4)教育係
本日、2話、同時に投稿いたしました。こちらは1話目です。
陛下夫妻に挨拶をしてエルゼリは帰路に就いた。
執事のジークと屋敷にもどると、侍女が出迎えた。
「お嬢様。王宮から手配された教育係の方が先に到着されていますよ」
侍女からの知らせを聞き、ジークは俄にご機嫌になった。
「教育係の方?」
屋敷でも王子妃教育を受けるのか、とエルゼリは驚愕した。てっきり、たまに通えばいいのかと思っていた。
とはいえ、ありえる話だ。エルゼリはこの歳まで王子妃になれるなどこれっぽっちも思っていなかった。マナーも知識もなにもかもが足りない。
冷や汗をかきながら覚悟を決めた。
教育係のご夫人は応接間で待ってくれていた。
エルゼリたちより早く到着とは手際が良すぎる気がしたが、あの面接のあと王室管理室から幾らかの問合せがあり、けっこう時間がかかった。教育係の人選はとうに済んでいたと思われる。
「住み込みで」という話なので、ジークにエルゼリの居室のそばに部屋を用意してもらった。
住み込みとは思わなかった。王室からのお達しゆえに、誰も逆らえない。ジークは喜々として準備をしている。
エルゼリが部屋に入ると、すらりと彼女は立ち上がった。
想像していたよりもずっと若い方だ。
「オラン子爵家の娘メロウ・オランと申します。エルゼリ様の王子妃教育を務めるよう王室管理室から派遣されました。以後お見知りおきを」
さすが教育係。完璧だった。淑女の手本だ。
灰色の地味なドレスだが、服地の質感をみるとかなり良いもので仕立ても上等だ。端正な顔立ちは化粧が控えめなので目立たない。
「ルディエ侯爵家長女エルゼリ・ルディエです。よろしくお願いいたします」
この日から王子妃の教育が始まった。
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エルゼリが帰ったのち。
「可愛らしくて聡明なお嬢さんだわ」
と、母がご機嫌だった。
ここのところ、母はときおり何か思い悩む様子を見せていた。
普段は決してそんな弱いところを見せる母ではない。いつも余裕の笑みを浮かべて、動揺など表に出さない。
今は、積年の憂いが晴れたかのように頬笑んで、父も穏やかに頬を緩めている。
エルゼリのおかげだ。
クレイは王太子でなくなっても爵位と領地を貰える。子が二人生まれたらルディエ侯爵家の跡継ぎになる。
夫婦二人と子供たちで幸せな家庭を作ろう。彼女となら、きっと仲の良い楽しい家庭を築けるだろう。
無事にメロウ・オランがエルゼリを護る任務についたと報告を受け安堵した。これからも報告をあげてもらう予定だ。
エルゼリに関わることは人任せにしないでクレイも確認をしていた。そのようにしたいと、国王にも頼んである。エルゼリの情報を調べたときに父親がろくでなしであることはわかっていた。暴力を振るっているという噂も流れていた。不安でならなかった。
エルゼリの実家ルディエ家は大魔導師を祖先にもち、その血筋を守り続けた侯爵家だ。昔は「四大魔導家」の一つだった。
今では四家のうち三家は跡継ぎがなく断絶し、ルディエ家だけとなった。廃れたのは魔導師の家系は子が生まれにくいのが原因の一つだが、頑なで変わり者の多い魔導師気質も大いに関わっていた。
クレイに魔力がほとんどないとわかった時点で、ルディエ家の娘を婚約者にすることがほぼ確定していた。けれど、クレイが第一王子であることを鑑みると、エルゼリを婚約者に選ぶのは不自然だった。
ルディエ家は侯爵家ではあるが、王宮にコネは皆無で領地も貧しい。婿入りしたアラン・ルディエは愛人に現を抜かしている。
ルディエ家の令嬢は、魔力以外にはなんら有利な点がない。
他にも年頃の令嬢が多くいる中で、エルゼリを選んだのはなぜか、誰もが疑問に思うだろう。最初からエルゼリを婚約者にしては、クレイになにか問題があることがばれる。
クレイは八歳で魔力判定を受けるまでは健康で聡明な第一王子として育った。未来の王太子と誰もが思っていた。
国王夫妻は諦めきれず何度も測定をしたが、結果が覆ることはなかった。
クレイには弟がいる。
これから、数年以内に弟のレインが問題ないと確認されれば「クレイは身体が弱いためレインを王太子とする」と発表される。
今はその布石として、クレイはときおり「体調不良」と王宮に引っ込んでいる。
学園を卒業するころにはその頻度を多少増やし「持病がある」と噂を流す。
段階を踏んでいくことで、エルゼリ以外の婚約者候補たちは候補を辞退していくだろう。そのために、王妃になる気満々の令嬢たちをわざと婚約者候補に残しておいた。
