第11話 崩れ落ちる権威と魔力災害
「忌み子を置くことで聖教会と対立することとなる。我が公爵家でさえ、大陸全土を敵に回して守り切ることはできん……。
一人の赤子を犠牲にして、領民と家名のすべてを守る。これが、公爵家当主に課せられた血の責任だ」
アーレス公爵は、床に伏したまま、自らに言い聞かせるように言葉を絞り出した。
その声には、信仰という名の狂気に支配された世界の縮図が凝縮されていた。
「この大陸のすべての国に聖教会の根が張っている。リレトス聖教法国が実質的に大陸全土を掌握しているのだ。
聖教会は黒髪、黒目を『悪神の再来』と定義し、それを匿う者は国家公認で異端審問にかけられる。
逃げれば、異端審問官が地の果てまで追い詰め、一族郎党、赤子に至るまで根絶やしにする。……逆らえるはずがないのだ!」
エリスは、その必死の弁明を、冷え切った眼差しで見下ろした。
「黒髪と黒目の逸話か……。くっ、くくっ。滑稽じゃのぉ。黒髪、黒目だけでは魔王や冥王にはなりえん。
ただ、少々……いや、人には過ぎたる力が宿るだけのこと。何も知らぬ無力な赤子を、己の保身のために『忌み子』と断じる。聖教国家か……下らん。反吐が出るほどにな」
エリスは、この世界の『宗教』という概念が理解できなかった。ゆえに、意識の深淵にある『世界の記憶』へとアクセスする。
(なるほどのぉ……)
脳内に奔流となって情報が流れ込む。
女神オフィリアを唯一神と仰ぎ、清貧と潔白を説く教義。魔王や冥王を『絶対悪』として人類の敵として排斥することで大衆の結束を促し、女神を『美と救済の化身』として崇める装置。
各国の王が戴冠する際、聖教国の聖王による承認を必須とすることで、実質的な支配権を握る一極集中構造。
その裏側で、教義を盾にした私腹を肥やし、不都合な者の暗殺、腐敗しきった権力闘争の記録が、泥水のように溢れ出していた。
「理解した。聖教会とリレトス聖教法国、これらは今日、この時をもって滅ぼすとしよう。……アーレス公爵よ、お主の領地は今回は『警告』で済ませてやる。
妾の慈悲に、魂を削って感謝するのだな。
次はない。
ことと次第によっては、この国ごと、地図から消し去ることも厭わぬ」
「なっ……正気か!? 聖教国を滅ぼすなど……」
「さぁ、下らん思想を広めた罰じゃ。リレトス聖教法国、滅亡の時である」
エリスは浮遊したまま、吸い込まれるようにテラスへと出た。
空はどんよりとした暗雲に覆われ、今にも雨が降り出しそうな湿った風が吹いている。
しかし、エリスが右手を天に翳した瞬間、世界の『理』が書き換えられた。
翳した手の先、遥か上空で、転移された魔力が一点に収束していく。
その密度は、空間そのものを悲鳴を上げさせるほどに高く、辺りには青白いスパークが奔り、夕闇を白銀の閃光が焼き尽くした。
彼女が創り出したのは、魔法ですらない。ただの『純粋魔力の質量体』である。
それを成層圏ギリギリ、上空一万メートルの高みに固定する。
その一塊だけで、一つの大陸を焦土に変え、地殻を揺るがすほどのエネルギーが渦巻いていた。
エリスが冷酷にその手を振り下ろそうとした、その時……。
(こらぁぁ!! エリスちゃん! 国を簡単に滅ぼしたら『メッ!』 です!)
頭の中に、雷鳴よりも響く、しかし聞き慣れた温かい声が響き渡った。
(び、ビックリしたのじゃ!? お、お母様っ!な、 なぜ、妾の意識に干渉できるのじゃ!?)
(もぅ! エリスちゃん。お母さんにはバレバレですよ! やりすぎは『メッ!』 です!)
(……っ。は、はぃなのじゃ…お母様……)
エリスの峻烈な神威が、一瞬にしてしおれた子猫のようになり、彼女は宙で縮こまった。
( そんな奴らはもうほっといて、早くこっちに戻ってらっしゃい!)
