【1ー3】お誘い
「……ん、ぅ」
体が重い。今まで一体何をしていたか思い出せない。
思考に霞がかかったかのような状態を少し気持ち悪く思いながら、優香はゆっくりと上半身を起こした。
綺麗な部屋だ。まるで映画のような、お金持ちが暮らすような部屋。ベッドには天蓋が付いているし、家具は全て上品だ。値段を想像するだけで恐ろしい。
一旦状況を整理しよう。
まず、幼い頃見た洋館を見つけた。そして、中からとても綺麗で美しい少女を見た瞬間、鼓動が早くなって………急な頭痛に耐えられなくて、多分気絶した。
ここまではあの少女が運んでくれたのだろうか。か弱そうに見えたのに、意外と力持ち……?
髪を整えようと腕を持ち上げる。するとシャラン、と金属がかすれるような音がした。
思わず右手首を見つめる。
美しい銀細工のブレスレットだ。小さい月と鈴が付いていて、一目で高そうなものだとわかる。
何故こんな物が自分に付けられているのかわからない。つけた覚えもないし、なんなら持っていないこんな高そうなブレスレット。
思わずブレスレットを凝視する。だから、微かな物音に気づかなかったのだ。
「よかった……お目覚めになりましたか」
びくぅっと体が跳ねる。戸の方へと視線を向けると、あの美しい少女が心配そうに、そして安心したようにこちらを見つめていた。
初めて見た時のように鼓動が早くなりすぎて倒れる……みたいなことはないが、息を呑むには十分すぎる美貌だった。
だがやはりこの儚げな少女が優香を持ち上げたなんて信じられない。きっとほかの大人やらなんやらが運んだのだろう。きっとそうだ。
「……?優香?」
「えっ、あ、はい!優香です!!」
「知っていますけど……」
ぼーっとしていて思わず大きな声で名乗ってしまった優香に、少女は困惑したような表情をうかべる。緊張したからと言って挙動不審になりすぎだ。少し落ち着こう。
すー、はー、と深呼吸をひとつして、少女を改めて見据える。
そこで、違和感が優香の頭の中に生じた。
さっき彼女は「優香」と名前で呼んだ。
自分は彼女に名乗りを上げていないのに、どうして彼女は名前を知っているのだろう?
「……どうして、私の名前を……?」
そう問いかけると、彼女は悲しげな顔をした。
「……幼い頃、"1度だけ"お会いしたことがあります。陽里優香様」
「……1度、だけ?」
「はい」
そういえば、あのお姫様の髪色は銀色だったような気がする。そう、目の前の少女のように。
でも、1度だけしか会ったことがないのに、どうして名前を覚えているのだろう?それだけ幼少期の優香がインパクトの強いことをしたのだろうか。
少女は美しい所作で優香に向かって礼をした。その所作の美しさで、優香の頭の疑問が隅に追いやられる。
「改めて自己紹介をしますね。わたくしのことは……ルナ。ルナとお呼びください、優香」
「ルナ……月の女神様と一緒なんだね、名前」
思わずそう優香が零すと、ルナは目を見開いた。
何か変なことを言っただろうか。首を傾げていると、ルナは俯いた。
どうして俯くんだろう。そう思いながらしばらくルナを見つめていると、ルナは顔を上げ、にこりと微笑んだ。
「……そうなんです。両親も、わたくしのこの容姿からそう名付けたと仰っていました」
なるほど確かに、月の女神と思わしき容姿をしている。月の女神が本当に銀髪で碧眼なのかは分からないが、イメージと一致しているのだ。そして、恐ろしいまでに整った美貌。これを女神と言わずなんと言うのか、優香には表現しがたい。
お互い名乗りを上げた(優香は名乗ってはいないが)ところで、優香は右手首に付けられているブレスレットのことを聞いてみようと口を開いた。
「あの、このブレスレットは……?」
「わたくしからのプレゼントみたいなものです。再会の印に、ということで貰ってくれませんか?」
