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チェンジ 〜From heaven Till hell〜  作者: 井上陽介
第一部
13/55

第13話

 速人が目を覚ました時、部屋には仁科と達也とニコ、さらにもう一人の知らない男がいた。思い思いに椅子やベッドに座り、寝ている速人に構わず大きな声で笑っている。


「おう、やっと起きたな、色男」


 ニコが気付いて声をかける。時計を見ると、正午を回っていた。昨夜というか今朝、茜と研修所に戻ってきたのは午前七時頃だった。門は閉まっていたので、柵を乗り越えて部屋まで帰った。そのままベッドに倒れ込み、今まで寝ていたのである。


「八尋さん、いつ帰ってきたんですか? 全然、気が付きませんでしたよ」


 仁科が話しかけるが、速人はまだ寝ぼけている振りをして、あくびをしながら適当にごまかしていた。どうせ、この後、追求が始まるのは目に見えている。夜に女性に会いに行き、朝帰ってきたのだ。無理もないことだろう。


 それにしても、もう一人は誰だろう。速人はその見知らぬ男の方と見やった。


「おはようございます。八尋さんですよね? 隣の部屋の川井っていいます」


 挨拶をしてきたのは川井良太、二十三歳。速人も決して大柄ではないが、その川井という男はさらに小柄で身長百六十未満、体重五十キロあるかないかといったところだった。小柄な上、非常に痩せていて、太めの仁科などと比べると大人と子供のようである。眼鏡をかけていて、顔つきは少し気難そうに見えた。同じクラスらしいが、今まで話したことはなかった。


「八尋です、どうも」


 とりあえず挨拶を返し、速人は尋ねるように仁科と達也を見回した。


「いやね、今朝、三人で一緒に朝メシ食べに行ったら、いきなり声かけられたんですよ」


 すぐに仁科が説明を始める。


「うちの部屋って同室の人が凄い真面目なんですよ。いつも勉強してて。そのくせこないだのテストは補習になったみたいですけど。それでつまらないなあって思いながら、一人でご飯食べてたら仁科さんが見えて。つい話しかけちゃいました」


 ニコニコしながらで川井が言った。


「でも、びっくりしたよ。いきなり知らない人が話しかけてくるからさ。で、なんとなく一緒に食べてたら意気投合しまして。それで、この状況です」


 達也にしろ仁科にしろコミュニケーション能力の高いやつだ。すぐに打ち解けてしまったに違いない。それにしても、見た目に似合わず勇気のあるやつだなと速人は思った。達也らはともかくニコも一緒にいるところに声を掛けたのだから。パッと見ると気難しそうに見えるが、話している様子を見ると案外と全く逆の性格なのかもしれない。


「状況といえば、昨日の状況を教えて貰おうか」


 達也が、殊更に芝居が掛かった声で言った。仁科も悪そうな顔をして速人を見ている。ニコも川井も速人が寝ている間に事情を聞いたのか、興味津々といった様子で速人の話を待っていた。


「いや、別に何もないよ」


 速人は無駄だとは知りつつ、そう答える。


「なるほど。何もないのに手を怪我してるのか。おまえ何したんだ?」


 達也が目を意地悪そうに細めて言った。しまった。それがあったんだった。


「俺、わかりますよ。きっと八尋さん、たまらなくなって無茶したんですよね? だけど拒否られて怪我しちゃった。そういうことですよね」


 仁科がそうに違いないといった顔で言う。


「八尋さん、それはマズいですよ」


 新たな友人の川井まで話に乗っかってくる。


「それにしては帰りが遅い。同意があったと見るべきだ。二人とも速人のTシャツ見てみろよ。何か、キラキラしてると思ったら長い髪の毛が付いてるぞ」


 達也が余計なことに気が付く。全くよく見てるやつだと速人は思った。


「着たままってことは、野外ですか?」


 川井が言う。意外と突っ込みが激しい。


「怪我してるってことは、まさかの痛々しいプレイ?」


 仁科が殊更、驚いたフリをして言った。


「どんなプレイだ!」


 速人は抗議するが、ほとんど無視される。


「やったのか?」


 おもむろにニコがみんなの知りたいことを代弁した。まさしく一点突破。


「やってない」


 ニコはそれを聞いて二度三度と軽く頷く。ニコは信じたようだと速人は感じた。しかしその後もニコを除く三人は勝手気ままな妄想を繰り広げていた。


 話が避妊の有無にまで及んだのでたまらず速人が声を上げる。


「わかった、わかった。ちゃんと話すから」


 少しだけ飲んで帰ろうとした時、からまれて怪我をした。それで終電に遅れたのでホテルに入ったが朝まで普通に話してただけで何もなかった、という真実と嘘がミックスされた話をする。


