はとても物わかりがいい女性なのでそれ以上は何も言わなかったが、どんな女性でもおかしいと思っただろう。それでも茜は速人を信用して何も言わなかったのだと思う。


 何となく申し訳ない気持ちでいるうちに電車は目的地に着いた。駅を出ると、彩菜の姿があった。いつもの無邪気な笑顔で速人のそばに寄ってくる。


「八尋君、こっちこっち」


「もしかして待たせた?」


「ううん。全然。それよりちゃんと叔母さんに言っておいたよ。叔母さんたちも後悔してたみたい。友達には何の罪もないのにって。ってことでオッケーです」


「そうか。悪かったね。面倒なこと頼んで」


「全然、大丈夫だよ」


 詳しい場所を聞くと、駅から歩いて十五分ほどの場所にあるということだった。線香を買わなければと速人が呟くと、それを見越していたのか彩菜がすぐにバッグから緑色の束を取り出す。


「ちゃんと用意してありまーす」


「何から何までご苦労様です」


「お花は買わないといけないですね」


「俺はそういうの全くわからないから、これで頼むよ」


 そう言って速人はポケットから一万円札を取り出し、彩菜に手渡した。


「任しといて」


 彩菜はすぐに駅前にある小さな花屋に入り、すぐに新聞紙にくるまれた生花を抱えて戻ってきた。速人はお釣りと花を受け取り、タクシー乗り場のほうを見てみる。何台か停車していて、すぐに乗れそうだった。


 しかし速人は歩きたい気分になっていたので彩菜に尋ねた。


「歩いていく? それともタクシー?」


「歩いて行こう!」


 つい速人は美咲を思い出した。よく似てる。


 歩いている間、彩菜はよく喋った。ほとんどは同室の他の女性のことや茜のことだった。


 十五分はあっという間に過ぎ、美咲の眠る霊園に着いた。彩菜の案内で、広い霊園の中を進む。管理が行き届いているのか、ゴミ一つなく綺麗な霊園だった。


 そして高宮家のお墓に辿り着く。その墓石はまだ新しかったので、美咲のために作り直したのだろうと速人は想像した。


 随分、遅くなって悪かったな。


 速人はそう思いながら少しの間、そこに立っていた。しばらくして、手にしていた生花を新聞紙から取り出し花筒に指す。いつのまにか彩菜がバケツに水をくんでいたようで、ひしゃくでそこに水をかけてくれた。


 速人はジッポを取り出して、線香に火を付ける。半分を彩菜に手渡し、残りの半分を香炉皿に寝かせた。


 静かに手を合わせる。


「美咲ちゃん、きっと嬉しいはずだよ」


 同じように手を合わせていた彩菜が言った。


「そうだといいけどね」


「サークルの後輩だって言ってたよね? それだけなの?」


「それだけだったよ」


 何を言わんとしているかは、速人にもわかったが他に言いようがなかった。


「本当は好きだったとか?」


「正直に言うとね、わからない。ほんの数ヶ月の付き合いだったからさ」


「でも否定はしないんだね。美咲ちゃんは八尋君のことどう思ってたんだろうね。もしかしたら好きだったかもよ。何となくそんな気がしない?」


 全く根拠のないことを彩菜は言った。女というやつはそういう話にどうしてもしたがる。


 けど、本当はどうなんだろう。もし生きていたらどうなっていたんだろう。速人はそれを知りたいとは思うが、同時に絶対に知ることはないと言うこともわかっていた。


 失われた可能性なんて無限にあるが、それもその中の一つだった。


「憶測で勝手なこと言うと怒られるぞ」


 彩菜は墓石の方を見て手を合わせてひょこっと頭を下げた。謝ったつもりらしいが、何となく滑稽に見えて速人はつい笑ってしまった。


 じゃあな、またいつか来るから。そう心の中で呟いて、速人は彩菜を促し帰路についた。



 霊園からの帰り道。二人で並んで話しながら駅まで帰っていた時、彩菜が恥ずかしそうに言った。


「わたしね、今まで誰かと付き合ったことないんだ」


「そうなのか」


 速人は短く答える。そんなに美人な訳じゃないが、決して不細工と言った類いではない。好みによっては充分可愛いと言えるだろう。笑うと目がなくなってしまうのが速人にはとても可愛く見えた。


