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あのピクニックの日以来、私は幾度も城を訪れた。残念ながら、リターには一度も会えていない。彼らと出会った時は暖かかい季節だったはずなのに、気がつけば冷たい風を感じるようになっていた。
時が経つのは早い。クライネと遊んで、たまに冷やかしに来るフィリップに追い払われる。いつの間にか、王子様は憧れの存在から疎ましい存在になった。彼は私が鬱陶しいようだった。でも、私は彼のことは気にしないことにした。私は私のやりたいようにやるのだ。こうやって通っていれば、そのうちリターにも会えるかもしれない。
リターに会いたいなら、騎士の宿舎にでも行けば良いのだろうが、私一人が尋ねたところで彼にとっては鬱陶しいだけだろう。ここなら、クライネと遊ぶという大義名分があるだけ自然なはずである。
「ねえ」
何度目かの来訪時、珍しくフィリップが私に話しかけてきた。クライネがトイレに行っているときだった。きっと、また私のことが邪魔だとでもいうつもりなのだろう。
「君の図々しさには負けたよ」
ほら、やっぱり。
「それはどうもありがとう」
私は素っ気なく答えた。
「いや、本当なんだ。君はすごいよ。僕を目当てにやってくる君みたいな女の子、城にいっぱいいるけれど、こんなにクライネに尽くしてくれる人は初めてだ」
彼の厄介なファンと同列にされて気分が悪かった。
怒りで彼を睨むと、彼の顔に傷があることに気づいた。綺麗な顔だから、余計傷が目立つのだ。リターだったらこんなに目立ちはしなかっただろう。
「顔」
私が指さすと、彼は自分の頬を撫でて「ああ」と言った。
「ちょっとね。訓練で」
このとき初めて、フィリップが騎士であるということを実感した。
「貴方みたいな高貴な御人でも、顔に怪我するほどの訓練をするのね」
意地悪で言ったつもりだった。フィリップは今までで一番不機嫌そうな顔をして、それから口を利いてくれなくなった。私も意地を張って、彼とは口を利かなかった。
その日から、フィリップは姿を現さなくなった。
「何を探しているの?」
一月ほど経った頃、私は少し後悔していた。私がほんの気まぐれに意地悪を言ったばかりに、彼がここに来なくなってしまったことを、謝るべきかクライネに尋ねた。
クライネはキャハハ、と笑った。
「バカね。フィリップは任務で壁の外へいったのよ。だからしばらく帰ってこられないわ」
なんだ、と私は胸を撫で下ろした。私が怒らせてここにこなくなったわけではなかったのだ。
「そんなことで、最近元気がなかったのね」
クライネにはバレていたらしい。
「何をしにいったの?」
クライネは同じように笑った。
「彼が外に行く用事なんて、数えるほどしかないわ。今回は王の付き人よ。グロスアルティッヒ本国へ行ったの」
だから、顔に傷をつけるような訓練までしていたのか。悪いことを言ってしまったな、とさらに後悔した。
連合国内とはいえ、スパニエンからグロスアルティッヒへの道が安全なわけではない。獰猛な動物もいるし、王が外出すると聞いた賊が襲ってくるかもしれない。王子とはいえ、彼は軍事国家の王位継承順位二位の王子である。王族として認められるには、腕っぷしを示さねばならない。箱に入れて可愛がられているわけではないのだ。命の危険がある任務だって当たり前にこなす必要がある。現在の王も、そうだったと教科書に書いてあった。
「リターは?」
「もちろん、フィリップに帯同しているわ。彼は将軍格だからね」
なぜかクライネが鼻高々である。
知らなかった。リターはそんなに地位のある存在だったのか。
「リターのこともっと知りたいのね」
何も言っていないのに、さすが子供とはいえ女である。私の陳腐な片想いなんてお見通しなのだ。
私は観念してクライネに彼らのことを教えてくれるように頼んだ。彼女はそうやって頼られるのが好きだった。きっと、一人っ子だからに違いない。お姉さんぶりたい時期というのは、私にもあった。
