表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。

雑記10 ねるべし、ねるべし

作者: 遠部右喬

 北大路魯山人先生は、著作「魯山人味道」の中で仰った。「納豆は混ぜれば混ぜる程美味い」、と。


 食材を活かすことこそが真の美食、これが魯山人先生の哲学である。恐らくはその思想に感銘を受けたのだろう某有名おもちゃメーカーが、この「最高に美味な納豆」を効率よく再現する為の専用器具を売り出した。

 魯山人先生のエッセイには、何回混ぜるべしという具体的な数字は書かれていない。そこでメーカーは器具の開発にあたり、何回混ぜるのがベストなのかという検証に味覚センサーを用いて実験を行った。その結果、424回混ぜるのが一番コクが増すという事が判明したそうだ。421回でも、425回でもなく、424回。そんな僅かな回数の違いで生じる旨味を数値化できるとは、文明の利器とは凄いものだ。


 それにしても、「美食家」……なんか……なんとなく、こう……格好良い響きではないか。

 その言葉にほんのりと憧れを抱いた私は、いつか自分も納豆を424回混ぜてやろうと野望を抱いていたのだが、中々実践に至らずにいた。


 何故ならば、我が家から一番近いスーパーはどのメーカーの納豆も高いのだ。


 恐らく買い物のタイミングが悪いのだろうが、私がお気に入りのおかめちゃんマークがキュートな小粒納豆は、常に九十五円以上(税抜き価格)する。下手したらコンビニで買った方が安いという強気の値段に、「……今日の所は、勘弁したる」と心の中で捨て台詞を吐く日々なのである。

 本当に424回混ぜたものが「ベスト オブ 納豆」なのかを確認する為には、様々な回数で混ぜた納豆を食べ比べる必要があるだろう。そうなると、小分けにして試すにしても最低でも3パックは欲しい。5、6パックあれば盤石だ。が、肝心の納豆が高い!

 美食家を装いたし、されど、出費は抑えたし。遠いスーパーまで足を延ばすのも面倒だ――そんな葛藤から、中々試す機会に恵まれずにいたのだ……が。


 なんと本日、いつものスーパーでおかめちゃんが七十円台で売られていたのである。心の中で快哉を叫び、1セット3パック入りを2セット買い物かごに放り込んで、うきうきと会計を済ませ帰路に着いた。


 *


 午後三時のおやつ時。

 目の前には2セットの納豆がある。夕飯はケ〇タッキーのチキンフ〇レバーガーにしようと心に決めていたので、納豆はおやつ代わりに食べることにしたのだ。


 ここに来て、ふと、今更ながらの疑問を抱いた。


「いくら健康食品とは言え、この量を一度に食して良いのだろうか」


 グー〇ル先生にお尋ねした所、血液凝固を防ぐ薬を服用している方には、納豆に含まれるビタミンKがよろしくないと書かれた記事を発見した。その他に、意外とプリン体が多いとか、イソフラボンも豊富なのでエストロゲンの分泌がしっかりしている方の過剰摂取は推奨しない等、カロリーや腸内細菌への影響なども考慮すると「一日45g程度の摂取」が望ましいと記述されている。

 改めておかめちゃんに掛けられていた外装フィルムを確認すると、「内容量 納豆50g×3」と記載されている。

 あれ? 1パックで摂取量ちょいオーバーじゃん。それを6パックか。


「うん、まあ、毎日この量を食べる訳ではないし、一食くらいは平気平気」


 そう呟きつつ、まだ未開封だったことを幸いに、1セットをそっと冷蔵庫に戻す。一体、何時からこんな守りの人生に入ってしまったのだろうと情けなく思うも、「痛風とか、怖いもんは怖いんじゃ」、これもまた本音なのだ。


 さて気を取り直し、3パックの納豆でお楽しみタイムに突入である。


 用意するものは、納豆×3パック、小鉢×4鉢、醤油と辛子、刻み葱。以上である。

 出来る限り「魯山人味道」の記述通りに実践する心算なので、今回はパック付属のタレは使わず、醤油を用意した。手順は以下の通りだ。


1. 納豆を4鉢に分ける。それぞれをA、B、C、Dとする。


2. Aの納豆を100回混ぜる(50回混ぜたタイミングで醤油、辛子、刻み葱を入れる。その後50回混ぜる)


3. Bの納豆を200回混ぜる(50回、100回混ぜたタイミングで都度、醤油、辛子、刻み葱を入れる。その後100回混ぜる)


4. Cの納豆を420回混ぜる(50回、100回、200回混ぜたタイミングで都度、醤油、辛子、刻み葱を入れる。その後220回混ぜる)


5. Dの納豆を424回混ぜる(200回混ぜるまでは4と同工程。その後224回混ぜる)


6. A~Dを食べ比べる。


*公平を期すために、醤油、辛子、刻み葱は全ての鉢に同量入れる。


 A、B、Cの違いは、流石に私でも分かるのではないかと予測する。重要なのは、CとDの違いが分かるのか、という事だ。この違いが分かる様なら、明日からはドヤ顔で「美食家」を名乗っても良いだろう。


