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入学編 2話 世界で一人みたいだ

 ナビがあるのにも関わらず(鈴城のせいで)道に迷った三人は、会話を楽しみながら長いドライブ時間を潰した。

「あ、そういえば戦闘をしていた時、鈴城さんはどこにいたの? 約束通りならば、広間で待っているはずだったのに……」

 ひょうりの言葉に鈴城は肩をぞくりと震わせた。

「あ、あの時は車内で昼寝……いえ、休憩をしていたんです!」

 必死に嘘をつこうとしたが、全然誤魔化せていない。誰がどう考えても休憩は昼寝と同等だ。

 ひょっとしたら、あの場にひょうりが来ていなければ、彼方は命を落としていたかもしれない。

 あらためてひょうりは自分の恩人だと、彼方は心から感じた。

 彼方とひょうりは、バックミラー越しで鈴城に白い眼を向けた。鈴城は一瞬バックミラーを確認したが、逃げるように目を逸らした。自分のミスを、一応理解はしているようだ。

 だが、本当にこの人で大丈夫なのかという疑念が再び深まった。

「それにしても危なかったね。彼方君」

「うん。ひょうりさんが来てくれなければどうなってたんだろうね」

「結果的に無事で良かったです!」

 ごまかすように大声で二人の声をかき消そうとしたが、二人から失われた信頼は簡単には戻らないだろう。

 バックミラー越しに見えた鈴城の顔は、サウナにいるかの如く汗だくであった。

 彼方があまり強く言える立場ではないが、もっとしっかりして欲しいものだと思った。

「と、ところでお二人は……そ、組織については……ど、どれほど、知っていますか?」

 必死に話を変えようとしているのが見え見えだった。その証拠に激しい動揺からか、異常なまでに文節を切って話をしている。

 これ以上詰めると彼女が壊れてしまうと思った二人は、彼女の話に乗ることにした。

「私はほとんど知ってるかな?説明の時に、聞きたいことは聞けたから」

「逆に僕は全然ですね。英血高校そのものも知りませんでしたし。多分情報量としては、一般の方と遜色ないくらいかと……」

「それな――」

「じゃあ何か分からないことがあったら、私が教えてあげるよ!」

 鈴城が口を開いた瞬間、ひょうりが遮った。

「本当?それはとても助かるよ……」

「彼方君にならなんでも教えるよ!」

 後ろでキャッキャウフフしている二人に対して、鈴城はなぜか悲しそうな表情だった。

 ――私の仕事……取られた――

 もちろん、ひょうりに悪意など無い。単純なる彼方への善意なだけであり、結果的に鈴城が不憫な感じになってしまっただけである。

 まだ出会って一時間も経過していないにも関わらず、彼方の中では鈴城よりもひょうりの方が信用に値するという判断をしていた。

 鈴城の自業自得としか言いようがない。

 その時ひょうりは何かを思い出したようで、身体を前へと乗り出して、鈴城に近づいた。

「あ!そう言えば気になってたんだけど、先生がさっき使っていたあれ……あの銃ってなんなの!?凄い爆発してたけど」

 彼方は、鈴城が悪魔の頭部を撃ちぬいた光景を思い返した。

 まるで銃口からダイナマイトでも放たれた様な爆発を起こす銃。

 彼方もあの武器については気になっていた。あれは組織に属する人間の特権なのだろうかと、色々と考えていた。

 その中で、彼方は一つ疑問に思っていた。

 先ほどの戦闘から見ても、鈴城のスペックは血液でワイヤーのような物を作り出すという物であるはずである。ならばあの爆発はスペックではない何かなのか?はたまた、今は爆発だけを起こす銃を作り出せる技術が組織にはあるのか疑問に思っていた。

 鈴城は左手でハンドルを握りながら、右手で腰にしまっていた銃を取り出して後方の二人に見せた。

 銃口が平べったく、ハンドガンよりは大きめの銃。近くで実物を目にしたひょうりは目を輝かせた。

「これは、私の為に作られた武器で、『クラスターマグナム』です。研究員の中には、研究を行うだけでなく、このような武器を作る技術員もいるんですよ。そこの人に頼めば、こういうものも作ってもらえますよ」

 クラスターマグナム。鈴城が特注した銃器で、爆発する弾丸を内部に詰め込み、引き金を引くと銃弾が外へと押し出され、銃口に取り付けられた突起によって弾丸が破裂し、大爆発を引き起こす代物だった。

 爆風の衝撃が襲い、クラスターマグナムを扱う際には、身体を何かに固定しないと、吹き飛ばされて弾丸が狂ってしまうという欠点があった。しかし、スペックでワイヤーを操る鈴城は、どんな場所でも身体を固定できるため、この欠点を克服し、自在にマグナムを使いこなすことができたのだった。

 あとは、数えきれないほどの努力の結晶で、鈴城はクラスターマグナムをものにした。

 これまでの彼女の行動からは想像もつかないが、彼女は彼女なりで頑張っていたのだ。

「面白そう!私もいつか頼んでみようかな!」

「そうですね。自分の戦闘スタイルに合うような武器を探してみるのも楽しいですよ」

「鈴城さんはどうしてこの武器を使おうと思ったんですか?ワイヤーも凄い便利なスペックだと思うんですけど……」

 彼方は普段読んでいるようなマンガからも、糸を使う者の強さを実感していた。

 汎用性が高く欠点が無いと、彼方は思っていた。

「確かにすごく便利なんですけど、私のは硬度がそこまで高くなくて、相手にダメージを与えるのには向いてなかったのです。なので訓練では自分の機動力を増すのに全振りしてしまって、敵や悪魔を倒せなくなってしまったのです」

 ――何その地味に悲しいエピソード……

 二人は同じことを心の中で考えた。

「なので、このクラスターマグナムを使うことで、戦闘面におけるダメージを与えるという欠点を克服したのです。スペックを使うと、どれも完璧にこなそうと考える人も多いですが、自分の欠点ともちゃんと向き合って、上手く調整すれば課題なんていくらでも克服できますよ」

 誇らしげに言った鈴城。「私の場合は変なミスですが」最後にそう付け足して、苦笑いを浮かべた。

 彼女の発言に、二人の鈴城を見る目がわずかに変わった。わずかに。

 経験者のは話ともなると、説得力は十分だった。

 いつか自分にも活かそうと彼方は心の中で誓った。

 鈴城の話を聞いたひょうりは、腕を組んで考え込んでいた。

「う~ん……武器って何が良いんだろう……?」

「雨宮さんは、近接戦闘が得意ですよね」

「なぜそれを!」

 神妙な面持ちで聞き返すひょうり。

「私は、今年度の英血高校一年生の副担任を任されました。生徒皆さんの情報は把握していますよ」

「なるほど」と言って、ひょうりは手を打った。それにしても、副担任という情報はそれなりに重要なことではないのかと、彼方は疑問に思った。しかし、それが鈴城らしいと思ってしまった。

「雨宮さんの場合は、変わったものを使用するよりは、単純にグローブやシューズに強化を施すのがいいかもしれませんね」

「なるほどー!」

「けど、そこまで焦るものではありませんよ。研究員の方との相談をして、決めてみていいですし、それに……」

 突然、鈴城は口を閉ざした。

 何かを慎重に考えているような表情をしている。

「壊したり無くしたりしたら、ある程度は自費ですからね」

 鈴城の言葉にひょうりは黙り込んだ。

 しかし、それは鈴城が特別な例外だったに違いない。

 根拠はないが、これまでの鈴城の振る舞いを見てきた二人はそう感じながら、車の中で揺られた。

 


 ◇◇◇


 

 彼方達を乗せた車は、しばらく走ると都心を抜けた。

 駅からはかなり遠方まで来ており、段々と大きな建物は無くなっていき、市街地へと入っていった。

 ようやく青く澄んだ空がはっきりと見えた。

 二人が通っていた中学校も、程よく都会であり、田舎でもあったような場所であった。

 現在の場所は都会よりではあるが、地元の学校に近い様な雰囲気に、二人は景色を眺めているだけで心が落ち着いた。

 英血高校へと向かっている間、彼方とひょうりは他愛もない話を続けていた。

 これまでの出来事や、好きなものや趣味など。時に鈴城も交じりながら、車内で楽しい時間を過ごした。

 だが、その時間も終わりが近づいていた。

「そろそろ到着しますよ」

 鈴城の言葉に二人は会話を中断して、外へと目をやった。

 周囲には住宅が果てしなく続いており、組織の建物どころか学校があるかどうか疑問に思うほど、ただの市街地だった。本当にこんなところに英血高校があるのだろうかと、疑問に思いながら街並みを眺めた。

 その時マンションの奥から、大きな校舎が現れた。

 段々と大きくなっていく校舎に、ひょうりは窓を開けて、顔を出して眺めた。

「おぉー!」

「危ないよ!」

 彼方の言葉に、ひょうりは車内へと戻って、彼方を見つめた。

「ついつい興奮状態になっちゃった!」

 無邪気な彼女の姿に、彼方は小さな子供のような愛くるしさをひょうりから感じた。

 赤信号に引っかかって、車を止めると、正面には校舎がそびえたっているのが見えた。

「ここが皆さんに過ごしてもらう英血高校です」

 大きさとしては普通の高校くらいの大きさであると、二人は感じた。普通に高校として使用するには申し分ない程度の大きさであると思うが、事前に聞いた話では英血高校に通う人間はかなり少ないはずである。一クラス十数人しかいない割には、かなり大きい様に感じられた。

 校舎の他にもいくつかの建物があるように見えるが、学校の外側に植えられた大量の木々が、外側からの視線を遮るようにしていた為、上の部分しかほとんど見えなかった。

「なんか、意外と普通の学校と変わりないね」

 ひょうりは、思っていたことをハッキリと言った。

 すかさず鈴城が解説を始めた。

「実はここ。元は警察学校として使われていたんですよ。現在では、警察を志望する人たちが減少の一途を辿ってるので、それによって使われなくなったこの校舎並びに土地を、組織が購入して再使用しているのです」

「そうなんだ!」

 後から教えてもらったことではあるが、敷地内には寮や訓練場も以前警察学校の時にも使用されていた物をリフォームして使用されているようだ。

「現在ここは、皆さんの拠点及び、組織の者の駐屯地としても利用されます」

「駐屯地?」

 その言葉が気になったようで、ひょうりは聞き返した。

「先ほど仰った様に、本部は東京の中心にあり、複数の支部が他の場所に存在しています。ここは元々支部の一つとして使われておりであり、そこにこの英血高校が作られたのです」

 車は入り口へと近づいていった。

 敷地の外周のほとんどが木々に囲われている中、一箇所だけ木が植えられていない場所が存在していた。木が植えられていない場所へと、段々と車を近づけていくと、縦と横が二メートル四方の大きさの巨大な門がそびえたっているのが見えた。門の側には何やら機械が設置させられていた。

