第13話 旅と亡命
襲撃という嵐を脱したテティア一行は、死地を潜り抜け、ようやく隣領の駅馬車乗降場へと辿り着いた。
侍女メアリーは、主人であるテティアとまだ幼いエリスをターミナルの雑踏に残し、周囲を警戒しながら宿を探した。
駅馬車の受付で「女性向けの防犯が最も堅牢だ」と評判の宿を執念で見つけ出し、幸運にも滑り込みで確保した二名一室の空き。
そこへ二人を迎え入れ、重厚な扉に鍵をかけた瞬間、メアリーは崩れ落ちるように椅子に腰を下ろした。
ようやく、人心地がついた。
夕食を終え、室内には静かな休息の時間が流れる。ベッドでは、テティアとエリスが寄り添うように深い眠りについていた。
(この時、エリスとテティアは公爵邸に意識を飛ばしていた)
メアリーは一人、冷めかかったお茶を啜り、ここ数日の間に起きた地獄のような騒動を思い返して深いため息を吐いた。
ふと、異変に気づいた。
「あらぁ? 急に外が静かになったわね…」
窓の向こう、賑やかだった夜の街の喧騒が、まるで世界が一時停止したかのように鳴りを潜めている。
それは、はるか遠方でエリスが放った『魔力のポイ捨て』が空間を震わせ、生きとし生けるものすべてが本能的に沈黙した瞬間であった。
しかし、死線を越えたこの旅路と襲撃の疲労は、メアリーにそれ以上の思考を許さなかった。
彼女はこの不自然な静寂を、ただの幸運な安らぎとして享受したのである。
しばらくして、テティアとエリスが同時に目覚めた。
二人は一言も交わさない。だが、その瞳には常人には理解し得ない『共有された記憶』の色彩が宿っていた。
沈黙の中、テティアはごく自然にエリスを抱き上げ、授乳を始めた。その光景は聖母のようでありながら、どこか儀式的で、超然とした空気を纏っている。
(テティア様とエリスお嬢様の雰囲気が、変わられた……?)
メアリーの胸に、鋭い針で刺されたような小さな痛みが走った。
見つめ合う二人の間には、言葉を必要としない『精神の共鳴』がある。自分だけが取り残されているような、言葉にできない疎外感が、メアリーの忠誠心を寂しく揺らした。
翌朝、一行は再び駅馬車のターミナルへ向かった。
喧騒の片隅に、家紋も装飾もすべて剥ぎ取られた、薄汚れた馬車が停まっている。
テティアはメアリーに待機を命じると、エリスを抱いたまま迷いのない足取りで御者の元へ向かった。
やがて戻ってきたテティアは、困惑するメアリーを無言で促し、その無骨な馬車へと押し込んだ。
「メアリー。あなたは、行き先がドラン帝国だと思っていたのでしょう?」
「はい……この街からは、帝国行きの定期便か、国内の隣領へ向かう馬車しか出ていないはずですから」
「ふふ、これは事前に手配していた『秘密』の便よ。この馬車で陸路を三日、セイリュウ領の港町を目指すわ。そこから大河を船で下り、ミレニアム共和国へ亡命するの」
テティアの口から語られた旅程は、緻密かつ大胆なものだった。
四日目からは船で大陸の動脈たる大河を下り、六日目にはミレニアム共和国のザザン領へ。さらに陸路を走り、十日目には首都ミレニアムへ至る。それは、追手の鼻を明かす完璧な逃亡ルートだった。
旅は、驚くほど順調に進んだ。
窓外に広がる、黄金の海のような広大な麦畑。その美しさに目を奪われ、不遇の日々を一時忘れる。
港町では、揚がったばかりの魚料理の芳醇な香りに舌鼓を打ち、揺れる船上では大河のせせらぎに耳を傾けた。
ザザン領の港で味わった多国籍料理は、これから始まる新しい生活の多様性を象徴しているようだった。
テティアが亡命先にミレニアム共和国を選んだのには、明確な理由があった。
そこは絶対王政ではなく、国王はあくまで『象徴』。政治の実権は貴族と商業ギルドが議員制によって握る、実力主義の国家である。
何より、宗教的偏見が薄く、黒髪・黒目の『忌み子』という迷信が通用しにくい土壌があった。
そして最大の理由は、テティアの母ミモラの実家である「エンケラド辺境伯家」がその地に根を張っていることだ。
公爵家に監禁されていた頃、テティアは母を通じて密かに亡命を打診していた。
転送魔法による秘密の通信で、受け入れの快諾と、旅費や御者の手配を内密に済ませていたのである。
ついに、首都ミレニアムの巨大な南門が姿を現した。
入国審査は、事前の手続きにより驚くほど速やかに完了した。
馬車が首都の石畳を鳴らしながら進むにつれ、活気に満ちた市場の声や、自由を謳歌する民の熱気が車内に流れ込んでくる。
やがて、一行の前に重厚な門扉が現れた。
歴史の重みを感じさせる、龍と鳳凰が複雑に絡み合う意匠。エンケラド辺境伯邸のタウンハウスである。
門扉の前で馬車が止まり、御者が門兵に魔力認証済みの紙筒を手渡す。
知らせを受けた屋敷の奥から、ロマンスグレーの髪を端正に整えた老執事が現れた。彼は恭しく頭を下げ、馬車を正面玄関へと誘導した。
車輪の音が止まる。
テティアがエリスを抱き、クーファンにそっと寝かせ、メアリーに託した。そして、新たな一歩を踏み出す。
それは、母娘にとっての幸福な再出発であると同時に、ミレニアム共和国……ひいては大陸全土を揺るがす『神の化身』が、その牙城に降り立った瞬間でもあった。
平穏を謳歌していた共和国に、終焉へのカウントダウンを告げる鐘の音が、エリスの瞳に反射して静かに響いた。
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