8)真相
本日2話同時に投稿いたしました。こちらは1話目です。
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夏の休みは八月にある。
この休みの間、エルゼリは教育係メロウのに別荘に招かれていた。
王家にしてみれば、危険なルディエ侯爵家からエルゼリを避難させた形だ。メロウの報告で義母と義妹がちんぴらであることはわかった。
そんなことはつゆ知らず、エルゼリはメロウの別荘で計画を立てていた魔法の訓練に明け暮れる予定だった。
今はなにも考えたくなかった。
夏休み前に、エルゼリは学生たちの噂話を聞いた。
「クレイ殿下の婚約者、ミランダ様に決まりそうね」という。
他の二人の候補ラーシアとクローナが候補を辞退したからだ。
エルゼリはやはり数に入っていないらしい。
「才女だものねぇ、ミランダ様。法学科だもの」
「そうそう、おまけに美人」
「リュデル家って裕福な公爵家だし。完璧よね」
「法学科でも順調にお二人で愛を育んでらっしゃるみたいよ」
「クレイ殿下と同じ法学科だもの、そりゃね」
「授業のことで熱心に話してるんですって。教室の片隅で」
「なるほどねぇ」
「単なる政略結婚じゃないってことね」
噂の中では、クレイ殿下とミランダ嬢は恋愛結婚することになっていた。
クレイからあまりそういう話は聞いていなかった。エルゼリは記憶を探るがなにもない。
話せるわけがない。一種の浮気ではないか。
エルゼリはクレイのことを浮気だとか言える立場ではないが。
方や、完璧な公爵令嬢。方や、魔力が高いだけが取り柄の落ちぶれた侯爵令嬢。
大事なのは人柄と思おうとしても、エルゼリは自分がそんな清廉潔白な優しい人間でないことはよく心得ている。
ミランダはきっと猛勉強をして王立学園の法学科に入学したのだろう。クレイ王子に相応しい婚約者となるために。
駄目だ。気持ちが奈落の底に沈みそう。
これが嫉妬なのだろうか。そうだ、嫉妬している。クレイと法学科で話ができるミランダ嬢に。
エルゼリも週に二回クレイと話してる。おまけに政略とはいえ婚約者だ。なんて欲張りなんだろう。
自分の貪欲さに気付き、ぞっとした。
この燻る嫉妬心をどうすればいいんだろうか。
それで、エルゼリなりに考えた。
自信が持てればいいんじゃないか。王子妃として役立つ人間になればいい。
うじうじしているのに疲れたエルゼリは、自分の得意分野を伸ばす方針でいくことにした。
エルゼリは、王子妃教育を熱心に受けていた。
最近、王子妃教育で知ったのは、下町の下水道事情だ。
王都の中心部は下水道が完備されている。だが、下町に近づくほどなおざりになっている。そのせいで病気が流行る。劣悪な環境にしか住めない人たちに被害が広がる。
下水道の工事は、予算と国土保全のための法律、下水道法や河川法などが関わってくる。
それに、下町に乱雑に立ち並ぶバラックの問題。問題山積だった。
クレイはときおり孤児院の視察などに行っているという。
まだ十歳くらいのころから、王妃の視察に付いていったというから、偉いとしか言い様がない。
エルゼリの十歳のころと比べてはいけない。落ち込むから。
下町にほど近いところにも孤児院はあり「もっと整備したい」とクレイは考えていた。
下水道工事を魔法で工夫して経費削減し、もっと予算が少なくて済むようになったら助けになるだろうか。
土を柔らかくして穴を掘りやすくする魔法、どっかで見たような気がする。そういうやり方で手助けできるんじゃないか。
「私の得意分野」
これぞ、得意分野の使い道だろう。
そんなわけで、ご先祖様の魔法資料を持ってきた。オラン家の別荘で練習させてもらおう。
のちに、クレイは、メロウから「エルゼリ様は、うちの別荘の近所で空き地を見つけては畑仕事をしておられました」と報告を受け、頭を抱えた。
クレイがお忍びでエルゼリに会いに行ったときも土だらけで作業をしたあとだった。
草原の真ん中で、すやすやと眠っているエルゼリの額にキスをした。