「からまれたんですか。大変でしたね」


 川井だけは表面上は信じてくれたようであった。


「どんなやつらだった? 俺がきっちりと処理してこようか?」


 見当外れなことを言っているのは、もちろんニコだった。


 その必要はないことをやんわりと速人はニコに告げる。しかし達也と仁科は信じていないようで、いまだに疑惑の目で速人を見ていた。


「話の後半部分がどうも信じられないなあ。上本さんですよ。あの身体ですよ。それをホテルまで行って黙って見てるなんて」


 仁科はそう言った後、達也の方を見て二人で頷き、また妄想を繰り広げた。いつの間にかとても仲が良くなったように速人は感じた。


「まあ、いい。速人はそのうちボロを出すさ。それにまだ研修は続くんだ。上本さんだってまだここにいるんだしね。すぐに色々、わかるだろうよ」


 とりあえず達也は追求をやめたようだった。あくまでも一時的なものだが。


 このネタで当分、いじられるなと速人は感じていたが、それも悪くないと彼は思っていた。

 


 達也は内心で少し驚いていた。速人の様子が変わったのに気付いていたのである。速人の事情は知っているので、彼女と関係をもったとは思えないが、きっと何かあったはずだと感じた。


 速人が女性と仲良くなって元気になるのは、彼にとって喜ばしいことだった。


「で、実際のところ、どうでした?」


「まあ、楽しかったよ。話も面白いしね」


「それで今後のご予定は? まさか付き合っちゃったとか?」


「いや、さすがにそれはない。予定も特には決まってないけど。多分そのうちまた遊ぶと思うよ」


「マジっすかあ。いいなあ」


 仁科と速人の問答を聞きながら、彼はつい笑みを漏らしてしまう。


 そして、あらためて自分たちの置かれている環境の素晴らしさを思った。新人研修と言ってもそんなに厳しくはなく正直、ただの集団生活としか思えなかった。たった一ヶ月だが、きっと最高の日々になるはずだ。世の中には自分たちと同じ年代で、子を持ち親になっている人間だっている。そういう人たちから見ればなんて子供じみているんだと思われるだろう。


 それで構わない、と彼は思う。富豪の家庭に産まれた達也はともかく、周りのみんなはごく普通の若者たちだ。どこかに就職して勤め人を経験した後、ここに再就職したやつだってたくさんいる。みんなそれなりに大人なのだ。ここから出て仕事を始めれば、ちゃんと社会人としてこなしていくだろう。もちろん自分だってそうしなければならない。


 だからこそ、今はくだらないことをたくさんして、異性の話で盛り上がり、発情期よろしく立ち回るべきなんだ。せっかく人生から切り取ったような時間を与えられたのだから。


 みんなもわかってるのだろう。どこか浮かれているような雰囲気がここにはあった。男も女も少しだけ若返ることを決意したかのように。


 そしてこの時間が、少しでも速人の心を癒やしてくれればいいと彼は願った。


「速人さ、何かさ、お前スッキリした顔してない?」


 彼は速人に向かって言った。


 すぐに表の意味に反応して、川井と仁科が囃し立てる。


「そう見える?」


 速人が彼に向かって言った。速人が裏の意味を理解しているのが彼にはわかった。


「そうとしか見えない」


 それを聞いて、速人が笑みを漏らしたのが見えた。


 それにしても、あの上本ってのと何があったのだろう? 速人が元気になるのなら何だっていいのだけれど。


 一晩で、速人の様子が確かに変わったのを彼は感じ取っていた。女性の力は偉大だなと思う。確かに美人だし、気立てもよさそうな女性だった。そのうち話をしたいものだと彼は思う。


 そして昨日、三人で話したことを思い出した。速人が深夜に見たもの。まずはその部屋にどういうやつらがいたのかを調べなくてはならない。彼にとっては造作もないことだった。誘拐だの拉致だの、そんなことが簡単に起こるわけはないのだ。大方、何かやらかしたのだろう。


