6)侯爵邸の事故
本日、2話同時に投稿いたしました。こちらは1話目です。
ルディエ侯爵家の図書室は大きい。蔵書数は約二万冊。歴史の古い侯爵家であることを考えれば少ない気がする。代々の当主が誰も本好きとは限らないのでこんなものか、とも思う。
その中にはご先祖様たちが書き記した資料も山とある。製本されているものは書棚に整理されていて、ただの帳面状態のものは木箱に入っていたり、あるいは書類棚の引き出しに片付けられている。
エルゼリはご先祖様の記した資料は残らず目を通している。どれも門外不出のものだ。公になっていないものも多い。だから、面白い。誰も知らない魔法だ。
資料を整理した記録もあり、そこには「代十八代当主の資料四十年分は、解読不可能なため焼却処分。子孫に読める字くらい練習するよう後の世代のためにここに記す」とある。
木箱に残された資料の中にはなかなか読めない字が確かにある。親切に解読した解説書が添付されていたりする。苦労が忍ばれる。これを読んでから、エルゼリは字の練習は真剣にやっている。
「あった!」
やっと見つけた。魔力を失った人に魔力を注ぐ魔法。曾祖母の資料にあった。
古今東西、魔力を高めたいという魔導師は数多くいたけれど、不可能だった。調べ尽くされた結果だ。「魔力の器の大きさは変わらない」ゆえに、魔力量は生まれながらに決まっている。
それでは、魔法を使いすぎて魔力を失った人へ魔力を補充するにはどうするか。
魔力の回復は、一般的には、回復を助ける薬が使われる。もとからある魔力回復力を高めるものだ。
食べ物や飲み物を摂って補うこともできるけれど、自然な形で摂れる範囲の量になる。
魔力を含んだ魔導薬も使われるが、慎重に摂取しなければならない。急激に、魔力を体に入れるのは体に負担だ。それで、回復薬のほうがよく使われる。
クレイ王子は魔導具を使っていた。
魔力の器の大きさは、魔力持ちの血筋であれば、最低限のものは誰でも持っている。その器に、クレイ王子は、魔導具で魔力を溜めているのだろう。
ところで、曾祖母の編み出したのは、魔法の力で人に魔力を注ぐものだ。つまり、魔力の魔導薬や、魔力底上げの魔導具の代わりになりそうなものだった。
毎週末、エルゼリは「王家に慣れるため」という名目で殿下と二人きりの茶会に呼ばれる。
今日は見つけた魔法を用意していた。
魔導具を使わないので、少なくとも希少な魔石は使わなくて済む。
そうすれば、気楽に魔法が使えるのでは? とエルゼリは考えた。
「あの、クレイ様」
「二人きりなんだから、様は要らないよ」
「あ、はい、クレイ」
「なんだい」
クレイがいつもの優しい笑みを浮かべる。
笑顔が眩しい。初対面のころのあの彫刻みたいな笑顔はなんだったんだと思うくらい違う。
社交用と普段用なのだろうけれど。同じ人の笑顔とは思えない。
婚約者同士、仲良くなれるのは嬉しい。
政略結婚でも仲睦まじい夫婦はいると聞いた。
そういえば、我が家の両親は恋愛結婚だがあの有様だ。母は惚れ薬でも盛られたのかと思うぐらい父に惚れているが、父は母のことなど鬱陶しい金蔓としか思っていない。
「我が家は魔導師の家系なので魔法関係の資料や本が山ほどあるのですが、曾祖母の手書きの資料の中で魔法を見つけたんです」
「へぇ。とんでもなく貴重そうだね」
「読むととても楽しいです。それで、曾祖母の作った珍しい魔法がありました。治癒魔法を一工夫した魔法です。魔力を補充するためのものです」
「魔力の補充?」
「治癒魔法の応用型なのですが、魔力切れを起こした魔導師に、治癒として魔力を与えるものです」
「そんな魔法があるとは初耳だ」
「ふつうに魔力を注いでも、補うのは無理ですよね。他人の魔力は霧散するだけです。魔力切れは、魔力回復を促す薬茶を飲むのが一般的です。でも、治癒魔法を絡めながら魔力を注ぐと魔力の補充ができるそうなんです。そのコツが細かく書いてありました」
「凄いね、そんなことが出来るんだ」
「手記を読むと、曾祖母は魔法の研究は好きでも、表に出すのは面倒で引きこもっている研究者だったみたいです。曾祖母はかなり研究したみたいです。曾祖父が実験台にされて散々、苦労されたようです」