 門の前へと車を止めると、鈴城が運転席の窓を降ろした。

 どうやら機械は、門を開くための認証用の機械であるようだった。

 鈴城はスーツのポケットへと手を入れて、中をまさぐった。

 おそらく認証するために何か道具が必要なのだろう。鈴城がそれを見つけ出すのを、後ろの席に座っていた二人は静かに待っていた。

 だがしばらく探してみても、お目当ての物が見つからなかった様で、反対側のポケットにも手を入れた。その瞬間、鈴城の顔が青ざめていったのが、二人の目に映った。

「ヤバッ……」

 明らかにミスをしたかのような、深刻な声が小さく漏れ出た。

 一度顔を引き攣らせたかと思うと、すぐさま鞄へと手を突っ込んだ。

「ヤバいヤバいヤバい!」

 何がとは説明しなかったが、本当に深刻な状況であるのは彼方とひょうりにも分かった。

 ガザがサと鞄の中で手を動かしているも、中々見つからない様で血眼になって探していた。

 しかし一向に見つかる気配は無かった。

 終いには、鞄の中を助手席の上にひっくり返した。

 財布、ポーチ、櫛、ペンケース、グシャグシャになったレシート、食べかけのお菓子など様々な物が出てきた。

 だが未だに見つからなかったようだ。

「ヤバい!無い!」

「何が無いの?」

 シートベルトを外したひょうりが身を乗り出して、鈴城の横へと顔を出した。

「この門を車が通る為には、ICチップが埋め込まれた通行証が必要なんです!それが無いと入れないんです!」

 今日一番の絶望的状況である。

 ここまで来て入れないとなると、どうすればいいのだろうか。

 その時ひょうりは、鈴城のお尻の下辺りにカードケースのような物が落ちているのが目に入った。

 カードケースを取ろうと、ひょうりが手を伸ばした。

 その時ひょうりの手が、鈴城の柔らかいお尻の表面へと触れてしまった。

「ひゃん///」

 可愛らしい声が鈴城から漏れ出た。

 鈴城の頬が一瞬で真っ赤になった。

 聞いてはいけないものを聞いてしまったと思った彼方の顔が、どんどん赤くなっていった。

 そんな事を気にせずひょうりは手を伸ばして、カードケースを掴んで取り出した。

「もしかしてこれじゃない?」

 取り出したカードケースを、鈴城の前へと見せると、一気に顔が明るくなった。

「あ、それです!ありがとうございます!」

 ありがたくひょうりから受け取ると、認証用の機械へとカードケースをかざした。

 機械がカードを読み取ると、門が自動で開いていった。

「おぉー!なんかかっこいい!」

 原理的には普通の駐車場と変わらないと思ったが、そんなことを彼女に言うのは野暮だと思って、彼方は言葉を飲み込んだ。

 鈴城はアクセルを踏み込み、三人を乗せた車が敷地内へと進入していった。目の前には、左右対称に二つの校舎がそびえ立っていた。

「校舎が二つあるよ!」

「先ほど説明した通り、ここは駐屯地の一つです。右側が駐屯地として、事件の捜査本部などとして使用されたり、休憩室などとして利用されています。左側の校舎は英血高校となっています」

 ひょうりは首を左右に振って、それぞれの校舎を見比べた。

 右の駐屯地の校舎が三階建てに対して、左の校舎は二階建てになっていた。

「思ったよりも小さいね」

 ――凄いハッキリ言った……

 何度かひょうりの発言を聞いて、彼方は彼女が思ったことを包み隠さず口に出してしまうという性格を理解した。

「各学年一クラスしかありませんから、校舎の部屋数がそこまで必要ないんですよ。むしろ奥にある寮の方が大きいですね」

 二人は校舎の奥にある建物へと目をやった。三階建ての建物が横に長く広がっているのが見えた。

 英血高校には全寮制が採用されているわけではない。全生徒が寮生活を送るわけではなく、希望者のみが入寮できるようになっている。また、近隣の家に下宿や引っ越しを選ぶ者も少なくない。

 そんな中、他県から来た彼方とひょうりは寮へ入ることを決めていた。大量の荷物をすでに送っており、今は最低限の荷物しか持っていなかった。

 だが、昔から心配性であった彼方は、わざわざキャリーバッグに必要な服や小物などを自分の手で持ってきた。

「寮の部屋の中の写真、凄い綺麗だったね!」

 彼方は資料に同封されていた、寮の中の写真を思い返した。

 綺麗に整備されたフローリング 、汚れ一つない白い壁。いつ撮られた写真かは分からなかったが、写真ではかなり綺麗になっていた。

 一人暮らしをするにはちょうど良いサイズの部屋であり、それぞれの部屋にキッチンと風呂にトイレが全て完備されていた。しかもユニットバスではなく、風呂トイレ別という物件であった。

 なんて素敵な条件であるのだと、彼方は感心してしまった。

「そうですね。確か英血高校の制度が出来ると同時に建造されたので、まだ築三年ですからね。しかも皆さんが初めて使用する部屋ばかりのはずなので、どの部屋も綺麗ですよ」

 ひょうりは今後の生活の拠点となる寮に、今日で何回目か分からないが目を輝かせた。

「うわぁー!中に入るの楽しみ!」

 彼方は先ほどの鈴城の発言を思い返して、ふと思ったことがあった。 

「そういえば僕達が三年目……ってことはもしかして――」

 彼方の意図を読み取ったひょうりが、彼方の言葉に続いた。

「もしかして、先輩がいるの!」

 高校という名前がついている上に自分達が三年目である以上、上級生がいるはずである。

 先輩という存在にワクワクが止まらないようで、ひょうりは浮き足立っていた。

「いるにはいるんですが、現在はこの場所にはいないですね」

 言葉の意味がよく分からなかったひょうりは「どういう事?」と、尋ね返した。 

「皆さん既に現場へと出動できる程の実力でして、今はほとんど英血高校には戻ってきてないんですよ。皆さん今は地方でそれぞれ仕事をしています」

「そっか……残念」

 先輩に出会えない事が分かったひょうりは、残念そうに肩を落とした。

「いつかは会えると思いますよ」

「そっか……そうだね!その時まで楽しみにしてよう!」

 鈴城の言葉で一気に元気を取り戻した。この切り替えの早さが彼女の良さなのだろう。ひょうりを見ているだけで、自然と彼方は元気を貰っているような気がした。


 

 三人を乗せた車は校舎の入り口の近くに停車した。

 鈴城はシートベルトを外して、スーツのポケットから携帯の様な端末を取り出した。

 組織専用の機械なのだろうか。彼方は端末を見つめながらそんなことを考えていた。

「どうやら他の皆さんすでに到着しているみたいですね。どうやらお二人が最後のようですね」

 鈴城は副担任ということもあり、英血高校一年の全員の位置を把握している。他の職員と連携を取り合って、全員が到着したことを上層部及び主担任に伝える。それが鈴城の仕事であった。

「それにしても皆さん到着が早いですね」

 ──鈴城さんが道に迷ったせいなのでは?

 彼方とひょうりは同じことを思い浮かべたが、もしそのことを鈴城に言ってしまったら、彼女が再び落ち込んでしまうのが目に見えているために、それを声には出さなかった。

 それにしても、ナビがあって何故迷ったのかが、二人は未だに分からなかった。

「私は車を駐車場へと停めて来ますので、お二人は先に教室へと向かってください。私も後ほど伺います」

「りょ……了解しました」

「それじゃあまた後でね!鈴城さん!」

 もはや鈴城とひょうりは教師と生徒というよりは、友達のような距離感であった。

 別に悪いことではないと思うのだが、これはこれでどうなのだろうかと、彼方は思った。

 彼方達が車を降りた後、鈴城は駐車場に向かって車を走らせていった。

 二人は手を振って鈴城の乗った車を見送った。わずか数分の別れでしかないが。

 鈴城の乗った車が曲がり角で見えなくなると、ひょうりが突然彼方の手を掴んだ。

「えっ……!」

 いきなりの事で困惑する彼方に対して、ひょうりは満面の笑みで彼方に告げた。

「それじゃあ彼方君!一緒に行こっか!」

 ひょうりが走り出した事で、自然と彼方も走らざるをえなくなってしまった。

「ひょ……ひょうりさん!?」

 親の手を引っ張る小さい子供のように、ひょうりは無邪気に彼方を引っ張っていった。

 その力はかなり強く、彼方が止めようとしても止められるほどの強さではなかった。まるで犬に引っ張られる飼い主のようになっていた。もちろんそんな関係ではないが。

 どちらかと言えば、主人はひょうりの方が似合うだろうか。

 なんにせよ、女子からこうも強引に手を握られた事のない彼方は、緊張の汗が止まらなかった。それに他の人から見られたら少し恥ずかしい。そんな気持ちであった。

 だが諦めて、ひょうりに身を任せる事にして、英血高校の外観を眺めた。

 警察学校は厳密には通常の高校とは作りが違うらしいが、外観としては通常の高校とは遜色ないようなものであった。

 例え衛生写真などでこの場を見せられても、普通の高校と言っても怪しまれないほどに、見慣れたような光景であった。彼方が通っていた小学校や中学校とも、大して変わらない様に感じられた。

