37.大騒動の後始末
無数の叫び声、歓喜の叫び声が、草原に響き渡る。色とりどりの兵士たちは、互いに手を取り合い喜び合っていた。
「ああ、安心したところに悪いのだが」
司令官たるバティストが、遠慮がちにそう言った。とたん、辺りに満ちていた歓声がぴたりと止む。
「この場の後始末と、一時中断していた通常業務、あとはこの竜についての調査……は、もう始まっていたか」
バティストの視線の先には、ゆっくりと溶け始めている竜の死骸と、その前に少しでも情報を集めようとやっきになっている漆黒の隊員たちの姿があった。
「ともかく、休む前に片付けることは山ほどあるからな……久しぶりに、徹夜になりそうだ」
そうぼやきながらも、バティストの声はとても明るかった。自然と、兵士たちの間からくすくすという笑いがもれる。
「それじゃあ、俺たちみんなでちゃっちゃと片付けようぜ! というか、俺も早く終わらせてゆっくり寝たい。昨日、雪山で野宿だったんだよ」
ひときわ軽やかに、アルフが言い放つ。周囲のくすくす笑いが、楽しげな笑いに変わった。それを聞きながら、セラフィナも幸せそうな笑みを浮かべていた。
「でも、セラフィナと二人で遭難したんだし、別に辛くはなかっただろう、あんたのことだから」
ぼそりとカミーユがつぶやいた言葉を聞いていたのは、幸いなことに隣のヴァレリーだけだった。
それから辺境軍の者たちは、総出でこの騒ぎの後始末に取りかかった。大量の魔物を相手にしたこともあってみなすっかり疲れ果てていたが、それでもどうにか、日付が変わる前には大体の作業を終えることができた。
一部の見張りを残して、本部は眠りについていた。セラフィナはアルフと共に、静まり返った本部の廊下を歩いていた。
「昨日出撃して、雪山で一夜を明かして、そしてこの大立ち回りか……ほんと、お疲れ様」
「それを言うなら、アルフもですわ。この二日の間に、あなたに何度命を救われたことか」
そんなことを言い合って、二人は同時に笑う。顔には疲労の色が濃く浮き出ていたが、目は楽しそうに輝いていた。
「……君がいてくれて、助かったよ。あの竜の小さなうろこを狙うのは、俺にはちょっと難しかったからさ。俺、おおざっぱだし」
「そんなことを言っていますけれど、案外やればできるのではないかしら?」
「かもしれない。でもあの状況において、竜を討つのは君のほうが適任だ。俺はそう思ったんだ」
「辺境軍最強の方にそう言ってもらえるなんて、光栄ですわね」
「正直、君もじきに俺に追いつくんじゃないかなって気がしてる。そうしたらさ、俺たち『辺境軍の双璧』とか呼ばれそうだと思わない?」
「そうなったら素敵ですわね。ふふ、もっと頑張らなくては」
「楽しみにしてるよ。でも、無理は禁物だからね」
穏やかな会話が、ふと途切れる。二人は微笑んだまま、じっと見つめ合っていた。いつの間にか、二人はセラフィナの部屋の前にたどり着いていた。
「……困ったな。もう君におやすみを言わないといけないのに」
アルフがそっと、セラフィナの栗色の髪に触れた。
「もうくたくたなのに、眠くてたまらないのに、君と離れたくない」
セラフィナが愛おしそうに、アルフの手に自分の手を重ねる。
「わたくしも、ですわ。あの雪山が、懐かしい」
「……この騒ぎが全部落ち着いたら、またあんな風に、二人きりで過ごしたいな。君は、どう?」
「ええ、わたくしも同じ思いですわ」
その返事を聞いて、アルフはとろけるような笑みを浮かべる。それから、手にしていたセラフィナの髪の一房に、そっと唇を落とした。
「今日はこれで引き下がるよ。続きはまた今度。それじゃあ、おやすみ」
「ええ、おやすみなさい……」
去っていくアルフを見送るセラフィナの耳は、それはもう見事に真っ赤になっていた。
その数日後、セラフィナはアルフと共に、改めてバティストの元を訪れていた。といっても、雪山での出来事は全て報告済みだった。この日二人は、バティストの話を聞きに来たのだ。
司令官室に顔を出した二人を、難しい顔をしたバティストが出迎えた。
「ああ、来たか。それでは、さっさと話してしまおう。ただ、ここで話した内容については、口外無用で頼む」
そう前置きをして、バティストは説明を始めた。マリオンと、リシャールについて。
マリオンは、あの雪山ですぐに捕らえられた。今は、この本部から少し離れた別の町の牢屋に移されている。
彼女は魔石を盗み、それをもって強大な魔物を呼びよせた。今の彼女は一応、辺境軍の一員だ。だから、罪が確定するまでは本部の牢に入れておくことになるはずだった。
