12
「あんたが真面目にやるなんて。明日は槍でも降るのかしら」
母が私を見て笑った。私はキチンと薬師になる修行をしようと思った。いざという時、役に立たない人間にだけはなりたくなかった。みんなが頑張っているのに、それを支えられないでいることに耐えられなかった。
今まで適当にやっていたツケが回ってきた。一向に、母のようにうまく薬を作れない。私が作れるのは傷薬くらいだ。気付け薬や毒消しなど、必要なものはたくさんある。それに、薬を使って治療する術も学びたかった。そうなると、医師の知識も必要である。まだまだゴールは遠い。
こんなことなら、もっと早くやる気を出しておけばよかった。
薬の調合を終えて、寝台に体を放る。ご飯を食べなければ。風呂に入らなければ。歯も磨かねば。全て面倒臭い。
泥の中に沈んでゆくような心地良さと理性が戦っている。私はどこかでそれを傍観している。学生の頃でさえ、こんなに必死に勉強したことはなかった。
徐々に意識が夢に溶け出してゆく。水面に波紋が広がるように、妄想が染み出してゆく。
私はリターと結婚する夢を見た。あの優しげな顔と声に包まれて、私は幸せな家庭を築いている。
ふと顔を上げると、リターではなくフィリップだった。夢の中の私は少しも驚くことはなくて、むしろ当たり前のように接していた。先ほどまでそこにいたはずのリターはどこにもいない。どうして、フィリップ王子なのだろう。
フィリップ王子は、いつもみたいな迷惑そうな顔をしていなかった。屈託のない可愛らしい笑顔で私を見つめていた。
不思議と私は冷静に夢の中の自分を分析していた。
フィリップ王子と結婚なんてしたら、きっと辛いことが多いに決まっている。想像さえできないほどの酷い嫌がらせをされるだろう。もしかしたら、暗殺されてしまうかもしれない。
たくさん言い訳を考える。でも……否定できない。フィリップのことは嫌いなはずなのに、どうして気になってしまうのだろう。リターが好きなはずなのに、どうしてこんな夢を見てしまうのだろう。
目を覚ますと、すでに朝だった。少しも眠った気がしない。あんな男の夢を見てしまって損をした気分だ。でも、何故だか、夢の中で見たフィリップの笑顔が頭から離れない。
街へ薬を配達に行って帰る途中、カフェで休憩していると、隣のテーブルの可愛らしい女の子がフィリップ王子の噂話をしていた。あんな夢を見た後だからだろうか、つい聞き耳を立ててしまう。リターの話をするかもしれないから、その確認のために聞いているんだからーー誰にともなく言い訳をしていた。
女の子たちは、キャアキャア言いながら、目の前にあるアイスコーヒーの氷が溶けてしまうのも構わずに話に夢中になっている。
どうやら、彼には意中の女性がいるようだ。しかも、それはグロスアルティッヒ本国の王女らしい。
急に心が覚めてゆく感じがする。なんて勝手な感情だろう。勝手に好きになって勝手に覚めるなんて。
よりによってグロスアルティッヒの王女だなんて。リターやフィリップやクライネですら敵わない、天上格の女だ。どう足掻いたって、私に勝ち目はやってこない。
しかし、グロスアルティッヒの王女ならば、近しい血の人間と結婚しなければならないのではないか。そう思ったが、さらに噂話に耳を傾けると、彼女は王位継承順位二位であり、次期国王は兄らしい。つまり、フィリップにとって彼女をものにするチャンスはあるのだ。
女の噂ネットワークというのは恐ろしいものだ。どうやって、そんなに詳細な情報を仕入れているのだろうか。もっと詳しく知るには、フレンダンに訊くのが良さそうだ。
私は会計をして、フレンダンの家を尋ねた。彼女の部屋に入るのは久しぶりだった。当たり前だが、子供の頃とは違って大人っぽい部屋になっていた。
普段、街の噂話に興味を示さない私が、フィリップ王子のことを尋ねたものだから、フレンダンはいつも以上に熱を入れて話をしてくれた。
「あんたがゴシップに興味を持つなんてね」
彼女には失礼だが、これと言った目新しい情報はなかった。
「私よりも、あんたの方がよっぽどフィリップ王子に詳しいんじゃないの」
フレンダンはため息をついて、寝転がった。
「あーあ、私もフィリップ王子とお近づきになりたーい。恋人なんて贅沢は言わないから、使いっ走りでも良いからさあ。そしたら、適当な貴族なんか紹介してもらって、玉の輿に乗れるのになあ」
一般的な女の子はこう考えるのだろう。私だって、少し前までは同じようなものだったと思う。しかし、今では彼らに近づきたいとは思わない。城はなんだか窮屈だし、王子は性格が悪いし。貴族なんかと結婚したら、きっとあの三馬鹿女みたいなやつと毎日顔を合わせねばらないないし、デメリットの方が大きい気がする。
そんな説明をしたところで、彼女の意思は変わらないだろうけれど。
一つだけ、新しい情報があった。グロスアルティッヒ王女の名前はジジ。ジジ王女というらしい。知らなかったと言ったら、とてもバカにされた。
「ありえない!」
フレンダンは空を仰いだ。今にも天に在わす父に祈りを捧げんばかりである。
「自分が住んでいる国で一番有名な人を知らないって?」
この国で一番有名なのは、国王かフィリップ王子ではないだろうか。
「グロスアルティッヒ連合国のグロスアルティッヒ本国の国王の方が有名でしょうが。それに、ジジ王女は悪い意味で有名よ」
私の心の声が聞こえていたようだ。
「悪い意味?」
自然と眉を顰めてしまった。
「とんでもなく性格が悪いらしいの。ちょっとでも機嫌を損ねると……」
フレンダンは首を掻き切るようなポーズをして、目を回して倒れた。処刑という意味だろうか。
「大国の姫って感じ」
私は舌を出した。
「そ、大国の姫って感じ」
フレンダンも同じように舌を出す。
「なんでそんな人のことが好きなんだろう」
「まあ、すごい美人らしいよ」
「らしいって、見たことないの?」
「遠くからちらっとだけ」
「へえ」
「そりゃあ、近くで見られたら良いかもしれないけど、そんな高貴なお方に近づけるはずないでしょう」
「それもそうね」
「フィリップ王子はめちゃくちゃマゾヒストなのかもしれないよ」
「あー、それはあるかも」
私はなんだか納得してしまった。
「何にせよ、グッドニュースではないってことね」
「そうね、グッドニュースではないね」
ジジ王女。どんな人なんだろう。




