第5話 出立と『アビス・レッド』
ミレニアム共和国の首都、タウンハウスでの穏やかな日々は、砂時計の砂が落ちるように早く過ぎ去った。
亡命から五カ月。季節は移ろい、テティアたちはついに自らの足で歩むための地、サリウス伯爵領へと引っ越す準備を整えたのである。
出立の朝、辺境伯邸の広場には別れを惜しむ声が響いていた。
「テティア様、どうか健勝で。サリウスの地が、あなたとエリスディーテ様にとって真の安息となるよう祈っておりますわ」
「セシリア様、ありがとうございます。あなたとの語らいが、私の凍てついた心をどれほど溶かしてくれたことか……」
テティアと、同年代の義姉であるセシリア夫人は固く抱き合った。
かつて孤独な公爵夫人だったテティアにとって、対等に笑い合える友との別れは身を裂くほどに辛い。だが、その瞳にはもう迷いはなかった。侍女メアリーもまた、共に過ごしたメイドたちと涙を流し、再会を誓い合う。
「皆様、本当にお世話になりました。これは根性の別れではありません。私は、サリウス伯爵領の主として、父と母を支え、新たな理想郷を築くために邁進いたします」
テティアと母ミモラが並び、見事なカーテシーを見せる。その後ろには、弟メイルとの『交渉』によって勝ち取った五台の豪華な馬車、そしてサリウス領騎士団の精鋭二十名が居並んでいた。
希望に満ちた門出。旅路は五日。だが、その中日に『それ』は待ち構えていた。
三日目。
一行は、魔の森の深淵を望む山岳地帯の峠、その頂にある野営地でもある休憩所で足を止めていた。
陽光が降り注ぎ、騎士たちが昼食の準備をしていた、その時。
ぴたり、と鳥の囀りが止んだ。
森の奥底から、大気を震わせる不穏な低振動が伝わってくる。
「……何かが来るぞ!」
騎士長の鋭い声に、一団に緊張が走った。騎士たちは即座に剣を抜き、ミモラとテティア、そして非戦闘員たちを円陣の中央へ囲い込む。
次の瞬間、峠の向こう側の森が、まるで紙細工のようになぎ倒された。凄まじい風圧と共に広場に躍り出てきたのは、山岳の支配者、深紅の体躯を持つ伝説の魔獣だった。
「なっ……こんな浅い森に、『魔赤竜』だと!?」
誰かが悲鳴を上げた。
全身を溶岩のような深紅の鱗で覆い、琥珀色の瞳に殺意を宿した巨大な竜。本来、人里に近い場所には現れないはずの、天災に等しい存在である。
メアリーは恐怖に顔を蒼白にし、騎士たちは死を悟って剣を握る手が震えた。だが、その絶望の渦中で、テティアだけが静かにクーファンの中の愛娘を見つめた。
(お母様、驚くことはない。こ奴は妾の力に惹かれて来たのじゃ……このトカゲを試練として、お母様の力を、この騎士どもに刻みつける絶好の機会なのじゃ)
エリスの念話に、テティアは驚愕ののち、全てを理解して深く頷いた。
彼女は、恐怖に震えるメアリーの肩に手を置き、静かに告げた。
「メアリー。もしものことがあったら、私を置いてエリスだけを連れて逃げなさい。約束よ」
「テティア様……!? いけません、そんな!」
「お願いね。……この子は、私の命よりも大切な、世界の宝なのだから」
テティアは慈愛に満ちた微笑みをメアリーに向け、止めるミモラの声を背に、一歩、また一歩と竜の前に歩み出た。
不思議だった。かつては魔獣討伐に怯えていた自分が、今は狂暴な竜を前にして、高揚感すら覚えている。
エリスから日々、叩き込まれた膨大な知識と術式が、彼女の血液の中で熱く脈打っていた。
「テティア様! 危険です、後ろにお下がりを!」
騎士長が、死地に割って入った主君の姿に驚愕し、喉を潰さんばかりに叫ぶ。
しかし、テティアは微笑んだまま、優雅に首を横に振った。
その背中は、騎士たちの目にはもはや守るべき弱者ではなく、戦場を支配する『将』のそれに見えた。
「さぁ、行きますわよ。……私たちの領地を脅かす不届きなトカゲさんには、少々お灸を据えなくてはね」
その瞬間、彼女の周囲の大気が凍りつき、宝石のような魔力が渦を巻く。
「さあ踊りなさい、深紅の竜――私の愛する者たちを、傷つけさせはしません!」
これこそが、サリウス領の伝説として語り継がれることになる、氷炎の戦いの幕開けであった。
いつも読んでくれて難有いのじゃ!
とうとう、お母様の本領発揮じゃ!次回は、お母様のカッコイイ姿が見れるので大興奮じゃ!それに、意外な参戦者も登場するでのぅ、楽しみにするのじゃ!
応援してくれる読者の為に…妾は…
妾は…張り切って頑張るからのう!
(*´ω`*)/応援これからも頼むのじゃ⭐




