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徳重わらし

作者: シュプケ

 この春、名古屋市交通局の地下鉄桜通線の駅に、新しい仲間が加わった。

 新たに増設された駅は、鳴子北・相生山・神沢・徳重の四駅で、いずれもこれまでの終着駅である野並を尻目に、さらに先へと延びる路線となった。

 近年の緑区、特に徳重界隈はまこと発展目覚ましく、その成長ぶりたるや、筍もしくは、親戚の童もかくや、といった趣である。

 名古屋駅から徳重まで三十五分という、宅配ピザ屋も顔面蒼白、異空間ワープも玄人はだしの利便性が、その成長を助けたといえるのではないだろうか。あるいは、都市開発を見込んでの延伸なのかもしれない。いずれにせよ、どちらが先かなんてどうでも良い上に、およそマニアックな話題なんぞ私には興味もない。こんなことに食指がびびびと反応するやつは『変態』と額に書くがいいさ。油性ペンなら貸してやる。

 ──などと言っている間に、私の乗り込むその車体は、終点の看板を未だ背負い慣れていない徳重のホームへと、その身を滑らせていた。

 

 ミーちゃんハーちゃん、結構じゃないか。頭に『新しい』、『話題の』と付けば、一度は足を運んでみたくなるのが人の業。夏頃になれば少しはマシか、と機が熟すのを心待ちにしていた結果、実が熟れすぎて腐らせてしまうという愚行に近しい、何処へ行っても人手で賑わう夏休みを選んでしまった私は、そんな輩で溢れるホームから地上をそっと見上げた。階段を上がれば、一体どれほどの風景が広がっているのだろうか。否が応でも期待は膨らむ。

 行く手を阻む家族連れや俄かカップルどもをひょいひょい躱してみせ、独り身の優位性を殊更にひけらかし、先を急ぐ。

 私は慎重に、かつ大胆に階段を登る足を進めた。──奥義、一段飛ばしの術である。

「……なるほど」

 そこには確かに、以前とは違い、大きな建造物が幅をきかせていた。公の施設と商業施設、そして地下鉄の上がり口にバスターミナルまでもが一体となっている。しかし、大きな建造物が幅をきかせている、ということは、それ相応の土地が遊んでいた事実に外ならない。地価の高い所は、もっと細々とした建物が、肩身の狭い思いをして身を寄せ合っているものだ。更にはそれに続く東海通すらも、ひたすらに新しい。

 一陣の風が鼻腔をくすぐる。地下鉄のホームから這い上がってくる独特の匂いと、街に広がる新しいものの匂い。そこに、新緑の息吹とが綯い交ぜになって、私の肺を一杯に満たした。

「さて、とりあえずは何処へ──、ん?」

 信号の袂に、幼女が佇んでいる。

 おかっぱ頭に浴衣姿の幼女が──。

 季節柄、間違ってはいない。だが浴衣とはまた珍しい。もしかしたら近辺でイベントでもあるのかもしれないが。

 幼女は、何処か所在なげであり、また、一般的に信号待ちをする人が対岸を向くのに反し、彼女は、背を向けて──つまり、こちら側を向いて突っ立っていた。青信号になると同時にこのままムーンウォークで渡っていったなら面白いが、多分そんなことはしないだろう。……草履だし。

 限りなく紳士的であると自負する私は、幼女と合法的に触れ合える機会を与えたもうた八百万の神々に万感の念を込め、手を合わせた。

「おう、そこの女童! どうした、お前さん迷子か?」

 幼女は私を不審に思っているのだろうか、不本意ながらその警戒心は真に正しいと認めざるを得ないが、ぱっつん前髪の奥に潜む平安貴族のような眉を顰めると、こう答えた。

「──ぬし。わしが見えるのか?」

 ……おいおい、引くってば。マジで。確かにぽかぽか陽気だが、春はもうとっくに過ぎてるぞ。

「わかった。さてはお前、いじめられっ子だろ? なんだなんだ、幼稚園でシカトでもされてんのかい」

 幼女は無言のまま私をじぃーっと睨んでいたかと思うと、ふっと脱力。

「……成る程のぅ。会話は成立せん、と。わしの話を理解する能力は無しか」

 いきなり侮辱された!