しかしマリオンは、セラフィナに並々ならぬ執着を抱いているようだった。彼女をセラフィナの近くで、しかもたくさんの魔石が保存されている本部に置いておくのは危険だ。
他人をたらしこむことに長けているマリオンが、何らかの形でまたセラフィナにちょっかいをかけないとも限らない。たとえ、牢に入れられたままであっても。
しかし、あの竜について研究するにあたって、どうしてもマリオンからの聞き込みが必要になる。
だから今は、彼女をあまり遠くにやってしまう訳にもいかない。そういったことを考え合わせたのだと、バティストはそう説明した。
もっとも、取り調べが済めば彼女にはしかるべき罰が与えられる。おそらくは、遥か遠方への追放になるだろう。何があろうと、この本部と最果ての町に彼女が立ち入ることはない。バティストはそうも言った。
実のところバティストは「セラフィナ様が生きてたなんて、本当にすごいですね。やっぱりセラフィナ様は、あたしの運命の人なのかも。また会いにいきますから、どうかセラフィナ様にそう伝えてくださいね」というおかしな、それでいて恐ろしい伝言をマリオンから受け取っていたのだが、それについては黙っておくことにしたのだ。セラフィナが不安にならないように。
「そして、リシャール様なのだが……」
捕らえられたマリオンの供述を聞いて、彼はマリオンの心が自分のもとにないことを知った。マリオンはどうにかしてセラフィナに近づくためだけに、自分を利用したのだと。
その時の呆然としたリシャールの顔を、バティストは今でもありありと思い出せた。
「実は少し前に、陛下からリシャール様あてに書状が届いていた。辺境軍を離れ、すみやかに王宮に戻るようにと。もし戻らなければ、相応の処分を下す、とのことだ」
王はこう断言していた。今すぐに王宮に戻ってこなければ、お前を次の王の座、王太子の地位から外す、と。
「しかしリシャール様は、マリオンが捕らえられている町へ留まることを選ばれた」
その言葉に、セラフィナとアルフが同時に目を丸くする。
「へ? だってマリオンは、あいつを愛してないって言ったんだよな? だったらリシャールは失恋した訳だし、なんでそこに残るんだ?」
首をかしげながら、アルフがそんな疑問を口にした。少し癖のある黒髪が、ぴょこぴょこと揺れている。
「……自分のことを愛していないと知ってもなお、リシャール様はマリオンへの思いを断ち切れないのだそうだ。このままでは王太子の地位を失うと分かっていても」
バティストの返答に、セラフィナは悲しげに目を伏せた。
「それでは、リシャール様はすべてなくされてしまったのですね……次の王としての地位も、マリオンの愛も」
セラフィナの脳裏には、リシャールのことを愛しているのではないかと尋ねた時の、マリオンの表情がよみがえっていた。興味ないです、とそれはあっけらかんと言い放った彼女の、無邪気な笑顔が。
アルフは複雑な顔をして、頭をかいていた。苦々しさと気まずさが入り混じったような、そんな表情だ。
「あいつはセラフィナを裏切ったんだし、いい気味だ……と言いたいところではあるんだけどな」
セラフィナとバティストに聞こえるか聞こえないかの声で、アルフはつぶやく。
「……ちょっぴり、同情する」
それから三人はさらにあれこれと話し合って、やがてセラフィナとアルフは司令官室を後にした。
「……これで君は、自由になったんだね」
人気のない廊下に差しかかったところで、アルフがぽつりとつぶやいた。
「君は、あの王子様たちから逃げるようにして、ここにやってきた。それなのに、あの二人はここまで追いかけてきた。でももう、あの二人が君にちょっかいをかけることはない」
アルフがセラフィナの肩に、そっと手を置く。
「正直、リシャール様を自分の手で叩き出してやりたかったなと思わなくはない。マリオンがあんなことをしてしまったことについて、思うところもある。でもさ」
そのまま彼は、セラフィナの頭にこつんと額を寄せた。
「これでやっと、君が苦しまなくて済むんだな、やっと幸せになれるんだなって思ったら、嬉しくなっちゃってさ」
「……ありがとう、アルフ」
セラフィナがアルフに向き直る。彼女の明るい栗色の髪が、さらりと華やかに揺れて広がった。
「でもわたくしは、ずっと幸せでしたわ。あなたが魔物の群れから助けてくれた、あの日からずっと」
「そっか」
ひときわ嬉しそうに笑い、アルフはぎゅっとセラフィナを抱きしめる。セラフィナの手がそろそろと上がり、アルフの背に回された。
そのまま二人は、ぴったりと寄り添っていた。廊下の曲がり角のところで、通りすがりの人間たちがこそこそとのぞき見していることに、気づくことなく。




