20
父が行商から帰ってきて、久しぶりに家族で食卓を囲んだ時、私はふと、父が以前言ったことを思い出した。
「ねえお父さん」
「何だい」
父はヤギのミルクで作ったシチューにパンを浸して食べるのが好きだった。そうすると、父の髭にシチューがついて白髭になる。それをみて、子供の頃の私はよく笑ったものだった。
「前さ、お城で花嫁を探してるって言ってたじゃない」
父はパンを咀嚼しながら中空を見上げた。
「そんなこと言ったかな」
「ほら、お母さんが、フィリップ王子と私が結婚したらって言ってたじゃない」
「ああ、あったね、そんなこと」
母が声を上げる。父よりも母の方が声が大きい。この二人は、どんな風に出会って、どうして結婚したのだろうか。いつか聞いてみたい。
「ほら、お父さん。お城で花嫁候補を探してるって」
そう言われて、やっと思い出したのか、父は手を打った。その仕草を見てリターを思い出す。
「そんなことあったなあ。それで、それがどうかしたのかい」
「あんた、やっぱりフィリップ王子と結婚したくなったのかい?」
母がチャチャを入れる。
「違うよ。その話ってどうなったのかなと思って」
父が考えるように天を仰いだ。
「そういえば、あれっきり話を聞いていないな」
「最近もまた、花嫁候補を探してるの?」
「いや、そんな話は聞かないなあ。どうしてだい?」
ウナンシュテンの話はやはり虚言だったのだろうか。
「いや、学校時代の級友がお城にオーディションに行くって言ってたから」
「あら、そんなお友達がいたのかい」
「友達っていうか……まあ、バッタリあったのよ、昨日」
「そうなんだ。お父さんが知らないだけで、定期的にやっているのかもしれないな」
「その割に、フィリップ王子ったら浮いた話がひとつもないじゃないの」
「それもそうだな」
「昔っからフィリップ王子ったらね……」
また、母の家庭教師時代の話が始まった。
「最近どうなのよ」
カフェに着くなり、フレンダンが言った。噂話に飢えているときの切り出し方だ。
「どうって、どうもしないわ」
「最近、どうも物騒で噂が全然入ってこないのよね。つまんない」
「フレンダンは彼がいるじゃない。彼とはどうなったのよ」
フレンダンは大きくため息をついた。
「そんなの、とっくに別れたわよ。思い出させないでちょうだい」
「えー。早くない?」
「そんなことないわよ。普通よ、普通」
フレンダンはコーヒーにこれでもかというほど砂糖を入れながら言った。見ている方が具合が悪くなりそうな量だ。
「最近、なんだか物騒な話ばかりよね」
「それ、さっきもの言ったよ」
「だってさぁ、なんか戦争が起こるみたいな感じらしいわよ」
「戦争?」
フィリップやリターのことが頭に浮かんだ。
「一体、どこと戦争するっていうの」
「わかんない。でもさ、なんだか物々しい雰囲気なのよ。お城もピリピリしてるしさ」
フレンダンはコーヒーを一口啜ると、さらに砂糖を入れた。
「グロスアルティッヒ本国も戦争の準備をしてるみたいなのよ」
「それって、大事じゃないの」
「そうよ、大事よ。だから、あんたたちも、自警団とかいって遊んでる場合じゃないんじゃないの」
「別に遊んでるわけじゃないわよ」
私は頬を膨らませた。フレンダンの真似である。
「じゃあ、最近のテロってどこかの国が仕掛けてるってこと?」
「さあね。国はそう思ってるんじゃないの」
それが本当だとしたら、大変なことになるかもしれない。生まれて初めて戦争を体験するのだ。
「あれ?」
フレンダンがカフェの外を見て声をあげた。
「なに?」
彼女の視線の先を辿ると、奴隷が歩いていた。額の印から、王族が所持している奴隷に違いない。
「どうかした?」
奴隷を凝視したまま固まったフレンダンの目の前で手を振る。彼女は、私の問いかけには答えず、カフェから飛び出して行った。
「ちょっと待ってよ」
慌てて会計して彼女を追いかけると、フレンダンが奴隷の前で通せんぼしていた。
「何よ」
声をかけると、フレンダンは奴隷を指差して言った。
「この子、ウナンシュテンよ」
「こんなことして大丈夫かな」
私たちは、ウナンシュテンをフレンダンの家に連れて帰った。これでは誘拐である。城の奴隷を誘拐したのだから、罪に問われてしまうだろう。それでも良いとフレンダンは言った。
「だって、これって、噂が本当だったってことじゃない?」
城で人間にトレパネーション手術を施して奴隷にするという話である。
「そうかな。この子だって、似てるだけかもしれないよ」
「そんなことないって。ほら」
フレンダンは奴隷の腕をつかむと、袖を捲り上げる。そこにはほくろが三つ、三角形に並んでいた。
「これ、ウナンシュテンの腕にもあったもの」
「たまたまかもしれないし」
「だいたい、この顔見てわからない?」
奴隷は髪の毛を剃られており、頭の形が丸わかりになる程ツルッとしていた。ウナンシュテンはくどいほどの巻き毛だったから、印象がまるで違う。それに、化粧を落とした顔も見たことがないので、それがウナンシュテンかと言われてもいまいちピンとこない。
「わかったわ」
フレンダンはドレッサーから化粧品を持ってくると、ウナンシュテンに化粧を施してゆく。そして、化粧が終わると巻き毛のウイッグを被せた。
「ほら」
たしかにウナシュテンだった。
「すごい。あなたすごいわね」
フレンダンの化粧の技術に拍手したい気持ちだった。
「ほら、やっぱりそうじゃない。これは事件よ」
フレンダンはウナンシュテンに鏡を見せた。
「ほら、あんた、ウナンシュテンでしょ」
鏡を見た彼女は、最初は無反応だったが、やがて体を震わせ始めると叫び出した。私たちは慌てて彼女の体を抑えた。しばらくすると、彼女は大人しくなった。
「こんなことって……」
私はフレンダンを見て言った。彼女は顎に手を当てて、何か考えているようだった。