「んん」
とエルゼリの瞼が震え、綺麗な若葉色の瞳が見えた。
「ゆ、め?」
エルゼリの声が寝ぼけている。
「お忍びで会いに来たんだ」
「こえ、も、きこえる」
「夢じゃないからね。どうして畑仕事してるのかな、私の婚約者は」
「んん、あれ、クレイ」
「そう。こんなところで無防備に寝ないでほしいな」
エルゼリは慌てて起きた。
「えっと、魔法の練習を」
「ハハ。エルといると退屈しないな」
「びっくり」
殿下が来るなんて聞いていない。
クレイはシャツとズボンというシンプルかつラフな格好だ。相変わらず距離が近い。草原の真ん中で二人、体が触れるほど側に座っていた。
草の香りがする。野花の仄かな香りも。草原を渡る風がクレイの髪を揺らしていた。
クレイは優しく頬笑んでいた。彼が浮気などするだろうか。エルゼリへの優しさは、必要な魔力充填用の婚約者だからだろうか。そうではない気がした。
「私のほうがびっくりしてるんだけど。なんで畑仕事してるのかな」
草原はあちらこちら掘り返されている。土魔法が使われたのだろう。
「う、上手くいったら、報告します」
「仕方ないなぁ。誕生日のプレゼントになにがいいか教えてくれたら許す」
「え、いきなり? 欲しいもの? でも、十五歳の誕生日なんて、そんなに祝わなくても」
ガゼリア王国では誕生日を祝うのは五歳、十歳、十六歳と決まっている。他の誕生日は家族でご馳走を食べるくらいだ。十六歳は成人のお祝いも兼ねるので宴を開いたりする。
「私が祝いたいんだ。欲しいものとか、好きな色とか教えてくれないか」
「あ、えっと、モモのタルトがいいです」
「ぷっ」
「え? 今、笑うところ?」
「もう、わかった。桃色だけ、ヒントにしておく」
「あ、好きな色は水色!」
「そう?」
クレイはのちに、エルゼリが水色が好きなのはクレイの瞳の色だからとシェリー経由で知った。
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休みが明けて一週間後。
エルゼリは屋敷でカロリナとリリアン、それにアランに詰られていた。
斜め後ろにはいつものようにメロウが気配を消して控えている。
エルゼリは目をぱちぱちと瞬いた。詰られるわけがわからない。
「お前は! なぜ王太子の婚約者候補に妹を推さない!」
という、あり得ないアランの言葉から始まった。
メロウも呆気にとられた。
「私にそんなこと出来るわけないでしょうが」
エルゼリの声は呆れて力が抜けていた。
我が父親ながら本当に知能が低い。それに無知だ。初等部の学生でももっと常識を知っている。
「きさま、婚約者候補だろうが!」
「えぇ。単なる婚約者候補ですが」
「お父様、本当に酷いんですの。私はクレイ様にご挨拶に行こうとするのですが、ちっともお会い出来なくて」
リリアンが嘘泣きしながら父に訴える。
「はぁ?」
エルゼリは思わず眉を顰めた。
王子殿下に挨拶? おまけに、殿下ではなく名前を呼んでいる。
クレイ王子は法学科だ。
法学科は昔から王族や高位貴族の嫡男が通う科だ。成績優秀者しか入れないため学生数も多くない。
防犯を考慮し隔離されたような一画に学舎がある。他の学生は行きにくいようになっており、警備員が絶えず目を光らせている。
一方、リリアンは一般教養学科だ。
一般教養学科は「名前が書ければ入れる」と言われている。
授業は、基本教科の他は女子はマナー、男子は経営学の初歩などがある。基本の国語や数学などもとても易しいレベルだという。
ところで、王立学園の制服は学科によって色が違う。
騎士科は黒い制服。法学科は白い制服。薬学科は淡い水色。
魔導科は濃いグレーで、色は騎士科に少し似ているが制服の形が違う。
そして、一般教養学科の制服は目も覚めるようなコバルトブルーだ。
一般教養学科は学力が底辺の学生ばかりだ。暴行事件などの問題を起こすのもこの科の学生が最多だ。ゆえに、遠くからでもわかるように目立つ色の制服が選ばれている。
