第3話 省若
〈那暈〉の強度ならば、このビルの屋上から跳び降りてもきっと無事なのだろう。
それなのに、降参までしていながら、焦って後を追おうとしてしまった。うっかりアレの真似でもしていれば、今度こそ私はお陀仏だというのに。
踏みとどまれてよかった。
一時の決別のためなのかもしれない。地上へ落ち、元の居場所へと姿を消す〈那暈〉を見送った。
この時点で、〈那暈〉に抱いていた屈辱のほとんどは、消え失せてきている。
〈那暈〉が仕掛けた戦いが命の取り合いだったなら、私は後悔だけ抱きながらその人生を終えていたはず。
もし自分の歩み終えた人生を改めて顧みる方法がなかったとしても、それは今際の心の在り方として最悪に近い。
向こう見ずに挑んでしまったこの一戦で死ななかったことは、何よりの幸運だ。
〈那運〉のとった態度を抜きにしても、この結果は得られなかった。
どれだけ戦闘の相手が劣っていても、それを直ちに殺して排斥しようとはせず、戦意のある限りこちらの身体を極力損なわず、向き合い続けてくれる。
結果的にそのような振る舞いとなっただけかもしれないが、その姿に今は優しさを見出さずにいられない。
屋上階の面積の四分の一も満たない屋内スペースのの戸を開けてみると、階下に接続できる階段がある。
すべての階は電気照明もなく、殺風景で代わり映えしない。
ここに立ち入った用件もないうえ、仮にだらだら降りているのを見つかって不法侵入だと言われたら厄介だから、早々に下りることにした。
もちろんリベンジを仕掛ける。
戦いを挑む相手が〈那暈〉である限り殺されることはないんだ。組手と思えばいい、躊躇する必要はない。
アレに幾度となくいいように地面に転がされても、嘲笑されることも起こり得ない。私の体力の許す限り、何度でも負けられる。
しかしながら、さすがに漫然と殴られにはいくつもりはない。攻略方法を考えなければ。
結局、初手の胸部への蹴り以外は、私は一度も〈那暈〉に攻撃を入れられていない。あとはひたすら打ちのめされるのみだった。
動きが苛烈だが、それでも、触れたり攻撃したりしただけでは〈那暈〉との戦闘に勝利したことにはならないということ。絶対に、それより一、二段くらい上の勝利条件がある。
戦いにおいて、攻撃することの延長線上にあるもの。「傷を残す」「身体の機能・自由を奪う」「殺す」。
少なくとも一度だけ入れた蹴りでは、手ごたえも傷を負わせた様子もなかった。まずは〈那暈〉に傷を負わせることを目標としなければならない。
絶対に、手掛かりはあの拳にこそある。
〈那暈〉自身が軽い、だなんてことはない。
構えは鈍重そのものだったし、繰り出した肢の速さも、恐ろしいものでこそあったが、あの巨体、あの質量の範疇だろう。
なぜ〈那暈〉の拳打は見せかけだけ厳つくて、実際はハリボテなのか?なぜあんなややこしい仕掛けを、造りをしているのか?
造りといえば、〈那暈〉が最初に纏っているあの布。アレの意味は何だ?
布に着火できる者の特徴について、私の予想である「戦闘への重い観念」というのは間違いではないらしい。
私自身、実際に一度は着火できたのだ。戦いについて、そこらの人間とは向き合い方が違うという自負もある。そして残されたいくつもの逸話。これらが根拠だ。
実際、何か品定めをするならば、なぜそこで選り分ける?
そこで選んだところで、本当にあの〈那暈〉を破れる力があるとは限らない。
否、選り分けている基準が違うんだ。布で戦意を、像そのもので別の何かを、それぞれ見るための仕掛け。
ある程度、確信は持てた。
最初に戦った時も、「着火には『戦闘への重い観念』が必要」だなんて、言ってしまえばただの妄想を携えて訪れたのに、私はそれに基づいて成功させてしまえた。
今度もきっと通用する。
それに、やっぱり殺されることはない。これが大きい。これがしくじったならば、また別の策を考えればいい。
気楽だ。
翌朝すぐに訪れた。これまでの思索は、すべて一晩の間でのもの。
やっぱり人目は気になるから、訪れるのを相当早くにしたと記憶している。
点火装置は、以前使っていたのと同じだ。日常生活で使う機会もないので、燃料は全く減っていない。
やることは同じ。着火口を近づけて、点火――。
「――待っていィ――たぞ。」
状況を掴むのに時間がかかった。
〈那運〉の声。まだ肩から垂れる布に火をつけていないのに、途中途中で調子をとるような、例の話し方をしている。
「……元々、その状態で喋れたのか?」
「いや、オレはさっきまで——ェ空寝していただけのことよ。」
〈那暈〉の胸に彫られた日輪がすでに光を放っていたのだが、今度はこれが、垂れる布を透かして見える。
不意に、腕が懐に動く。布を日輪に押し付け、自ずから着火する。
布が焼き消えると、伴う熱気がチリやら何やらを巻き上げる。
「さあ——ァて……」




