5)入学
本日、2話、同時に投稿いたしました。こちらは2話目です。
三年が過ぎ、エルゼリは無事にもうすぐ十五歳の誕生日を迎える。
あの予知の時期は終わったんじゃないかとときおり思う。
あの夢がいつ頃のことかはっきりわからないため警戒を緩めるのは危険かもしれないが。
王子妃教育のおかげで良いことがあった。
住み込みの教育係がいるので、父アランはエルゼリに手を上げることが出来なくなった。
ちなみに、悲劇の主人公オタクの母マローナは、キリッとして厳しいメロウを怖れて逃げ回っている。本当に情けない侯爵夫人だ。
「エルゼリ様はけっこうお忙しいのですね」
とメロウ夫人が言う。
エルゼリは執事のジークを手伝っている。人件費の余裕がないのでルディエ侯爵家は人手不足だ。ジークは幾つも仕事を兼任している。それでエルゼリは計算や清書の手伝いをしている。あまり速くはできないが「助かります」とジークは言ってくれる。
「王宮に提出する書類は似たようなものがたくさんありますものねぇ」
とメロウ夫人はエルゼリが清書している書類を見て「綺麗な字ですわ」と褒めてくれる。
経理の計算は確かめ算もしている。計算ミスはなしだ。
「ところで、侯爵夫人はなにをされているのかしら?」
メロウが首を傾げる。それは疑問にもなるだろう。屋敷にいるはずなのに姿を見せないのだから。
「母は、ヒロイン病でして」
「ヒロイン病?」
「自分を悲劇のヒロインに見立てて嘆くのに忙しくて」
「なるほどねぇ」
メロウは侍女たちの噂話をこっそり聞き込んで、マローナが使用人たちの嫌われ者であることは知っている。愛人に貢いでばかりいる夫のアランも呆れられているが彼は留守が多いので実害があまりない。夫人は侍女たちを捕まえて愚痴をこぼすので邪魔らしい。
夫人の愚痴は鬱陶しい。娘の悪口と体調が悪いという愚痴。それに「アランは新規事業のためにお金がいるのよ。接待やなにかでね」などと自慢のようなものを言い出す。あの婿が仕事などするわけがない。金は愛人に貢ぐためのものだ。エルゼリが「あの親父が婦人用のドレスや首飾りの請求書を持ってくるのよ!」と憤慨しているのを侍女たちは聞いている。
エルゼリが執事の手伝いをしていることはジークが話すので皆、知っている。そんな娘の悪口を言えるような立場か。マローナの愚痴は、まともな侍女にとっては精神的に聞くのが辛い。
メロウはルディエ侯爵家の諸悪の根源は、夫人のほうかもねぇ、と目を細める。
あの夫は、小物なので大したことは出来なさそうだが犯罪者気質だ。夫人は悪事を働く度胸がないのは夫よりましだが、周りに不幸をもたらす女だろう。
□□□
エルゼリは今年から、王立学園高等部に通うことになった。
これまでは学校に行きたくても学費がなくていけなかった。
奨学金をもらえるように勉強すると母に頼んでも「奨学金なんて、みみっちくて侯爵家の恥だわ」と言われ、入学の書類に署名してもらえなかった。
このたびマローナは、王家から言われて入学書類に署名した。今年の入学準備が間に合い、魔導科の高等部一年から通う。
一つ年上のクレイ王子は一学年上の法学科にいる。科も学年も違うので学園でお会いすることはなさそうだ。
王家から支度金が出るので、それで学費がまかなえる。奨学金はなくてもいいのだから母も文句はない。
クレイ王子とはあれから定期的に王宮でお会いしている。そのときに学園生活のことも色々と聞いた。
「魔導科には変わった学生が多いから面白いかもね」
とクレイが楽しそうに言う。
「どういう風に変わっているんですか?」
「法学科は学舎が違うから知人から聞いた情報だけど。魔導の本を読み始めたら周りが見えなくなるらしくて本を読みながら歩いていてコケてる姿をよく見るのは魔導科だってね」
「え? それ、変わってるの」
「ハハ。エルもやりそうだ」
「あ、え、いえ」
図星だった。
「それから、魔法を試したいと思い付くと、後先考えずにやってしまうとか」
「え」
「エルもだね?」
「いや、その」
エルゼリには変わり者の自覚はなかった。
