雨の日のあおくん【青色のお話】
この世界には不思議なひとびとがいる。
彼らはそれぞれ違った色を纏っており、もれなく見目麗しい。限りなく人に近いけれど、人ではない存在。
私の友人の"あおくん"もその一人だ。
彼は深い青色の髪と透き通るような青い目を持ち、震えるほど美しい顔をしている。そしていつも、綺麗な青色の着物を着ていた。
彼は雨の日にだけ街へ出て、傘をさしながら散歩をしている。だから私も雨の日になると、傘をさしてあおくんを探しに出かけるのだ。
あおくんと初めて出会ったのも、勿論雨の日だった。あの日私はお母さんと喧嘩をして、子供ながらに家出してやる、などと言って雨の中に傘もささずに飛び出したのだった。しかし、雨に打たれて頭の冷えた私は、なんてことを言ってしまったんだと冷えた体を抱きすくめながら後悔に苛まれていた。
そんな時、傘をさしかけてくれたのがあおくんだった。初めて彼を見た私は、思わず「きれい」と呟いた。鮮やかな青色の髪、深い青色の目、そしてスッと通った鼻筋や薄く弧を描く唇。その全てが今までに見た何よりもきれいだった。
青くてきれいなお兄さんは「ありがとう」と微笑んだ。そして私の隣にしゃがみ込むと「どうしたの?」と声をかけてきた。私は、お母さんと喧嘩して家出したこと、けれどもう反省していること、今更帰ることもできず途方に暮れていることを全て話した。
彼はたどたどしい私の話を最後まで優しく聞いてくれた。そして私の頭をポンポンと撫でながら、
「お母さんもきっと心配しているよ。素直にごめんなさいしたら大丈夫、お家に帰ろう」
と言った。それでも不安だった私は、図々しくも家まで一緒に来てほしいと頼んだ。そんな私のワガママにも彼は嫌な顔一つせず、家まで送ってくれた。
その最中、私は彼に名前を尋ねた。しかし彼は言った。
「僕には名前がないんだ」
私はびっくりしてしまった。名前がない人がいるなんて。それじゃあ、呼びたい時に困ってしまうではないか。幼心に困惑した私は、彼にこう提案した。
「それじゃあ、あおくんって、呼んでもいい?」
子供らしい安直な発想だった。綺麗な青色をしているからあおくん。しかし彼は、あおくん、と一度呟くと嬉しそうに顔をほころばせた。
「あおくん、気に入ったよ。これからはそう呼んでおくれ」
気に入った、その言葉に気を良くした私はあおくん、あおくんと繰り返し呼んだ。その度にあおくんはああ、なんだい、と嬉しそうに返事をしてくれた。
そうして家の前まで来た時、私はあおくんに尋ねた。
「あおくん、また会える?」
あおくんと二度と会えなくなるなんて、絶対に嫌だった。そんな私の不安を拭い去るように彼は優しく微笑むと、
「ああ、会えるよ。でも僕は雨の日しか外に出られないからね。雨が降ったら、僕を探しに来てくれたら嬉しい」
と言った。
私は、わかった、約束する! と小指を出した。あおくんは最初、不思議そうに私の手を見ていたが、やがて合点がいったようで小指を私のそれに絡めた。
その後家に帰り、母と仲直りした私はすぐにテレビの天気予報をチェックした。次の雨予報は五日後だった。早くまたあおくんに会いたい。雨の日をこんなに待ち遠しく思ったのは生まれてはじめてだった。
それからというもの、雨が降るたびにあおくんを探しに街へ出た。彼と会えるのは二回に一回ほどだったが、それでも彼を見つけると「会いに来てくれたんだね」と優しく声をかけてくれた。それは年齢を重ねても変わらず、気づけば私たちは友達と呼べるほどの仲になっていた。
あおくんと会うと、決まって散歩をして過ごした。あおくんは花を眺めるのが好きで、道端に咲く紫陽花や躑躅を見つけると足を止め、綺麗な横顔を寄せた。そんなあおくんを私は、いつもぽうっと見つめていた。
あおくんは年をとらない。初めて出会った三歳の時から十八歳になった今まで、あおくんに外見の変化は一切見られない。やはりあおくんは人の理を超えた存在なのだろう。しかし私は、あおくんの世界を見つめる優しい瞳や、自然を愛する清らかな心に強く惹かれている。だから、あおくんが年をとらないことや、ひいては何者であるかなども大した問題ではないのだ。