彼女によると、フィリップとリターは幼馴染らしい。リターは貴族ではなく、騎士の家系に生まれて、スパニエン家を主君として仕えたのだ。貴族ではないとはいえ、由緒正しき騎士の家系というのは私のような平民からしたら雲の上の存在である。特にリターはフィリップと同世代であることから気に入られ、フィリップと共に貴族学校へ通うことを許可されている。学校へ通いながら、彼は従卒として鍛錬を積み、学校を卒業したあとに正規の騎士として叙任された。特に彼が若くして将軍格までのし上がれたのは、馬術が堪能であることと闘技場での無敗の伝説があるからだった。闘技場というのは、騎士たちが腕を競う試合の場だった。リターはその場で負けたことがないらしい。あんなに穏やかなのに、驚きのギャップである。いまだにフィリップの腰巾着とやっかみを受けることはあるが、そう言った声を、彼は実力でねじ伏せてきた。
彼は私の印象通りの男だった。なんたる武勇か。まるでお伽話の勇者のようではないか。余計彼のことが好きになった。
「それだけ有能なら、女の陰の一つや二つあったんでしょうね」
もはや子供相手だからと言って、遠慮はしなかった。クライネは歳の割にませた口の聞き方をするので、つい相手が子供であることを忘れてしまう。
「それがね」
クライネが声を潜めて顔を近づけてきた。自然と私もクライネに顔を近づける。おでこがぶつかりそうな距離で、クライネは周りを警戒しながら言った。
「浮いた話はひとつもないの。男色なんじゃないかって噂があるほどよ」
女との浮いた話がないのは嬉しかったが、男色というのは、ただの噂とはいえショックだった。もし、本当に彼が女性に興味がないとしたらどうしよう。
思いついたことがあって、ハッとした顔をした。それを見て、クライネがニヤリと笑った。
「フィリップと恋仲だったらどうしようって思ったでしょ」
その通りだった。彼女の勘の鋭さには脱帽する。
「みんな、そう噂してるわ。彼らは肯定も否定もしないし、それで気まずくなったりもしていないみたい。さすがよね」
何が流石なのかはわからないが、彼ららしいなと思った。
「今までも、長期間に亘って城を空けるような任務はあったの?」
「よくあるわよ。むしろ、貴方が今までこんなにフィリップに会えていたのは珍しいのよ」
それは驚きだった。どうして彼は頻繁に顔を見せにきていたのだろう。私のような平民が頻繁に訪ねて来るから、クライネが心配になったに違いない。まったく、失礼な男だ。
私はそっとポケットのある辺りを触った。フィリップに会えたら、傷薬を渡そうと思って、持ってきていたのだ。バカな私は、彼がこの国にいないということも知らずに、今日こそは渡せるかなと思って毎回持ってきていた。この間、悪いことを言ったお詫びのつもりだった。彼が無事に帰ってきたら渡そう。
「いつ帰ってくるの?」
フィリップのことを尋ねたつもりだったが、彼女は私がリターのことを尋ねたと思ったようだった。
「どうかしら。騎士団は向こうで合同訓練をしたり、別の任務に行ったりするから、年内に戻ってきたら良い方かもね」
クライネが気の毒そうに言う。
「騎士って大変なのね」
「そうね。騎士だからね」
言われて、騎士のことを何も知らないなと思った。いつもここで顔を合わせるから、お気楽な仕事なんだと勝手に思っていた。なんと失礼なことか。
「一度なんて、死にそうになって帰ってきたことがあったのよ」
クライネが大きく目を見開いた。リターが死にそうになっている様を想像ができない。だから、フィリップが死にかけている様を想像した。
よほど顔を顰めていたのだろう。クライネが笑った。
「ずいぶん激しい戦闘があったらしいの。何人も死んだらしいけど、幸いリターは生きて帰ってきたわね。あんな頑丈な男でも、やられるときはやられるのね」
クライネが自分の体を抱きしめるようにして身震いした。
「男って大変ね」
「そうね。女も大変だけど」
クライネが城を見上げる。そうだ。彼女は彼女で、城の中で肩身の狭い思いをしているのだ。それに、フィリップがいない今、あの意地悪な三人娘や他の人にも嫌がらせを受けているのだろう。そんなことおくびにも出さないところに感心していた。
それなのに、自分だけなんとなく薬師の真似事のようなことをして、日々をやり過ごしていることに焦りを覚えてきた。
傷だらけになったフィリップとリターを想像する。今のままではいけない気がした。
「ねえ、クライネ。しばらく、来る頻度を少なくしても良い?」
「え、やだやだ」
クライネは駄々をこねるように体を捻った。
「私、やりたいことがあるの」
クライネをまっすぐ見る。それでも、彼女は嫌々と言った。
「ごめんね」