「こらこらこら! 人様を馬鹿者扱いするな! お前さんのちまい姿は見えてるし、へんてこりんな喋り方だって聞き取れてる! ……これで満足か?」

 すると幼女は「これは重畳」と、にまぁと破顔し、続けた。

「ずーっと、ぬしのような者を待っておった。……これまで誰ひとりとして、わしの存在に気づく者がおらなんだからのぅ。どうしたものか、とな」

「……世知辛いな。こんな幼女に放置プレイを強いるとは。──どれ、このロリコ……いや、親切なお兄さんがお前さんを助けてやる。ママとはぐれちまったのか、お家に帰れなくなっちまったのか、どっちだ?」

 まま? と人差し指を立ててこめかみに当てる幼女。その視線は宙をさ迷う。

「……『まま』とは何ぞや?」

 しまったぁ! しくじったかっ!? ──事情は知らんが、この幼女、どうやら母君がいないらしい。なおも「ん、ん?」とつぶらな瞳で私を伺ってくる。くそぅ、針の筵ではないか!

「悪かった。……いや、寧ろ悪くなんかない! お前さんに母御前がいなかろうが、お前はお前だ。私はそのまんまのお前さんを愛す!」

 なんだこれ。勢いで告白してしまった! しかも幼女に! フォローしてやるつもりが新たなトラウマ作ってるだけなんじゃないか、これ。

「ん? 母御前? ああ、『まま』とは母上の呼称のことか。──母上ならわしにもいたぞ」

 それにしてもけったいな呼び名じゃな、『魔魔』とは。最近よく耳にするが、言い得て妙じゃ──、などとひとりごちる幼女。

「けったいなのはお前だ、お前! いるんじゃねーか母親! 気ぃ使って損こいた! だいたい母親いたなら──、……ん? 『いた』?」

「そうじゃ。いた。──もうとっくの昔に消えてしまったがの」

「………………」

「……ほれ、ぬしよ。何をぼさっとしておる。わしを助けてくれるのじゃろう?」

「……あ、ああ。もちろんだ。お前さんを無事に送り届けてやる」

 そう言うと、幼女は左手を水平にまで持ち上げて「握りゃんせ」と、笑った。

「わしひとりでは、よう動けんでのぅ。……ほれ」

 差し出された小さな掌を、私は右手でそっと包んだ。ん、いやに冷たいな、と思った刹那──。

「──っ!?」

 ばちっと指先から電流が迸り、私の全身を駆け抜けたかと思うと、それは幼女にまで伝播したのか(いや、それのせいであるとは到底考えられないが)、彼女の身体がうっすらと発光したかのような錯覚を見た。

「な……なんだ、これっ! 凄まじい静電気だったな! ──お前、一瞬光ったんじゃないか?」

「そんなわけなかろう。……ほれ、行くぞ」

 私の手を引き、先程までとは一転、すたすたと歩き出す幼女。ひとりでは怖くて動けない、みたいな、あのしおらしい発言は一体何だったのだろうか。しかも引く手は、いやに力強いときている。

「お、おいおい。ちょっと待て!」

「──なんじゃ、やかましいのぅ」

「なんじゃ、じゃないだろう! お前、どこ行く気なんだよ? 迷子じゃないのか?」

 キャリーバッグの車輪が歩道の段差に噛んでしまったかの如く、煩わしさを隠そうともせず(舌打ちすらしかねない顔だった!)、『引っ掛かった車輪』こと、私を振り返ると、幼女は言った。

「迷子などではない。……が、ひとりじゃ動けんのは変わらん。──じゃから行くぞ!」

「だから、何処へ?」

「──熊野社じゃ」

「クマノシャ!?」


 ──熊野社。

 それは熊野古道で有名な、熊野三山に祀られる『熊野権現』を勧請した社である……らしい。

 聞くところによると、実に、同じようなものが日本各地におよそ三千ほどもあるというから驚きだ(話を上辺だけ聞くとコンビニのフランチャイズ戦略とどこか被るように思うのは、私だけか?)。

 そして、そのうちの一つがここ。緑区鳴海町神ノ倉に古くからあるという。どれくらい古くからあるのかというと、それは十三世紀──。時は鎌倉時代、蒙古襲来の頃まで遡る、と言う。

 ……誰が言うのか、といえば、私ではない以上ひとりしかいない。──そう、幼女である。

 幼女は神社についての知識をあらかたひけらかし終えると、頼んでもいないのに、今度はこの地の成り立ちについて語り始めた。

「──昭和三十二年。……当時、愛知郡鳴海町と呼ばれていた土地が、この『緑区』として生まれ変わったんじゃ。名は体を表す、というてな、それは土地も一緒じゃ。……人間が決めた呼称に別段興味も無いが、わしは存外気に入っておる。有松・鳴海・桶狭間などを含め──」