「ハハ。実験台かい」
「そうなんです。越えられない壁があって、苦労したみたいなんです。ようやく完成された魔法です」
魔力は魔素という形で空気中にもあるが、健康な人の体に入ってくることはない。他人の魔力が入り込むこともない。
治癒魔法であれば干渉できるが、治癒という能力を持つ魔導師でなければならない。
治癒魔法には、水魔法系と光魔法系の治癒がある。
ルディエ侯爵家の魔導師は水魔法系の治癒なので、曾祖母の魔法では、体内の水分に働きかけて治癒を行う。
同様に、魔力充填も行う。
治癒に紛れ込ませて魔力を注ぐが、そのとき「疲労回復」魔法を使う。もともと、疲労回復魔法には、魔力を少々高める効果がある。ゆえに、魔力を注ぎやすい。強めの治癒魔法というより、魔力を注ぎ込むことに重点を置くように治癒を使う。
疲労回復魔法をかけながら、被験者の体液の流れに沿うイメージで魔力を注ぐ。
これも、いわゆる混合魔法に入るだろう。
「簡単そうに聞こえるかもしれませんが」
「いや、ぜんぜん簡単そうには聞こえないよ」
魔法はそんな融通の利くものではない。
「祖母も手記は読んだはずですが、忘れられた魔法みたいです。それで自分で自分に魔法をかけてみたりして繰り返し練習してみたんです。魔草にも試しました。魔草が生き生きするまで練習したり。上手くできる自信がついてから、執事のジークに曾祖母が開発した『疲れが取れる治癒魔法』と誤魔化して試してみました」
「誤魔化したって」
クレイが呆れて苦笑した。
「侍女にも協力してもらいました。二人とも『本当に疲れが取れる』と喜んでくれました。治癒魔法が混じってるので心地良いみたいです。だから、安全です。それで、もしお嫌でなければ、クレイにも試させてもらって良いですか」
エルゼリはおずおずと頼んでみた。
クレイの魔力の底上げに使えるかもしれないとエルゼリは予想していた。
「エルゼリ。ありがとう。ぜひ試してくれ」
「あ、ありがとうございます。で、では、あの、さっそく!」
エルゼリは恐る恐るクレイの手に自分の手を伸ばした。
クレイは「手を繋ぐんだね」と笑みを浮かべて、自分からエルゼリの華奢な手を取った。
エルゼリの頬が朱に染まる。
クレイは、魔力の底上げが出来なかったとしてもこれはこれで良いな、と思った。
「では、いきます」
エルゼリは薄目を閉じて集中した。
細かい、ふつうの治癒とは違った手間がかかる。こういう細かい魔法の操作をエルゼリは好んだ。血筋としか言いようがない。エルゼリは大魔導師の血を間違いなく継いでいた。
クレイはエルゼリの手から温かく、かつ清涼感の有る力がするりと注がれるのを感じた。
魔導具による魔力の底上げとは根本的に違うようだ。
魔導具の場合、ぐいぐいと魔力が押し込まれるような感じだった。
それに比べて、エルゼリの魔力は小川に清流が流れ込むように抵抗を感じない。しかも、クレイがなにもしなくても胸の奥底に溜まっていく。
しばらくしてエルゼリは魔法を終えた。
そっと繋がれた手をほどくとエルゼリの体温が離れていく。
「どうでしょうか? 不快感などはありませんか」
エルゼリは心配そうにクレイを覗き込んだ。
「なにもないよ。とても心地良かった。胸の底に力が保持されてるのがわかる」
「よろしければ、使ってみて下さい」
「そうだね、よし!」
クレイはごくりと息を呑むと、魔法に集中した。
今まで、魔導具なしではクレイはほとんど魔法を使えなかった。
わずかな魔力で指先を少しだけ光らせる、明るい部屋で光らせてもほとんど判らないくらいの光。たったそれだけだった。
クレイは王族らしく火水風土雷光の六つの魔法属性を持っている。こんな宝の持ち腐れはない。素質はあっても発動させる力はほぼ皆無なのだから。
「光よ」
クレイはそっと呟いた。
すると、手の平が眩い光に包まれた。
「わっ、眩しい」
エルゼリは思わず目を閉じた。
「ご、ごめんよ、エルゼリ。目は大丈夫かい」
クレイは焦ってエルゼリの頬に手を置いた。
「あ、大丈夫です。今、治癒魔法を使いました」
エルゼリは、目をごしごしと擦った。
「こすったら駄目だよ」
クレイは慌ててエルゼリの手を止めた。
「もう大丈夫です。でも、成功ですね」