「さあ、そろそろお昼だよ。速人も体力使って腹が減っただろうし。何か食べに行こう」


 彼はみんなを見て促した。腹が減っては何とやらである。速人の顔で視線を止め、ほんの小さく笑いかけた。速人も同じように笑い返した。



 土曜と言うこともあり、家へ帰っている者や外食をする者もいるので普段よりは少ないが、昼時と言うこともあって食堂はそれなりに賑わっていた。平日と違い研修の合間ではないので、みんなリラックスし、ところどころで大きな笑い声が聞こえる。テーブルは至る所で男女混合になっており、浮かれた雰囲気がそこを支配していた。


 速人ら五人は、それぞれ昼食の乗ったトレイを持ち適当な席に着こうとしていた。


「あそこ、見てくださいよ」


 仁科が他の三人に向かって言った。


 見ると三上涼子と竹下久美子が二人で何か話しながら座っていた。相変わらず涼子は美しさでは他を圧倒していた。前に座る久美子も充分に美人なのだが、涼子が相手となると分が悪い。


「さて君たち、やることはわかってるよね?」


 達也が主に速人を見ながら言う。


 速人は仁科の方をチラッと見て、「わかってるよね?」と言い、仁科の後ろに立ち位置を変える。呆れた顔をしながらも仁科は先頭に立ち涼子らの座るテーブルへ向かって行った。後の四人は少し後ろから彼に続く。


 近付く彼らに気付いた涼子が声を掛けてきた。


「あら、仁科君じゃん。今から食事?」


「うん。そこ座っていいかな?」


「どうぞ、どうぞ」


 屈託なく涼子は言い、久美子も笑顔で頭を下げる。


「ミッションコンプリート」


 仁科は後ろの速人にそっと耳打ちした。


 そして仁科は素早く久美子の隣を確保し、川井がその隣に座る。速人は何となく涼子の隣に座ることになり、達也とニコの順番でそれに続いた。


 席に着くとすぐに仁科が気を利かし、達也とニコのことを二人に紹介した。


「こちらは福永達也さんと田上雅夫さん。八尋さんの知り合いなんだ。川井君は同じクラスだから知ってるよね」


「どうも福永です。よろしく」


 さっきまでとは打って変わった紳士的な態度で達也が応える。


「どうも」


 ニコにしては珍しく声を出して挨拶をした。


 二人の女性は達也に対してはごく普通の対応をした。久美子はニコに対してもいつもと変わらなかったが、涼子は少し驚いたようでやや強張った顔で挨拶をした。


 しばらく七人で食事をしながら雑談していると、涼子が速人に向かって言った。


「そう言えば、由紀が凄い喜んでたよ。八尋君のおかげで帰れるって。あのお兄さん凄い素敵って目を輝かせてたわ」


「それはよかった。と言っても俺は特に何もしていないけどね」


「由紀ってさ、あんな度の強いメガネしてるからよくわからないけど、メガネ外すと凄い美少女なんだよ。知らなかったでしょ?」


「へえ、そうなんだ。何となくは気付いてたけど」


「でもね、八尋君、彼女は未成年だから手を出しちゃダメよ」


 悪戯っぽく笑いながら涼子が速人をからかう。速人が苦笑しながら二、三度軽く頷き返していると、達也が話に割り込んでくる。


「なんだよ、今度は未成年かよ。お前、それは犯罪だぞ」


「そうだよ、八尋君。せめて成人になってからにしなさい」


 言い終えて涼子が豪快に笑った。絶世の美女の豪快な笑いはそのアンバランスさゆえに、より一層彼女の魅力を引き出させる。笑いながら涼子はふと何かに気付いた表情になる。


「でも、今度ってどういう意味?」


「どういう意味でしょうねえ」


 それまで久美子と話していた仁科が意味ありげに言う。


「今度ってことはさ、その前もあるってことだよね? 誰、誰?」


 速人はやれやれと思ったが、これで会話が弾むなら悪くないと思った。男はもちろんだが、女もこういう話題は大好きなのである。たまには生け贄だって必要だ。


「わたし、わかるかも」


 話に久美子も割って入ってきた。


「間違ってたらごめんね。バスケの時、八尋君と話してた人のことじゃない? 凄い可愛い人。なんかいい感じだなあってあの時思ったんだ」


 プッと仁科が笑いを漏らす。御名答。


「ああ、あの人。わたしもわかるよ。他のクラスの人だよね。それにしても手が早いねえ」


 涼子の言葉に速人を除いた男性陣が神妙な顔をして何度も頷いている。もちろんただの悪ふざけなのだがまるでタイミングを計ったかのように四人が同時に同じ仕草をしたので、思わず速人が苦笑交じりに口を開く。