 ひょうりに引っ張られて、彼方は玄関の扉をくぐった。

 見慣れた様な景色に、新たな学舎であったのに、そこまで緊張はしなかった。

 玄関には通常の学校とは違い、下駄箱が設置されておらず、見通しのよい景観が広がっていた。よく見ると、下駄箱が撤去されたような跡が残っていた。

 いついかなる時も、迅速な対応が求められるために、施設内は全て土足で入ることが出来ると、事前に鈴城から教わっていた二人は土足のまま建物の中へと入った。

「うぁー!」

 中を見渡して、興奮冷めやらないひょうりは感嘆の声を漏らした。

「なんか学校に土足で入るのってなんか背徳感あるよね」

 ――最初の感想がそれなんだ……

 相変わらず斜め上の反応を見せるひょうり。

 確かに分からない事ではないが。

「もしかして〜新一年生の方ですか〜?」

 突如声をかけられた事に、ひょうりは声のする方へと目を向けた。

 玄関をくぐった正面には、受付と書かれた看板が設置されていた。受付の窓口からは、お団子型に髪を纏めた黒いスーツ姿の女性が顔をのぞかせて、小さく手を振っていた。

 清潔感に溢れながらも、垂れた目と、柔らかな銀髪。更には間延びしたようなゆっくりとした喋り方から、優しいオーラが溢れ出ていた。

 まさに「ゆるふわ」という言葉を体現したかのような女性であった。

 どことなく、口が猫の様に数字の三を横にした「ω」のような形になっているように見えた。もちろん彼方の気のせいである。

 女性と目が合うと、急に気恥ずかしくなったのか、ひょうりは彼方の手を離した。

 彼方との手を繋ぐのには抵抗が無いが、人に見られるのは緊張するようだ。

 彼女のよく分からない緊張のさじ加減に、彼方は困惑した。

「は、初めまして!新人の雨宮ひょうりです!」

「お、同じく、窪田彼方です」

 その場で軽く頭を下げる彼方に対し、ひょうりは再び敬礼をして自分の名を告げた。その姿を見て受付の女性は、クスッと笑った。

「別に敬礼は必要ありませんよ〜」

「そ、そうですか!失礼しました!」

 ひょうりは手を身体の横にぴったりと付けた。

 元気の良いひょうりに、彼方は横で苦笑いをこぼした。

「もしかして、鈴城に送られてきた?」

「え、何で分かったんですか!」

 早くもひゃうりは距離を詰めて、言葉がラフになっている。

 そんなフランクな彼女のスキンシップ能力を、彼方は羨望の眼差しを向けていた。

「だって〜こんな時間に来るのって、鈴城くらいしかいないからねぇ〜」

「そうなのですか?」

「うん。だってあの子〜引く程ドジだからね〜」

 ――ごもっともです……

 彼女の発言に、二人は同じことを思ったが言葉には出せなかった。

 それと、これは彼方が後から聞いた話であるが、二人は予定では三十分以上早く到着する予定であったそうだ。

 謎の男と悪魔による襲撃を加味しても遅れたのは十五分程度。それ以上は全て鈴城が道に迷った時間である。

 鈴城を呼び捨てにする姿や、ドジっ子であることを知っている事について、彼方は受付の女性へと尋ねた。

「もしかして、鈴城さんとは面識が?」

「うん。あの子〜私の同期なの。同期の中ではずば抜けて優秀でね、今回副担任に選ばれたの〜」

 その事実に二人は衝撃であった。確かに悪魔襲来時の動きは素早く、手慣れたものであったが、それ以上に彼女のドジがマイナスに打ち消してしまっている様に感じられていた。

「あの子さ〜出会った時からドジだったからね〜。けど一応言っとくけど、あの子舐めない方がいいよ〜。実力は本物だから」

 同期の人間からの証言。二人が信頼するには十分であった。

「ま、それはまたいつか自分の目で見てみなよ〜。それで君たち一年生だね?」

 話が逸れてしまった為に、二人は教室に向かっている最中であったことを思い出した。

「あ、そうだ。一年生の教室ってどこにありますか?」

「一年生の方の教室なら……」

 彼方の問いに女性はゆっくりと腰を上げて、身を乗り出すようにして彼方達の左手の廊下を指さした。

「あっちの廊下を進んでいくと〜、三つの教室が並んでいて〜、一番手前の教室が一年生の教室となってるよ〜。何か分からないことがあったら、この受付に聞きに来てくださいね〜」

 そう言って受付の女性は笑顔を見せて、二人に手を振った。

 その姿を見てひょうりには、雷のような衝撃が走った。

「これがゆるふわか!」

「遅くない!?」

 小声で言って為に、受付の女性に聞かれてはいなかったようで、女性はポカンとした表情を浮かべて、不思議そうに軽く首を横に傾けていた。

 受付の女性に、二人は「ありがとうございます」と言って、受付を後にして教室へと向かった。

 教室へと向かう途中、彼方の横を歩くひょうりは落ち着かない様で、そわそわと小刻みに動いていた。

 指先がカクカクと動き続けている。

「なんか凄く緊張してきちゃった!」

 ひょうりが紅くなった頬を隠そうと手で抑えていた。それと同時に、少しニヤついているようにも見える。

「僕には楽しそうに見えるよ」

「そ、そう!?そうなの!実はどんな人達がいるんだろうって楽しみで、ワクワクな気分もあって、でもやっぱり初対面の人だと緊張するっていうか……」

 ひょうりが体をくねくねさせ、モジモジしながら照れくさそうにしている。正直彼女でも緊張することが彼方には意外だった。あまりそういうことに緊張しないタイプだと思っていたが、実際には違う様だ。

 彼方は彼方で、同じく緊張で声が出せるかが不安だった。

「ついたね!」

 話をしてる間に、教室の扉の前へと到着していたようだ。

 心臓の鼓動が早くなっているのが、彼方自身が一番理解している。

 このままでは、扉を開けることもままならない。

 緊張を落ち着かせるために、一度大きく深呼吸をする彼方。

 この扉の奥には、どんな者達が待っているのだろうか。そしてどんな生活が待っているのだろうか。

 全く予想のつかない未来に、胸をはずませながらも、やはり緊張の方が強く感じられた。

 ひょうりは楽しみが強いようで、ずっとそわそわしている。

 彼方はどんな風に入っていこうかを考えた。

 鈴城の話によれば、すでに彼方とひょうり以外は全員が揃っている。要は、他の全員に見られるということだ。

 扉の奥からは喋り声など一切しない。むしろ冷めきったような、殺伐とした空気がドアの隙間から漏れ出ていた。

 叶うのならばこのドアを開けたくない。それほどまでに、重苦しいオーラがあふれ出ていた。

 一体どうするべきか。

 普通に、「こんにちは」や「初めまして」などの無難な挨拶で行くべきか。あるいは、この空気に気圧されて無言で行くべきか。どちらにすべきか迷った。

 どちらも一長一短。やり直しは効かない。

 一発勝負。突如訪れた試練に彼方には緊張の汗が走った。

 今後の付き合いを考えてどちらにすべきなのか――

 そんなことを迷っている彼方の手を、再びひょうりが掴んだ。

「じゃあ行くよ彼方君!」

 いきなり手を掴まれたことに困惑した彼方は、彼女を呼び止めようとした。

「え……ちょっ――」

 しかし、上手く言葉が出せなかった。

 彼方にはまだ、扉を開いてこの教室に入っていく心の準備が出来ていなかった。

 だがそんなことをお構いなしに、ひょうりは扉へと手を掛けた。

 本当にこのままいくつもりなのかと戸惑う彼方。しかし、彼女は簡単に止められないことは、出会って僅か数時間であったが、彼方は理化していた。

 もはや覚悟を決めるしかない。どんな結末になろうとも。

 扉を横に勢いよくスライドさせて開くと同時に、ひょうりは教室の中にいる者へと向けて叫んだ。

「頼もーー!!」

 その開け台詞はどうなのだろうか……

 扉を開けると十三人が一斉にこちらを見る。だが何も言わない。当前の反応だ。

 いきなり勢いよく開いた扉の奥から、重苦しい空気を割って入ってくるような少女に、空気を作り出した根源の者達が、明るい彼女をどうこうできるはずがない。

 扉の隙間から漏れ出ていた教室内に蔓延していた重苦しいオーラを纏った空気が、彼方達へと向けられていることを感じ取った。

「……」

「……」

「……」

 誰一人として反応してくれない。反応しづらい気持ちは彼方にも痛いほどに分かる。なぜならば、十三人もいて無視されたことに、彼方までも少し心が痛んだからである。

 空気に圧倒されたからか、ひょうりは扉を開いてから、石化してしまったかのように固まって、しばらく動かなかった。

 もしかしたら彼女自身が、子の何とも言えない空気の深刻さを、一番理解していたのかもしれない。

 ――気まずすぎる……

 未だに彼方は教室に入れなかった。たった数センチであるのに、足を運ぶ勇気が出なかった。眼前で固まるひょうりを見て、なおさら踏み出せなくなってしまった。

 廊下から教室内の様子をうかがっていた。

 中から向けられる視線の冷たさは、相当のものであった。

 あらためてひょうりの気持ちの凄さを実感した。

 静寂に包まれた教室の中、少し時間が経ってようやくその静寂を破る者が現れた。

 黒板側から見て一番左の先頭に座る、入り口から近い場所にいる小さな女の子。前髪でほとんど目が隠れている彼女は、この空気に耐えかねたのか、あるいはまったく動かなくなってしまったひょうりが心配になったのか、ピクリと動いた。

 そして、ゆっくりと口を開いた。

「お、おはよう……」

 ひょうりの「頼もう」に対して、普通に朝のあいさつを返した。まるで封印の呪文が告げられて石化が解けたかのように、指先が動き始めて全身が動き始めた。

 一気に目を輝かせると、彼方の方へと満面の笑顔を向けた。

「やっ……やったー!あいさつしてもらったよ!彼方君!」

「う、うん……良かったね」

 彼方も反応に困った。ただ一つ、「良かったね」と褒める(?)しかできなかった。

 ひょうりは挨拶を返した少女の椅子の横に立って、座っている少女の脇へと手を突っ込んだ。驚く暇すら与えられずに、少女は高く持ち上げられた。

「君はもう私の友達だよ!今後ともよろしくね!」

 ひょうりは子供をあやす親のように、少女を高い高いをするかのようにして持ち上げた。

「え……えっ!?」

 少女は、自分がなぜ持ち上げられているのか理解できず、大量の疑問符を浮かべて軽いパニックに陥っていた。

「仕方ない」と彼方は思った。突然の「頼もう」という言葉に、彼女は挨拶を返すだけで済むと思っていた。しかし、予想外の展開に、彼女は高い高いをされている事態に驚いていた。

 クラスの者達は、ひょうりの出来事をじっと見つめて、心の中でこう思った。

 ──なんだこの子……?

 声に出すことはなかったが、彼方にはその言葉が聞こえたような気がした。

 実際、一部始終を目撃していた彼方も、現在の状況を完全に理解しているわけではなかった。

「あの……どうかされましたか?」

 突如、彼方の後ろから声が聞こえてきた。

 彼方が顔を向けると、困惑した表情で教室の中を覗き込んでいる鈴城の姿があった。中を見ながら、現在の状況を不思議がっている。

 車を駐車場へと停めて、いつの間にか到着していたようだ。

 彼方は、どのように説明すれば良いのか見当がつかなかった。正直に言って、適切に説明しても、相手に伝わるかどうかも分からなかった。

「あ、先生!大丈夫、何も無いよ!」

 今の出来事を「何もなかったこと」で済ませてもいいのだろうか……

 あまりのテンポの速さに、彼方もクラスの仲間たちも、ひょうりのペースに置き去りにされてしまっていた。

 長い間、空中に持ち上げられていた少女は、安堵の息をつきながらようやく地面へと足を着けた。

 突然の「高い高い」によって恥ずかしさを感じたのか、少女の頬と耳は真っ赤になっていた。

 その少女は身長が一四〇センチほどで、非常に小柄な体型をしていた。彼女の髪は微かに紫がかっており、肌は日の光をほとんど浴びていないのか、透き通るか様に透明なような白さだった。外出や運動が苦手なのか、彼女の体は細く、目の下の大きなクマが目立った。

 彼方は、英血高校にはひょうりのような活気に満ちた元気な生徒ばかりが集まると思い込んでいた。そのため、自分と同じような静かな少女が選ばれていることを知ったとき、彼方は少し安心した。

