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スパニエンでも謎の合成麻薬が流行の兆しを見せていた。騎士団や自警団の巡回を嘲笑うかのように、一向に麻薬の密売やテロリズムは減らなかった。
特にグロスアルティッヒ本国では変わらず麻薬は流行している。クライネは大丈夫だろうかと心配になった。一方で、合成麻薬を作っているのはジジ王女なのではないかと密かに思っていた。連合国内に毒を撒くような人間である。やっていてもおかしくない。
「ねえ、聞いてる?」
声に我に帰って顔を上げると、フレンダンが頬を膨らませていた。
「ごめんごめん。なんだっけ」
「ほらあ、聞いてないじゃん」
「だからごめんって」
「幸せな結婚の話だよ」
幸せな結婚ーー今の私には想像もつかない。
「一時は王子様と結婚できる可能性だってあったんだから、あんただって運が向いてるはずだよ」
可能性はなかったとおもう。ジジ王女を見るフィリップの顔を見たら、誰も、彼との未来なんて想像できないだろう。それくらい、フィリップは彼女に心酔していた。
「あと騎士の……なんとかさんだってキープしているわけじゃん」
彼女の頭の中では、私はどんな悪女なんだろうか。リターもフィリップと同じで、私のことなんて少しも女として見ていなかったはずだ。二人とも、ただ短い時間、同じ時を過ごした仲というだけである。
「私も今の彼とは結婚って感じじゃないんだよねえ」
「フレンダンって彼氏いたんだっけ」
「もう、さっき話したじゃん」
フレンダンはふたたび頬を膨らませる。彼女はその顔を自分のキメ顔だと思っている節がある。わざわざ指摘はしないが。
「彼ねえ、顔はいいんだけど、ちょっと気難しいところがあって、束縛が激しいんだよね」
たまにチラリと見える首のあざは彼の暴力のせいだろうか。怖くて尋ねることができない。
「フレンダンは幸せなの?」
代わりにそう尋ねると、顔を輝かせて頷いた。幸せならいいのかもしれない。愛の形はそれぞれである。
その日はカフェが閉店するまで彼女の惚気話に付き合った。恋の話をしている時の彼女は人生の輝きの最高潮にいるような顔をしていた。
「あんたも、早く良い人見つけなさいよ。あんたを助けてくれたっていう隊長さんなんか良いんじゃないの。隊長だし、将来も安定じゃないの」
カフェから追い出されて、帰りの道すがら、ひとしきり自分のことを話し終えると、彼女はそう言った。
「隊長はないよ。昨日まで話したこともなかったのよ」
「フィーリングが合えば、時間の長い短いなんて関係ないわよ」
彼女らしい。
「あらあ。ごきげんよう」
不意に声をかけられてギョッとして振り返ると、学生時代の級友だった。名前はーー。
「ウナンシュテン?」
フレンダンの記憶力は尊敬する。ウナンシュテンなんて名前、三秒だって記憶に留めておける気がしない。
「相変わらず貧乏くさい顔してるのね」
名前は忘れていたが、この嫌味ったらしい喋り方で思い出した。いけすかない貴族崩れの女だ。
再び彼女の顔を見る。そうだ、完全に思い出した。この女は嫌なやつだった。自分達のグループ以外を見下していた。私も嫌がらせを受けたことがある。
彼女は貴族にしては控えめだが、庶民にしては成金のような格好をしていた。
「私、結婚するのよ」
私たちがまだ何も聞いていない、しかも名前すら今思い出したところだというのに、彼女はにやついた顔で話し始めた。
「明日、お城に呼ばれているの」
「お城って、貴族かなにかと?」
思わせぶりにウナンシュテンがニヤリと笑う。聞いていないのに話してきたのに、そこは隠すのか。
この国では、貴族は城にある大聖堂での結婚式を許されている。そこで式を挙げることが貴族の特権だった。また、そこに列席を許されることも彼らの中では誉だった。
この女は自称貴族だが、地位は低い。貴族学校への入学を許されず、私たちと同じ平民の学校へ通っていたのが証拠だ。偽貴族と陰口を叩かれていたのを、彼女は知っているだろうか。
「私、フィリップ王子と結婚するの〜」
堪えきれないとでも言うように、彼女は言った。
「はあ?」
フレンダンが眉を顰めた。
私も、口に出しはしないがそれは無理だろうと思っていた。このグロスアルティッヒ連合国において、王族は血の濃さを何よりも求められる。血の濃さが、そのままその人間の地位に直結するのだ。たとえ王妃になろうと、さらに王に近い血統の女が現れれば、正妻ではいられなくなる。そんな狂った掟があると言うのに、偽貴族である彼女如きが王族と結婚することなど認められるはずがない。
私とフレンダンは顔を合わせた。彼女は学生の頃から度々虚言を繰り返している。今回もその類だと思った。しかし、そんなすぐバレる嘘をつくだろうか。
「疑ってるわね。あなた方庶民が知らないのは仕方ないけど、フィリップ王子は結婚相手を探しているのよ。それで、私もお呼ばれしたってわけ」
「なるほど、ただオーディションに行くってだけね」
フレンダンは得心したように手を打った。
「失礼ね。私が選ばれないはずないでしょう」
まだ選ばれてすらいないのに、フィリップ王子と結婚するなどと嘯いてていたのかこの女は。
フレンダンが馬鹿にしたように笑う。ウナンシュテンは顔を真っ赤にして地団駄を踏んだ。彼女が怒った時の癖だ。
「貴族様なんだから、もっとしとやかさを身につけるべきだと思うわよ。フィリップ王子と結婚するんだから」
フレンダンがそう言って笑った。
「ふん、そうやって馬鹿にしてればいいわ。あなた方が、この私と話せるのはこれで最後なのだから。あとになって謝ったって許してあげないんだから」
そう言って、ウナンシュテンは肩を怒らせて歩いて行った。
「フィリップ王子と結婚するような貴族様が、歩いて家に帰るってのもなかなか風情があるわね」
フレンダンがまた笑った。




