16
前庭では、先程よりも多くの人々が倒れていた。犠牲者がどんどん増えているらしい。
「どうして……」
近くにいた修道士に尋ねた。
「何があったんです」
修道士は顔を青くしてうずくまった。
「一度は回復したはずなのに……何故かまた苦しみ出したんです。それまで平気だった人たちまで」
「医師は」
修道士は首を振った。修道院の医師も、医師学校を卒業して独立した医師もかけつけていた。彼らも修道士と同じように項垂れ、首を振るばかりだった。彼らは、口を揃えて、できることは全てやったと漏らした。
「一体何が起こっているの」
頭をよぎったのは、最近周辺国で起こっている合成麻薬のことだ。しかし、聞いていた感じと違う。麻薬中毒者が街に溢れて、街の一角がスラム化しているという噂だった。城で貴族が毒のようなものにやられたなんてニュースはきいたことがなかった。
つまり、それとこれは別の事件である。
視界の端に、クライネとジジ王女たちが歩いてくるのが見えた。
「こちらに来ないで」
私は声を張り上げて警告した。
「感染するかもしれない」
私の警告が聞こえていないかのように、彼女らは歩みを緩めない。
やがて、彼女らは近くで苦しんでいる人を見下ろした。口元を押さえているが、笑っているように見えた。
「近寄らないほうが良いです。王女様」
ジジ王女はジロリと私を睨みつけるとキャッキャと笑った。
「大丈夫。私にこの毒は効かないから」
「毒? どうしてですか。何か知っているんですか」
問い詰めるように尋ねると、ジジ王女は不機嫌そうな顔になった。
「うるさいわね、この平民は。つまらないこと言わないで。この毒は私が作ったからに決まっているじゃない」
「は……?」
耳がおかしくなったのかと思った。今、彼女はなんといったーー?
「どうしてそんなこと……」
絞り出すように言うと、ジジ王女はまるで害虫でも見るような目で私を見た。
「面白いからに決まってるじゃないの。貴方、お馬鹿さんね」
怒りで息ができなくなった。苦しくて、その場にうずくまってしまう。
クライネが私を見下ろしていた。
「クライネ……」
必死に手を伸ばす。クライネに触れる瞬間、彼女はサッと身を翻した。
「さあて、ショーは終わったから帰りましょう」
「ショー? 人の命をなんだと思っているんですか。いくら偉いからって、こんなこと許されるとでも……」
「許されるに決まっているじゃないの。貴方、本当にお馬鹿さんなのね。私が誰かわかっているの?」
ジジ王女はピカピカの革のブーツで、うずくまっている私の頭を蹴った。私は倒れ込んだ。
「無礼な口を利いていると、殺すわよ」
耳元で囁くと、彼女は優雅に歩いていった。その後ろを、クライネがついてゆく。
「クライネ!」
私の呼びかけに、彼女は振り返りもしなかった。
私は這うようにして彼女を追いかけた。前庭を抜けたところで、彼女らは馬車に乗った。馬車から再び城を眺めると、ジジ王女は狂ったように笑った。
「ジジ!」
数人の男女が、武器を手に追いかけてきた。きっと、先ほどの私とのやりとりを聞いていたのだろう。彼らはきっと毒にやられた人たちの遺族に違いない。
「主人を返して」
女が叫んだ。
「私の娘も返せ」
彼らは口々に恨みを口にした。
ジジ王女は彼らを見下ろすと「ルル」と言った。すると、彼女の従者が馬車から降りた。その手には、短剣が握られていた。
従者の女はボディガードだったのか。あまりにも麗しい見た目をしているので、荒事には向いていないように見えた。しかし、その考えはたった数秒で覆されることになった。
目にも止まらぬ速さで、ルルと呼ばれた従者は、遺族たちを皆殺しにしたのだ。しかも、ただ殺しただけではない。見たものが一人残らず、吐き気を催すような、残忍な殺し方だ。すでに死んでいるのに、内臓を引き摺り出し、性器を切り取り、それらを口に突っ込んだ。
その様子を見て、ジジ王女は再び笑った。息ができないほどに激しく。
イカれている。彼女らに人間の心はないのか。
