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第1話 幽閉と脱出

 公爵邸の北棟、陽光すら遠慮がちに差し込むその一室は、死んだような静寂に包まれていた。


 一国の公爵夫人たる者が命懸けで世継ぎを産み落としたというのに、扉を叩く祝いの言葉も、産後の肥立ちを案じる医師の姿もない。


 廊下を通り過ぎる使用人たちの足音は、まるで腫れ物に触れるのを避けるように遠ざかっていく。


「……温情を待つ必要なんて、微塵もありませんわね」


 テティアの唇から漏れたのは、嘆きではなく、凍てつくような決意だった。


 かつて愛したはずのこの屋敷は、今やただの冷たい石の檻に過ぎない。彼女の視線の先には、忠義の塊である侍女メアリーがいた。

 彼女だけが、この薄情な屋敷の中でテティアに寄り添い、主人の尊厳を守るために孤独な戦いを続けていた。


「テティア様、お食事です。厨房の連中には少々『教育』を施して参りましたわ。産後の御身に必要な栄養、一欠片も妥協はさせません」


 メアリーが運んできた温かなスープの香りが、殺風景な部屋に唯一の人間味をもたらす。二人はテーブルを囲み、昨夜の嵐のような出来事――エリスの誕生と、この屋敷との決別――を、驚くほど冷徹に整理し始めた。


「ねぇ、メアリー。執事に伝えてちょうだい。産後の身ゆえ、最低でも一月は動けないと」


 テティアはスープを一口含み、視線を上げた。


「……もっとも、そんなに長くここに居座るつもりはないけれど」


「承知いたしました。一月と言っておけば、敵も油断しましょう。その隙にこちらの準備を整えます」


 メアリーの頼もしい言葉に、テティアは微笑み、机の上に並べた数通の封筒を指先でなぞった。それは、彼女がこれまでの人生を精算し、娘エリスとの平穏を紡ぐための謀略だった。


「記入済みの離婚届は執事へ。この離縁申立書はお城の法務省へ。……そして、これが一番大事よ」


 差し出されたのは、実家であるカリスト侯爵家への手紙。


「お母様のへ宛てたもの。大至急、届けてちょうだい。メアリー、貴女だけが頼りなの。……今から話す脱出計画、秘密にできる?」


「命に変えても」


 メアリーの瞳に宿る炎は、テティアの決意と共鳴し、部屋の空気を熱く震わせた。


〜〜〜〜〜〜〜


 それから一週間。公爵邸には不気味なほどの静寂が続いた。


 テティアたちは自室に閉じ籠もり、外部との接触を断った。公爵側は「産後の肥立ちが悪い」という報告に、あるいは安堵し、あるいは興味を失っていた。


 だが、閉ざされた扉の向こう側で起きていたのは、医学の常識を覆す奇跡だった。


(……エリスちゃん、加護をありがとう。お陰で体がとても軽いわ)


 通常、産後の回復には数週間から数ヶ月を要する。しかし、テティアの体はわずか五日で完治していた。内側に宿る魔力は清流のように澄み渡り、肌は真珠のような輝きを取り戻している。


 腕の中で眠る愛娘、エリスディーテ。彼女がもたらす神聖なエネルギーが、テティアの細胞を活性化させていたのだ。

 満面の笑みで微笑むエリス…


(……きゃああ! うちの女神様が可愛すぎて息が止まりそう……!)


 心の中で親バカを炸裂させるテティア。赤ん坊の柔らかな頬に触れるたび、彼女の覚悟は鋼よりも硬くなっていく。この子に、あのような冷酷な父親の影など一秒たりとも踏ませはしない。


「テティア様、カリスト侯爵家より馬車と護衛が到着しました」


 メアリーの声が、終わりの、そして始まりの合図を告げた。


「これより、強制撤収に入ります」


「ええ。準備はできているわ。エリスちゃん、ママとお出かけよ」


 メアリーが魔道具で外部へ合図を送ると同時に、公爵邸の正門付近で怒号が響いた。


 報告を受けたアーレス公爵が顔を出す暇もなかった。カリスト侯爵家の精鋭騎士たちが、まるで戦場を制圧するかのような手際で屋敷へ雪崩れ込んできたのだ。


「何事だ!」「ここは公爵邸だぞ!」


 狼狽える従僕たちを、騎士たちは鋼の壁となって押し留める。


 その間、メアリーはテティアを簡素ながらも気品溢れるドレスへと着付けた。

 テティアの頬を突くメアリー


「……テティア様、出産前より神々しく、益々お美しくなっていませんか? 何か特別な肌ケアでも?」


 メアリーが不思議そうに首を傾げる。


「ふふ、メアリーにはいつか教えてあげる。今は、秘密よ」


 テティアはエリスを寝かせた藤編みのクーファンを愛おしげに抱え、一歩、また一歩と廊下を踏みしめた。


 立ち塞がろうとする執事や従僕たちは、騎士たちの殺気と、何よりテティア自身から放たれる圧倒的なオーラに気圧され、道を開けるしかなかった。


 公爵邸の重厚な門が、背後で遠ざかっていく。


 テティアを乗せた馬車は、土煙を上げ、追随を許さぬ速度で草原を駆け抜けた。窓の外に流れる景色は、もはや彼女を縛り付ける過去ではない。


「行き先は――まずは、カリスト侯爵家ね。まずは、予定通りに進めることが前提ね」


 テティアは窓から遠ざかる公爵邸を一度だけ見つめ、そして静かにカーテンを閉めた。

腕の中のエリスは、満足そうに小さな寝息を立てている。


 愛する娘を守り、育むための新しい戦場。そこは同時に、二人が真に自由に生きるための聖域となるはずだ。

ここまで読んでくれてありがたいのじゃ!

第二章からは妾もお母様も一杯活躍するでのぅ。楽しみにして欲しいのじゃ⭐

よかったらのぅ評価もお願いしたいのじゃ!

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