10
フレンダンの言っていた奴隷の話を、訊いてみたかった。ゴシップのためじゃない。そんなことがこの国でまかり通っていることはないと、否定して欲しかった。もし、本当にそんなことがあるならば、リターはまだしもフィリップは知っているに違いない。そんなことを許しているこの国を、許せないだろう。
しかし、この雰囲気の中で奴隷のことを聞くなんてことはできなかった。楽しい空気を壊したくなかったし、クライネには聞かせたくなかった。
本当はリターとたくさん話したかったが、私が人見知りしてしまったことと、リターと話そうとするたびに、クライネが話題をさらってしまうためにほとんど話はできなかった。いつものことらしく、リターは笑顔でクライネの話を聞いていた。フィリップは孫を眺める祖父のような顔をしていた。しかし、ふとした瞬間に、私に冷ややかな視線を送ってくる。彼が何を考えているのか、さっぱりわからなかった。
クライネが私の手を引いて、立ち上がった。花籠から出て、他の花壇を見せてくれるらしい。
「遠くへ行くなよ」
フィリップが言った。
「子供扱いしないで」
クライネが舌を出す。
「はしたないのはやめろ」とフィリップが言い、リターはそれを見て笑った。
私はクライネに手を引かれ、花のアーチをくぐった。さすが連合国で二番目に大きい国の城である。見事な花壇がいくつも連なっており、それは終わりがないように思えた。クライネは、城の前庭には行きたがらなかった。前庭には人が多く行き来しており、あの意地悪な三姉妹の姿もあった。彼女に許されているのは、誰の目にも触れない花壇の中だけなのだ。そう考えれば、誰も来ないこの綺麗な花壇は、彼女を閉じ込めるために作られたものなのかもしれない。
「ねえ」
いくら歩いても歩き疲れる素振りを見せない彼女が、唐突に足を止めた。
「なあに」
私は疲れてしまって、その場にへたりこみそうだった。そろそろフィリップたちの待つ場所に戻りたいなと思い始めていた。
「私の正体、きっとフィリップから聞いているわよね」
ドキリとした。
「良いのよ。気を遣わないで。別に、だからどうしようというわけじゃないから」
彼女の表情が、少し変わって見えた。
「私、王位継承権はないの。当たり前よね、王族の血筋でもなければ、正妻の子ですらないんだから」
「でも、そんなの貴方の人格には関係ないでしょう?」
なんと言って良いかわからなくて、当たり障りのない答えをしてしまった。
クライネが首を振った。
「ここではあるの。ううん、むしろ、私がどういう血統か、それだけが価値なの」
彼女は一体何が言いたいのだろう。
「でもね」
彼女は後ろ手を組んで、一歩私に近づいた。無意識に私は彼女の口元へ耳を寄せていた。不思議とそうしなければならないような気がしたのだ。
「フィリップ王子も王女も王族もみんなが死ねば、きっと私にも王位継承権は回ってくるのよ」
囁くように言った。
急に、背筋に寒気を感じた。
「今日はありがとう」
フィリップとリターとクライネが門まで見送りに来てくれた。それに、また馬車を用意してくれていた。平民であるこの私を、王族が見送るなんて、ここが人生のピークであるように思えた。
しかし、私の心は浮かなかった。先ほどのクライネの言葉の意図を図りあぐねているからである。
「こちらこそ、お招きありがとう」
「また来てください」
リターが私に向かって手を差し出した。私よりもずっと大きな手で、握手すると毛布に包まれるような安心感を覚えた。
私たちがそこで挨拶を交わしている間、門番がずっと敬礼をしていた。これで、私の顔を覚えただろうか。
「絶対にまた来てね」
クライネが私の手を握って言った。
「もちろん。約束」
馬車に乗った後、私は何度も振り返った。クライネは、私の姿が見えなくなるまで、腕がちぎれそうなほど強く手を振っていた。
彼らの姿が見えなくなると、私はやっと呼吸ができたような気がした。思ったよりも緊張していたようだ。
クライネが不穏な言葉を私に囁いた後、すぐに花籠のピクニック拠点まで戻った。それ以上は、彼女は何も言わなかった。彼女はただの可哀想な子供ではないようだ。さすが、王の血を引くだけあって、ただではやられないということなのだろうか。好意的に考えればそうなる。本当に、フィリップを殺そうというわけではないだろう。少なくとも、今のところは彼女はフィリップに懐いているし、フィリップもクライネを可愛がっている。