ルルが戻ってくると、ジジ王女は彼女の頭を掴んでキスをした。彼女らはお互いの舌を強烈に絡み付けて、お互いを食い合っているかのように貪った。ルルの手は血に塗れていて、ジジ王女の顔を赤く染めた。それを手につけて、ジジ王女はルルの顔に塗る。そうしてキスをした。
醜悪だった。私には彼女らが人間ではない何かに見えた。口元を蠢く舌は意思を持っているかのように不規則に、醜怪に、下品に、低劣に、卑猥に、浅ましく見えた。
あとからやってきた復讐者たちは、無惨な殺され方と、彼女らの狂った姿を見て、戦意を喪失したらしい。それほどまでに、ルルの殺し方は残虐だった。
ようやく長いキスが終わると、ジジ王女はルルの手についた血を綺麗に舐めとった。その口に、再びルルがキスをする。
ああ、狂っているーー。彼女らは狂っている。私は初めて、グロスアルティッヒ連合国という国家の歪みを感じた。
私はなすすべなく、その場にへたり込んでいた。手をつくと、そこは血溜まりだった。急に、血と臓物と汚物の臭いが鼻についた。
込み上げてくる嘔吐感に抗う前に嘔吐していた。胃が、食道が熱い。苦しくて息を吸うと、また臭気が私の鼻を攻撃する。胃の中が空っぽになっても許してはくれなかった。
ようやく嘔吐が収まる。顔を上げると、ジジ王女がこちらを見てニヤついていた。彼女は楽しんでいるのだ。人が苦しんでいる姿を見るのが好きなのだ。
遠くから重い足音が聞こえてきた。あの足音は騎士だ。甲冑が石畳を踏みつける音。
「リター」
先頭にリターの姿が見えた。彼は一瞬、私のことがわからなかったようだが、呼びかけると驚いた顔をした。
「どうしてここに?」
彼は私を助け起こすように、背中に手を添えた。
「毒の被害者がいるってきいて、慌てて薬を持って駆けつけたの」
「なるほど。君は薬師だったね」
「それより、みんなを毒殺したのはあの人よ」
私が指をさした方向を、リターは見た。
「おい、リター。どうした」
聞き覚えのある声だ。あの声はーー。
「フィリップ王子」
呼びかけると、彼もリターと同じように驚いた顔をした。
「どうしてこんなところに」
言うことも同じだ。騎士というのは、そういうテンプレートみたいなものを覚えさせられるものなのだろうか。
「そんなことより……」
私が指をさすと、フィリップはジジ王女の方を向いた。ジジ王女は、不快そうな顔で、フィリップを見下ろしていた。
「ジジ王女。ああ、愛しの我が君」
まるで歌うように、フィリップは彼女に近づいた。
「ねえ、その人はみんなを殺したのよ。毒で殺したの」
私が必死に訴えるが、フィリップの耳には届いていないようだった。馬車の前に跪いて、必死に何か愛の言葉を投げかけている。こんな血生臭い場所で、狂った姿の女を相手に。
やはり、王族というのはみんな狂っているのだろうか。
「ねえ、リター」
声を掛けるが、リターは答えなかった。私を抱き上げると、門の外へ運ぼうとした。
「いや、やめて。クライネが馬車に乗っているのよ。私、彼女を助けないと」
ボカボカ殴ったが、リターの足は止まらない。
「あの女を逮捕してよ。殺人犯よ」
まるで私の声なんて聞こえないみたいに、リターは無反応だった。
やがて、門の外にたどり着くと、リターは優しく私を地面に下ろした。
「一人で帰れる?」
無理だと言ったら、一緒に帰ってくれるのーーなんて可愛げのあることを、言えるような女ではなかった。
私は立ち上がると、リターを睨みつけた。いつものような、優しげな笑顔は見せてくれなかった。無表情で、無感情な顔をしていた。城の中へ戻ろうとするのを阻止するように、私の前に立ち塞がっていた。
私は諦めて彼に背を向けた。体がひどく痛かった。
「すまない」
背後から、普段の彼からは考えられないような小さい声がきこえた。
私は振り返らなかった。
悔しかった。自分が上手くやれなかったことでも、ジジ王女の馬鹿にしたような態度に負けてしまったことでもない。
クライネのことだ。どうして、彼女のことをもっと気遣ってあげられなかったのだろう。
全てをうまく行かせようとして、私は全てを無くしてしまった。
どうしてこんなにうまく行かないのか。
私の次の目標が決まった。
クライネを助けにいくことだ。