あおくんと会うようになってから、私は夏が嫌いになった。理由は簡単、雨が降らないからだ。雨が降らなければあおくんには会えない。それにたまの雨で会えたとしても、あおくんは元気がないようだった。
とある夏の日、あまりにも元気のなかったあおくんに大丈夫? と尋ねた。
彼は弱々しく「大丈夫だよ」と答えた。
「お家で寝てなくてもいいの?」と聞くと彼は、
「君に会いたくて出てきちゃったんだ」と言った。
きっとその時からだろう、あおくんに友情以上の気持ちを抱くようになったのは……。
そんなあおくんと、最近全く会えていない。というのも今は八月、夏真っ盛りで毎日が茹だるような晴天だからである。今年の夏は特に雨が少なく、ニュースでも毎日のように取り上げられるほどだった。
そんな暑さの中でも、私の頭の中はあおくんのことでいっぱいだった。ただでさえ夏は元気がなくなってしまうあおくんなのに、こんな猛暑が続いて倒れていたりはしないだろうか。いてもたってもいられなくなった私は、毎日スポーツドリンクを片手に炎天下を歩き回り、何かあおくんの居場所の手掛かりはないかと探していた。
そんなある日のこと。傲慢なほどに燦然と輝く太陽を恨みがましく睨み付けながら街を歩いていると、私の目に鮮やかな赤色が飛び込んできた。それは、燃えるような赤い髪と赤い目を持ち、深紅の着物を着崩した美しい男性の姿だった。
私は一目でその人があおくんと"同じ"であると理解した。彼ならば何か知っているかもしれない。そう思うと、足が勝手に動き出した。そして赤色の彼の前に立ちはだかると「あのっ!」と裏返った声が口をついて出た。
「何用だ、小娘」
低い声が耳に届いた。どうやら赤色の彼が返事をしてくれたらしい。近くで見るとその顔は恐ろしいほど整っていて、おもわずたじろぐが勇気を振り絞って口を開く。
「あの、あおく……あなたと同じ、青色の人を探しているんです。雨の日にしか会えないのは知ってるんですけど、元気にしてるか心配で、その……」
「青色のがどこにいるか知りたいと?」
こちらの言葉を待たずに赤色の彼が言う。
「そうなんです! ご存知ではありませんか?」
必死に問いかけると、赤色の彼はふむ、と何か考えるような素振りをした。
「確かに儂は青色のがどこにいるかを知っておる。しかし……青色のは、お主に会いたくないと思っているだろうよ」
その言葉に少なからずショックを受ける。
「それは……何故、ですか」
口から出た声はとても小さかった。
「誰しも、人には見せたくない姿があろうよ。それにお主の方こそ、今のあやつの姿を見たら今まで通りに接することは難しいだろうな」
「それは、どういう……」
「来てみれば分かる。だが、後悔しても知らんぞ」
そう言って歩き出した赤色の彼を追って、私もあおくんの元へ向かうことにした。
赤色の彼に連れてこられたのは、古びた一軒家だった。
赤色の彼は「入るぞ、青色の」と言うと、返事を待たずにズカズカと家に入っていく。私も慌てて「お邪魔します」と後に続いた。
部屋の中は冷房が効いており少し寒いくらいだった。そんな部屋の真ん中には布団が敷かれており、真ん中がこんもりと膨らんでいた。そこにあおくんがくるまっているのだろうか、いや、それにしては随分と膨らみが小さいように思える。
「青色の、愛しの娘がお主を心配しておるぞ」
そう赤色の彼が声をかけると、布団の膨らみがビクリと震えた。しかしそれ以降反応はなかった。
「致し方ない……小娘、よく見ておれ」
そう言うと赤色の彼は布団を勢いよく取り払った。
そこにいたのは、真っ青なヒキガエルのような生き物だった。大きさは一抱えほどあり、お世辞にも可愛らしいとは言えない……万人が醜いとさえ言うであろう姿だった。
私は驚いて声すら出なかった。
「……どうして来たんだ」
その生き物は嗄れた声を発した。その言葉で私は、この醜いヒキガエルこそがあの美しいあおくんなのだと確信させられた。
