唾液
「小さい頃に駄菓子屋で食べたお菓子で当たりが出たの。
小さなお団子みたいに串に刺さってるお菓子ね。
棒の先に、赤い印が付いているの。
店先で食べてた私は大喜びで、
『もう1本下さい』
って屋台のおじいさんに見せたのね。
そしたら、おじいさん。
私の当たり棒を手にとってね、真顔で、ベロベロとその棒を舐め始めたのよ。
私は、うん、当たりのもう1本を貰うことなく、少し離れた家へ逃げ帰ったのが、記憶にある中では、初めてかな」
「次に印象に残ってるのは、小学校の夏休み。
学校で自主参加の補習授業あった時に、他の子のお母さんが、差し入れでお菓子持ってきてくれてね。
帰り際に教室でみんなで食べたんだけど、
「学校の帰り道に食べてちゃまずいから、今、口に入ってるガムとか飴なんかのお菓子は出すように」
って、先生がティッシュを手の平に広げて持って回ってきたの。
遠足の帰り道のバスなんかだと、自分のティッシュに包んで家で捨てなさいとかだったのに。
それで先生が私の所に来たから、舐めてた飴を指で取り出して落とそうとしたらね、先生が、すっとそれを遮るように反対の手の平を出してきたの。
当然、飴は、ビニール袋ではなくて、先生の手の平に落ちるでしょ。
そしたら、先生はね、私が口から出したばかりのその飴をね、ぱくっと口に入れて、口の中で飴を転がしながら、また後ろの席に行ったの」
「え?起承転結で言うと?
まだ起、起よ。
あるのは起承、くらいだけど。
ええっと、これはわりと最近の話。
生理前って、必ず食べたくなるものない?
私の場合、ケ○タ○キーなのね。
その日も、店内の2階席で1人でチキンを食べてたんだけど。
甘いパイが欲しくなったの。
あ、わかる?
そう、塩っからいものの後には甘いもの。
一通りチキンを食べてから、食べ終えたものはテーブルにそのままにしてたの、飲み物はまだ残してたし。
それで1階のレジに買いに行って席に戻ったらね、さっきまでは離れた席に座ってたスーツ姿の男の人が、私の席に座って、私が噛っていた骨付き肉の骨を、ベロベロしゃぶってたの。
私、パイを乗せたトレーをその場で落としそうになったよ。
それからは、もう必ず持ち帰りにしてる、ポテト冷めるから嫌なのに」
君は、妖怪垢舐めにでも取り憑かれているのかね。
「知らないよ、何それ。
それで昨日、ここからが本番。
食堂でさ、同僚とご飯食べてたら、あまり好きじゃない上司が隣に来たの。
それだけでも嫌だったのに、そいつ、
『あーお茶が空だな?』
とか言って食堂のプラコップ見せてきたのよ。
そう、私に、
『おかわり汲んでこい』
ってアピールしてきたの。
もう苛々しながら、セルフのお茶注いで戻ったらね」
戻ったら?
「そいつ、私の使いかけのマイ箸をベロベロ舐めてたの!!」
わーぉ。
「私が悲鳴上げる前に、
『やだ!○○部長!何やってるんですか!?』
って斜め前に座ってた先輩が気付いて声を上げてくれたんだけどね。
上司は、
『出来心だった』
だって。
もう、言い訳からしてわけが分からないし気持ち悪いし、社内でも変な意味で注目集めるし……」
……お祓いでも行けよ。
「どこに行ってなんて言ってお祓い頼めばいいのよぅ!」
私に八つ当たりをしないで欲しい。
友人に。
相談というか話を聞いて欲しいと呼び出され、カフェに腰を落ち着けたのは休日の午後。
男受けの良さそうな容姿をしているのに、以前から、男性との接触はあまり得意ではないと、聞いてはいたけれど。
彼女の話してくれた出来事も、男が得意でない理由の一つなのか。
ううん、むしろそれが原因なのか。
何か、世間一般に蔓延る(はびこ)る痴漢とか、そういう類いのものとは、また何か違う気がする。
そして、そんな話を聞かせてきて、一体私に何をしろと思ったけれど、純粋に、ただ話を聞いて欲しかっただけらしい。
実際、今の今まで誰にも話した事がなく、昨日の上司の箸舐め事件の一件で、さすがに誰かに吐き出したくなったと。
それならば、聞くくらいなら、いくらでもするけれど。
ため息を吐く目の前の友の、週明けからの会社での立ち位置を考えると、少し気の毒に思う。
私は確かに話を聞くしか出来ず、せめてもの気晴らしにと買い物に付き合い、夕食を共にし。
その何とも気の毒な友人と別れてから。
夜。
占いや不思議系な事が、ことのほか好きな友人に、駄目元で電話を掛けて話をしてみた。
あぁ、勿論、唾液友人には許可を取ってからだよ。
どうにも局地的な災難的なものに遭う友人の話をして、
「気の毒な友人に出来そうなアドバイスないか?」
ってね。
そうだよ。
他力本願だよ。
悪かったね。
そうやってヘルプを頼んだ友人にも、半分は、
「知るか」
と言われて終わるかとも思ったんだけどね。
ふんふんと黙って話を聞いてくれた友人は、あっさりと。
『えっとね、その子は、一部の男たちにとって、凄く美味しい花であり蜜そのものなんだよ』
そんな答えをくれた。
「?」
『尻フェチとか匂いフェチとかいるでしょ?あれのもーっと奥底の、理性とかじゃなくて、自分じゃあね、もうどうにもならない衝動みたいな部分。
そうだなぁ。
例えは最悪だけど、滅法手癖の悪い奴いるでしょ?