学園内では制服着用は絶対で、制服を着ないで学園内をうろつくと退学と決まっている。
とくに一般教養学科の学生は一発退学だ。
そのようなわけで、法学科の学舎でコバルトブルーの制服を着た学生が迷い込めば追い出される。
つまり、授業の時間には会えない。見かけることもない。
会えるとしたら休み時間や放課後だが、クレイはそこらにはいない。
「他の婚約者候補の令嬢に話しかけられると面倒なので避けてる」
と聞いている。
食事はお側付きの学生たちに運んでもらい法学科の学舎にある休憩室で食べ、授業が終われば速やかに帰っている。
「他の婚約者候補の方も気易く話しかけたりは出来ないとお聞きしてます。無理でしょう」
エルゼリはため息交じりに答えた。
「役に立たない娘めっ。まさか、お前、我が家から送ったリリアンを婚約者候補にしていただく推薦状を、殿下の目に触れる前に潰してないだろうなっ!」
「お父様がそんな手紙を出したことすら知りませんよ」
なんて恥ずかしいことしてるんだろう。エルゼリは絶望しそうになった。むしろ、王宮の受付窓口の段階で破棄されていて欲しい。
「学園でも妹を無視しているそうだなっ!」
「無視もなにも。学科が違うんですから、ぜんぜん会うこともありませんし」
「口答えするなっ!」
アランは、手を振り上げ、次いで、思い切りエルゼリの顔目がけて振り下ろした。
エルゼリは、咄嗟に避けの体勢に入るが、その前にアランの手をメロウが掴んだ。
「虐待ですね」
メロウの冷たい声。
「な、なんだ、お前はっ!」
アランは、手を振り払おうと足掻いた。
メロウは掴みかかってくるもう片方のアランの手を乱暴に打ち払った。
「私は王室管理室から派遣されたエルゼリ様の教育係ですわ。エルゼリ様が怪我などされないようお目付役でもあります。エルゼリ様に暴力を振るおうとなさった。私が目撃者です」
「だ、だから、なんだっ! 俺はこいつの父親だっ!」
「あなた、ご自分の立場、わかってらっしゃいます? まぁ、知らなくても無知蒙昧なあなたなら無理もありませんが。先々代のユリエラ侯爵夫人は『時期が来るまでは』遺言の全容を知らせないようになさってましたからね」
「な、なんで、そんなものをあんたが知っている!」
「お口の軽い部外者に話すつもりはありませんわ。でも、エルゼリ嬢の婚約に関わる関係者だから、と言えば察しがつきますでしょう。次期ルディエ侯爵家の侯爵はエルゼリ様であり、後見人は弁護士のテオリス・カルシュ氏ですわ。先々代、ユリエラ・ルディエ侯爵、エルゼリ様のお祖母様は、マローナ夫人には家を継がせなかった。マローナ夫人を飛び越して、エルゼリ様に継がせたのです」
「い、いや」
アランがなにか言おうと口ごもったが、メロウは無視した。
「つまり、マローナ夫人は繋ぎの侯爵代理でした。テオリス氏に見張られながら、エルゼリ様が成人するまで侯爵の座に座っていただけです。彼女の夫であるあなたは、単なる血のつながりのある居候です。エルゼリ様が危険人物と見做せば、追い出される身だったのです」
「ち、違う! 俺は、暫定的であったとしても、侯爵だ」
「あなたの頭の中ではそうかもしれませんが、法律的には居候です。それから」
と、リリアンとカロリナをじろりと見る。
二人はびくりと身体を震わせた。
「あなた方、王立学園でエルゼリ様のデマを広めようとされましたわね」
「えっ!?」
リリアンが顔を歪めた。
「エルゼリ様にルディエ家で虐められているとか、ドレスを破かれたとか、腕輪を取られたとか。虐待されているとか。全て、嘘ですわね。手を打ちましたから良かったものの」
エルゼリは言葉も無かった。
一つも真実がない。それどころか、真逆なことを言われていた。
腕輪を取られたとか、むしろ、クレイ殿下に誕生日のときに貰った金細工の腕輪を取られそうになった。
メロウ夫人が気付いて庇い、「王子の婚約者候補としていただいたものを欲しがるなんて、あなた、王家にケンカ売ってるんですか」と言われ、リリアンは逃げ出した。