「魔法が出来たら楽しいだろう。夢中になるのはわかるよ」
「楽しいとは思いますが、無理に訓練していたときもありましたので少し複雑な気持ちです。小さいころは頻繁に使うことで魔力の滞りを防げるからって。魔力を流す訓練は、お祖母様に厳しくやらされました」
「そうか。法学科の必修で魔法学というのがあって、二か月に一度くらい魔法の実技があるんだが。私は魔力が少ないから魔導具を使うんだ。けっこうきつくてね。それに似てるのかな」
「魔導具、きついんですか」
「ああ、うん。魔力が押しつけられるみたいに入ってくるから、それを捕まえて体の中に留めるんだ。難しいし圧迫感があってね。だいぶ慣れたが。魔力がそもそも少ないから魔力を感じるというのが出来なかったよ。魔導具の魔石は光魔法属性のもので希少だから、失敗したらまずいという緊張もあってね」
「光魔法属性の魔石? 本当に希少ですね。光魔法を持つ魔獣って見つけられないですよね」
「うん。それに、国によっては狩るのは禁止されてるしね」
「緊張するって、わかります。私、攻撃魔法とか、捕縛用魔法とか好きなので狩人になろうかと思った時期があったんですが」
「良かった。今は違うんだね」
「一人で野営とかが大変そうだから保留に」
「諦めてないんだ」
クレイが俯いてなにか呟いている。
「それであれこれと調べて、狩るのが困難な魔獣のぶっちぎり第一位が光魔法持ちだったので」
「うん、そうなんだよね。うちにある光魔法属性の魔石も植物型魔獣のやつだけだよ。それも、小粒の」
「そうなんですね」
エルゼリは、クレイの辛さがわかった気がした。
クレイ王子、可哀想だ。そんな風に思うのはおこがましいけれど。
努力家で生真面目で、エルゼリから見ると少し神経質と思うときもあるけれど、賢王になりそうな王子だ。でも、魔力がないから駄目だと言われる。
第二王子のレインは、喧嘩で相手に大怪我をさせている。相手も悪いところがあった、ということで示談で終わらせている。
乱暴な脳筋王子らしい。そんな国王は嫌だな、と思う。脳筋は嫌いじゃない。大怪我をさせた、という限度を超えているところが怖い。
今日の茶会では、クレイは動画を見せてくれた。
花吹雪の動画だ。ずっと南の山沿いの風景らしい。薄桃色の花びらが舞っている。夢のように綺麗だ。
「天の園じゃないの」
とエルゼリが言うと、クレイは笑った。
「外に出かけることが出来ないから」という。
元気に出掛ているところを、あまり人に見せられないから。これから持病で王太子を退くのだから。視察も王都の近場だけだ。
エルゼリは綺麗な花吹雪の動画を見ながら、胸がきゅん、とする。
可哀想だな、と思う。どうしても思う。
こんなの間違っている。
でも、言えなかった。
□□□
入学する日がやってきた。
学園に行く日は侯爵邸で暮らすメロウと馬車に乗った。
エルゼリが学園に居る間はメロウは王宮に行き、帰るときにまた合流するという。
いつもポーカーフェイスの彼女の気持ちはわからないが、少なくともエルゼリは頼りになる教育係の夫人にすっかり懐いていた。
入学式ではクレイが生徒会長として挨拶をしていた。最高に格好良かった。女子たちの注目度がすごい。婚約者だとばれたら嫉妬の目で見られそうだ。公には単なる婚約者候補の一人になってて良かった。
婚約者候補は公爵家の令嬢二人と伯爵家の令嬢が一人、それにエルゼリと四人になっている。
エルゼリ以外の三人は、あのお見合いの茶会でかなり目立っていた。エルゼリだけ地味で毛色が違う。きっと、エルゼリには見込みはないと思われていることだろう。
大人しくしていよう。後ろ指さされそうで怖い。
他の候補たちもそれぞれ自分の屋敷で王子妃教育を受け、定期的に王宮でも執務について習っているらしい。
エルゼリは住み込みの教育係が居てくれるおかげで教育に関しては自宅でだけだ。王宮に行くのはクレイにお会いするためだった。
ところが、他の三人の令嬢はクレイに会っていないという。
メロウにそれを聞いたときは、エルゼリは本当に自分が婚約者なのだなと改めて自覚した。