「男の人と仲良くなってもいつのまにか親友みたくなっちゃって。恋愛相談とかされたり。自分がいいなあって思ってる男性から、他の女性との仲を取り持ってくれって相談されるんだよ。そんな経験ある? たまんないって」


「それはきついな」


「みんないいお友達になっちゃう。まあ、わたしに女性としての魅力がないんだろうね」


「そんなことないと思うけど。きっとみんな見る目がないんじゃない?」


 どういう対象として見るのかって問題かもしれない。〝彼女〟として見るよりも〝結婚相手〟として見ると彩菜の魅力は倍増するかもしれないと速人は思った。


「嬉しいこと言ってくれますねえ。けどなあ……」


「うん? どうした?」


「そんな風に言ってくれる八尋君にだって茜さんがいるもの。これも少し形が違うだけでいつものパターンですぅ」


 わざと口を膨らませ、怒った振りをしながら彩菜は言った。


「わたしのことを褒めてくれる人はいつももう相手がいるんだよなあ」


「誰にも褒めてもらえない人だっているよ」


「そうだよねえ。って何ですか、それ。全然フォローになってないから」


 速人が笑うと彩菜もそれにつられて笑った。


 本当にみんな見る目がないのかもしれない。速人は笑いながらそう思った。


「今まではろくなのがいなかったんだろ。そのうちみんな彩ちゃんの良さに気付くさ」


「そんなこと言うと、八尋君のこと狙っちゃうよ」


 本気か冗談かわからないような表情で彩菜は言ったが、すぐに顔を綻ばせ、


「冗談だよ。茜さんと張り合ったって勝ち目はありません。茜さんって凄く素敵だよね。あんなお姉さんが欲しかった。と言うよりあんなお姉さんになりたい!」


 そんなことを話しているうちに駅に着き、京王線に乗り込む。


 よし、目的は果たした。そう思い速人は何となく晴れ晴れした気分となった。そして速人は彩菜と二人きりなのに特に窮屈さを感じないことにふと気付く。速人は基本的に女性と二人で過ごすのは苦手だった。最近は茜とよく一緒にいるが、それはもう気安い関係になっているからであり、こうして彩菜と一緒にいることとは別物だった。


 彩菜は電車に乗っている間もずっと話し続けていた。自分のことをよく話し、速人と茜のことも知りたがった。無邪気というか、夢中になって話し続けるので速人も自然と口が軽くなり色々と話してしまう。


「お墓参りも終わったね。変かもしれないけど楽しみだったんだ。八尋君と二人で話す機会なんてなかったし。あっ、変な意味じゃないよ。わたし、茜さん大好きだからさ、どんな人を好きになったのか知りたかったんだ」


「やっぱり俺って茜に好かれてるのかな?」


 速人は何気なく言ったのだが、彩菜はひどく驚いた様子だった。口をポカンと開け速人を見つめている。


「それって本気で聞いてるの? それとものろけ?」


「いや、実はちょっとだけ心配で」


 誰がどう見ても茜が速人を好きなのは明らかだと達也は仁科は言うが、彼にとっては絶対の確信など持てなかった。大体、今はそうにしたって人の気持ちなんて変わるもんだろう。それに自分には色々と問題があり、それを自覚しているためどうしても自信など持てないのだ。