 それにしても、いくら彼女が小さいといっても人を軽々と持ち上げられることや、朝の件といい、ひょうりの力の凄さを彼方は思い知らされた。

「私たちの席はどこかな?」

 ひょうりは手を額に手を当てて、教室の中をキョロキョロと見渡した。

 教室には横に五列、縦に三列で机が並んでいる。

 その中で、一番左前の席が二つ空いている。

「そうですね。左側が雨宮さんで右が窪田さんです」

 鈴城が端末を取り出して、中を確認しながら答えた。

 ひょうりは再び彼方の手を取って、笑顔を見せた。

「私達隣だって!これはもう運命だよ。何かしらの運命が私たちを動かしてるとしか思えないよ!」

 手を掴んだまま、上下にぶんぶんと振った。あまりの力に、彼方は振り回されてしまった。

 教室に入ってからずっとテンションが高いひょうりが楽しそうで、見ているだけで彼方は楽しくなってきた。

 その時、鈴城の携帯が鳴った。

「……っと、すいません。先に座っていて下さい。連絡が終え次第、私から皆さんに説明を行います。それまで皆さんはこの場で待っていてください」

 そう言うと、教室の扉を閉めて離れていった。

 二人はしばらく元気な握手を交わすと、手を繋いだまま席へと向かった。

どうやら同級生には手を繋いでいるところを見られるのは抵抗がない様だ。

 もちろん彼方は死ぬほど恥ずかしいが。

 皆の突き刺さるような視線が、彼方には堪えた。

 彼方はひょうりについていき、それぞれが自分の席につく。

 朝から謎の男に襲われて、助けられたかと思うと再び悪魔に襲われる。(挙句の果てには運転手が迷子になるなど)到着するまでに色々な事が起きすぎている。

 まだ教室に着いただけであったのに、運動を終えたかのような疲れが、全身から吹き出ていくのが感じた。

 彼方が椅子の背もたれに思いっきりもたれて、休息を取っていると左斜め後方から、クスクスと小さな笑い声が聞こえてきた。彼方とひょうりは後ろを振り返ってみると、一人の少女が口を抑えて笑っていた。

 深く青みがかった腰まで伸ばした長い髪を蓄え、三つ編みにした横の髪が、笑うたびに小刻みに揺れた。

 口を抑えて笑う姿、まっすぐに伸びた背筋、彼女からは上品なオーラが漂っていた。

「ごめんなさい……」

 話を始める前置きとして、彼女は笑いを抑えようとした。だがどうしても抑えきれなかったようで、目尻には涙が浮かんでいた。

「あなたのような方を見るのが初めてで……ウフ……とっても楽しそうで……少しおかしくって……」

 話を始めたが、未だに笑いを堪えられておらず、会話の途中で笑みが溢れていた。おそらくひょうりの天真爛漫な様が、彼女のツボに入ってしまったようだ。

 笑い方や座り姿がとても上品だと、彼方は感じられた。ひょうりとは反対で落ち着いた性格のようで、どこかのお嬢様なのだろうか。そんな気品とオーラを感じられる。

 その時、彼方の背中が、後ろの席の者に軽くつつかれた。

 お嬢様らしき少女から目線を映すと、金髪で短髪の少年が彼方を見ていた。

 体型や髪型や顔つきからも男であるのは間違いないが、どこか中性的なようにも感じられた。二重になった瞼に、大きく開いたツリ目から、彼方は少し怖そうに感じた。

 すると、金髪の少年は彼方の肩に腕を回して、彼方を引き寄せた。

「よろしくな!これから!」

 唐突な距離の縮め方に、彼方は戸惑った。ひょうりといい、このようなタイプには慣れていないため、どうのように付き合えばいいのか、彼方には分からなかった。

 だが、明るく元気な声で、彼の笑顔からは悪意などは一切感じられなかった。むしろ今の言動で、この人は「良い人」だと彼方は思った。

「よ、よろしく……」

 しどろもどろしながら、彼方は挨拶を返した。

「忍ぶ冬って書いて、忍冬(すいかずら)。飛ぶ鳥に馬で飛鳥馬(あすま)。忍冬飛鳥馬だ。よろしくな!」

 なんて読みづらそうな名前だと、彼方は思った。

 飛鳥馬、彼の色はかなり薄いオレンジ色であった。そこまで危険視しておく人物ではないようだ。

「私は糸を織る花で糸織花。緋色の緋に葉っぱの葉、凛とするの凛で緋葉漓。糸織花緋葉漓です。よろしくお願いいたします」

 緋葉凛の挨拶をする様からも、気品が感じられた。

 珍しい苗字な上に、面白い読みの名前だと思った。

 この時、彼方は彼女の苗字になぜか疑問を持った。

 糸織花。どこかで聞いた事がある気がするのだが――なぜか出てこなかった。

「糸織花だと!?」

 その時、彼方の後ろにいた飛鳥馬が声を上げた。

 教室の中から数名の視線が向けられたことを、ひょうりは感じ取った。

 この狭い空間で、叫び声が聞こえないはずもない。だが反応を見せた者は、大声に反応したのではない。

 緋葉凛の苗字――糸織花に反応したのだ。

「糸織花って言ったら、御三家のあれか!?」

「えぇ。その通りでございます」

 取り乱す飛鳥馬に対して、緋葉凛は冷静に帰した。

 ひょうりも目を見開いて、何も言えなくなっていた。

 だが彼方には、「御三家」という言葉が思い出せなかった。というよりも分からなかった。

「御三家……って?」

 彼方はおそるおそる尋ねた。

「な……知らねぇのか!?」

 飛鳥馬は知っていて当然だろ、と言わんばかりに彼方へと問い返した。

 それを見て、緋葉凛がゆっくりと口を開いた。

「組織というものは、決まって一枚岩というものではありません」

 緋葉凛は皮肉を言うかのように「この組織も例外なくですが」と付け加えて話を続けた。

「結論から言いますと、この組織を立ち上げる際に大きな影響を及ばしたのが、御三家と呼ばれる三つの家系です。血液を扱う我々にとって、血統は命よりも重く見られると言う風習が、かつてはありました」

 再び皮肉を込めるかのように「まぁ今もたまに見られますが」と、付け加えた。

「そこで、組織の設立に尽力した三つの家系である『犬塚家』『霧月家』『糸織花家』を、それぞれ大きな部隊のようなものにして、強い権限を与えられました。要するに御三家というものは、組織内にて大きな力を持っている三つの一族です」

 彼方は理解するのに手一杯であった。

 緋葉凛の言葉をしばらく頭の中で整理させて、彼女が言った言葉の意味を理解した。

 目の前にいる彼女――御三家の者は、組織の中でもお偉さんに位置する人間であるということが。

「そ、それはお手柔らかにお願いします!」

 彼方は座りながら緋葉凛へと頭を下げた。

「と言っても、組織というものは出来高制です。使えない者であれば、御三家の人間であろうと、切り捨てられることもあります。なので、私は別に皆さんと同じ立場の者ですよ」

 緋葉凛は天使のような微笑みのまま、心に突き刺さるような話を続けた。なぜか彼方の心が擦り減らされるような気分を感じた。

 目は細く閉じていたが、奥から感じられるなんとも言えない腹黒いオーラに彼方達は、唾を飲んだ。

 先ほどの皮肉といい、彼女を怒らせるのはマズいと感じた。彼女の前では下手な発言をしないように気を遣わねば。

 そう思うと、急に口を開くのが怖くなってしまった。

「そ、そうか。じゃあせっかくだし仲良くさせてもらいたいな!」

 彼方と同じ事を考えながらも、飛鳥馬は緋葉凛の目を見て元気よく頼んだ。

「えぇ。ぜひこちらこそよろしくお願いいたします」

 彼らの心の中の葛藤を知る由もない緋葉凛は、笑顔で飛鳥馬へと会釈した。その笑顔でさえも、彼女が何を考えているのか分からない皆は、自然と萎縮してしまった。

 この時の飛鳥馬は、緋葉凛に対して多少の恐怖を感じながらも、権力者との繋がりを持っておきたいという感情は一切なかった。単なる仲間としての思いであった。

「じゃあ私も!あ、それと私は雨に宮で雨宮。名前は平仮名でひょうり!よろしく!」

 ひょうりの自己紹介に、彼方も続いた。

「えっと、窪田彼方です。漢字はえっと……」

 窪の漢字の説明が難しいと感じた彼方は、携帯に打って自分の名前を見せる事にした。

「こういう風です」

「なるほど!こっちの『窪田』か!俳優の方だな!」

 俳優?彼方にはよく分からなかった。

「よろしくお願いしますわ」

 四人は互いに会釈を交わした。

 顔を上げた緋葉凛は、少しよそよそしくしながら口を開いた。

「そう言えば、先ほどから気になっていたのですが……」

 緋葉凛は彼方とひょうりへと目を向けた。

「お二人って……いったいどう言う関係なのでしょうか?」

「あ、そう!俺も気になってたんだ!」

 教室の入り口でわちゃつく姿、手を繋いで席まで移動する様を見て、二人は疑問を思っていた。仲が良いと言えば仲がいいように見える。

 だがお互い十六歳。年頃の男女。以上な程に距離が近い二人。ゴシップ話の一つや二つあってもおかしく無いと思った緋葉凛と飛鳥馬は、二人へと詰め寄った。

 もちろん二人が想像する事態ではない状態である事には、彼方自身が一番理解していた。

 二人は今朝出会ったばかりであるのだ。それでゴシップの一つあれば、それこそ気にするべき点である。

 そんな中彼方が横を見ると、ひょうりは謎の笑みを浮かべていた。

「フッフッフー……知りたい?」

「知りたい!」

「気になりますわ」

 なぜか勿体ぶるひょうり。もちろん何も無い――はずである。

 急に、ひょうりが何を言うのかに、彼方は不安になってきた。

 だが、だいじょだろうと思った彼方は、ひょうりに任せることにした。

「実は私と彼方君は――」

 間を開けて、言葉を貯めるひょうり。

 それを見つめる飛鳥馬と緋葉凛は緊張して、生唾を飲んだ。

 何度も言っておくが、二人が想定する事態など起こってはいない。それを分かっている彼方は、一体今は何をしているのだろうというような表情で見つめていた。

 そして、ついにひょうりの口が再び開いた。

「運命に結ばれているんだよ!」

 ひょうりは赤面しながら、手を当てて顔を覆い隠そうとした。

 そんな様に、飛鳥馬と緋葉凛の顔には、クエスチョンマークが浮かんでいた。

 ちゃんと説明をしなくては、と思った彼方は解説に入った。

「実は、ここに来る途中僕がたまたまひょうりさんに助けてもらって、偶然二人ともこの英血高校に来る事が分かったんだ。そして、ここにきて偶然席が隣同士で、そこに運命に結ばれてるって――」

 ――ひょうりさんは感じている。

 その言葉を彼方は飲み込んだ。

 もちろん、偶然にしては凄いと思うが、運命に結ばれているという言い方は、誤解を招きそうな気がした。

 彼方の解説を受けると、飛鳥馬と緋葉凛は急にしおれていった。

「なんだ……そんな感じか……」

「期待はずれですわ」

 ――そんな事言われても……

 なぜか残念がられた彼方。だが彼は事実を述べただけだ。

 何も悪く無い。

 悪いのは人の思春期の好奇心である。

 その時、通話を終えた鈴城が教室へと入ってきた。彼方達は姿勢を正して前へと向き直した。

 鈴城が教壇の上に立つと、一気に空気が変わった。

 先ほどまでのドジっ子のようなオーラは消え去り、張り詰めた空気が教室には流れ出した。心なしか彼女の目つきも鋭くなっているように見える。

「これで皆さん揃いましたね。それではまず、英傑高校一年副担任の鈴城優奈です」

 身長は平均よりは少し小さいくらいだろうか。彼女が立っていた姿は一瞬しか見れなかったために、改めて鈴城の大きさを実感した。

 だが、それより先生の胸の辺りに目がいってしまう。

 率直にかなり大きい方である。高校生の男子なら確実に目が胸に行ってしまうほどの迫力に、彼方は目のやり場に困った。

 先ほど見た時でもそれなりの迫力を感じたが、あらためて彼女の成長具合を自分の目で確かめた。

「よろしくお願いします」

 そう言って、軽くお辞儀をした。

 その時に大きく揺れた胸に、おそらくではあるが皆そちらに目がいってしまっている。

「うへへ……」

 教室の後ろの方から小さな声が彼方には聞こえてきた。この教室は大丈夫なのだろうか……

 しかも男子の声ではなかったような気もした。

「彼方君!」

 その時、ひょうりが横から小さな声で彼方に呼びかけた。

 なぜかその顔は、少し真剣そうである。

「ど、どうしたの?」

 何か気になることでもあったのだろうか。

「鈴城さんの……おっきいね」

 ――それ女子が男子に言う!?