エルゼリは満面の笑みを浮かべる。
「ありがとう、すごく嬉しいよ。魔導具の底上げよりもずっと快適に自然に、まるで自分の魔力みたいに魔法が使えた」
「ホントですか、良かった」
「本当にありがとう」
クレイは、思わずエルゼリを抱きしめた。
エルゼリも嬉しさで興奮状態だったために、なにも考えずにクレイの背に腕を回す。
エルゼリよりもずっと男らしい厚みのある身体だった。
翌週。
クレイは魔力上げの成果を国王夫妻に披露することになった。
予め、詳しく説明はしてあった。エルゼリの曾祖母が工夫した魔力補充の魔法で、安全は充分に試してあることを伝えてある。
国王夫妻は楽しみにしていた。
人払いを行い、地階の魔法を訓練する部屋で行われた。
「では、始めなさい」
国王の声で二人は動いた。
手を繋ぎ、エルゼリは何度も練習した通りにクレイに魔力を注ぐ。
繋がれた手がふわりと温かくなる。
練習するうちに速やかに、滑らかに出来るようになっていた。魔力の充填はほんの数十秒で完了した。
感覚で、魔力の流れに抵抗を感じると判断したところで止めている。
二人が手を解いたのが終了の合図だ。
エルゼリが離れて距離を置くと、クレイは「火よ」と呟く。
手の平に人の頭を一回り大きくしたくらいの火の玉がぼわりと燃え上がった。
「まぁ」
王妃が思わず感嘆の声をあげた。
クレイは訓練場の端に設置された的に向かって炎の玉を投げた。
的はあっという間に撃破された。
「これは素晴らしいな」
国王はいつもの穏やかなどっしりとした態度はどこへやら、手放しで喜んでいる。
「自分の魔力ではないので偉くもなんともありませんが」とクレイは謙って苦笑し、
「でも、少なくとも、魔導具の必要はなくなりました。それに、とても自然な感覚で魔法が使えます」
と両親を安心させるように告げた。
王妃はほろほろと涙を零していた。
「エルゼリ、これからもクレイを支えてくれるか」
王が尋ねた。
「はい。力の限り、心からお支えいたします」
エルゼリは綺麗に淑女の礼をした。
□□□
エルゼリは学園でシェリーとはいつも一緒にいる。選択した授業も同じだ。シェリーの説明が上手かったのでほとんど言いなりになってしまった気がするが、二人で相談しながら決めたので当然そうなる。
女の子同士のお喋りの楽しさを学園に来て初めて知った。
学園生活も数か月が過ぎたころ。
授業を受けているエルゼリのもとに学園の職員らしき男性がやってきた。
「エルゼリ・ルディエ嬢、こちらへ」
エルゼリは平静を装い「はい」と答える。
授業の最中のことだ。ただ事ではないことはわかった。
シェリーが「教科書は片付けておくわ」と言ってくれたので有り難く頼んだ。
エルゼリは職員の待つ廊下に出ると、彼はエルゼリに小声で告げた。
「マローナ・ルディエ侯爵夫人が事故に遭われた。侯爵邸から迎えの馬車が来られています」
「お母様が?」
馬車留めに急ぎながら嫌な予感がしていた。
今日は母は出かける予定はなかった。
エルゼリは母の「事故死」は馬車の事故だろうと推測していた。
あの夢では時期も事故の詳細もわからなかった。貴族夫人の死因の一位は病死だ。
閉じこもりがちなマローナが事故死などなにがあるだろうか。母は屋敷の中では歩き回ることも少ない。ほとんど自室にいるのだから、どうやって事故が起こるというのだろう。
だから、漠然と馬車の事故だろうと、それしか思い付かなかった。どこかに出かけるときは「気を付けるように」と御者や侍女に伝え、母の数少ないお出掛け前には天候を見たり、御者に安全運転を頼んだりしていた。
馬車留めの場所へ行くと、侍女とメロウ夫人が待ってくれていた。
エルゼリはすぐに侯爵邸に向かった。
マローナ・ルディエは階段を落ちて手当の甲斐もなく亡くなっていた。
母が死んでもきっと哀しくないだろうと思っていた。けれど違った。エルゼリは久しぶりに泣いた。
最愛の夫に愛されない辛さを、悲劇のヒロインになって紛らわす哀れな女だった母。エルゼリは、少なくとも母には虐待されなかった。
可哀想に。こんな死に方、あんまりだ。
母の死んだ階段には父もいた。突き落とされたのかもしれない。けれど、証拠も目撃者もなにもなかった。