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「素敵」

 女の子が案内してくれたのは、花の咲き誇る花壇に覆われた庭だった。花籠のように360度を花に囲まれていて、入り口はアーチになっていた。こんなに見事な花壇なのに、外からは見えないようになっている。貴族のやることはよくわからなかった。

「ここは秘密の場所なの。だから、貴方だけに教えたのよ。ありがたく思いなさい」

 彼女は胸を張った。

 私たちは花籠の真ん中に座った。よく見ると、草を編んだ椅子になっていた。向かい合った椅子の間に、真っ白な丸いテーブルがある。この花籠を守る花壇はガク、椅子はは花弁で、テーブルはオシベとメシべのようだ。さすが宮廷庭師は洒落ている。

「あなた、名前はなんていうの」

 私を見上げる彼女の瞳は輝いていた。

「私の名前はブルーメン」

「男っぽい名前なのね。気に入ったわ、ブルーメン。私はクライネ」

 クライネは何度も、私の名前を口ずさんだ。その様子が可愛らしかった。

「あのね」

 クライネが私を上目遣いに見た。何か言いたそうだったが、言葉はその後を継がなかった。小さな子供がやるように、彼女は小さな指をこねる。下唇を突き出すようにして、たまにこちらを見た。その仕草が可愛らしくて、抱きしめたくなった。

「私は別に、何も気にしないわ。だって、庶民だもの」

 彼女が何を言おうとしているかはわかっていた。奴隷の子供、という言葉の説明をしたいのだろう。私みたいな平民でも、なんとなく察しはついていた。彼女はおそらく、貴族の誰かが気まぐれに産ませた子の一人なのだろう。その割に厚遇されているのは、かなり位の高い、たとえば王族に近い力を持った人間の子供に違いない。きっと、城下のゴシップ好きにはたまらないネタだろう。彼女のような存在は都市伝説の中の話であったが、実際に目にするのは初めてだったからだ。だが、彼女がそのようなものに晒されたくないという気持ちは、いやというほど伝わってきた。先ほどのような人間から、迫害されるようなことはあってはならないと思った。

「あなたが誰であっても、私はあなたの友達よ」

 そういうと、彼女は顔をパッと輝かせた。

「友達? 私たち、友達?」

 私が頷くと、彼女は喜んだ。見たところ、10歳になるかどうかという年齢に違いない。最も人恋しい時期に、友達一人でこんなに喜ぶとは、彼女の半生を想像するに余りある。

 ひとしきり喜ぶと、彼女は花壇からいくつかの花を折りとってきて、花冠を作り始めた。それを作り終えると、私に差し出し「えへへ」と笑った。友情のつもりらしい。私も彼女より小さい頃に、友人と同じようなことをした覚えがある。

「ありがとう」

 受け取ろうとすると、彼女が私の頭にそれを載せた。私も同じものを作って、彼女にプレゼントした。彼女は愛おしそうにそれを抱きしめた。「せっかく作ったのに、ぐしゃぐしゃになっちゃうよ」と言うと、慌てて頭に乗せた。私は作り方を忘れていて、思い出しながら作ったので、彼女が作ったものよりも雑だった。それに比べて彼女が作ったものは綺麗だった。きっと、友達ができた時のために一生懸命練習したのだろう。

 この隠された花籠の中は、程よく陽の光が降ってきて、まるで秘密基地だった。暖かい陽気が、ここを楽園にしていた。

 クライネは子供らしい遊びをしたがった。この大きな城の中では、そういった遊びは許されていないのかもしれない。それに、彼女の境遇を考えると、そういった相手もいないのかもしれない。貴族学校どころか普通の学校にも通わせてもらえないのだろう。存在は死ぬまで隠し通されるのだ。

 しばらく遊んでいると、彼女の名前を呼ぶ声が聞こえてきた。その声に、クライネは飛び上がって駆けて行った。

「お兄様」

 彼女の声が聞こえた方に首を伸ばすと、お兄様と呼ばれたのはフィリップ王子だった。彼は私がここにいるのを見ると、ギョッとした顔をした。

「私、お友達ができたのよ。ブルーメンっていうの」

「初めまして」

 私はわざとらしくお辞儀をした。フィリップ王子は戸惑った顔をした。勘の鈍そうな男だが、なんとか私の意を汲んでくれたらしく、彼も初対面のような挨拶をした。別に隠す必要はなかったが、わざわざ昨日起こったことを知らせる必要もない。