「おい、待て」

 私は足を止める。

「何だ、その講釈は? ──いやに詳しいんだな」

「……当たり前じゃろう? 何年この地に縛られとると思っておる。わしは昔からこの地をずーっと見てきたのじゃ」

 昔、とは大袈裟な。……こいつの見た目からして、せいぜい五、六歳といったところだろう。十年ひと昔、とは聞くが、たかだか五年程度を『昔』と言ってしまえるとは。若さとは恐ろしいものだ。

 何はともあれ、私は繋がれていた手を一旦解くと、自分の荷物をがさごそ探り、ある物を手繰り寄せた。

「ぬし……、何しておるのじゃ?」

 ──おっ、あったあった! 私は黒のキャップをすぽん、と外す。

「おい、幼女! その可愛らしいでこを少しばかり見せてみろ、ほれ!」

「ん、こうかの? ──ひゃあぁぁあっ!? な、なな、なにするかーっ!」

 ──秘技、ひけらかし封じの術!

 前髪が持ち上げられ、つるっと露出した幼女の額には『変態』の二文字が殊更綺麗に映えていた。

「──安心せい、水性じゃ。おぬし。なかなか似合っておるぞよ」

 いかんいかん、馬鹿じゃりの言葉遣いが伝染ってしまったではないか。

 

 徳重の交差点を北へ進み、東海通の整然さとは異なり、区画整理範囲から外されたひと昔前の大通り然とした道(というより、綺麗なのは東海通だけじゃね?)を、子供の足で二十分ほど歩くと、はたしてそれは唐突に姿を現した。

 とはいっても、現れたのは『熊野社』と彫られた石碑と、深く広がる木々。そして、奥へと誘う玉砂利の道のみである。本殿は見えない。

「──この奥じゃ」

 ……この奥。この奥に一体、何があるというのか。──いや、勿論あるのは本殿や社務所の類いに違いない。そうではなく、この幼女を自宅、あるいは知人の元へ送り届けるつもりが、何故かえらい所へ来てしまったものだ。

「お前、……まさかここの人間じゃないよな?」

「……そうじゃの。ここの人間ではないのぅ」

 幼女はそう言い、私を見上げると緩く目を細め、参道へと足を向けた。

 じゃり、じゃり、と玉砂利は音を鳴らす。鬱蒼と茂る樹木はその数を増やし、森と呼ぶに相応しくもある。比較的、町の様相を呈している土地だと思っていたが、文字通り、一歩踏み込むと古来の姿をも垣間見ることが出来るようだ。……なるほど、と頷かざるを得ない。

 これが『緑区』と呼ばれる由縁なのであろう。

 細い道を暫く進むと、前方に長い階段が現れた。……面倒だ。

「──窓」

 ずっと口を閉ざしていた幼女は、ふいにそう呟いた。私は顔を向ける。

「窓、というものは、すべからく内側と外側を隔て、そして、繋ぐものじゃ」

「……ん、まあそうだな」

「そういう意味では、この場所は『窓』じゃと言える。──ぬしらの『あれ』と一緒じゃよ」

「……『あれ』とはなんだ?」

「ほれ、何といったかのう。……鉄の道を走る、奇怪なもぐらのお化けのようなやつじゃ」

 ……多分、地下鉄だろう。我々は階段を上る。幼女の歩幅を考え、一段ずつ。

「窓を潜ることで異なる場所へと移ることが出来る。──長かったのう」

 長い、というほど歩いた感覚は私には無いが、幼女には少し距離を歩かせ過ぎたのかも知れない。だが、その階段もあと少しだ。

「……本当に長かった。ぼちぼち立ち去る頃じゃと思うてはおったんじゃがの。ようやく叶った。──ぬしのおかげじゃ」

「……? よく分からんが、お別れの挨拶みたいなことを言うんだな。……本当にここでいいのか?」

 幼女は、こくんと頷き、繋がる私の手を今一度、ぎゅっと握った。私もそれに呼応し、小さな掌を握る手にきゅっと力を込めた。

「ぬしよ──」

「何だ?」

「……窓を潜り、手早く身を移すのもよい。じゃが、時間や利便性ばかりに目を奪われるのは些か勿体ないとは思わぬか?」

 幼女は続ける。

「つらつらと歩き、道を訪ね、目で緑を味わう。……俗物的な嗜好は確かに甘かろう。じゃがのぅ、本物の旨味というものは、じっくり噛み締めたのちに、初めて分かるものなんじゃ。──と、わしは思う。じゃから、この地はこうなった」

