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「ただいま」

 家に帰ると、私は薬カゴを机の上に置いた。母の家系は薬師くすしだ。薬を調合し、それを街に売りに行ったりお店に置いてもらったりしている。代々みんな薬師なのだと母はいつもいっていた。母も祖母から薬のことを教えてもらい、私も母から教えられる。父は武具の行商人だった。スパニエンは戦闘だけでなく、武具の開発も一流だった。そのスパニエンで作った武器を、他に国に売りに行くのが仕事だった。私には行商人よりも薬師の方が魅力的に思っていた。だから、特に違和感なく薬師になった。

 薬師の仕事は、ただ治療薬を作るだけではない。香水や果実酒を作ったりもする。特に、私は香水を作るのが得意だった。庭で育てた、世界に一つしかない品種の薔薇を使った香水だ。この薔薇は私が掛け合わせて作り出した品種だった。売れ筋商品である。

「帰ったの?」

 母の声がした。私は水を飲むと、改めて大声で「ただいま」といった。

 作業着姿の母が姿を見せる。薬の調合をしていたのだろう。作業着は汚れていた。私は汚れるのは嫌だった。香水だけ作っていたくて、あんまり薬の調合を真面目に勉強していなかった。

「ねえ、今日奴隷を見たよ」

 母が薬の調合について話し出す前に、私は今日見たことを話し始めた。

「あら、珍しいわね。最近はめっきり奴隷も減ったわね」

「昔はそんなにたくさんいたの?」

 母は首を傾げるように天井を見上げた。彼女が昔を思い出す時の癖である。そうすると、栗色の長い髪がサラリと流れる。彼女譲りの栗色の髪の毛は、私の自慢だった。特に高価な香油を使っているわけではないが、サラサラで綺麗な髪質をしている。

「そうね。まだ国がもっと小さかった頃、建物を作ったり井戸を掘ったりするのにたくさんいたわ。危ない仕事はみんな奴隷がやってくれてね。そのおかげで、人間はあんまり死んだりしなかったけど、奴隷はたくさん死んだわね。穴に落ちたりして」

 まるで、虫か何かのことを話しているようだった。

 私は先ほど見た奴隷の瞳を思い出していた。

「奴隷の目って見たことある?」

 私が尋ねると、母は気味悪そうに首を振った。

「そんな縁起でもない」

 奴隷の顔を見るのは縁起が悪いと言われていた。だから、奴隷の顔をよく見たこともないし、ましてや瞳の色なんて今まで知らなかった。

「もう、奴隷の話なんていいでしょ。それより薬は売れたの?」

「うん、完売」

 本当は、売れ残った傷薬があったが、奴隷にあげてしまったのでカゴの中は空っぽだった。だから完売と言っても良いだろう。籠の中を覗き込んで、母は満足げに頷いた。

「よかった。じゃあご飯にしましょう」

 母のお腹がグウと鳴った。それにつられるように、私のお腹も鳴った。それで奴隷のことなんて忘れてしまった。


「お城で花嫁候補を探しているらしいよ」

 パンをちぎりながら、父が言った。パンを千切る手に、結婚指輪が光っている。最近、ようやく仕事がうまく行って結婚指輪を買ったのだ。両親は結婚した頃は貧乏で、指輪を買えなかった。もう、結婚してからずいぶん経つのに、と母は文句を言っていたが、満更でもないようだ。毎日つけて、誰も見ていない時に、うっとりそれを眺めているのを私は知っている。

「花嫁候補というと、フィリップ王子?」

「そうそう」

「あら、良いじゃない。あなた、応募してみなさいよ」

 母が私に向かって言う。父ははっはっはと笑った。

「だめだよ、だって、相手は貴族じゃなきゃ」

「残念」

 母がため息をついた。勝手に盛り上がって、勝手に残念と言われる私の気持ちを考えてほしい。

「でも、良いわよね。フィリップ王子。顔がかっこいいし、性格も良いし」

「フィリップ王子の何を知っているのよ」

 私は言ってからしまったと思った。昔、母はフィリップ王子の家庭教師をしたことがあるのだ。本当か嘘かわからないその話を、もう何千回も聞かされていた。

 案の定、彼女のスイッチは入ってしまって、いつもの話を聞かされることになった。父が苦笑いしているのにも気づかず、彼女は昔話を続けた。

 フィリップ王子かーー私は心の中で考えた。この国に住む女の子なら、誰もが一度は彼との結婚を夢想するのではないだろうか。それほどフィリップ王子は魅力的だった。フィリップ王子の父親である、スパニエン国王も人気があった。年を召されているにもかかわらず精悍な顔つき、そして引き締まった肉体。さらには豪放磊落という言葉を体現したような性格。竹を割ったような真っ直ぐな彼は、王としてはもちろん、男としても人気があった。

「あの姉弟は、性別が反対だったらよかったのにね」

 母は続ける。フィリップ王子にはルイサ王女という姉がいた。この国では、王座につくのに性別は関係ない。より血が濃く、より先に生まれたものが王座につく。長い歴史の中で、女王がこの国を統治した時代もあった。

 ルイサ王女は王位継承順位一位のスパニエン家長女だったが、彼女のことを姫と呼ぶものは誰もいなかった。理由は、父親のたくましい部分全てを受け継いでいるからである。肉体だけでなく、性格も豪放磊落で粗暴であった。おおよそ人が考える姫という言葉のイメージとはかけ離れていた。

 父がまた苦笑いをして、チラと私を見る。我が家の娘があんな風でなくてよかったとでも言いたいのだろう。しかし、私はルイサ王女が羨ましかった。あんな強い女に私は憧れていた。自由で、自分の好きなことを好きなようにできるなんて最高じゃないか。私は女というだけで、学問も、芸術を愛することも許されない。だから、ルイサ王女が女王となって、この国の女がもっと自由に生きられたら良いなと思っている。

「花嫁候補にならなくても、使用人としてお城に使えたら、フィリップ王子の目に止まるかもよ」

 母が言う。

「お前……」

 父が呆れたように母を嗜めた。

 この時の私は、笑って受け流した。それが現実のものとなることも知らずに。

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