 思わずツッコミたかったが、あえて言わない。逆に意識してると思われたく無い。なんとなくではあるが……

「そ、そうだね」

 自分でもなぜこんな返事をしたのかわからない。だが、ひょうりに対してはこれが正解だと思う。

 ひょうりは依然として彼方へと語りかけた。

「ナイスバディとはまさにあれのことなんだね」

 ――だからどうしてそれを僕に?

 相変わらずひょうりの心が掴めない。羞恥心が無いのか、それともただ思っていることを口にしているのか……

 だがひょうりは言葉に現して言う事で、余計に男子は気にすることは知らなかった。

「少しよろしいかしら」

 突如教室の左後方から聞こえてきた声に、皆が目をやった。一人の女子生徒が手を挙げて、意見しようとしていた。

 限りなく純粋に近いような黒――というより、漆黒という言葉が似つかわしい程に、黒く染まった長い髪。腰あたりまで伸びた漆黒の髪を、前髪をぱっつんと揃えており、そんな漆黒の前髪――暗闇の中で怪しく光る赤い月のような瞳。端正な顔立ち袖口から見える白い手も細く、スラリとした体であるのが伺えた。ひょうりを少し小さくして、より女性的な体つきをしたような体型であった。 

 腕を組んで、右目を顔に触れていた。その顔はどこか恍惚とした表情を浮かべていた。座りながら足も組んでいるようで、右足の上に左足を乗せている。

 まるで「女王様のような傲慢」

 そんな言葉を体現しているかのように、彼方には感じられた。

「主担任の方はまだなのですか。いい加減待ちくたびれましたわ」

 教室の右後ろの方からその声は聞こえてきた。彼方の席とは対角の方に座っていた女子が不満を告げた。

 口ぶりからして、緋葉凛と同じく彼女もお嬢様なのだろうか。正直お嬢様というよりは、近頃よく聞く悪役令嬢みたいだ。

 緋葉凛が表のお嬢様で、彼女が裏のお嬢様。この言葉が適切な表現になるかは分からなかったが、彼方は彼女を見てそう思った。

 ある意味マイペースというのだろうか。この空気を割って入る勇気は彼方にはない。

「実は先ほど連絡がありまして、もしかしたら今日は来られないかもしれないというらしいので、今日は皆さん自由に施設内を見て回ってもらい、部屋の場所を覚えておいて欲しいとのことです」

 先ほどの漆黒令嬢少女の発言によって、引き締められた空気を無視するかのように、鈴城は話を続ける。

「それと、主担任の方から伝言を預かっております」

 鈴城はデバイスを取り出すと、主担任から受け取ったメールの画面を開いた。

「それぞれの机の中に、それぞれ一台ずつ連絡用のデバイスが入っています。今後皆さん同士で連絡をする場合はそれを使ってください」

 彼方は机の中へと手を突っ込んで確かめた。

 手を入れると、硬い感触が手に触れた。その物を掴んで取り出した。

 黒い物体で、よく見るとスマートフォンに近い様な物であった。先ほど鈴城が使用していたものと同じもののようだ。やはり組織専用の通信媒体だったようだ。

 横の電源ボタンを押して画面に顔を向けると、突如レ点が現れた。どうやら顔認証がされたようだ。いつの間に自分の顔が登録されたのか疑問に感じながらも、中を確認した。

 中には組織内の地図や、クラスのメンバーそれぞれのデバイスに連絡ができるようになっていた。

「おぉー!凄い!なんか秘密結社みたい!」

 ――思いっきり既知の組織だけどな。

 後ろにいた飛鳥馬は、ひょうりの発言に、心の中で思った。

 彼方はデバイスの中を調べていると、気になる情報が色々と見つかった。

 その情報を隅々まで見つめていると、鈴城が再び口を開いた。

「伝号はもう一つ預かっております」

 皆がデバイスから目を外して、鈴城へと顔を向ける。

「続いては委員長についてです」

 その言葉に教室の空気が一気にピリ付いた。

 彼方は「委員長」という言葉が、よく分からなかった。

 もちろんその言葉自体は知っているが、なぜこんな空気になったのかが分からなかった。

 何かこの場では特別な意味でも持つのだろうかと考えた。

「今年度の委員長は……」

 鈴城の言葉に、皆が息を呑んだ。

「窪田彼方さんです」

 突然の指名に、彼方はふと目を丸くし、息を飲んだ。

 自分の名を呼ばれるなど、思いもしていなかった。

「おぉっ!彼方君だって!凄いね!」

 ひょうりが彼方の名前を読んだことで、一気に皆が視線を彼方へと向けた。

 その視線は、羨望というよりは「なんでお前が」というような、強い怒りが込められていた。

 背後から感じられるとてつもない圧に彼方は後ろを振り返ることが出来なかった。

 だがこの感じは飛鳥馬や緋葉漓ではない。他の者から向けられているように感じられた。

 特に教室の端の方から。

 ――なんか凄い圧を感じる……

 今この場で委員長とは何かを聞けるような空気ではなかった。

 彼方は自分の席で小さくうずくまることしかできなかった。

「納得がいかねぇ!」

 教室の静寂を破るように、怒りに満ちた声が後方から轟いた。その声と共に「ゴンッ」という鈍い音が空気を震わせた。前列にいた生徒たちは、何事かと恐る恐る後ろを振り向いた。

その声の主は、教室の隅、左後ろの席に君臨する一人の男子生徒だった。彼の特徴は、乱れた黒髪と、まるで獲物を狙う猛禽類のような突き刺さるように鋭い眼差し。彼は何気なくズボンのポケットに手を突っ込み、足を机の上に投げ出していた。その無造作な動作から生じたのが、先ほどの鈍い音だろう。

 彼は顎を引き、彼方に向けて鋭い視線を送った。その圧倒的な存在感と覇気に、彼方は思わず目を逸らす。彼の放つオーラだけで、彼方の全身は汗でびっしょりとなってしまったのだった。まるで、彼が教室の支配者であるかのような、圧倒的なオーラを放っていた。

 立場上では鈴城の方が上であったが、彼の迫力に慄いてしまい静かになってしまっていた。

「なんでそんな奴がこの教室で、トップに立ちやがる!」

 彼方は、その圧倒的な圧力に心を押しつぶされそうになりながらも、彼の言葉から「委員長」という役割がこのエリート教室においてどれほど重要なのかを理解し始めていた。それはただの肩書きではなく、教室の秩序を保つための重要な存在だったのだ。

「ええ、まったくもってその通りですわ」と、今度は教室の右後ろから上品な声が響いた。

 その声の主は、対角線上の席に座る女子生徒で、彼女の髪は漆黒という言葉がふさわしいほどに真っ黒で、前髪はきっちりと揃えられていた。その瞳は、暗闇に浮かぶ赤い月のように神秘的に輝いている。彼女の話し方からは、お嬢様というよりも、最近流行りの悪役令嬢のような雰囲気が漂っていた。彼女の一言一言には、この教室の空気を変える力があるようだった。

「この英血高校の委員長が、まさか彼だなんて……」

 悪役令嬢風の少女は、一瞬の沈黙の後、嗤いを漏らした。

「正直、組織の目利きを疑わざるを得ないわ」と、彼女は彼方に向けて冷ややかな視線を送った。その視線は、見る者の背筋を凍らせるほどの鋭さを秘めていた。

 彼方は教室に足を踏み入れた瞬間から、この二人がただの生徒ではないことを感じ取っていた。彼らは、このエリート教室において、計り知れない実力を持つ者たちだった。

 しかし、その二人の言葉に不満を持つ者がいた。

 突然、ひょうりが立ち上がり、声を大にして言った。

 「ちょっと!なんでそんなことを彼方君に言うの?彼方君には隠された実力があるかもしれないんだから!」

 彼女は、彼方を貶める二人に対して、勇敢に立ち向かった。少し穏やかさを失いつつも、彼方のために怒りを露わにしていた。

 彼方は、彼女のその行動に心の底から感謝していた。同時に、自分の弱さから、彼女に代弁させてしまったことを、深く恥じていたのだった。

「あら……そうかしら?」

 悪役令嬢風の少女は、ひょうりの言葉を聞いても動じることなく、優雅に笑みを浮かべた。彼女はデバイスを操作し、ある画面を皆に見せた。

「では、これは一体何でしょうか?」と、彼女が問いかけると同時に、クラス中のデバイスが同期して鳴り始めた。

 彼方は好奇心に駆られてデバイスの画面を見た。そこには、先ほどの少女から送られた一斉メールが表示されていた。件名はなく、中身はスクリーンショットの画像だけだった。

 その画像を一目見ただけで、彼方は彼女が何を伝えたいのかを即座に理解した。

 「このデバイスには、既に皆さんの個々の能力に関するデータが記録されているのですわ」と、少女は落ち着いた声で説明した。

 その言葉を聞いたひょうりは、慌てて自分のデバイスで確認作業を始めた。

 クラスの者の個人データフォルダを発見すると、それぞれのクラス員の者の、知能、身体能力、血液能力、経験値という四つの項目で、すでに採点がされていた。

 これは組織が選ばれた生徒の実力を一目で判断するための、データ分析であった。

 彼方たちの教室では、デジタルの力で個々の実力が可視化されていたのだ。それは、このエリート校における競争の激しさを物語るものであり、彼方たちの運命を左右する重要な情報だった。

 知能、それは特殊能力を使わずに測られる学力や知能指数のこと。

 身体能力もまた、特殊能力を使わない純粋な運動能力を指す。

 血液能力は、自身のスペックをどれだけ使いこなせるかという力のこと。

 そして経験値は、文字通りこれまでの実績を表す。

 この四つの能力は、一人一人に対して細かく分析されていた。彼方はデバイスを操作するうちに、自分の実力がクラスの中でどの位置にあるのかを理解してしまった。

 ひょうりは、そのデータを端から端まで確認していった。彼方の実力がクラスの中でどの位置にあるのか、彼女にも明らかになったのだった。彼方のデータは、知能を除いては、下から数えた方が早いほどの低さだった。ほとんどが最低レベルに近いものであった。

