表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
33/38

33.手に入らないのなら

 面談室を出たマリオンは、軽やかな足取りで本部の中を歩いていた。さっきまでの暗い顔が嘘のように、すれ違う者たちに可愛らしい笑みを振りまいている。


 やがて彼女は、一人の青年に目をつけた。黒い制服をまとった、見るからに気の弱そうな青年だ。


 ひょろりとした体つきをしたその男性は、何冊もの書物と、色々なことがびっしりと書き込まれた紙の束を大切そうに抱えていた。分厚い眼鏡の下の目は、遠慮がちに伏せられている。


 おそらく彼は、普段は研究室にこもりきりなのだろう。そう見て取ったマリオンが、こっそりと獰猛な笑みを浮かべる。それからまた、輝くような笑みを浮かべて青年に近づいていった。


「ねっ、よかったらあたしとお喋りしない? あたし、あなたのお話が聞きたいなあ」


 中身はともかく見た目はたいそう愛らしいマリオンの笑顔に、青年はころっと参ってしまった。彼は頬を赤らめて、恥じらいながらうなずく。


「やった! だったらもひとつ、おねだりしてもいい? あたし、漆黒の隊の研究室が、ずっと気になってたんだ。ちょっとだけ、見てみたいなあ。えへへ、駄目かな?」


 ごく自然な動きで、マリオンが青年の腕にしがみつく。青年は戸惑いつつも、嬉しそうに笑った。




 それからしばらくして、マリオンは青年に見送られながら研究室を後にしていた。彼女の制服のポケットがほんの少しだけふくらんでいたことに、青年が気づくことはなかった。


 小さく鼻歌を歌いながら、マリオンは歩く。やがて目当ての人物を見つけたらしく、跳ねるような足取りで駆け出した。


「あっ、リシャール様、見つけましたあ!」


 先日アルフと言い争いになってから、リシャールは落ち込んでいた。それこそ、どん底まで。


 あの時は勢い任せに言い返したが、アルフの言うことにも一理あったのかもしれないと、リシャールはそう考えるようになっていたのだ。


 そして同時に、嫌いなアルフの言葉に納得してしまったという事実に腹を立ててもいた。そんなこんなで、彼はたいそう複雑な気分で、ここ数日を過ごしていたのだ。


 しかしそんな彼の機嫌も、最愛のマリオンが満面の笑みを浮かべて駆け寄ってきたことですっかり直ってしまっていた。彼は整った顔にさわやかな笑みを浮かべ、マリオンに歩み寄る。


「ああマリオン、どこへ行っていたのだ? 君の姿が見えないから、探したぞ」


「えへ、ごめんなさい。ちょっとお散歩してましたあ。それで、リシャール様にお願いがあるんですけど……」


 軽く前かがみになって、マリオンは上目遣いでリシャールを見上げる。赤みの金髪がふわりと揺れて、甘い香りがリシャールの鼻をくすぐる。


「君がわざわざ願い出てくるとは、きっと重要なことなのだろう。よし、言ってみてくれ」


「はい、とおっても大切なことなんですよ」


 マリオンの目が一瞬だけぎらりと光ったことに、リシャールは気づく。しかし彼は、そのことをあまり深く考えはしなかった。傷心の自分を唯一なぐさめてくれる彼女に、笑いかけるのに忙しかったから。






 そんなやりとりがあってから一週間ほど経ったある日、セラフィナたち紅蓮の一番隊は、『向こう側』の奥地にそびえる雪山を歩いていた。辺りにはちらちらと雪が舞っていて、空にはどんよりと鈍く重い雲が立ち込めていた。


「なんで、こんなことになっちゃったかなあ」


 先頭を行くアルフは、がっくりと肩を落としてうなだれている。他の隊員たちも、多かれ少なかれ似たような態度だった。


「……ごめんなさい、元はといえばわたくしのせいですわね」


「君は悪くないよ、気にしないで」


「ありがとう、アルフ……」


 そうやってひそひそ話をする二人を、鋭い目でにらんでいる者がいた。この状況を作り出した張本人であるマリオンだ。


 彼女の横にはリシャールもいるが、こちらはマリオンを守るのだと大いに張り切っていて、セラフィナたちのほうはほとんど見ていなかった。というより、意識して見ないようにしていた。


 赤い制服の一団に、橙の制服と青の制服が一人ずつ混ざっている。それは中々に珍しいことではあった。


 橙の制服は、防壁周辺の守りを担う陽光の隊。青の制服は、負傷者の治療を担当する青海の隊。これらの隊は、めったなことでは防壁や本部のそばを離れない。常に最前線に立っている紅蓮の隊とは、根本的に働く場所が違うのだ。


「えへへ、せっかく辺境軍に入ったんだから、こっちのほうまで来てみたいなって、ずっとそう思ってたんですう。あたしのお願いきいてくれて、ありがとうございましたあ」


 マリオンがわざとらしいほど明るく笑う。隣のリシャールが、誇らしげに鼻で笑った。


 二人がこうしているのは、マリオンにねだられたリシャールが、司令官であるバティストにかけあったからだった。


 王子として、魔物と人間の戦いの最前線である『向こう側』の奥地を見ておきたい。自分の身と、それにマリオンの身くらいは守れる。どうか、紅蓮の隊に同行させて欲しい。リシャールはそう主張したのだ。


 以前は紅蓮の一番隊隊長を務めたバティストは、リシャールが自分の力量を過大評価していることを見抜いていた。だからこそバティストは、リシャールを防壁から離れない陽光の隊に配属したのだ。それが、まさかこんなことを言い出すとは。


