34.破滅の夢を希望の夢へ
セラフィナは、穏やかなまどろみの中にいた。温かく心地良い安らぎに、彼女はただ身をゆだねていた。
「セラフィナ、セラフィナ」
誰かが彼女を呼んでいる。彼女をそっと、揺すっている。声の主を確かめるように、彼女は目を開けた。
「……アルフ……?」
心配そうな顔のアルフが、彼女をのぞき込んでいた。セラフィナに見えるのは、彼の姿と一面の岩肌だけだった。
「そう、俺。良かった、やっと目覚めた」
「やっと……? あの、いったいここは……」
「崖の途中にある横穴の、一番奥さ。平たく言えば洞窟だね。風をしのげるところがあって助かったよ」
いつもと変わらない軽妙な口調で、アルフは苦笑する。その時ようやく、セラフィナは思い出した。勢い良く飛び起きて、きょろきょろと辺りを見渡す。
「……そうだわ、崖! わたくし、崖の上から落ちて……あの、どうしてあなたがここに?」
「俺? 君を追いかけて、崖から飛び降りた。君が危ないって思ったら、勝手に体が動いてた」
あっけらかんと、アルフは答える。セラフィナが絶句していると、彼はさらにとんでもないことをさらりと言った。
「気を失った君を空中でつかまえて、魔法を駆使して岩壁のでっぱりにしがみついたんだよ。長いことこうしているのは厳しいなって思ってたら、ちょうどこの横穴を見つけてさ」
「あ、ありがとう……あなたがいなかったら、わたくし、死んでいたわね」
セラフィナは恐縮しながら頭を下げる。自分が二人分のマントを寝具代わりに横たわっていたことに気づき、さらに恥ずかしげに縮こまった。
「どういたしまして。……お礼を言いたいのは、俺のほうだけどね。無事でいてくれてありがとうって」
金色の目を優しく細めて、ひときわ穏やかにアルフが微笑む。思わず見とれたセラフィナの頬が、ゆっくりと熱を帯びる。
「と、ところで、どうにかしてみなのところに戻りませんか?」
その言葉に、アルフはそっと目をそらす。
「それが、ちょっと難しそうなんだよね。結構な距離を落ちちゃったから、上るのは難しいし。ここ、相当深い谷みたいで、底もよく見えないんだ」
彼の目線の先には、通路のようなものが見えていた。おそらくその先が、洞窟の出口なのだろう。
「というか、それ以前に外は猛吹雪なんだよね。今うかつに動いたら危ないから、晴れるまで待とう」
「……そう、ですか……本当に、わたくしのせいでごめんなさい……みんなは、大丈夫でしょうか」
しゅんとしてしまったセラフィナに、アルフは一転して明るく笑いかける。
「心配しないで。副隊長がみんなをまとめて撤退してるはずだから。あいつはそこんとこ、しっかりしてるし。君も知ってるだろ?」
副隊長はアルフとは真逆の、真面目そのものの男性だ。いついかなる時も冷静沈着で、いざというときはアルフの代理を務めている。
当然ながらセラフィナもそれを知っていたので、穏やかに微笑んでうなずいた。
「だから俺たちはひとまず休んで、いざという時に備えよう。明日の昼になれば晴れるって、漆黒の隊がそう予測してたし、そう長く待つこともないさ」
そう言ってアルフは、岩壁にもたれかかるようにして腰を下ろした。マントも敷物もない、ごく普通の制服姿で。
「アルフ、あなたのマントを返しますわ。その格好では、いくらなんでも寒すぎますもの」
「いいよ、二枚とも君が使って。俺、雪山で野宿する羽目になったの、これが初めてじゃないし。しかも前の時は、洞窟なんてなかったしね。吹きっさらしの中、一晩耐え続けて……あれに比べたら、ここなんて天国だよ」
さわやかにそう言って、アルフは小声で付け加えた。それに君と二人きりだしね、と。
「そうは言っても……」
まだ納得していない様子のセラフィナを、アルフはわずかに上目遣いで見つめる。
「それにさ、君はこういうところで休むの、初めてだと思うけど……違ったかな?」