「身体能力も低い、スペックも上手く使えない、経験値もない。そんな人間がこの教室でトップに立つなど、不本意極まり無いですわ」

「データを見れば一目瞭然。そいつがこの教室で上に立つにはふさわしくねぇんだよ」

 ボサボサ髪の少年の隣に座っていた少女が、小さな声で「ちょっと……」と彼に言い過ぎではないかと諌めた。

 しかし、彼は態度を改めなかった。

「そんなのデータが何かミスってるんじゃ――」

「レッドクレスト。それは今の日本で最も優れた組織と呼ばれている」

 突如一番後ろの列の、中央の席に座る少年がひょうりの言葉を詐欺るように口を開いた。

 彼の腰には刀が備わっていた。

「そんな組織が、データミスなど起こすとは考えられない。某も二人と同様、彼がこの教室のトップに立つべき存在とは思えぬ」

 少し古風な感じが混ざった喋り方であったが、服装は以外にも現代的でラフな格好をしており、腰の刀が服装からして浮いているように感じられた。

「で、でも……」

 ひょうりは必死に対抗しようとした。

 しかし、それ以上に言葉が見つからなかった。

「いいんだ……ひょうりさん……」

 彼方は静かにひょうりに告げた。

「確かに僕は弱いよ。今朝も君に助けてもらったばかり……僕はこの教室の組織のトップに立つにはふさわしい存在じゃないんだ……」

 彼方の悲しそうな声に、ひょうりはかける言葉が見つからなかった。

 自分の行動のせいで、より彼方が傷ついてしまったと思い、ひょうりは立ったまま静かにうつむいた。

 口を挟めないほどに、緊迫した空気に教室中が静まり返っていた。

 彼方の後ろに飛鳥馬は励ましの言葉を掛けようとしたその時、別の生徒が口を開いた。

「だが、これは組織の命令だ」

 声の主である、教室の中央の席に座る男子生徒へと皆の視線が集まった。

 真っ白な髪、白い縁のメガネ。白を基調にして白銀のラインが入った長いコートを着用している。少年というよりは、青年という言葉で表すのが正当だと思う程に、他のクラス員とは一線を画すような大人びた風格を持っていた。

 彼方もゆっくりと彼へと顔を向けた。

 この空気に臆することなく、自分の思いを告げた彼に、彼方は何か惹かれるものがあった。

 それも当然である。

 教室を入った瞬間に、赤く染まった者が四人座っていたことが、彼方の目に映った。

 一人目は教室の右後ろの端に座るボサボサ髪で、突き刺さるような視線を向ける男子生徒。

 二人目は教室の左後ろの端に座る、黒髪に赤い瞳をした女子生徒。

 三人目は一番後ろの列の中央に座る、腰に刀を持っている男子生徒。

 四人目は教室の中央の席に座る、白髪の青年であった。

 この四人は、教室の中でも別格と呼べるほどの存在であることを、彼方の目は映し出していた。

 教室の中央に座る白髪の彼は姿勢を崩すことなく、毅然とした態度で言葉を続けた。


 教室の中心に座る白髪の青年に、全員の視線が集中した。

 彼の髪は雪のように白く、メガネは純白の輝きを放っていた。長いコートには白銀のラインが施されており、彼の姿は少年というよりも、一段上の大人びた風格を感じさせた。

 彼方はゆっくりとその青年に顔を向けた。彼の言葉には、自信と確固たる意志が込められており、彼方はその姿に何か引きつけられるものを感じていた。

 教室に足を踏み入れた瞬間、彼方の目には特別なオーラを放つ四人の姿が映った。

 一人目は教室の右後ろの端に座るボサボサ髪で、空間を切り裂くような鋭い視線を向ける男子生徒。

 二人目は教室の左後ろの端に座る、漆黒の髪と赤い瞳を持った女子生徒。

 三人目は一番後ろの列の中央に座る、刀を腰に携えた古風な雰囲気を漂わせていた男子生徒。

 四人目は教室の中央の席に座る、白髪の青年であった。

 彼らは教室の中でも際立った存在で、彼方の目はその特別な光景を捉えていた。白髪の青年は、周囲のざわめきにも動じることなく、堂々とした態度で自らの信念を語り続った。彼方は、その言葉に耳を傾けた。

「組織の命令に異を唱えるなら、それは命令違反に等しいということだ」

 白髪の青年が冷静に宣言した。

 その言葉に、黒髪の少女とボサボサ髪の少年は眉をひそめた。

()()?」

「あら、面白いことをおっしゃいますわね」

 少年は食い掛る様に、少女は挑戦的な笑みを浮かべながら応じた。教室の空気は、これまでになく緊張で張り詰めていた。まるで、次の瞬間にでも誰かが剣を抜くかのような、切迫した雰囲気が漂っていた。

 彼方はただ座っているだけだったが、その手は汗でぎっしりと握りしめられていた。

「これは命令違反ではありません。単なる一員としての意見ですわ」

 少女は夢見心地のような笑顔で青年に返した。

「文句があるなら、上の地位に就いてから言え」

 青年は前を向いたまま、背後の少女に声をかけた。

 二人の視線が交わることはなかったが、言葉だけが空間を行き交っていた。

 青年が振り返らなかったのは、臆していたからではなく、彼女に目を向けること自体が無意味だと感じていたからだ。それだけのことだった。

「そうしないと文句の一つも通らないのが、日本の組織の悪いところじゃないのかしら?」と少女が挑発的に言い返す。

 しかし、青年は動じることなく静かに切り返した。

 「今議論しているのは他の組織ではなく、我々自身のことだ」

 教室は緊張で静まり返り、誰もが次の展開を見守る。ボサボサ髪の少年が立ち上がった。

「組織組織ってよぉ……さっきからうるせぇんだよ。俺たちは犬じゃねぇ……そんなにご主人様の願望が大好きなら首輪でもつけてろよ」と吠えるように告げた。

 青年はただ、「お前にはリードが必要だと思うがな」と冷静に応じた。

 「あぁ!?」

 彼の怒号が教室中に響いた。だが、白髪の青年は一切怯むことなど無く、毅然とした姿勢を崩さなかった。

 彼らの熾烈な言い合いに、教室にいる全員が手に汗を握った。

 その瞬間、教室は戦場に変わりそうなほどの緊迫感に包まれた。しかし、誰もがその緊張を打ち破る勇気はなかった。

 飛鳥馬は緊張しながらも、この状況に興奮を感じていた。

 ――マジか?ここで喧嘩でもやっちまうのか?

 異常なほどに張り詰めた空気の中、彼らを止める術が無かった。

 もし次に誰かが口を開いたのならば、この教室が戦場へと変貌することは間違いない。それほどまでに緊迫した状態へと、教室は様変わりしていた。

 一体どうなってしまうのかという不安を感じながらも、皆が彼らの動向を静かに伺っていた。

 段々と強まっていく緊張の中、張り詰めた空気は突如として崩れていった。

「う……うおぇぇ……」

 突然廊下から、死にそうな嗚咽が聞こえてきた。

 何が起こったのだろうと思い、皆が心配そうに扉の方を見た。互いに睨み合っていた人々も、一時的に視線を外し、扉に目を向けた。

 皆がしばらくの間、扉をじっと見つめていたが、やがて嗚咽の音は聞こえなくなった。それに気づいた鈴城も心配になり、ゆっくりと扉に近づいていった。

 鈴城が廊下に出ると同時に、扉の向こうから突然手が現れて、扉を力強く掴んだ。

「「ひぃっ!」」

 ホラー映画の一場面のような登場に、先ほどひょうりに抱かれた少女と鈴城は同時に驚いて声をあげた。

「あぁー……気持ち悪い……もう飲まない……というか飲みたくない……というか……もうめんどくさい」

 明らかに体調がすぐれないような声に、皆が不安そうに眼をやる。

 しばらく嗚咽を吐き続けた後、声の主がようやく扉からグイっと顔を覗かた。

 ヨレヨレなトレンチコートに赤縁のメガネを着用している。吐き出さないように手を口に当てており、顔は上半分しか見えなかった。若い感じはするが、二十代とも三十代とも見えるような、落ち着いた印象だった。

 扉から覗かせたその顔は、死にそうな顔をしていた。先ほどの言葉からしても、おそらく酒が原因なのだろう。

 こんな日の前に、普通そこまで飲むのかということに皆が疑問に思った。

「先輩!だ、大丈夫ですか!?」

 すぐさま鈴城が側に駆け寄った。

 何より先輩だったのかという疑念が彼方達に湧いた。

 主担任は早い時間には来られないと言っていた。ならばいったいこの人は誰だという疑問も同時に湧いた。

「大丈夫じゃねぇよ。気持ち悪いこと、この上ねぇよ。なんでこんなことに……」

「自業自得ですよ。それに先輩の管轄はこっちじゃないですよ!」

 詳しい事情は知らないが自業自得に関してはそうだと思う。

 管轄がこちらではないということは、反対の駐屯地側に用があったのにもかかわらず、酔った勢いのままこちらに来てしまったようだ。

 それにしても、酔った状態でこんなところに来てもいいのか……

 鈴城といい、組織に対する疑念が色々と彼方には湧いた。

「二日酔いですか?」

 先ほどまでの緊迫した空気を忘れたのか、ひょうりはケロリとした表情で質問をした。

「二日酔いじゃねぇ……五日酔いだ」

 ――どれだけ引っ張ってるんだ……

 教室中の誰もが、そんな状態を聞いたことがないと心の中で突っ込んでいた。

 全員が「五日酔い」なんて初めて聞いた。

「そう言えばお前さっき、自業自得だとか言ったな」

 死にそうな目で、男を鈴城を見た。それに対して、鈴城は表情一つ変えずに言葉を返す。

「はい。言いましたよ?」

「本当にそう思うか?六日前の新年度会でどっかの誰かの部下に強制的に飲み勝負をさせられたあげく、暴れに暴れて金も払ってやって、家まで送ってやったのに、挙句の果てに全部記憶がないとか言う……」

「その度は誠にすいませんでした!」

 ――犯人あんただったんかい!

 再びみんなが心の中でツッコミを入れる。

 鈴代は見事なまでな土下座を決め込んでいる。仮にも生徒のまえでもあるのに、初日からこんな光景を見せられるとは思いもしなかった。

 まさかの鈴城が元凶とは……しかも可愛いらしい見た目しているにもかかわらず、上司にそんなことが出来るとは、ある意味見習う物だと思った。

「本当大変だったんだぞ。知らない客にまで絡んで……挙句の果てに急に脱ぎ出して……」

「だから本当にその件に関しては……って今、何て?」

「知らない客に……」

「そっちじゃないです!脱いだ!?脱いだんですか!?」

「自分のことだろうが。そっか記憶なかったもんな。そうだったな。じゃあこの動画でも見て自分のしたことを振り返ってみるか?」

 鈴城の顔がどんどん青ざめていく。

 流石に可哀想だが、鈴城の自業自得だから何も言えない。というかなぜ動画が?