 王子には、できる限り安全なところにいてもらいたい。しかし、彼のたっての願いを、すげなく断ってしまうのも得策ではない。


 バティストにはひとつ、リシャールに対して引け目があった。辺境軍中に吹き荒れているリシャールについての噂の数々を、肯定も否定もせずに放置していることだ。その結果、リシャールが白い目で見られていることを知っていながら。


 もっともそれには、一応きちんとした理由があった。この辺境軍の者たちは、自分たちの力で国を守っているという思いが強い。そのせいなのか、彼らは権力をもって上から押さえつけられるのをひどく嫌う。


 司令官であるバティストがうかつなことをすれば彼らの反感を買う恐れがあったし、さらに噂がひどくなる可能性も高かった。


 だからひたすらに、噂が自然と収まるのを待つ。それが最善の策だと、バティストはそう判断したのだ。


 そんな引け目から、バティストはリシャールの願いを聞き届けることにした。ただし、アルフにこっそりと、「あの王子様をしっかりと守ってくれ」と告げた上で。


 さらにバティストは前もって、純白の隊にしっかりと調査をさせた。しばらくの間魔物が出そうにない、比較的安全な領域を見定めるために。


 そうして今、紅蓮の一番隊の面々に囲まれて、リシャールはマリオンと共に雪山を歩いているのだった。


「うわあ、どこもかしこも真っ白ですねえ。この季節にこんなに寒いなんて、びっくりです」


 白い息を吐きながら、マリオンがとことこと崖のほうに進み出る。彼女は制服と同じ青色のマントの前をしっかりと合わせていた。薄手のこのマントには魔法がかけられていて、驚くほど暖かいのだ。


「崖に近づくと危ないぞ、マリオン」


「彼女は私たちが連れ戻します。リシャール様はここでお待ちください」


 心配そうに進み出るリシャールを、赤い制服の隊員が止める。


「だいじょうぶですよお、落っこちたりしませんもん。……んー、あれ、何かな?」


 楽しげにうろうろしていたマリオンが、ふと崖のほうを見つめて立ち止まる。


「どうしたの、マリオン」


 さすがに心配になって、セラフィナがマリオンに近づいていく。彼女のそばに並び、同じほうに目をやる。


「……何も見えないけれど、あなたは何を見たのかしら?」


「あっち、あっちです。ほら、あそこの」


 マリオンが谷の向こうの山を指さしたその時、すさまじい雄たけびが響き渡った。


 紅蓮の一番隊の面々が、リシャールを守るように陣形を組んで身構える。すぐに、ずしん、ずしんという地響きが聞こえてきた。


 そうして姿を現したものを目にして、紅蓮の隊員たちはみな呆然とした。


「……おい、何だあれは!? あんなの知らないぞ!?」


「竜……にしか見えないが……たぶんあれも魔物……だよな?」


「純白の連中、何やってんだよ! こんなでかぶつの気配見逃すとかさあ!」


 それは、周囲の木々よりもさらに大きな、灰色の竜だった。手練れの彼らであっても、ここまで大きな、恐ろしげな魔物に出くわしたことはなかった。混乱する彼らを、アルフが叱り飛ばす。


「落ち着けよ、お前ら。何が出ようとぶちのめす、それが俺たちだろう?」


 その言葉に、乱れかけていた隊列がすぐに整う。セラフィナはマントごしにマリオンの腕をつかみ、リシャールの隣に引き戻そうとしていた。現状で一番安全なのは、そこだからだ。


 しかしマリオンはうっすらと笑ったまま動かない。セラフィナがさらに強く腕を引くと、マントの前が開いてマリオンの手元があらわになった。


 マリオンの小さな手のひらの上には、粉々に砕かれた魔石が乗っていた。リシャール以外の全員が、さっと顔色を変える。


「魔石の粉をくすねられたら一番だったんですけど、厳重にしまわれてて、手の出しようがなかったんですよね。手に入ったのは、魔石がいっこだけでした」


 場違いに明るい声で、マリオンが言う。思いもかけない告白に、みな動きを止めて彼女を見た。


「思いっきり魔力を叩き込んだら壊せるって聞いてたんですけど、中々壊れなくてあせっちゃいました。あたし、どうしても魔物を呼びたかったんです。それも、うんと強いのを。ここまでうまくいくなんて、ついてたなあ」


 竜の目が、セラフィナたちをとらえた。そのままゆっくりと、彼女たちに近づいてくる。セラフィナの震える唇から、独り言のような言葉がもれる。


「……どうして、そんなことを」


 その言葉に、マリオンは遠くを見るような目になった。不思議と大人びた、透明な表情をしていた。


「セラフィナ様が、あたしを見てくれないから。だから、もういらない。セラフィナ様はいらない。でも、あたしの知らないところでセラフィナ様が幸せになるのも、嫌なの」


 ひときわ強く風が吹き、彼女の髪をふわりと舞い上げる。


「セラフィナ様は、魔物と戦うのが自分の道なんだって言いました。だから、セラフィナ様を終わりにするのも、魔物がいいって思ったんです。セラフィナ様も、そのほうが嬉しいですよね?」


 そう言って、マリオンはあどけなく微笑む。まさにその時、竜がのしかかるようにして、マリオンとセラフィナに突っ込んできた。アルフが真っ青になって、二人のもとに駆け寄ろうとする。


 セラフィナは、とっさにマリオンを安全なほうへ突き飛ばす。けれど自分はそのまま体勢を崩してしまい、崖から足を踏み外す。


 さようなら、セラフィナ様! そんな軽やかな叫び声を聞きながら、セラフィナは暗い谷底へと落ちていった。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