あとは、レインが王に相応しければそれで良かった。今のところは、決めかねるほどに素行が悪い。
レイン王子は側妃の子だ。
側妃ベラニカは、良家の出ではあるが浪費癖がひどかった。我慢するということができない妃だ。レインは始終、ベラニカの実家ロライエ家に呼ばれ甘やかされている。
レインはクレイの一歳年下だが、王子としての自覚に欠けている。あまり酷いようなら、クレイを王太子とする他ないだろう。
クレイはそれらの事情はすべて心得ている。
レインは迂闊な性格のために王家の秘密はまだ知らされていない。ベラニカも当然、知らない。これからも知らされないだろう。
クレイは我が儘な弟のレインが王になることは不安だが、かといって自分が魔力のない秘密を抱えて即位し一生を過ごすのも辛い。
過去、王家では、魔力のない者は決して王にはなれなかった。そのことが公表されることもなかった。
ガゼリア王国は、かつて帝国からの侵略を退けた魔導師たちの国だ。千年以上の年月が過ぎて、今では魔導師が前面に出る戦争は過去の話となった。
それでも、国王が「魔力なし」では示しが付かない。
年始の宴や戴冠式など、大切な行事や神事のたびに国王は自らの魔力で王錫を輝かせ、跪く騎士に魔力を纏った聖剣を掲げる。それらの行事のたびに魔力を底上げする魔導具で皆を欺くのか。
自分は王になるべきではないから、神は魔力を与えなかった。レインの補佐にまわるべきだろう。
いや、身体が悪いという理由で退くのだから側にいることも出来ない。もとより、わかっていることだ。
クレイは魔力が僅かしか無いと判定を受けてから、ずっと秘密を抱えて生きてきた。
エルゼリは、クレイの婚約者となることを嫌がることなく受け入れてくれた。自信なげではあるが、嫌がってはいなかった。
クレイに魔力がないことや王太子になれないことも、まるで、なんてことないように言う。
綺麗で可愛らしい令嬢だ。歴史ある侯爵家に生まれ、魔力も貴族の誰よりも高い。エルゼリの婚約者に、王太子になれない自分が宛がわれるのは気の毒だ。
でも、クレイは彼女が好きだった。
初めて茶会で会ったときから、彼女が婚約者で良かったと思った。エルゼリが可愛らしく感じの良い令嬢だったから。
自分の婚約者に選ばれると知っていたので、さりげなく彼女に注目した。控えめで清楚な少女だった。ドレスも派手ではない。彼女の年齢にはそぐわないほど地味だった。それが品良く似合っていた。
クレイが庭園の花について問い掛けをしてみれば、賢く場に合った返答をしていた。エルゼリの答え、ローゼルノ王国が正解だった。
クレイの質問は、実は引っかけ問題だった。
ごく最近、ビハニア帝国から、薬草や球根、種苗の輸入が増えた。帝国からの圧力により、交易を増やすはめになったものだった。
その件は王宮内の高官や大臣たちは知っているが、まだ表に出してはいない。外交問題が微妙に絡む案件のため、どのように公表するか検討中の情報だ。
高官や大臣は家族にも王宮内の情報を知らせてはいけない。当たり前のことだが、平和な世が続いて王宮の守秘義務はだいぶおざなりになっている。
娘が王太子妃になることを狙っている家ではさぞかし念入りに教育を施していることだろう。隣国の情報を令嬢に教えるのは親心だったのかもしれない。
情報漏洩ではあるが、問題が起こるほどのものではない。検討がされたのち、すぐにも公になる情報だ。
それでも、違反は違反だ。茶会の場で王子の問に「ビハニア帝国」と答えた令嬢たちは、王族の婚約者にはなれないだろう。公私をわきまえない家の令嬢など妃に選ぶことはない。
だが、彼女たちは「仮の」婚約者候補には丁度良い。
このたび「四人の候補が残った」と先方へ知らせた。
エルゼリとともに婚約者候補として残されたのは、三人ともクレイの問いに「ビハニア帝国」と答えた令嬢たちだった。
熱心だったから、残された。
彼女たちはクレイが王太子に選ばれないと知ったら、婚約を望まなくなるだろう。手間が要らなくて良い。
あとは、第二王子レインの問題だ。
まだレインが十二歳で素直なうちに難のある性格を矯正し、教育を徹底して有能な側近を付け、婚約者も優秀な人格者を選び、脇を固めて王にする、それが王家の方針だ。クレイの希望でもある。
王室管理室もそれに向けて動いている。
王家の問題はまだ解決は遠い。クレイの魔力が粗末なばかりに。
そんな中、エルゼリとの婚約が決まったことはクレイの救いであり、癒やしだった。