15
冬が終わって暖かくなってきた頃、グロスアルティッヒ本国から、ジジ王女がやってくると聞いたのはフレンダンからだった。彼女は新聞よりも早くその情報を捉えて、そして私に伝えてくれた。彼女は城で働くよりも、ジャーナリストの方が向いているんじゃないだろうか。
「一緒に観に行こうよ」
まるで珍しい動物でも観に行くみたいなノリで彼女は私を誘ってきた。私も、あのフィリップが心酔する女というのがどれほどのものであるか観てみたかった。
「いいね。でも何しにくるの?」
「さあ?」
フレンダンが帰った後、改めて新聞を読んでみたが、ジジ王女が訪問する理由は分からなかった。
ジジ王女が来るという日、私は母の手伝いで薬の調合が忙しかった。ちょうど、騎士団が大量の薬を注文してきたからだ。本当はジジ王女を見に行きたかったけれど、王女を見たからと言って、あの日々が戻ってくるわけではない。むしろ、フィリップやリターやクライネのことを思い出して辛くなるだけだ。だから、忙しくてよかった。一緒に行けないと言ったら、フレンダンは怒っていたけれど。
街はお祭り騒ぎだ。何かにつけて、大騒ぎする国民性だから仕方がない。家にいても外の騒ぎがやかましいほどに聞こえてくる。
「悪かったね。本当に、行かなくてよかったのかい?」
母がこちらも見ずに行った。目に見えぬほどの速さで手を動かしている。あれくらいになるにはどれだけ修行したら良いのだろうか。
「良いのよ。私にはこっちの方が大事だわ」
母がため息をついてこちらを見た。
「あんた、本当に変わったわね」
手を止めていたのは数秒だったが、嬉しそうだった。
しばらくして、ようやくキリが良くなると、途端に外の様子が気になった。
「ちょっと見てくるくらいなら良いよ」
母が私にいう。餌を待つ犬のようにソワソワしていたのだろうか。私は、よし、がかかった犬みたいに外へ飛び出して行った。
外には人が溢れていた。しかし、何かおかしい。大声を出しているのは結構だが、何やら悲鳴のように聞こえる。
遠くの方から、人をかき分けてやってくる人間が数人いた。彼らは祭りには似つかわしくない格好をしていた。
「薬師の家で間違いないか?」
その男たちは、私の家の前にやってくるなり息も絶え絶えにそう尋ねてきた。私は驚いてしまって、壊れた人形のように首をカクカクと上下に動かした。
「城で……城で毒が蔓延しているのだ。騎士団がこちらに薬を発注していただろう。今すぐ解毒薬をもらえないか」
「少々お待ちください」
私は急いで家に入って行って、母に状況を説明した。私の説明を聞くと、母は待っていましたとばかりに、薬の保管庫からありったけの解毒薬を取り出した。
「これを持ってお行き。私じゃあ足手纏いだ。あんたがついて行って、処方しなさい」
母は足が悪い。だからこそ、私が街に薬を卸に行っているのだ。
私は薬を受け取ると、カバンに詰めて背負った。
「行きましょう」
「いや、薬をくれるだけで良い」
「何を言っているんですか。薬師の処方です。薬は扱いを間違えれば毒にもなるんです。私がいないことにはこれは使わせません」
解毒薬の扱いなら知っていた。この数ヶ月で、調合方法も覚えた。きっと大丈夫。
騎士たちは顔を見合わせると、これ以上の時間の浪費は得策ではないと悟ったのか「ついてこい」と言って、再び人をかき分け始めた。
城へ向かう途中、母の顔を思い出していた。
どうして、母はすぐにこの薬を用意できたのだろう。
もしかしたら、何か知っているのではないだろうか。
城に着くと、多くの人間が前庭に倒れていた。そこでは庶民も貴族も同じように苦しんでいた。爵位の高い貴族は城の中だろうか。
私は一回分の解毒薬を配って回った。一人ではどうにもならないーーだが、他にも薬師が同じように薬を配っていた。私だけではなく、色んなところから集まってきたのだ。修道院からもきていた。シャルラタンのような怪しげな風貌の人間までいた。シャルラタンというのは、旅の薬師だ。免許を持たないのに薬を扱い医療行為までする。しかも、それらは全部出鱈目だった。だから、私たちも修道士もシャルラタンを軽蔑していた。しかし、文句を言っている暇はない。なにせ、視界にいる全ての人間が病人なのだ。一人でも多く救わねばならない。
私は夢中で薬を飲ませて回った。
ひと段落すると、ふとクライネやフィリップやリターや国王は無事だろうかと思った。さすがに王族が倒れていたら、もっと騒ぎが大きいだろう。
前庭の向こうには、私たちが過ごした花籠の庭がある。初めてクライネに出会ってから、もうすぐ一年が経とうとしていることに気付いた。
どこからか視線を感じて、顔を上げると、前庭の隅っこにクライネの姿が見えた。
「クライネ」
私は慌てて彼女に向かって走った。クライネは私を待たずに走ってゆく。
クライネの姿を追っていくと、知らない女がいた。綺麗な人だった。こんなに綺麗な人は見たことがない。お伽話のエルフのようだ。おさげ髪のせいで幼く見えるが、ほっそりした体型と長躯で、ずいぶん骨ばっているように見える。私よりも少し若いくらいだろうか。切れ長の目に心臓を射抜かれそうになる。
「ジジ様」
クライネが言った。まさか、この人がグロスアルティッヒのジジ王女なのか。確かに、噂で聞くような美しさだ。それは、男を虜にする美しさ、というわけではなく、危険な花のような美しさだ。老若男女関係なく、嫌がおうにもひきよせられてゆく。
「貴方はだぁれ」
銀色のパイプから口を離し、気怠げに煙を吐きながら彼女は言った。
ジジの雰囲気に気圧されて気が付かなかったが、彼女に寄り添うようにもう一人いた。こちらは、中性的な美しさで、女ウケしそうなゴージャスな見た目の人だった。男のように見えるが、女だろう。喉仏がない。
異様な雰囲気の二人だ。一体、こんなところで何をしているのだろうか。
「クライネ」
私が呼びかけると、クライネは振り返った。髪の毛は以前に近いくらいまで伸びていた。
「私、この国から出ていくから」
クライネが言った。
「ジジ様についてく」
「あらぁ」
ジジはクライネの頭を撫でる。
「可愛いわね」
ジジがクライネに煙を吹きかけると、クライネは咳き込んだ。あんな子供にタバコの煙を吐きかけるなんてどうかしている。あんな人にクライネを任せるわけにはゆかない。
「連れて行っちゃおうかしら」
キャッキャと笑う。その直後、再び前庭から悲鳴が上がった。
「どうして……」
私は慌てて戻ろうとするが、途中で振り返った。クライネがじっとこちらを見ている。
「行っちゃうの? 私と一緒に行こうよ」
「でも、人を助けないと」
「知らない人でしょう? 良いじゃない。あんな人たちは放っておいて」
「そんなわけにはゆかないわ」
クライネはキッとこちらを睨みつけた。
「もし行くなら、私は二度と貴方の前に姿を現さない」
本気の顔だった。しかし、仮にも王族の血を引く彼女が、勝手に城を離れて良いのだろうか。
「みんな、厄介払いできてせいせいするでしょうね」
クライネが自虐的に笑う。
再び悲鳴。私は我慢できずに走り出した。
「裏切り者!」
背後からクライネの叫び声が聞こえた。




