03
アイアン・グレイブの闇市は、極めて単純な経済原理で回っている。「死んだもの」が「死にかけのもの」を養う、それだけだ。
陽太郎は体を小さく縮め、何にも触れないように慎重に歩いた。ここの露店は、実質的に青空手術台のようなものだ。隻眼のオークが、刃こぼれした鉈で紫色に変色した肉塊を叩き切っている。おそらく、さっき陽太郎が遭遇した腐食喰らい(ロット・イーター)の肉だ。ゴルフボールほどもある巨大な黒いハエがオークの周りにたかり、騒々しく蠢く生きたカーテンを作り出していた。
「おい……」陽太郎は鼻をつまみ、小声で言った。「このワールドビルディング、手抜きすぎないか? なんでオークはいつも肉屋なんだよ。プログラマーやフラワーコーディネーターのオークがいたっていいだろ」
ザルは振り返らなかったが、背中越しに軽蔑の視線を投げつけた。「社会的分業について不満があるなら、あの親父にテメェを売り飛ばすぞ。オークは若い人間の肉が好きなんだ。筋が少なくて柔らかいからな」
街角に、薄汚い群衆が集まっていた。歓声が上がっているが、スポーツ観戦のそれではない。交通事故の現場に野次馬が集まるような、病的な興奮を含んだざわめきだ。
輪の中心には一人のエルフがいた。だが、金髪碧眼で森の加護を受けた優美な射手ではない。骨と皮ばかりに痩せこけ、肌は灰のようにくすみ、尖った耳は枯れ葉のように垂れ下がっている。彼は蛍光色に輝く青い液体が入った小瓶を握りしめていた。通称『ブルー・デス(青い死)』だ。
「見えたぞ! 見えたあああ!」エルフは白目を剥き、よだれを垂れ流しながら絶叫した。「ゲートが! 神域が! 我は永遠の光の使徒なり!」
陽太郎は足を止めた。「お、プロット・ツイスト(物語の急展開)か? 狂った予言者が世界の秘密を握っているパターン?」
会話イベントを発生させようと、一歩踏み出す。もしかしたら古代の巻物か、重要な予言を授けてくれるかもしれない。
エルフは首を仰け反らせ、『ブルー・デス』を一気に喉へ流し込んだ。
聖なる光が彼を包むことはなかった。天使の翼が生えることもなかった。
『ボムッ』
湿った、鈍い破裂音がエルフの体内から響いた。
エルフの皮膚が、沸騰したプラスチックのように泡立ち、膨れ上がる。首筋の血管が鮮やかな青色に変色し、破裂した。血ではない。発泡する酸の溶液と化した体液が、目、鼻、耳、あらゆる穴という穴から噴き出す。
悲鳴を上げる暇もなかった。下顎が舌と共にボトリと落ちる。身体が内側から溶解し、その場に崩れ落ちて、煙を上げるヘドロの山と化した。
群衆は「あーあ」とつまらなそうな声を上げ、すぐに散っていった。
「上映終了だ」一匹のゴブリンが呟き、かつてエルフだったヘドロの山を蹴って、小銭が落ちていないか探り始めた。
陽太郎は立ち尽くしていた。胃液が再び喉までせり上がってくる。
「あれは……アセンション(昇天)か?」震える声で尋ねる。
「マナ・オーバーロード(魔力暴走)だ」ザルは平然と言い、酸の混じったヘドロを避けることもなく踏み越えた。鉄のブーツが『ジュッ』と音を立てる。「ここの魔法は奇跡じゃねえ。放射能だ。飲めば変異するか、爆発する。あの馬鹿は自分が『選ばれし者』だと思ったんだろうが、結果は『溶かされし者』だ」
陽太郎は溶けていく死体を凝視した。システムウィンドウがポップアップし、事象の解析を試みる。
【対象分析】
名前:[データ消失]
死因:知能指数欠損(レベル7)
戦利品(Loot):なし
「ゲームロジックが残酷すぎる……」陽太郎は身震いし、慌ててザルの背中を追った。もう見たくなかった。ここには運命も宿命もない。あるのは、道端で野垂れ死ぬジャンキーだけだ。
……
ザルは、市場の中で一番マシに見える――つまり一番頑丈そうな――屋台の前で足を止めた。装甲車の残骸を改造して作られた店舗だ。焦げた油の強烈な臭いが漂ってくる。