一瞬、自分だけ特別にクレイとデートしてるみたいに思ってしまった、もちろん考えすぎだ。
実際にはエルゼリが王家での暮らしに慣れるように、王宮内のことやクレイの子供のころのことなど四方山話をするだけだ。って、やっぱりデートっぽい。
王妃もときおり様子を見に来てくれて、エルゼリにリボンなどのちょっとした贈り物をくれる。たくさん注文してしまったから、とか言い訳をしながら。
優しい王妃様だ。
クレイ王子が「私がリボンはプレゼントする予定だったのに」とかぶつぶつ言っているのも、なんだか普通の親子の会話みたいで楽しい。
エルゼリは王家に嫁いだら疎外されそうだと予想していたのだが、優しくしてもらっている。
学園では、試験の結果が良かったらしくエルゼリは一組に入ることが出来た。成績優良の学生が入るクラスだ。将来の安泰のために勉強してきた甲斐があった。
今日は授業は無く、選択授業の選び方など説明を受けて終わりだ。
帰り支度をしていると「あの、ルディエ様」と声をかけられた。
振り返ると、金色のふわふわとしたくせ毛に茶色い瞳の可愛らしい令嬢が恥ずかしそうに立っていた。見知らぬ令嬢だった。
そもそもエルゼリは知っている令嬢などほとんどいない。
ふつうの社交の場では下位の貴族から話しかけてはいけないとか細かいマナーがあるのだが、学園ではさほど厳しくはないとメロウ夫人に聞いていた。ゆえに彼女が貴族なのか富裕な平民なのか、見当も付かない。
「はい、なにか?」
エルゼリは首を傾げ、ふと思い出した。
数日前にクレイ王子に会ったときに聞いていた。
「王家に関わる家の令嬢がエルと同じ魔導科に入ったから挨拶にくると思う」と。
彼女はルディエ家のことも少し知っているので、友人になったらいいと言われた。安心して付き合える友人になれるから、という話だった。
「馬車乗り場までご一緒しても良いかしら」
彼女ははにかみながら尋ねた。
「ええ。もちろん」
エルゼリは愛想良く答えた。
「良かった。私、シェリー・カナンと申します。カナン子爵家の娘です」
「そうですか。私はエルゼリ・ルディエです。ルディエ侯爵家の長女です。よろしくお願いします」
「こちらこそ! あの、私、薬酒を造るのが趣味なんです。それで、私が出入りの商人から購入する薬酒用のお酒がいつもルディエ領産なので、ついお知り合いのような気になって。勝手なことを申しまして、すみません」
「あ、そうなんですか。うちのお酒? まぁ、お得意様なんですね」
エルゼリは思いがけないことを言われて驚いた。
こんな縁があるなんて、嬉しい出会いだ。
「お得意様だなんて、それほどではないのですけれど。香りが良くて気にいっている薬酒用のお酒なのです。薬酒用のお酒は色々あるのですけど。その中でもお気に入りなんです」
「うちのは魔力を持つ薬草にも合うお酒で、香りはかなり良いですよね」
エルゼリも自分の領地の特産なので勉強している。
おかげでシェリーと薬酒談義することが出来た。
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クレイは、遠目でエルゼリがシェリーと一緒にいるのを確認した。
シェリー・カナン。エルゼリの友人になれたようだ。
王宮で裏任務を勤めるカナン家の娘シェリーは、学園に居る間、エルゼリの側にいることになっている。
ふつうは裏任務の家の者だとしても、成人前の令嬢が仕事をすることはない。けれど、シェリーはエルゼリと同い年で、学園に入学することが決まっていた。
家の方針で武術は幼少時より仕込まれている。ゆえに、エルゼリが学園に居る間、一緒にいてもらうことになった。
シェリーはたまたま趣味の薬酒でルディエ家の酒を使っていたため、エルゼリと付き合えることを喜んでいるという。若い令嬢のくせに趣味が薬酒というところが、魔法と体術に夢中のエルゼリに少し似ている。なにも言わなくても友人になっていたかもしれない。
護衛はまた別についている。シェリーが危険な仕事をするはめになることはないだろう。
ありがとうございました。明日も夜20時に投稿します。