「……どういう意味だ?」

 しかし幼女はそれに答えず、最後の一段を踏み締めた。私もあとに続く。

「──! おお、結構綺麗じゃないか!」

 比較的、新しくも感じる建物ではあるが、その佇まいには威厳すら伺える迫力がある。

 鳥居の向こうに、そんな本殿はあった。

「──お別れじゃ」

「えっ、お別れって……」

 辺りを見渡すと本殿の他に、右手に社務所らしき建物があった。きっと初詣などの際には、こちらで御神籤などを売っているのだろう。紳士を気取るからには、ここで「はい、さようなら」という訳にはいかない。やはり保護者を見つけ、無事に引き渡すまでが責任であろう。

「待てよ。人呼んで来てやるから。あそこに誰か居るんだろう?」

 幼女はゆっくりと首を振る。そして「おるかも知れん。しかし、わしとは関係無い」と言った。

「じゃあ、なんでここに来たんだよ? 神社の人間と関係が無いんなら──」

「人間とは関係が無い。わしが関係あるのは……こいつじゃ」

 そう言って幼女が指したものは──鳥居だった。

「こいつを潜れば……わしは消える。──とは言っても、別の場所に飛ばされるだけかも知れんがの」

「……消える、だと? な、なにを馬鹿な」

 全くおかしなことを言うやつだ。これだから額に『変態』などと掲げているやつは信用ならん。──などと、思っていると、

「これを書いたのはぬしじゃろうが!」

 そう幼女に突っ込まれた! ……口に出してはいないのに、だ。

「……お前」

 幼女は私の手をほどく。そして、初めてと言っていいだろう、私に頼ることなく足を鳥居に向け、──進めた。

「待て!」

 私は別に、こいつの話を信じた訳ではない。こいつはただ、変な格好をし、変な話し方をし、変な知識を有し、そして額に『変態』などと掲げているだけの幼女だ。……だから、決して信じた訳ではない。ただ、……どうしたことか。

 私は幼女に鳥居を潜って欲しくはなかった。

 幼女は私の声に振り返ることはせず、足だけを止めて言った。

「──そんな顔をしなさんな。いいかげんわしを休ませてくれてもよかろう? 心配せんでもよい、この地なら大丈夫じゃ」

「そんなことを言っているんじゃない! 私はただ──」

「これでいいのか、じゃろう? ──いいんじゃよ。わしが少し長居しすぎただけじゃ」

 再び、歩み始める幼女。その草履が鳥居の袂に差し掛かると……、

「──のう、ぬしよ」

 と、幼女は、そうひと言呟いて、

 ……そして、消えていった。

 それはまるで、アスファルトが蓄積する熱でたつ陽炎のように、ゆらゆらと揺れて、そして、じわじわと霞んで──。

 薄く透過していく、その向こう側でそよぐ緑が、とても印象的で綺麗だった。

 そんな現象に目を奪われてしまっていた私は、ただ、その小さな背中を見送ることしか出来なかった。


 参道を下る。行きは小さくはあったが、確かに掌には温もりがあった。しかし、帰りは私ひとりだ。木々の生い茂るほの暗さが、きっと私を心細くさせているのだろう。

 右手に広がる森に視線をやると、手前の木に『野猿に注意』と書かれた貼り紙が目に入る。……狐ならぬ、猿にでも化かされていたのかも知れない。

 そんなことを思いながら歩いていると、いつの間にか徳重の交差点まで戻ってきていた。

 ポケットに手を差し込む。指に当たった何かを掴み、取り出してみると、それは私が行きがけに買っておいた帰りの地下鉄乗車券だった。

 幼女の言葉を反芻してみる。

「窓、か。──うーん、徳重、神沢、相生山、鳴子北。……で、野並か。ま、歩けなくはないか」

 消える間際に幼女が言った。その言葉に私は言い様のない幸せを覚えた。もしかしたら、それこそが幼女の力であったのかも知れない。この地と人を結び付ける力だったのかも知れない。

 私は乗車券を無造作にポケットへ押し込むと、よし、と一つ気合いを入れ、東海通を西へと歩いた。

 照りつける日射しが厳しい、そんなひと夏の、些細な出来事だった。


『──のう、ぬしよ。……わしを訪ねてくれて、見つけてくれて……ありがとうのぅ』



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