「何なんだ、その連帯感は」


「モテない男のひがみですよ。気にしないでください」


 仁科が殊勝そうな面持ちで言う。


 その様子を見て涼子と久美子は笑った。涼子は大きく豪快に、久美子は小さく微笑むように。


「でもいいなあ。一度しか見てないけどお似合いって感じだったよ」


 久美子が笑いながら速人に向かって言った。


「まだ知り合ったばかりなんだよね? これから付き合っちゃうのかな、みたいな感じでしょ。そんな時って最高じゃん」


 涼子が言うと、他のみんなもそろってそれに賛成した。


 そして速人をいじることが主な話題となり会話が弾んでいった。一度、会話が弾んでしまえば、後から後から話題が尽きることはない。そのうちに個人間でも会話が弾んでいく。食事が終わりトレイを片付けた後もその場に留まり七人で話し続けた。


 速人は飲み物を買いに一度席を外したのだが、帰ってくるといつの間にか達也が涼子の隣に座っている。そしてしきりに涼子に話しかけていた。涼子も楽しそうにそれに応じている。


 速人が二人を横から見る限りお似合いの美男美女に見えた。ただ涼子は誰にでも明るく接するようである。速人らに対しても屈託なく冗談を言い合い、時には鋭くツッコみをいれたりもする。しかもニコにも慣れたようで、驚くべきことに彼をからかったりしていた。ニコもこれほどの美人にからかわれるのは悪い気がしないのかいつになくご機嫌であった。


 向かいの席では仁科は久美子と研修の内容や今後の仕事について熱心に話している。川井もそれを横から聞いて、たまに相づちを打ったり、意見を言ったりしていた。


「ねえ、あの人じゃない?」


 食堂の入り口を見ながら涼子が全員に向かって言った。すぐに涼子の視線を他の五人が追う。その視線の先には先ほどの話題の片割れである上本茜の姿があった。同じ場所にいるのだから、これはごく当たり前のことであろう。彼女も昼食を食べにきていたのだった。仁科や久美子の席からは振り向かなければ見えない位置なので、川井も含めた三人が一斉に振り向いてそちらの方向を見ていた。それで何となく視線を感じたのか、茜も見られていることに気付く。その中に速人の姿を見付たのか小さく片手で手を振っていた。


「ほれ、さっさと行けよ」


 達也は言葉に出して言い、ニコはいつもの小さく口を歪めた笑いだけで速人を促した。


「そうだよ、八尋君。早く行ってあげなきゃ。きっと待ってるよ」


 涼子は何故かとても嬉しそうに言う。明らかに面白がっていた。


「こっちに連れてきちゃえばいいんですよ。俺、呼んできましょうか」


 仁科が立ち上がる素振りを見せながら速人に向かって言った。


 はいはい、わかりました。行きますよ。


 速人は少しだけ恥ずかしそうにしながら立ち上がった。


「じゃあ、ちょっと行ってみるね」



 速人は後ろからの視線を感じながら茜の待つテーブルへゆっくりと向かった。今頃、あいつら楽しくて仕方ないんだろうなと思ったが決して振り返らなかった。


 前には茜がこちらに笑顔を向けて四人掛けのテーブルに一人で座っている。


「よく、寝られた?」


「うん。達也らが部屋でうるさかったけどね。そっちはどうだった?」


「あたしはぐっすりよ。朝、帰ってきた時は同じ部屋の子らもいたんだけどね。起きたら誰もいなくなってた。男の子たちと遊びに行っちゃったみたい。昨日、飲み会でみんな盛り上がってたみたいだったから約束でもしたのかも。おかげさまでこの時間までゆっくりと寝てました」


 速人は茜の前の席に座った。よく四人掛けのテーブルで二人並んで座っているカップルで見かけるが、速人には絶対できないことだった。恥ずかしすぎるだろと彼は思う。


 しかし茜とはまだ付き合っている訳ではないのでそんなことは考える必要はないのだ。そんなことが頭をよぎること自体が強く茜を意識していることの表れだった。


 それからしばらく茜が昼食を食べているのを速人は眺めていた。邪魔してはいけないかと思い特に何も話さずにただ座っていたのである。


 そのうちに茜が速人を見て言った。


「そんなに黙って見られてたら恥ずかしくなっちゃうよ」


「ああ、ごめん。いい食べっぷりだなと思ってさ」


 確かに茜はよく食べていた。よく女性が男性の前に限り『お腹いっぱーい』などと言ってほとんど食べないことがあるが、そんな小細工とは茜は無縁のようだった。そんなところも速人には好ましかった。