「なんでそんな映像があるんですか!?」

「お前が自分で『撮ってくださ〜い』って、言ったんだろうが。こっちは巻き込まれてんだ。こっちが被害者だろうが……」

「というか、本当に脱いだんですか!?私!?」

「大丈夫だ。上半身だけだ」

「アウトでしょ!」

 二人の話を聞いて彼方は絶対にお酒を飲まないようにしようと思った。多分他の人も色々と考えたと思う。

 動画を消せなどと、教室の入り口で小競り合いをする二人を、延々に見つめ続けている中、ひょうりが尋ねた。

「えっと……その人は?」

「私の先輩の三納代さんです。おそらく皆さんも今後関わることがあると思いますので、顔を覚えておいた方が……」

「うぐ……ヤバい……もう……」

「あぁー!ここはやめてください!」

 我慢の限界が来た三納代を、鈴城は急いで介抱した。

 三納代を抱えて外に出ていこうとした時、鈴城は一度教室へと振り返った。

「皆さん!今日は自由に施設を見学していてください!また何かあれば連絡を入れますのでー!」

 そう言い残して、鈴城は三納代を抱えて去っていった。

 扉が閉まった瞬間、ずっと立ったままでいたひょうりは彼方の腕をつかんだ。

「彼方君!一緒に探索しに行こう!」

 彼方を掴む腕の力は強く、成すすべもなくひょうりに持ち上げられた。

「というか行くよ!」

 強引に彼方を椅子から離すと、力強く彼方を引っ張って反論させる間もなく教室から連れ出した。

「え……え!」

 連れ去られていく彼方を見て、飛鳥馬と緋葉漓も席を立った。

「お、俺も行くぞ!」

「私もお供させていただきますわ」

 しかし、彼方は気づかなかった。

 教室の中で、彼らの行動を冷ややかに見つめる四人の姿があったことを。



 ◇◇◇



「はぁ、それにしてもぎりぎりだったよ!」ひょうりは、彼方を抱えたまま、校舎の西側にある中庭に息を切らして到着した。

 パルテノン神殿を思わせる円柱に囲まれたこの場所は、中庭というよりは静かな庭園のようだった。吹き抜けとなった天井からは、太陽光が差し込んでいる中、中央には長いベンチがあり、二人はそこに腰を下ろした。

「あのまま教室にいたら、また皆に絡まれるところだったね」

 ひょうりはそう言いながら、彼方から視線を外さなかった。彼女は、再び教室があの抗争の場に戻ることを防ぐために、彼方を連れ出してきたのだ。 再び教室があの空気になったら、本気で歯止めが利かなくなる。

「ごめんね、ひょうりさん。こんなことになって……」

 彼方は申し訳なさそうに言ったが、ひょうりは笑って手を振った。

「いいよ!そんなこと気にしないで!私と彼方君の仲じゃん!」

 彼女の言葉に、彼方は少し安心した。

「でも、なんで僕が委員長に選ばれたんだろう……」

 彼方は再びその疑問に戻ったが、ひょうりは元気よく立ち上がった。

「考えても仕方ないよ!今はこの素敵な庭を探検して、新しい発見をしよう!」と提案した。

そんな二人のもとに、飛鳥馬と緋葉漓が駆け寄ってきた。

「探したぞ!凄い勢いで去っていくからよ、探すの大変だったぜ!」

 飛鳥馬は息を切らしながら言った。

「ごめんね、また彼方君が皆に狙われるんじゃないかって、心配になっちゃってさ」

「まあ、何とか見つけられたからよかったが――」

 飛鳥馬は彼方の顔を覗き込んだ。

「彼方。どうやらお前、人気者みたいだな」

「べ、別にそうなりたくてなったわけじゃ……」

 飛鳥馬は彼方の肩を叩いた。

「分かってるよ。冗談だ冗談」

 そう言って、飛鳥馬は笑ってみせた。彼なりの気を紛らわせたかったようだ。

 ようやく呼吸を落ち着かせた緋葉漓が、続けて口を開いた。

「今教室では大変ですわよ」

 緋葉漓は教室を出てすぐに、こっそりと教室の中を覗いて様子をうかがっていた。そのために何が起きていたのかを事細かに彼方達に説明した。

 


黒髪の少女が立ち上がり、教室の扉に手をかけたその瞬間、白髪の青年が声をかけた。

 「どこへ行く?」

 彼女は足を止め、振り返りながら答えた。

 「彼を追いかけるのですわ」

「追いかけてどうするんだ?」

「委員長の座を私がいただくのですわ」

「なんのためにだ」青年は冷ややかな視線を向けながら言った。

「私がその座にふさわしいからですわ」少女は自信に満ちた声で言った。

「力ずくで手に入れた座など、誰が認めると思う?」青年はため息をつきながら言った。

「この社会は結果を求める。肩書が全てですわ」少女は青年の言葉を一蹴した。

「結果を出すことは大切だ。だが俺は、手段を選ばぬ者は信用ならないだけだ」青年は静かに言い放った。

「結果を出せない者が、手段を問うのですわ」少女は挑戦的に目を輝かせた。

「結果を出して見せる。それが真の力だ」青年は彼女を見据え、言葉を投げかけた。

「所詮人が人を判断する時には、肩書だけでしか判断しない。そうでなければ学歴社会などにはなっていませんわ」少女は皮肉を込めて言葉を続けた。

「そんな言葉、ただの怠け者の言い訳にしか過ぎない」青年は彼女の言葉を一蹴した。

「ならばこの社会が結果主義ではなく過程主義だとでも言うのかしら?」不敵な笑みを浮かべながら少女は問いかけた。

「どんな手を使ってでもという言葉は嫌いだな。俺は結果しか見ない人間が嫌いなだけだ」過程主義である彼は、結果主義の彼女を否定した。

「結果しか見ないではない。結果しか見れない人間だけが、組織のトップにはふんぞり返っているのですわ」

 段々と少女の言葉に怒りが募っていく。

「結果を出して褒められたいのか? お前こそが組織の犬だろう。」

青年は冷ややかな声で挑発した。

「優秀さが全て。問題などありませんわ。」

彼女は優雅に微笑んだ。

「優秀さが全てならば、組織の指示に従え」

 命令するように彼は告げた。

「私はマニュアルなんて言葉が、大嫌いですの」

 彼を小馬鹿にするように鼻を鳴らした。

「俺は無知という言葉がもっと嫌いだ」と青年は切り返した。

 その瞬間、ドアが爆発的な音を立てて飛んでいった。彼女の怒りが頂点に達し、ドアを吹き飛ばしたしたのだ。

「うるっさいわね、さっきから目障りですわ……」

 彼女の声は氷のように冷たかった。

 教室の全員が彼女の放つ殺気に震え上がり、席を立った。彼女が怒っているのは明らかだった。彼女の怒りは、まるで暴風のように教室を席巻していた。

 緋葉漓は、その異常なまでの気迫に身の危険を感じ、その後を見ることもなく、急いでその場を離れた。


 

 以上が緋葉漓が教室で見た事態であった。

「と、とんでもないことになってるね……」

 想定していたよりも事態が悪化していたことに、ひょうりは苦笑いを浮かべながらも、事の深刻さに絶句した。

 まさか委員長の座一つで、ここまで事態が大きくなっているとは、誰もが思いもしていなかった。

「まぁ……ここに集められるくらいだからな。まともな人間ばかりとは限らないからな」

「むしろ少ないと考えた方が良いかもしれませんわ」

 笑いながら緋葉漓が告げた。その笑みと言葉の奥に存在する隠された意味に気づいた彼方は、緋葉漓に対する見方が変わった。

 だが、今こうして彼方達に情報を教えてくれている以上、自分達に対する悪意などは無いだろうと、彼方は願いたかった。

 願うしかなかった。

「でも、どうにしろ彼らは諦めていないよね……」

「いや、流石にこんな組織の駐屯地の一つでドンパチやるほど馬鹿じゃないだろう。時間もたてば自然に頭も冷えてくるはずだ」

 と、飛鳥馬が答えた。

「そうですわ。こんなところで内輪揉めにより印象を悪くするほど、考えなしではないでしょうし」

 緋葉漓が発言をすると、何か別の意味があるのではないかと、彼方はつい考えてしまった。

「入学したばかりで、悪い目のつけられ方をしたい奴なんてまずいないだろ。それに俺たちも一緒にいるからよ!」

「……確かにそうだね」

 いつまでも皆を困らせるわけにもいかないと考えた彼方は、椅子から立ち上がった。

「ごめんね、僕のせいで余計な迷惑を……」

「気にすんな!俺とお前との仲だろ!」

 飛鳥馬は彼方の肩に背後から手を回して肩を組んだ。

 いつの間にか、親友のようなポジションになっている。

「そうだよ!今は今という時間を楽しもうよ!」

 ひょうりも椅子から腰を上げた。

「おぉ……雨宮って改めて近くで見るとデカいな」

 もちろん身長の話である。

「どれくらいあるのでしょうか?」

 もちろん身長についての話である。

「えっとね……この前気になって測ったんだけど、一八五センチだったよ」

「でかっ!」

「凄いですわね!」

 それなりに大きい方ではあると思っていたが、そこまで大きいとは彼方も思っていなかった。

「いやぁー///」

 褒められたことが嬉しかったようで、照れくさそうにひょうりは頭を抑えた。

「一八五センチというと……自販機と同じくらいの高さだな!」

「おおっ!」

 二人はパチンとハイタッチを交わした。

 ――なぜ?

 一部始終を見ていた彼方にも、なぜハイタッチを交わした理由が分からなかった。

「自販機ウェーイ!」

「ウェーイ!」

 二人は謎の喜びを分かち合うかのように盛り上がっていた。

 彼方には二人のノリが分からなかった。

 まだ出会って数時間も経っていないのに、いつの間にこんな仲良くなったのだろうか。

 おそらく波長が合うのだろうか、彼方とはまた違った距離の縮め方であった。

「とにかく探索行こー!」

「おー!」

 ひょうりに続いて、飛鳥馬が掛け声を上げた。

 ずんずんと進んでいく二人を、彼方はゆっくりと眺めていた。

 離れていく二人の後ろを追いかけようとしたとき、緋葉漓がこっそりと笑っていたのが目に入った。

「面白い方たちですわね」

「そ、そうだね……」

 緋葉漓と二人だけになってしまったことに、彼方は多少の気まずさを感じていた。

 これまでずっとひょうりがいたために、彼女のおかげで何とか話せていたのだなと実感した。

「この学校には、どのような方たちがいるのかを本当に楽しみにしてましたが、今日ここに来て改めて面白さを感じました」

「面白さ?」

 彼方の問いに、緋葉漓は笑みをこぼして答えた。

「普通の高校では決して出会うことのできないような特異な方々。人というのはいつまでも、見て飽きないものですね」

 共感を得たかったのだろうか。それとも、彼方がどんな返答をするのかが気になったのか。彼女の真意は彼方には、分からなかった。

 緋葉漓は一体何を言いたかったのかを考えている彼方を残して、緋葉漓は歩き始めた。

 置いていかれないようにと彼方も足を進めると、突如緋葉漓は足を止めた。

 不審に思った彼方も、足を止めた。

 前に立った緋葉漓がゆっくりと、後ろを振り返った。

 その顔には、黒髪の少女とはまた一味違った恍惚とした笑みが浮かんでいた。

「だからこそ、今という時間を楽しむ価値があるんですよ」

 そう言って、再び前を向いて歩き始めた。

 どんどん離れていく彼女に対して、彼方は立ち止まっていた。

 彼女の発言にはどんな意味が込められているのか。一体彼女の瞳には何が映っているのか――彼方には分からなかった。

 ただ彼女の笑みは、まるでこの「世界」という「劇場の舞台」を楽しんでいるかのような表情であった。

「おーい!彼方君!置いてっちゃうよー!」

 遠くからひょうりが手を振っているのが目に入ると、彼方は走って三人の元へと向かっていった。


 