ルナは品よく微笑んだ。優香は怪訝に思いながらも再会の印に、という言葉に罪悪感を感じた。だって、何も覚えていないのだ。彼女としたことも、話したことも、それこそ思い出も。何もかも忘れてしまった人間に対して、再会の印にとプレゼントを渡されてしまえば、罪悪感を感じずにはいられない。とりあえず自分勝手な罪滅ぼしのために貰っておくことにした。
じっと繊細な銀細工のブレスレットを見つめていると、今度はルナが口を開く。
「優香。もう遅いですし、今夜は泊まっていきませんか?」
「え?……い、今何時?」
「もう7時を回りましたわ」
まずい。非常にまずい。
今両親は共に出張していて、家には優莉一人なのだ。受験生である優莉を労ってやらないといけないのに、この時間にはご飯を作ってあげないとなのに。
咄嗟に近くに置いてある鞄をつかみ、スマホを取り出す。優莉からメールが一件入っていた。
『お姉ちゃん、どうしたの?何処にいるの?』
送られてきていたのは5分前。よかった、何時間も放置していないで。
優香は咄嗟に思いついた嘘を打ち込む。
(友達の家で勉強してたら寝ちゃってて、今起きた。もう夜も遅いし友達の家にそのまま泊まるね。ご飯作れなくてごめん……っと)
そのままメッセージを送信し、優香は罪悪感に潰れそうになる胸をおさえた。
我ながらなんと安っぽい言い訳だろう。こんな姉でごめんね……と思う反面、少しだけ気が楽だった。
だって、あの気まずい空気の中ご飯を食べなくて済む。妹と顔を合わせずに済む。
そう思う気持ちがあったからこそ、罪悪感が大きくなっていくのがわかった。今日は罪悪感を感じるばっかりだ、と項垂れる。
「優香?大丈夫ですか?」
「あっ、うん。今日はお言葉に甘えて、泊まらせて貰ってもいいかな……?」
そう言うと、ルナは……ほんの少しだけ、その瞳に嬉しさを滲ませたような気がした。絶対に他の人だったら気づかないであろう変化だ。どうしてわかったのかはよく分からない。よく分からないが、なんとなく嬉しさを滲ませた気がした。
「わかりました。着替えはそこのクローゼットにしまっていますので、サイズが合うものを着てください。わたくしは簡単な食事を作ってきますわ」
ルナは心做しか弾んだ声でそう言い、部屋を出ていった。
優香はルナの後ろ姿を見送ったあと、とりあえず着替えようとクローゼットの中を物色するのだった。
☆─☆─☆
ピロン、と無機質な機械音が鳴り響く。
もう夕食の準備は出来ていて、もちろんその夕食は2人分ある。
だが、姉が帰ってこない。
心配で心配で、食事は喉を通らなかった。だから、姉と2人で食べようと置いといて、姉の返事を待っていたのだ。
その待望の返事を見るために、英単語帳を置いて、スマホを見る。
メールが1件入っていた。
『友達の家で勉強してたら寝ちゃってて、今起きた。もう夜も遅いし友達の家にそのまま泊まるね。ご飯作れなくてごめん』
そのメッセージを見て……優莉は、ポイッとスマホをソファに投げ捨てる。
姉は、必要以上に優莉と喋ってくれない。あの日から、ずっと。
でも、これが当たり前なのかもしれない。だって、優莉はそれほどまでに姉を傷つけることを言ってしまったのだ。でも、だからといって優莉は距離を置いたりしなかった。いつも通り、普通に接してきたはずなのに。
(……お姉ちゃんの、馬鹿)
優莉は姉の分の食事にラップをし、冷蔵庫の中にしまった。そして、自分の分の冷たくなった食事に手をつけた。
(……ご飯なんて作ってくれなくていい。ただ、お姉ちゃんが帰ってきてくれるだけで……一緒に居て、話してくれるだけでいいのに)
冷めた食事は、味なんか感じられなかった。
この作品を読んで下さりありがとうございます。
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