「いやだ。あたしそんなにがっついてる? 太っちゃうかなって思うんだけどね。お腹が空いていない時は」


「別にいいんじゃない。俺はそれでいいと思うよ」


「うん。じゃあちょっと待っててね。もう食べ終わるから」


「ごゆっくりどうぞ」


 そんな会話をしているうちに茜は食べ終わり、トレイを片付けに一旦席を離れた。速人は座ったまま達也らのいるテーブルを見てみた。何やら達也が身振り手振りを交えて話しているのが見える。そして他のみんなが笑った。まったくどこへ行ってもうまくやれるやつだと速人は少しだけ達也を羨ましく思う。


 女性に対して食べっぷりを褒めるなんて達也が聞いたら指を指して笑われるだろう。速人はただ素直に思っただけを言うのだが、自分がたまにおかしなことを言ってしまうという自覚はあったのである。


 幸い、茜はそんなことは気にしないタイプの女性のようで速人は気が楽になる。思えば昨夜から茜と一緒にいて気が楽になることばかりだった。茜の方はどうなのかなと考ると速人は頭を抱えたくなる。気を遣わせてばかりな気がしたのだ。


 茜が戻ってきて、「お待たせ」と言い席に座る。


「ああ、美味しかった。片付けもお皿持っていくだけでいいし。何て楽なんだろ」


「いつもは自分でやってるの?」


「うん、あたし高校卒業してからずっと一人暮らしだからね。速人は?」


「俺も今は一人暮らしだよ。その前はずっと男だらけの団体生活」


「そっかあ、兵隊さんだもんね。やっぱりああいうところって大変なの?」


「うーん、不思議とそんなには辛くなかったかな。いいやつばかりだったしね」


 それを聞いて茜の顔が少しだけ真顔になる。


「ごめん、もしかして聞かない方がよかった?」


「うん? 別に構わないよ。気にしないで」


 確かに死んだ仲間たちと一緒に過ごした日々を思い出すことは多少の辛さはあった。嫌でも辛い思い出が甦ってくる。だからといってその時間自体が楽しかったことには変わりないはずだ。どうせ忘れることはできない。だったら向き合うしかない。それに茜には全てをさらけ出したという思いが速人にはあった。今更、この位どうってことはない。


「そんなに気を遣わなくて大丈夫だよ。いつもいつも悩んでるわけじゃないから」


「うん。でも話したくないことがあったらそう言ってね。無理に聞いたりしないから」


 やっぱり、かなり気を遣わせてるようだと速人は感じた。まあ、当然かと思う。つい数時間前に茜の胸で泣いていたのだ。


 気恥ずかしさを隠すように、「男ばかりだとさ、信じられないようなことをしでかすんだよ」と内緒話をするように小さな声で言った。


 その時、速人の頭に浮かんだのは一人の仲間の兵士の顔だった。彼はひょうきん者でいつもみんなを笑わせようとして何か企んでいた。ある日、彼が下半身を丸出しにして兵営内を闊歩していたことがあった。彼の股間にはリボンが巻かれていてそこに小さな糸が結ばれていた。それを手の指で引っ張りながら〝犬のお散歩〟と称し、お澄まし顔で練り歩いていたのである。僕のわんわん可愛いでしょ。兵営内は爆笑の渦に包まれ、さらに何人かが同じことをし始めたのであった。


「それで、どんなことをしでかしたの?」


 一人で思い出し笑いをして、なかなか話し出さない速人に向かって茜が尋ねる。


 これはさすがに下品すぎて今は話せないだろう。


「あまりにひどい話で明るいうちは話す気にはなれない」


「えー、気になるよ。何なんだろ? じゃあ今度、暗い時に教えてね。約束だよ。それでさ、これから何か予定あるの? あたしは暇なんだ」


「いや別に何もないけど」


「よかったらこれから一緒に過ごさない?」


「構わないけど。どこかに遊びに行く?」


 正直なところ、速人は特にどこにも行きたくなかった。ただ茜と話していたいと思っていた。


 茜は少し考えた後、朗らかにこう答えた。


「どこにも行かなくていいかも。話してればすぐに夕方がくるわ」


 どうやら自分は彼女の手の内にあるらしいと速人は思い、さらにそれを自分が好ましく思っていることに気付いたのであった。


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