「我らはこの世界そのものから力を得ておる。儂の場合はそれが太陽であり、こやつの場合はそれが雨なのだ。世界から力が得られぬと、我らは力を失い、このように醜い姿となる」
赤色の彼が静かに語った。
「……幻滅しただろう。早くお帰り」
あおくんがしわがれた声で言った。
私はその足を一歩、二歩と踏み出し……あおくんに駆け寄り、彼を抱きしめた。
「……!」
あおくんが驚いて身じろぎをする。そんな彼を逃さないよう、私は強く強く抱きしめた。
「あおくん、幻滅なんかするわけない。どんな姿でもあおくんはあおくんだよ」
あおくんがこちらを向いた。その醜いはずの顔さえ、愛おしくてたまらなかった。
「暑い日が続いてたから、あおくん倒れてるんじゃないかって心配してたの。体は大丈夫?」
「ああ……それは大丈夫、でも君……僕が気持ち悪くないの……?」
「気持ち悪いわけない! こんなにあおくんのこと好きなのに、そんなこと思うわけない」
思わず好き、という言葉が口をついて出た。
あ、と思った時には、あおくんは全身真っ青でも分かるほどに顔を赤くしていた。
「お熱いのう。儂はこれにて失礼するよ。あとはお若いの同士ごゆっくり」
赤色の彼は笑いながら出ていった。
束の間の静寂。それを破ったのはあおくんだった。
「さっき赤色さんが言っていた通り……僕は雨が降らないとだんだん力が弱まっていって、最終的にはこんな姿になってしまう。ここまでになるのは滅多にないことだけど、今後もそうならないとはいえない」
「うん」
「それに、外に出られるのは雨の日だけだし」
「うん」
「人とは寿命も生き方も何もかも違うから、きっと迷惑をかけてしまう……」
「うん、つまり何も問題ないってことね」
あおくんが驚いた顔でこちらを見る
「どうして……」
「それだけあなたのことが好きなの」
そう言って微笑むと、彼もふにゃりと破顔した。
「こんなこと言われたの、生まれてはじめてだよ」
彼は泣きそうな声で言った。
「じゃあ……」
あおくんから体を離し、真剣な表情をつくる。
「これからも私と、ずっと一緒にいてくれますか?」
彼は今までで一番優しい声で言った。
「僕で良ければ、喜んで」
そうして私達は、もう一度しっかりと抱きしめあった。
「そうと決まったら、お母さんたちにも紹介しなくちゃ」
「あのー、それは雨の日でもいいかな……?」
おずおずとあおくんが言う。
「仕方ないなぁ」
そう言って私は、彼の水かきの生えた手をぎゅっと握りしめた。
そして、その日はやってきた。
その日は朝から小雨が降り続いていた。私は床に臥せりながら、窓の外を眺めていた。
「気分はどう?」
あおくんが部屋に入ってきた。彼は出会った頃と何も変わらない、若々しい姿のままだった。
「ええ……いいわ。雨だからかな」
ひび割れた声でそう言って軽く微笑むと、彼もまた微笑み返してくれた。
「もうそろそろかしら」
そう呟くと、彼の表情が曇った。人の理を超えた彼のことだから、きっと分かっているのだろう。それでもこうして悲しんでくれることが、少し嬉しかった。
「ねぇあおくん……私、あなたと一緒にいられて良かった。雨の日も晴れの日も毎日、あなたと過ごすことができて本当に幸せだった」
「うん……僕も、君の人生を一緒に歩むことができて、本当に本当に幸せだった」
そう言いながら彼は、綺麗な青色の涙を零した。
「ふふ、泣かないでよ」と皺だらけの手で彼の涙を拭っていると、
「あ……」
いつの間にか雨は止んでおり、窓の外には虹がかかっていた。
「虹……初めて一緒に見たかも」
「そうだね、僕は初めて見た……いつも雨が上がるのを怖がっていたから……こんなに綺麗なものだったんだね……」
「そっか……」
二人でしばらく虹を見つめる。やがて虹は薄くなってゆき、ついには消えてしまった。
「虹、消えちゃったね」
「うん……いや、また一緒に見よう。生まれ変わっても僕と、一緒に」
そうだ、生まれ変わってもまたあおくんに会いに来ればいいんだ。そう思うと、寂しさが少し和らいだ気がした。
「うん……またね、あおくん」
私は彼に微笑みかけると、穏やかな気持ちで瞳を閉じた。