エルゼリの持ち物はすべてお古で型落ちしてるし、宝石の類いは祖母がアランに取られないように弁護士のテオリス・カルシュ氏に保管してもらっているので、リリアンにとってめぼしいものがなかった。
「あ、あんたが邪魔をしてたのっ!」
リリアンが険しい顔で叫んだ。
カロリナも鬼の形相だ。アランまでも眉間に皺を寄せている。
「どうやら、三人とも同罪のようですわね。真っ赤な嘘を広めようとしていましたので正しておきましたわ。アラン殿が、妻子を蔑ろにして、私財を貢いだ愛人の娘がリリアン嬢だということ。迫害されたのはエルゼリ様で、祖父母からの遺産で学費を払っているのに、リリアン嬢の学費は、ぽんっとアラン殿が払ったこと」
「なっ」
「アラン殿はエルゼリ様にドレスの類いを買ったことは無く、侯爵家の金で愛人親子は贅沢三昧だったこと。それから、エルゼリ様は侯爵邸では四六時中、王室管理室から派遣された教育係がついていて、義妹を虐める暇なんてまったくなかったこと。それなのに、虐めたというのなら、誰がウソを広めようとしているか明らかなこと。ウソを広めるのに加担すれば王室管理室を敵に回すこと」
「ば、馬鹿な!」
アラン、カロリナ、リリアンの三人は顔色を失った。
「それらの真実はもう静かに広まっていますわ。アラン殿がただの侯爵家の居候で、間もなく愛する母子と侯爵家を出ることも」
「で、出るっ?」
「ご安心くださいな。アラン殿が追い出される理由が、正統な跡継ぎへの暴力のせいだなんて言っておりませんから。それから、マローナ・ルディエ侯爵夫人殺害の疑いで調べられることも一応、表には出していませんわ」
「マローナを殺しただって? そんなことはしていないっ! 証拠などあるものか!」
「直接的な証拠はありませんけれどね。リリアン嬢が王立学園に入るための推薦状は、アラン殿が書いたようですわね。あぁ、それも公文書偽造ですわね。侯爵でもなんでもないんですから」
「ち、違う、俺は」
「その推薦状はマローナ夫人が死んですぐに提出されましたわね。それ以前にカロリナ夫人とリリアン嬢は『もうすぐ、王立学園に行くのよ』と、町立学園で大騒ぎされていたそうですね。二人が予言した時期はマローナ夫人が事故死する前でしたわ。それで、状況証拠があまりにも積み重なりましたので調べ直すことが決まりましたの。もちろん、この場合、読心の魔導師が調べます。真否判定の魔導具も使われます。カロリナ夫人とリリアン嬢も一緒に」
アラン、カロリナ、リリアンの三人は力を失い床にへたり込んだ。
その後、マローナ・ルディエ侯爵夫人の事件は決着した。
マローナが死んだ日、アランは犯行の前にビビってしまい、実際には殺人は犯していないことがはっきりとした。
読心の魔導師と真否判定の魔導具と、それらが証拠と証人となった。
あの日。アランはマローナにリリアンの推薦状を書くように脅した。
火かき棒を振り上げて「早く書け!」と脅したのだ。
マローナは夫が自分を暴力で脅してきた、その事実に打ちのめされ、走って逃げようとして階段から落ちたのが真相だった。
マローナはやはり事故死となったが、アランによって引き起こされた事故死だ。
ただカロリナとリリアンがアランにマローナ夫人を殺すように詰め寄っていたことは事実で、殺人教唆という罪に当たる。
アランは小心者で殺人には及び腰だったにもかかわらず、二人に詰め寄られたのが事件の原因だった。
アランは侯爵家から追い出されたが、公文書偽造とマローナ夫人の死の原因が彼であったことで、侯爵家の弁護士から多額の賠償金を請求され鉱山に出稼ぎに行くことになった。
カロリナとリリアンは極寒の修道院に幽閉された。
表向きは「学業についていけないから退学する」とした。侯爵家の醜聞は誰も表に出したくなかったからだ。
エルゼリは母を殺したのが父ではなかったことには、とりあえず安堵した。原因はともあれ、本当に死なせようとしたわけではなかった。
それだけでも、救いだと思うことにした。