 私はAの納豆を混ぜ始めた……途端、アクシデントが発生した。

 我が家の猫二匹が、私の周りをうろつき出したのだ。普段は人間の食事に興味を示さないのだが、こういう時に限って、納豆入り小鉢を覗き込んだり私の腕に頭突きをかましてくる。それをガードしつつ、なんとかAの鉢を混ぜ終えたところで、実験用具(納豆達)を抱え、居間から脱衣場へ移動した。ドアの外では猫達が「ここを開けろ!」と借金取りの如く騒いでいるが、心の中で平謝りしつつ聞こえないふりを決め込み、実験再開。

 

 Bの鉢は、特に何事も起きずに無事混ぜ終えた。この調子でCに取り掛かる……と、途中でまたもやアクシデントが発生した。

 練りが300回を超えた辺りで、腕が疲れて来たのだ。

 A、Bと混ぜてみて気付いたのだが、納豆を100回近くかき回していると、糸が増えるせいか、意外と箸が重くなってくる。途中で足した醤油などにより多少緩くなりはするものの、既に三鉢目である。600回近く納豆を練り続けた結果、普段使わない部分の筋肉が文句を言い始めてた。だが、後はほんの100回程混ぜるだけだ……ほんの……いや、地味に「ほんの」が効いて来るな、コレ。だが幸いにして、合計混ぜ回数が350回に到達する辺りで、重みよりも滑らかさの方が勝るようになった。よし、いける。


 ともあれ、Cを混ぜ終え、ようやくDに取り掛かる。最後の力で424回無事混ぜ終え、いざ実食までたどり着く。

 気付けば脱衣場の外はすっかり静まり返っているが、油断してはいけない。猫という生き物は、待ちの狩りをする生き物だ。扉一枚隔てた向こうで、彼等が私という獲物(おもちゃ)を待ち構えている可能性は大きい。迂闊にドアを開けて猫にじゃれつかれ、折角の納豆をぶちまける羽目になりかねないし、その結果、彼等が納豆塗れになってしまうかもしれない。であれば居間に戻るという選択は悪手。仕方なく、このまま脱衣場でいただくことにした。


 まずはA。私は普段納豆を食べる際にはあまりかき混ぜない方なので、この時点で既に違いを感じる。糸を多めに纏った大豆は箸に絡み易く、いっぺんに結構な量が持ち上がるお陰で、一口の満足感が凄い。美味しかった。


 次にB。見た目からしてAとの違いがある。糸というより、そこに絡む気泡の存在感が大きい。その泡のお陰か、口に入れた大豆がAのものよりも滑らかに感じられる。成程、確かにこれも美味しい。食べ応えが欲しいならA、滑らかさを求めるならBと、好みでねり分けても良さそうだ。


 さて、C、Dだが、こちらの二鉢は見た目はほぼ一緒である。そしてA、Bとの圧倒的な違いは、そのエアリー感だ。ねりあがった糸は気泡を通り越し、完全に泡立っていて、そこに豆が混じってるような状態である。大豆の表面も明らかにつるりとしていて、一瞬ならば、タピオカ入りのカプチーノにも見えない事もない。滑らかを備えつつもしっかりと一塊になったそれは、例えるなら冴えない色をしたスライムのようだ。

 Cの鉢を手に取る。混ぜている最中はあんなに重く箸に絡んで来たというのに、いざ実食の段になるとふわふわと豆が逃げてしまい、中々上手くいかない。仕方なく、行儀悪くも小皿から口へダイレクトに流し込む。

 「これは飲み物ですか?」「いいえ、納豆です」……独特のぬるん、つるん、とした食感に、脳内の小人たちがそんな会話を交わす。流石に「飲み物」は大げさにしても、明らかにA、Bと違う食感、というか喉越しに驚いた。うん、美味しい。とても美味しい……が……


「Bの方が美味しい……ような……?」


 この感想を持った段階で、既に味覚センサーに負けているということである。当然、この後に食べた4回しか混ぜ回数が変わらないDとの違いなど、私に分かる訳がなかった。


 私に、「美食家」と名乗る資格はなかった。それが分かっただけでも良しとしよう……消沈しつつ脱衣場のドアを開けると、既に猫の姿は無かった。彼等は違いの分からない人間の事など、とうに見限っていたのだ。


 寂寞とした思いを抱え、私は洗い物をする為にキッチンへと向かうのであった。

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