あいつらね、両腕を切り落とすと、どうなると思う?
それくらいじゃ、やめないんだよ。
今度はね、口とか足の指を使って盗ろうとするんだ』
逞しいな。
『そう。三大欲求並みの、なんならそれ以上の強さだよ。
問題は、君の友人の唾液を舐めた奴ら。
そいつらはね、
"その瞬間まで自分が彼女の唾液を欲しい事実に、全く気づいていない"
んだよ』
と電話越しの深刻な振りをしながらも隠せない楽しそうな声。
気付いていないとな。
あの友人と言う蜜をたっぷり含んだ花を見て、ただ本能で無意識に吸いに行く虫的な?
『そんな感じ、だって本人たちにとってはそれがごく自然な行為で、息をするように当たり前の事だからね』
対策は?
『ないよ。
その彼女の蜜、まぁ体液だね。
それが麻薬になる男を彼女が好きになれば、一生愛されて一生幸せにはなれるだろうけど』
うまくやれば逆ハーレムを作れるではないか。
『逆ハーレムくらい余裕余裕』
余裕か。
『その彼女が割りきれば、もっとね、なんだってできるよ』
あくまでも私の勝手な推測だけどね、と付け足されたけれどけれど。
推測の一つとしてでも、非常に役に立った。
翌日。
私は、アドバイスをくれた友人が好物の、ちょっとでもなくお高いチョコレートを、しかも店舗限定のものを、店まで足を運んで、友人宛に送った。
今回の礼もあるけれど、次に何か聞きたい時に向けての、先払いも意味も込めて。
花蜜友人には、その推測を伝えるか伝えないかは、少し迷った。
その彼女自身の業の様なものは、この先も一生つきまとうだろうし、素人の推測とは言え、それを聞いて更に気落ちしたらと思うと、若干の葛藤はあり。
ただ、花蜜友人の性格的に、野心的なものはこれっぽっちも見えないし、かと言って花蜜友人は別に頭が悪いわけでもない。
そう。
友人の友人、の素人話を鵜呑みにして、調子に乗るタイプでもない。
なので。
次の週末に、同じカフェに呼び出して話をしてみれば。
「……えー、そうなんだ?」
花蜜友人は、一瞬すごく無防備な、ぽけっとした顔を見せたけれど。
「なるほどなるほど、そうなんだねぇ」
自分の身体を見下ろし。
「なんか、そっかぁ、理由が分かったらスッキリした」
と力の抜けたような、ほわっとした自然な笑みを浮かべてくれた。
「でもそれも、ただの素人の勝手な憶測だから」
と、念押しで伝えたけれど。
「いいのいいの、答えの1つでもあれば、気持ちの落とし処があるから」
そういうものか。
「一部の人に対して、体液が強烈な蜜になるのかぁ」
唾液の変態エピソードが多いのも、相手の目に触れる、手に届きやすいからだろう。
「へー、ほー」
と間抜けな感嘆符を漏らしていた花蜜友人は、しばらく視線を彷徨わせて何か思案していたけれど。
「……ねぇねぇ、女の子にも効果あるのかな?」
と私を見て両目を三日月にした。
気持ちの落とし処を見付け、元気になったからと言って、とんだご冗談はやめて頂きたい。
ただ。
うん。
ほらね。
確かに女同士だと、普段からの接触などで機会はいくらでもあるだろうから。
「絶対にない、これからもない」
とは到底言いきれない。
そして。
そんな事を言われたせいか、私は、彼女が咥えるストローの先が、唇が、その先の唾液が妙に気になる。
なんか。
心なしか、むずむずしてきた。
(……待て待て、あー、やめやめ)
慌てておかしな思考を頭から追い出し、
「ケーキでも食べちゃおうかなぁ」
と途端にご機嫌にメニューを眺める彼女に、私は、呆れ半分、残り半分は、ただ安堵を含めた苦笑いをするしかない。
そんなね。
自分が花であり、いや、自分が蜜そのものであると知ったこの友人は、これからどんな人生を歩いていくのか。
きっと、大きく大きく変化していく。
一方。
花すら咲かない雑草の私は、その豊かに華やかに鮮やかに、文字通り目映い大輪として咲き誇る友人の生涯を、興味深く見守っていくだけ。
そう。
ならば私は、せいぜい、その隣で。
彼女のよき語り手になろうじゃないか。
彼女の人生に
大きな幸あれ