「どうして、ここに?」

 フィリップが私に尋ねた。

「昨日、こちらで会った騎士様にお礼をと思って」

「騎士……?」

 フィリップが首を傾げた。

「名前はわからないのかい?」

「ねえ、きっとリターよ」

 クライネが口を挟む。

「ああ、そうか。彼は昨日……」

 私はフィリップ王子の尻をつねった。

「い、痛い……なにするんだ」

 フィリップ王子は私を非難の目で見たが、すぐに自分の過ちに気付いたようだった。

「すみません、虫がいたものですから」

「い、いや、こちらこそ申し訳ない」

 彼の名前はリターというのか。なんだか、姿に似合わない可憐な名前だなと思って笑ってしまった。

「でも、彼なら今日はいないはず」

「そうですか……」

「あなた、彼に会いにきたのね」

 クライネが含んだような笑みを漏らす。

「でも、明後日は休みのはずだから、城に呼ぼうか?」

 フィリップの提案に喜んだのは、私よりもクライネだった。

「じゃあ、明後日もまたブルーメンに会えるのね」

「そ、そんな呼び出すだなんて。迷惑じゃありませんか?」

 私の言葉に、クライネが肩を落とす。なんて可愛いんだろう。

「リターがくれば君が嬉しい。君がきたら、クライネが嬉しい。クライネが嬉しければ、僕も嬉しい。みんなハッピーじゃないか」

 肝心のリターがハッピーではない気がしたが、クライネの眩い期待の眼差しに、私は抗いきれなかった。

「わかりました。お願いします。でも、くれぐれも、嫌がっているのに無理矢理連れてきたりはしないでくださいね」

 フィリップが胸を叩く。

「任せておけ」

 ふと、クライネが彼のことをお兄様と呼んだことを思い出した。まさか、彼女の父親はスパニエンの王ーー。できるだけ顔に出さないように、振り返ってクライネを見た。なるほど、確かに似ている気がする。ただ、フィリップとは似ていない気がした。

「じゃあ、明後日」

 フィリップが頷く。彼の顔に日がさして、眩しそうに空に手を伸ばした。

 日が傾いていた。いつの間にか、時間が経っていたのだ。

「私はそろそろ帰ろうかな」

 そう言うと、クライネが露骨に悲しそうな顔をした。

「そんな顔しないで。また来るからね」

「明日も来ていいのよ」

 私はクライネの頭を撫でた。

「僕が送っていこう。門番にも言っておかねばならないしな」

「私も一緒に行く」

「クライネはそろそろ勉強の時間だろう。部屋に戻らなくていいのか?」

 クライネは懐から鎖のついた時計を取り出すと、やばい、と小さく呟いた。

 クライネは名残惜しそうに、私の姿が見えなくなるまで手を振っていた。

 私はフィリップ王子と歩く。こんなこと、ほんの数日前の自分からは想像さえできなかった。

「君に言っておきたいことがあるんだが」

 クライネから十分離れてから、フィリップが口を開いた。先ほどまでとは違って、少し冷たい口調だった。そういえば、昨日もフィリップはこんな感じだった。

「クライネのこと?」

「どこまで聞いた?」

「奴隷の娘ってことだけ」

 ふう、とフィリップはため息をついた。

「彼女は王族とはいえ王位継承順位がない。なぜなら、彼女の母は奴隷上がりだからだ。王が戯れに作った子なんだ。だから……」

 フィリップは言いづらそうに顔を歪める。

「迫害を受けている、でしょ」

「知っていたか」

「ええ、私と一緒にいる時、奇妙な三姉妹に嫌がらせを受けたもの」

 三姉妹、と聞いてフィリップはすぐにわかったような顔をした。

「あの人たちは、前王妃の娘さ。僕にとっては義姉に当たる。今の王妃、つまり僕の母が王妃になったことで、彼女らは王位継承権を剥奪されたのさ。だから、彼女らは僕や姉のことも憎んでいる。今は違うとはいえ、王族には違いない。誰も彼女らに注意できないのさ」

 彼女らのことは、周知の事実らしい。だからと言って、それを止めずにいる彼に腹が立った。

 彼女の母が奴隷ということは、あの奇妙に感情のない人種に違いない。だから、本当の意味で彼女は一人なのだ。唯一の味方であるはずの母も、きっと、彼女のことを認識できないだろう。

「君も知っているかもしれないが、連合国は血にうるさい。特にグロスアルティッヒ本国。そこと強いつながりのあるスパニエンもだ。だから、王に最も近い正妻の子だけが王位継承権がある。奴隷の子などは問題外だ」

「じゃあ、なんでわざわざ奴隷に子供を産ませたの」

 怒りで彼に詰め寄るように私は尋ねた。彼に尋ねたって仕方のないことなのに。

「なぜか、王に近ければ近いほど、健常に生まれてくる子供は少なく、健常に生まれたとしてもすぐに死んでしまうんだ。僕の兄弟姉妹も、もう姉が一人しか残っていない」

 近親相姦が悪いと言う話を聞いたことがあるが、グロスアルティッヒでは、その話題は御法度だった。誰もがわかっていて、口を挟めないでいる。それほどまでに、どうして血の濃さを求めるのだろう。

「だからって……」

 グロスアルティッヒの中では、スパニエンの王はかなり豪放磊落な性格をしていると言う。彼なら、奴隷に子を産ませることもやりかねない。

「くれぐれも、城の外で彼女の話をしないでくれ。彼女は……」

「わかってる。私だって、クライネを悲しませたくない」

 彼女の存在が知られたら、ゴシップ好きな人々の、格好の餌になるだろう。残念ながら、世の中の大半はゴシップが大好物だ。あることないこと噂して、気持ち良くなったらティッシュを丸めて捨てるように忘れ去る。

「そうか」

 フィリップは顔を伏せた。

「城の中で彼女がどんな辛い思いしているかなんて、私には想像もつかないけど、私だって、今日会ったばかりだけどクライネのことが好きだよ」

 フィリップは逡巡したように首を降ると、私の目をまっすぐに見つめた。

「彼女の母親がどんな人かなんて関係ない。クライネは僕の妹なんだ」

 彼が何を言わんとしているのかわかる。

「もうここに来るなってこと?」

「それが、クライネのためなんだ」

 悲しげなクライネの顔が浮かぶ。

「あなた、最低ね」

 私は着いてこようとするフィリップを押しのけて駆け出した。

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