難しいことを考えるのは、もうやめよう。頭が痛くなってきた。それよりも、リターは、私に興味がなさそうだということの方が問題だった。彼が私に一目惚れなんてするはずがないというのはわかっていたが、まったく女扱いされないのは悲しかった。そういう初心なところも可愛いと思うが。これから、どうやって彼にアプローチしていこうか。
これから、というのがあればの話だがーー。
家に到着すると、私は馬車を降りて御者に礼を言った。普段、馬車に乗ることなどほとんどないので、尻が痛い。
馬車から家の玄関までの短い距離で、フレンダンにはなんと報告しようかと考えた。きっと、明日には私のところへ感想を聞きに来るに違いない。
考えることがたくさんあって、どんどん頭が痛くなってくる。
「あれ? ブルーメン?」
フレンダンが家の前で待っていた。生垣の陰から、私を驚かすために飛び出してきたので、驚いて声を上げてしまった。彼女は私の驚いた顔が面白いらしく、腹を抱えて笑った。
「やめてよぉ。フレンダン」
明日にはと思っていたが、もう来た。そうだ、彼女はそういう子だった。
「気になっちゃって」
はにかんだように笑う。少しも悪びれていないところが彼女らしい。
すでに日は落ちていた。今からどこかへ行くのも億劫なので、私の部屋で話をすることにした。それに、この間襲われたことを思うと、暗くなってから外にいたくなかった。
私はクライネのことを省いて彼女に伝えた。ただ、今日のほとんどはクライネとの思い出なので、それを省くとほとんど説明することはなかった。だから、私がリターの顔をちゃんと見られなかった、というようなことしかトピックスがなかったのである。
フレンダンは呆れたように天を仰いだ。
「駄目よ。女だからって遠慮しちゃ。相手は遥か雲の上の存在なんだから、こっちからガツガツ行かないと」
フレンダンは拳を私の胸に軽く当てた。
遥か雲の上の存在ーー改めて言われてると、本当に、彼らとプライベートな時間を過ごせるということがどんなに凄いことなのか思い知らされる。言わずもがな、フィリップは王子だし、リターも王国騎士である。それも、フィリップ王子にかなり近いに違いない。二人はとても親しげだった。
「王子直属の部隊ってことね。それなら、貴族っていう線もあるんじゃない」
フレンダンに言われて、確かにリターの立ち居振る舞いは洗練されたものであったことを思い出す。
「玉の輿狙えるわよ」
フレンダンが私を小突く。
「でも、出征するたびに心配しちゃうでしょ」
もう結婚した気でいるところが、私たちの図々しいところである。
「その間、羽を伸ばせて良いじゃない。それに、もうずっと大きな戦争なんて起きてないじゃない。それに、ここ数年で騎士が任務で命を落としたことはほとんどないらしいわよ」
たった数時間で、よく調べている。さすがフレンダンである。
私たちは教科書でしか戦争を知らない。軍事国家とは言え、今、戦争の危惧や憂いを持つ人間はいない。もうずっと以前に、この大陸は統一されたのだ。それこそおとぎ話になるくらい昔に。このグロスアルティッヒ連合国は強大であるという自負が、誰の胸にもあるのだ。
とはいえ、全くないというわけではない。大陸の外からの侵略があるというのは事実であるが、我々庶民にはほとんど知らされていない。とはいえ、如何に我々庶民が無知なる子羊だとしても、薄々勘付いている。それに、大陸の各地でも小競り合いがあるのは知っていた。この大陸には、人間が植民する以前から凶暴な動物が確認されている。それらは、商人の馬車や旅行者をたびたび襲った。そのために、騎士たちには護衛の任務もある。民間人が護衛を雇うときは、王国騎士ではなく傭兵がその任を担っていた。
そう言った任務で、稀に死人が出ることがあった。フレンダンは死者はほとんどいないと言っていたが、ほとんどということは少しはいるということである。特に、騎士に比べて傭兵はよく命を落としていた。だから、ならず者のような傭兵崩れが大きな顔で闊歩していられるのだ。
動物たちは人間よりも大きく俊敏で、獰猛だった。だから、リターが戦いに行くことがあれば、きっと私は心配で眠れなくなってしまう。
そんなことを考えている間、フレンダンはずっと喋っていた。いつも通り、私は適当に相槌を打った。フレンダンは満足そうな顔をしていた。きっと、明日になれば、私は王国騎士と付き合っていることになっているだろう。来週になれば、結婚していることになっているに違いない。
それよりもーー私は思い出していた。クライネの呟いた言葉を。
その日、私は夢を見た。
このスパニエンで戦争が起こる夢だ。
そこで私は見た。
フィリップの死に顔を。
リターの死に顔を。
その中心で笑いながら踊り狂うクライネを。
私は血の海の中で、それをただ眺めていた。