「『残飯』、二つ」
ザルはカビの生えた硬貨をカウンターに叩きつけた。
店主であるサイボーグ――頭の半分が錆びた金属で覆われている――は無言のまま、へこんだ鉄のボウルに、茶色とも灰色ともつかないドロドロのスープを二杯、乱雑によそった。
ザルはその一杯を陽太郎の方へ押しやった。
「食え」
陽太郎はボウルの中を覗き込んだ。魚の目玉(あるいは何かの目玉)が、粘度の高いスープの中に恨めしげに浮いている。
「これ……」陽太郎は唾を飲み込んだ。「食品衛生法的にどうなんだ? 俺、『鉄の胃袋』スキルなんて持ってないぞ」
ザルは答えず、ポケットから何かを取り出した。柄の折れたプラスチックのスプーンだ。彼女はそれを自分の服――さっきの怪物の血がついたままの服――で無造作に拭うと、陽太郎のスープに突き刺した。
「使え」彼女は陽太郎を見ず、油断なく通りを監視しながら言った。「手掴みだと、ここのバクテリアで指が腐り落ちるぞ」
陽太郎は薄汚いスプーンを見つめ、次にザルを見た。彼女は自分の分を、味などどうでもいいという様子で荒々しく流し込んでいた。
「どうも……家宝のスプーンをありがとうよ」
陽太郎はスプーンを握り、スープをひとすくい口に運び、目を閉じて飲み込んだ。
洗剤とオガクズを混ぜたような味がした。
【ステータス更新】
空腹度:20%減少
食中毒:5%増加(許容範囲内)
「で、だ」陽太郎は吐き気をこらえながら言った。「計画はどうなってる? パーティーを組んで、低レベル帯でモブ狩り(ファーム)して、装備を整えて、それから魔王城へ向かうのか?」
ザルがスプーンを止めた。彼女はまるで、陽太郎が「通りで裸踊りをしよう」と提案したかのような目で彼を見た。
「テメェは脳内のお花畑シナリオに毒されすぎだ」ザルの声が低くなり、危険な響きを帯びた。「よく聞け、三流役者。魔王なんていねえ」
「は?」陽太郎は呆気にとられた。「でも……ラスボスはいるだろ?」
「いるのはウォーロード(軍閥の長)どもだけだ」ザルはスプーンの先を、遠くに見える黒い煙突群へ向けた。「奴らはエリアを支配し、血とバッテリーを税として搾り取る。一人殺せば、別の奴がその椅子に座るだけだ。『世界平和』なんてエンディングはない。『次は誰が鞭を握るか』、そして『誰がよりデカい鞭を持っているか』。それだけだ」
「じゃあ、ここで生きる目的は何なんだよ?」陽太郎は問いかけた。絶望感が肺を満たしていく。「メインストーリーがないなら、俺たちは何だ? マップをうろつくだけのモブNPCか?」
ザルは立ち上がり、座っていた椅子を蹴り倒した。
「目的だと?」
彼女は口の端を歪めた。傷跡のせいで、それはひどく歪な笑みに見えた。
「このクソみたいな世界を書きやがった作者のツラに、罵詈雑言を叩きつけるまで生き延びることだ。行くぞ。夜になる。こんな時間に外にいたら、骨までしゃぶられるぞ」
……
彼らは寝床を見つけた。宿屋ではない。
廃棄されたコンテナが積み上げられた場所だ。終末世界の『カプセルホテル』といったところか。
ザルは銃痕の残る古い寝袋を陽太郎に投げつけた。
「寝ろ。今夜の見張りは俺がやる」ザルはコンテナの入り口に座り込み、ハンマーを手元に引き寄せた。
「アンタは寝ないのか?」陽太郎は寝袋に潜り込みながら聞いた。背中に冷たい金属の感触が伝わる。
「俺が寝たら、誰がテメェの番をするんだ?」ザルは答え、不気味な遠吠えが響き始めた闇を見つめた。「パッシブスキルの『超感覚』のおかげで、10メートル先のゴキブリの足音まで聞こえるんだよ。オマケに慢性不眠症付きだ。……割に合わねえスキルだぜ」
月のない漆黒の夜空を背景に、ザルの孤独な背中が浮かび上がっていた。陽太郎は何も言えなかった。
陽太郎は目を閉じた。明日には、サーバーが永久メンテナンスに入っていることを祈りながら。