「わたしが男だったらすぐにでも付き合っちゃうんだけどなあ。でもなんか可笑しい。八尋君がそんなに弱気だったなんて」


 そう言って彩菜は速人をからかうような視線で眺める。


「大丈夫かな?」


 我ながらどうしようもないなと思いながらも速人は聞かずにはいられなかった。


「大丈夫です!」


 そう言って彩菜はいつもの目が無くなる笑顔を見せた。それをみて速人も笑顔になる。そして電車は八王子の駅に到着した。後は中央線に乗って研修所に帰るだけである。


「今日はありがとう。それでお礼って訳でもないんだけどさ、八王子でご飯でもどう? 研修所の食事にも飽きたしさ」


 速人は彩菜が頼みを快く引き受けてくれたことに感謝していたし、気楽に一緒に過ごせることもあってこのまま帰るのももったいないなと思っていた。


「えっ、本当に。嬉しいな。何食べようか?」


 彩菜の顔がパッと明るくなった。


「達也が西八王子の方に、うまいラーメン屋があるって言ってたよ」


「じゃあ、そこに行ってみようよ」


 元気よく言って歩き出す彩菜を見て、速人は既視感みたいなものを感じていた。恐らく同じような会話を美咲としたんだろうと適当に決めつけてみる。


 あの霊園から中身は美咲に変わってるんじゃないだろうな。


 苦笑交じりに、そんな非現実的なことを考えながら速人は彩菜の後を追って歩き出した。正確な場所を調べるために携帯で達也から聞いた店を検索する。今いる場所から歩いて行ける距離だったので、そのまま二人で八王子の町を進んでいった。


 あるアクセサリーショップの前を歩いている時、彩菜が立ち止まった。


「見て見て、これすごい可愛い」


 彩菜はショーケースの中に飾られている銀のネックレスを指さして言った。細い十字架のネックレスで小さな青い石がびっしりと埋められている。速人には何が可愛いのかさっぱりわからなかった。今まで自分で身につけたことがあるのは認識票だけだ。


「きっと茜さんに似合うと思うなあ」


 彩菜はいつもの目のなくなる笑顔で速人に向かって言った。


 プレゼントか。自分のセンスに自信がない速人にはそういう発想がまるでなかった。人にあげるものを自分が選ぶくらいなら、一緒に行って買ってあげればいい。その方が本人が欲しいものを手に入れられるはずだ。


 しかし彩菜の屈託のない笑顔を目の前にすると、たまにはそういうの悪くないなと思い始めた。それに自分で選ぶわけでもない。彩菜が選んでくれたのだ。


「じゃあ茜に買っていこうか」


「そうしようよ。絶対、喜ぶって」


 そう言って喜ぶ彩菜の顔を見て、速人はある考えが浮かんだ。それをそのまま言葉にしてみる。


「二つ買おうか。一つは彩ちゃんにあげるよ」


 彩菜はそれを聞くと怪訝そうな顔をした。軽く首を傾げて速人を見つめる。


「それって本気で言ってるんだよね?」


「うん? もちろん。だって可愛いって思うんでしょ。だったら欲しいはずだろ」


「あのさあ、好きな人にあげるものを他の女の子に一緒に買ってあげたらダメだって。茜さんだって気分よくないよ、それ。大体、同じもの付けてたらおかしいじゃん」


 彩菜は苦笑交じりに、諭すように速人に言った。


「八尋君って本当にそういうとこ抜けてるんだねえ。悪気はないのはよくわかるよ。でもそれはダメ。わたしだって嫌だもん」 


 そういうものなのか。速人はただ彩菜の親切に少しでも応えようとしただけだったのだが、自分の考えのなさに頭を抱える。


「ごめん。気分悪くした?」


 頭を掻きながら申し訳なさそうに速人が言うと、彩菜はニッコリと笑った。


「ううん。八尋君が抜け作君だってわかって面白かった。わたしにはご飯ご馳走してくれればそれでいいの。わかったら、さっさと買っちゃおう」


 よかった。あんまり怒ってない。彩菜の笑顔に安心した速人は彼女の言うとおりに、すぐに店員を呼び、それを買った。もちろんプレゼント用に包装してもらう。


 店を出る時、彩菜が誰にともなく言った。


「あーあ、これじゃあ茜さんもこれから苦労するわ。でも案外、そういうところがいいのかもね」


 速人の耳にもそれは聞こえていたが、何も言えず苦笑いするしかなかった。


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