「……ええ、その通りですわ。でも……これだと、あなたが冷えてしまいます」
不服そうに唇をとがらせていたセラフィナが、ふと顔を上げた。二枚のマントを手に、アルフのところに歩いていく。
彼の隣に腰を下ろして、マントをふわりと肩にかけた。ちょうど、二人をまとめて包み込むようなかっこうだ。
「その、こうしていれば、二人とも暖かく過ごせますわ……」
明後日のほうを見ながら、セラフィナがごにょごにょとつぶやく。その顔は、見事なまでに真っ赤だった。
「そうだね。……今は緊急事態だし、なりふり構っていられないか」
アルフはとても穏やかな、優しい声でつぶやいた。と、彼は腕を伸ばし、セラフィナを抱きしめてしまった。腕の中に、すっぽりと包み込むように。
「あ、あの、暖かいですけど、これはちょっとどうかと思いますわ」
「誰も見てないし、それに……君に触れてるとあったかくて幸せだ」
「この状況では、少々不謹慎ではないかしら」
「いいんだよ。俺たちは二人とも凍えることなく、生きて戻る義務があるんだ。それには、こうするのが一番さ」
自信たっぷりにさとされて、セラフィナは黙り込む。一応彼をたしなめてはいたけれど、彼女もこうしているのが嫌ではなかったのだ。それどころか、こうしてアルフと触れていると、嬉しさがこみ上げてきて仕方がなかったのだ。
「そ、そうですわね……これは、必要なことですもの」
そう自分に言い訳しながら、セラフィナはアルフの胸にもたれかかる。とても柔らかな微笑みを浮かべて、彼女は目を閉じた。アルフの穏やかな呼吸を、体で感じながら。
やがて、セラフィナは夢を見た。現実と勘違いしてしまいそうな、そんな夢だった。
目の前一面に、雲一つなく晴れ渡った青空が広がっている。視界の端に、崖が見えた。その中腹には、洞窟の入り口がぽっかりと口を開けている。
そこから、アルフが身を乗り出していた。必死に手を差し伸べて、懸命に叫んでいる。
どうやら、自分はまたしても崖から落ちてしまったらしい。アルフの姿が、どんどん小さくなっていく。彼は自分の名前を呼んでいるようだったが、その声はもう悲鳴のようになっていた。
きっと自分は、このまま落ちて死ぬのだろう。けれどセラフィナは、絶望してはいなかった。
これは夢だと、彼女には分かっていたから。そして、彼女はアルフに教えられたから。絶望と破滅を示す夢であっても、そこから希望をつかみ取ることはできるのだと。
だから彼女は青紫の目を見開いて、辺りを見渡した。目覚めた時、役に立つ情報を少しでも見つけるために。
せわしなく宙をさまよっていたセラフィナの目が、一点を見すえて止まる。明るい栗色の髪をなびかせて落ちていきながら、彼女はにっこりと笑った。そのまま、意識が真っ暗闇に飲み込まれていく。
「……見つけましたわ」
そうして目を覚ました彼女は、元通り洞窟の中にいた。そのことに安堵しながら、彼女は首だけを動かして洞窟の外に目をやる。
なおも外は吹雪いているが、勢いはかなり弱くなっていた。まだ、あの夢が示す時刻までは間があるらしい。
セラフィナがほっとため息をもらすと、彼女を抱きしめたままのアルフが身じろぎした。どうやら彼も、眠っていたらしい。閉じていた目が、ゆっくりと開かれる。
とろんとした金色の目を細め、アルフは嬉しそうに微笑む。少しだけ寝ぼけた声で、彼は言った。
「おはよう、セラフィナ」
「ええ、おはようございます、アルフ」
とびきりの笑顔で彼にこたえ、セラフィナは言葉を続ける。
「……また夢を見ましたわ。破滅を告げる、そんな夢を」
厳かに、しかし力強い目で、セラフィナはまっすぐにアルフを見つめた。
「わたくし、あの夢を希望の夢に変えたいと思っていますの。どうか、力を貸してください」
「ああ、もちろんさ。俺の愛しい姫君」
青紫と金の目が、真正面から向かい合う。どちらの目も、きらきらと輝いていた。