(……はぃなのじゃ。お母様。……でも、なぜ、本当に干渉できたのじゃ?)
(それは、子を想う母の力は無敵!……って言いたいけど、冗談よ。さっき、エリスちゃんが魂を縛る術を逃げる二人に掛けたでしょ?
その時に『パス』が二人とエリスちゃんに繋がったのが分かったのよ。その時に術を理解したのよ。
宿の部屋でエリスちゃんの意識がどこかへ飛んでいくのが分かったから、精神感応の術を編んで、意識の糸を辿ってきたのよ。侯爵邸やここでの出来事、全部見ていたわよ?)
(ほぉ……母上は天才なのじゃ! 妾の魔力を解析して術式を創るとは……)
(術式って言うのね!エリスちゃんとこうしてお話しできるのが、お母さんは一番嬉しいわ! さあ、その危ない塊をポイして帰ってきなさい!)
(はいなのじゃ! お母様! この魔力の塊は、このままポイして帰るのじゃ!)
(ええ、戻ってらっしゃい!)
リレトス聖教法国が『母親の説教』という、神の雷よりも強力な力によって救われたことを知る者は、遠く離れたテティアだけだった。
エリスは不機嫌そうに公爵を振り返る。
「……今回だけは、至高の存在の介入により、聖教国の滅亡は免じてやる。次回はないと思え、公爵よ。さらばじゃ!」
エリスは、極限まで圧縮され、青から紫、そして禍々しい紅へと色を変えた魔力の塊を、文字通り『ポイ捨て』するように上空に放置し制御を切り離した。
――それは、人智を超えた天変地異の幕開けだった。
制御を失った超高圧の魔力塊は、周囲の自然魔力を強引に呑み込み、高度一万メートル上空で臨界点を超えて爆発した。
ドォォォォォォォォォォォォンッ!!!
ガレリア大陸のどこからでも視認できるほどの巨大な光柱が天を突き抜けた。
爆発の衝撃波は、大陸上空を覆っていた分厚い雲を一瞬で消し去り、星空を強制的に露出させた。
衝撃による魔力風は、暴風となって地を這い、各国の気圧を激変させた。
内陸部では突如として巨大な雹が降り注ぎ、ダウンバーストが発生して堅牢な石造りの家屋すらも紙細工のように押し潰した。
近海では海面が数メートルも陥没し、その反動で発生した巨大な高波が沿岸の港町を襲った。
人々は、何が起きたのかすら理解できなかった。ただ、空が燃え、大地が震え、海が逆巻く光景に、神の怒りを感じて祈りを捧げることしかできなかった。
家畜は怯えて死に、人は天変地異の前にただの塵であることを思い知らされた。
「「…………っ!!」」
アーレス公爵と執事は、腰が抜けたままその光景を呆然と見上げていた。
リレトス聖教法国は滅亡を免れたかもしれない。だが、これ一つで大陸をこれほどまでに蹂躙した存在が、自分たちのすぐそばにいたという事実に、顔は土気色を超えて青白くなった。
聖教国の脅威? 異端審問官の追撃?
そんなものは、目の前にいた存在が機嫌を損ねることに比べれば、そよ風のようなものだ。
「……根本から誤っていた。対応を、すべて間違えたのだ……」
公爵は、自らの愚かさを痛感し、震える手で顔を覆った。
やがて、依り代となっていたイオの体が床に崩れ落ちた。
エリスの意識が抜けた後の彼は、ひどい魔力酔いを起こしていたが、幸いにも命に別状はない。
アーレス公爵は、このままでは自分が、あるいはこの国が滅ぼされることを悟った。
彼は大急ぎで、絶縁同然だったカリスト侯爵へ使いを出そうとしたが、その時、門兵が血相を変えて駆け込んできた。
「公爵閣下! カリスト侯爵家より早馬が到着しております! 極めて緊急の親書とのことです!」
公爵は、震える手で封蝋を剥がした。
そこには、テティアの背後にいる『本物の化け物』からの、あるいは彼女を守る者からの、最後通牒とも言える言葉が並んでいるに違いなかった。
彼は、門兵に返信の筆を走らせるよう命じ、もはや一刻の猶予もないこれからの絶望的な対応を考えるのだった。
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