もしもテレビ
オープン間もない日帰り温泉『トーゲンキョー』に来たのは初めてだった。
ゴールデンウイーク中なので家族連れで混んでいた。それでもゴールデンウイークでもないかぎり、うちの会社の場合、連休を取るのは無理かもしれなかったが。
ぼくは長男の宗助と男湯、妻の芳美は長女の和恵と女湯。
浴場は思っていたほど広くなかったが、風呂上りのアミューズメント施設が充実していた。
ゲームセンター、マッサージ、ファミレス、喫茶店など、料金はロッカーキー付属ICで精算できるのが便利だ。
入浴を済ませると子供たちは妻に預け、ぼくは一人でリラクゼーションルームに向かう。
入口で店員に言われてロッカーキーをかざすとバーコードリーダーがICを読み込み、「ピー」と音がする。
「一時間まで追加料金なしでご自由にお楽しみいただけます」
店員が言う。
リラクゼーションルームにはマッサージチェアや筋トレマシン、体重計などが複数置かれていたが、部屋の奥に奇妙な機器を見つけた。
テーブルの上にデスクトップPCが置いてあり、PCの上の壁に『もしもテレビ』と張り紙がしてある。
折り畳み椅子に座り、パウチされた説明書を読んでみる。
パラメータを入力すると、あなたが人生で選択しなかったパラレルワールドの人生が映画で楽しめると書いてある。
早速、マニュアルにしたがってスタートしてみた。
まずLCDディスプレイ内蔵カメラで自分の顔を撮影する。生年月日や身長、体重、職業などを入力し、最後に文章で、自分の願望をできるだけ詳しく書く。
ぼくは億万長者になりたいと書いてリターンキーを入力する。
かくして映画が始まった。
ぼくそっくりの顔をした人物が主人公で豪邸に住んでいる。庭のガレージには複数台の高級車が並ぶ。
ぼくの職業は投資家。株式や先物取引でぼくの資産管理会社は莫大な利益を出していた。
自宅の他に別荘は国内に三軒、海外に一軒を所有。
ところがある日、ぼくが自宅のリビングルームで年代物のワインを飲んでいるとき、強盗が入る。
強盗は銃を持っていた。物取り目的なのは明らかだ。
「助けてくれ」
ぼくは手を上げる。
「金ならいくらでもやる。命だけは助けてくれ」
だがぼくがそう言い終わらないうちに強盗は銃の引き金を引いていた。
ディスプレイは動画が停止し、空白になる。
リラクゼーションルームで『もしもテレビ』を見ていたぼくは、ふと我に返る。あまりに映画に没頭していたので、今、自分が日帰り温泉『トーゲンキョー』に来ていることも忘れていた。
ぼくは今度は、パラメータに女にモテモテの男になりたいと書いてリターンキーを押す。
今度の映画はいきなりベッドシーンから始まった。
モデルのような美女とぼくそっくりの男が裸で戯れている。
急にスマホが鳴る。
「もう行かないと」
ぼくが言う。
「早く戻って来て」
美女がぼくの腕をつかんで言う。
ぼくはベッドから立ち上がり、部屋を後にする。
実はスマホは他の女からだった。今日、デートする約束だったのをぼくが忘れていたのだ。
この他、ぼくのスマホには1ダース近く愛人の電話番号が登録してあった。
ぼくは女をとっかえひっかえしてアバンチュールを楽しむプレイボーイだった。
それから一週間後のある日、自宅のタワマンに帰宅すると妻、芳美の様子が変だった。
芳美はリビングルームのソファーから立ち上がると、用紙をぼくに突き出し、
「あなた、この離婚届にサインしてちょうだい」
芳美は興信所に依頼してぼくの不倫を徹底的に調べたと説明した。
「ちょっと待ってくれ、こっちの事情も聞いてくれ」
しかし芳美は突然、リビングルームのドアを開け、ベランダに飛び出した。
飛び降り自殺をする気か。ぼくは咄嗟にそう思い、ベランダに出て、芳美の腕をつかむ。
だが芳美はベランダから飛び降りる。腕をつかんでいたぼくもベランダから落下する。
ここは30階だ。落ちたら命はまずないという思いがほくの脳裏をよぎる……。
「お楽しみいただけましたか」
店員がニタニタ笑っている。
リラクゼーションルームの蛍光灯が点滅しているのが気になる。
「さんざんだよ」
ぼくが言う。
「お金持ちになったと思ったら強盗に殺されるし、女にモテモテになったと思ったら、妻と無理心中だ。なんでハッピーエンドにならないんだろう」
「まあ人生の運の総量はみんな平等だという説があります。極端に幸福なことが起きるとそれと同等の不幸なことが起きて調整されるんじゃないですかねえ」
「冗談じゃないよ。『もしもテレビ』って、だれが作ったの。人気ないでしょう」
店員は腕統計を確認する。
「どうですかお客さん。まだ時間ありますから、追加料金なしで、もう一回だけ『もしもテレビ』をお楽しみいただけますよ」
ぼくは吐息をつき、もう一回だけ『もしもテレビ』につきあうことにした。
するとディスプレイには子供部屋がうつし出され、ぼくそっくりの男がこちらをにらんでいる。
ディスプレイの中のぼくは髪はぼさぼさで、服はよれよれのだらしない恰好だった。
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ディスプレイが真っ黒になる。電源を切られたのだ。
「佳彦、もうやめなさい。何時間、『もしもテレビ』やってるの」
母親だった。
佳彦は回転椅子に座ったまま大きく伸びをする。
「あんたももうすぐ四十歳でしょう。いい加減、働きなさい。
お父さんは来年、定年退職するのよ。あんたを養えないわ」
「おふくろ、ひどいなあ」
佳彦が言う。
「電源切るのやめてよ。ゲーム機が壊れちゃうって言ったでしょう」
「あんた、ガキじゃないんだから、一日中、大人がゲームなんかやってどうするの」
母親はいらいらしながら部屋を出る。
「あたしもこれからバイトなの」
この部屋は子供のころから自分の部屋だった。
子供のころ、自分がこんな人生を送るとは思っていなかった。
大学を出て会社に就職したが、上司のパワハラに耐えられず、数年後に退社。その後、アルバイトをいつくかやったが長続きせず、ニートになって親の稼ぎで暮らしている。
アパートで一人暮らしした時期もあったが、家賃が高いので実家に居候している。
自分の子供のころの夢は、会社に勤め、妻子を持ち、休日には家族連れで日帰り温泉に行くこと。
ささやかで欲ばりすぎない夢だと思っていたが、それさえもかなわなかった。
目下のところ、ゲーム機で一日中、『もしもテレビ』をやるのが佳彦の日課だった。
佳彦はゲーム機のスイッチを入れ、『もしもテレビ』をスタートさせた。
(了)