 中庭を後にした一行は、寮へと向かっていった。

 写真でしか見ていなかったために、実際にはどんなものなのかを見ておきたかったのだ。

「寮かー!なんかそういうのって憧れてたんだよね!」

 ひょうりはまるで冒険に出る前の子供のように、期待と興奮でいっぱいな目をしていた。

 この瞬間、彼女の周りの空気までが、その高揚感で振動しているように彼方には感じられた。

 「私も楽しみですわ。家から離れて生活をするなんて」

 手を合わせ、楽しそうな表情を浮かべながら、緋葉凛が会話に参加した。

「緋葉凛ちゃんって、いつもどんな生活してるの?」

 お嬢様っぽい雰囲気が漂う緋葉凛の日常に興味津々なのか、ひょうりが質問をぶつけた。

「そうですね……普段は使用人の方が身支度をお手伝いしてもらったりしてましたね」

 確かに彼女はお嬢様だった。人は見かけによらないとは言うものの、緋葉凛の場合はその見た目どおり、まさに典型的なお嬢様そのものだった。緋葉凛からは、歩いているだけでもそのお嬢様らしい雰囲気を醸し出していた。

 彼女がこれまで過ごしていた部屋は、アンティーク調の家具で飾られて重厚感があり、彼女のお気に入りの本や花瓶が、部屋の隅々に配置されていた。

 緋葉凛が朝食を食べる際のテーブルには、シルバーのカトラリーや磨き上げられた食器が並べられ、彼女は優雅に食事を楽しんでいた。更には彼女のお気に入りの紅茶が、美しいカップに注がれており、芳醇な香りが部屋の中に漂っていた。

 さらに、緋葉凛はクラシック音楽を愛し、ピアノを弾くことが趣味です。彼女の指先が鍵盤を優雅に舞い、美しい音楽が部屋に響き渡らせていた。

 緋葉凛の私生活は、まさにお嬢様そのものであった。

「緋葉凛ちゃんってお嬢様なの!?」

 ──そんなに驚くこと!?

 ひょうりにとっては意外だったようで、目を見開いて驚いていたが、彼女以外のクラスメイトは、緋葉漓を見た瞬間に「お嬢様っぽいな」という感想を抱いていた。

「やっぱそうだったか。糸織花から発せられるお嬢様オーラは半端なかったからな」

 緋葉凛の隣で歩いていた飛鳥馬はも腕を組んで、頷きながら「何より御三家だしな」と付け加えた。

 その答えを聞いて、彼方の横を歩いていたひょうりは突如動きがぎこちなくなった。

「や、やっぱそうだったよね。わ、分かってたよ。私も分かってたよ!」

 流石に今の演技には無理がある。

「あら、楽しそうね。初日なのにそこまで仲が良いなんて……羨ましいわ」

 突如後ろから聞こえたその声に、彼方達四人は振り返った。

 そこには、ひょうりとは頭一個分以上小さい少女が、腕を組んで仁王立ちしていた。

 彼方は移動中に、クラスメイトの顔と名前をデバイスで確認していた。

 彼女の名前は神谷(かみや)神巫(いちこ)。身長と同じくらいまでに伸ばした大量のオレンジ色を帯びた髪、をポニーテールにして結び、毛先があちこちに向かって広がっていた。

 彼方達が見下ろすほど、彼女は小さかった。

「い、神巫さん……」

 特に意図もしていないが、彼女の名前を彼方は呼んだの口から溢れでた。

 その時、飛鳥馬が神巫へと歩み寄った。

 彼女の前に立つと、飛鳥馬は腰を曲げて彼女と目線を合わせた」

「どうした?迷いこんじゃったか?」

「誰が迷子よ!」

 迷子になった小さい子供のようにあしらった飛鳥馬に、神巫がキレた。

 背中に背負っていた木刀を握りしめると、飛鳥馬の脳天へと振り下ろした。

 かなりの威力だったようで、飛鳥馬は静かには地面に突っ伏した。

 そんな少女の横で、地面に倒れたままの飛鳥馬はピクリとも動かなくなった。

「あんた達と同じクラスメイト。神谷神巫よ!次、子供扱いしたら――」

「あ、飛鳥馬君ー!」

 ひょうりが神巫の言葉を遮って、飛鳥馬へと駆け寄った。

 横にしゃがみ込むと、飛鳥馬の体を上に向け、首の後ろに腕を回して抱え上げた。

「いや!飛鳥馬君!……グス……こんな……こんな最後だなんて!」

 目を閉じたままの飛鳥馬を前に涙ぐむひょうり。

「いや……ちゃんと力抑えて殴ってるから。そこまでの威力じゃないから……」

 神巫はちゃんと手加減して、飛鳥馬を殴った。意識を失うはずもない。

「飛鳥馬君!目を覚ましてよ!まだ私達出会ったばっかじゃん!」

 力強く飛鳥馬に訴えかけるひょうり。

 しかし、一向に飛鳥馬は目を覚まさない。

「え……噓でしょ……まさか打ち所が悪かった!?」

 全く動かない飛鳥馬を前に、神巫は突如本気で心配し始めた。

 ひょうりの反対側で飛鳥馬を見守るようにして、座り込む。

 その時、神巫には見えないところで、飛鳥馬が手を握って親指を立てているのが、彼方と緋葉漓の目に入った。

 当然飛鳥馬は気を失ったりしていない。

 神巫以外の四人はそのことを当然理解していたために、彼方と緋葉漓は何とも言えないような表情を浮かべている。

 ひょうりと飛鳥馬は悪乗りをしたがる。

 出会って数時間であったが、二人のノリを彼方は理解していた。

 それとひょうりの大根演技にも、彼方は一度見ていたために、慣れていた。

「ちょっ、嘘でしょ!ちょっと起きなさいよ!」

 神巫が飛鳥馬の肩を揺すった瞬間、飛鳥馬はむくりと起き上がった。

「起きたぞ」

「いやぁー!」

 突如起き上がった飛鳥馬に、神巫は驚きの悲鳴を上げて、走り去って行った。

 そんな神巫に、緋葉漓は恍惚とした笑みを浮かべた。

「あの子、とっても面白そうですわね。ちょっと追いかけてみますわ」

「うん、行ってらっしゃい」

 緋葉漓はスキップしながら神巫を追いかけていった。

 何故だか神巫が色々と不憫そうだと、彼方は感じた。

 横でハイタッチを交わす飛鳥馬とひょうりを見て、更に神巫の不憫さが増したように感じられた。

「やっぱ雨宮は分かってるやつだな!」

「飛鳥馬君も分かってるぅー!」

 緋葉漓よりも、この二人が組み合わさったときの方が性格が悪いように感じられた。

「本当にこのクラスは大丈夫なのだろうか……。そう思う彼方氏であった」

 ――突如後ろからナレーションのような声が聞こえてきた。というよりは勝手に付けられた。

 二人が後ろを振り返ると、そこにはナレーションの主であろう少女が立っていた。

「どもども。彼方氏、飛鳥馬氏、雨宮氏」

 彼方の視界に飛び込んできたのは、一風変わった丸メガネをかけた少女だった。そのメガネはまるで拳大のレンズを持つような、大きくて目を引くものであった。彼女は突如として彼の前に現れたが、彼は確信していた。この少女が教室にいた記憶はないけれど、彼方達三人の名前は知っている。それはつまり、彼女がクラスメイトであることを意味していた。

「氏」をつける彼女の独特な呼び名も、彼女の個性的な魅力の一部となっていた。教室で委員長にヵンしての議論を交わしていた彼らとはまた違ったような、何か特別な存在感を放っていた。

「誰だ?」飛鳥馬は目の前の少女に直球な質問を投げかけた。

「誰とは失礼な。それがクラスメイトに対して言う台詞ですか!?」少女は憤慨しながら反論した。

 彼女の存在は確かにクラスメイトの中にあったが、その特徴的な丸メガネは飛鳥馬たちの記憶にはなかった。彼女はまるで新しい転校生のように、突然彼らの日常に現れたのだ。

「そんなデケェメガネした奴、クラスにいなかったぞ」

「おっとこれは失礼。ついキャラ付けがすぎましたです」

 ――キャラ付け?

 少女は不可解な言葉を口にしながら、ゆっくりとメガネに手をかけた。彼方たちは息をのんで見守った。メガネの向こうに隠された彼女の真の顔が見えるのかという期待感で胸が高鳴った。

 しかし、その期待は思わぬ形で裏切られた。なぜなら、彼女は突如として謎の力を発動させたかのように、彼らの目の前から跡形もなく消え去ったのだ。三人は驚愕のあまり、目を丸くしてその場に凍りついた。まるで魔法でも使われたかのような、信じられない光景に直面したのだった。

「どこ見てるですか?お三方」

 突然、背後から声がした。三人は振り向くと、そこには先ほどまでメガネをかけていた少女のメガネをしていないバージョンが立っていた。彼女の頭のてっぺんには、双葉のように分かれた愛らしいアホ毛が揺れている。薄いピンク色のカーディガンを緩やかに羽織り、片足を曲げていたずらっぽく立つ姿は、まるで物語から飛び出してきたキャラクターのようだった。

「あらためてまして床浦凪です。これからはよろしくです!」

 と、彼女は不思議な口調で自己紹介をした。彼女の周りには不思議な雰囲気が漂っており、三人はこの少女が色んな意味でただ者ではないことを感じ取った。

「あ、どうも……よろしく……」と、彼方は少し戸惑いながらも礼儀正しく挨拶を返した。

「色々と積もる話がございますが、今日はお疲れのようなのでまた別の機会に……」と床浦凪は言い残し、軽やかにスキップして先へと進んでいった。彼女の振る舞いは捉えどころがなく、彼方たちはただ呆然と彼女の後ろ姿を見送るしかなかった。

 一体どんな話があるのだろうか。彼女が残した言葉は、彼方たちの心にほんのりとした不安を残し、そのまま彼らは寮の方向へと歩き始めた。

色々と書いていたらめちゃくちゃ長くなってました(笑)

正直この後書きも実際には、感想とか書く場所ではないですがせっかくなのでここに書いちゃいます(笑)


遂に始まった高校生活、だがいきなりにして大きな問題へとぶち当たった彼方。

続々と登場する異色のクラスメイトたち

エリート意識を持った彼らとの出会いが、彼方を一体どんな風に変えていくのか──

なぜ彼方が委員長に選ばれたのかは、(もしかしたら伸びるかもしれないけど)次回分かりますので、お楽しみに。

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