30.恋人たちの集い
アルフはセラフィナに告白し、セラフィナはその思いを受け入れた。つまり二人は、晴れて恋人同士となったのだ。
もっとも、アルフはそれ以前からセラフィナのことをしきりに構っていたし、セラフィナはセラフィナでアルフを大いに頼りにしていた。
だから、二人の距離は以前とそう大きく変わってはいなかった。ただそこにちょっぴり、甘い空気が加わっただけで。
しかしそんな風に考えていたのは、当の本人たちだけだった。実のところ、二人はかなりあからさまに甘ったるい雰囲気をただよわせるようになっていたのだ。
周囲から生温かい、若干のあきれを含んだ視線を向けられていることにも気づかないくらい、二人は自分たちだけの世界に入り込んでしまっていた。
「ところでさ、ちょっと時間ある? ぜひ君を連れていきたい場所があるんだ」
ある日突然、アルフがさわやかに笑ってそう言った。
「ええ、大丈夫ですわ。どこに連れて行ってくれるんですの?」
とても柔らかな笑顔で、セラフィナが即答する。
「内緒。すぐそこ、っていうか本部の中だから」
そうして足取りも軽く、二人は並んで歩き出す。幸せそのものの笑顔で。
本部の中には、兵士たちの仕事場や鍛錬所、それに住居や食堂などが存在している。そしてそれらに加えて、娯楽のための施設も数多く作られていた。
二人が向かったのは、その一つである酒場だった。入り口の扉には『定例会、貸し切り中』という札が下がっている。しかしアルフはお構いなしに、セラフィナの手を引いて中に入っていった。
「よ、俺たちも参加するよ。やっと資格を得られたし」
そんなアルフの言葉に、酒場に集まっていた者たちから一斉にやじが飛ぶ。
「なーにが『やっと資格を得られたし』だよ、この色男。お前さえその気になれば、何年も前にここに入ることができてたんだぞ」
「そうよそうよ。だいたい、あなたが優柔不断なせいでここに入れなかった子がどれだけいたと思ってるの、女泣かせよね」
「ちょっとは反省したらどうだ」
「人でなしー!」
「女の敵ー!」
からかい半分のそんな言葉に、アルフは困ったような、しかしやはり幸せな笑みでこたえていた。彼らはどうやら、アルフを本気でなじるつもりはないようで、じゃれあうようなやり取りが続いている。
しかしセラフィナは状況がつかめずに、ぽかんと立ち尽くしていた。そんな彼女の腕を、つんつんと誰かがつつく。彼女がそちらを見ると、おかしそうな笑みを浮かべたヴァレリーと目が合った。
「ここね、『恋人たちの定例会』なのよお。月に一度、酒場を借り切って集まるの。参加資格はただ一つ、恋人がいること」
やいのやいのと騒いでいるアルフたちの背後で、ヴァレリーがセラフィナにそう耳打ちする。
「まあ、適当に理由をつけて騒ぎたいだけの集まりだ。……アルフのやつは、あんたのことを自慢しにきたみたいだがな」
ヴァレリーの隣では、カミーユが退屈そうに座ったままそう言った。
「まさか、ここでアルフの姿を見られる日が来るなんてねえ。感慨深いわ」
「あいつ、もてるくせに全然浮いた話がなかったからな」
そうやって話し込んでいると、アルフが近寄ってきた。セラフィナの手をうやうやしく取り、部屋の奥、軍旗がかけられた壁の前に連れていく。ヴァレリーはやはりおかしそうな笑顔で、カミーユは同情するような顔で、セラフィナを見送っていた。
壁の前に二人で立ち、酒場中の人間たちのほうに向き直る。さっきまで騒がしかった酒場が、一瞬にして静まり返った。
「みんなに、あらためてセラフィナを紹介するよ! 俺が生まれて初めて見つけた、何よりも大切な、絶対に守り抜きたい人さ! 彼女がすっごくチャーミングなのは、言わなくてもみんな知ってるよね!」
酒場の中に、アルフの声が朗々と響き渡る。その内容に恥ずかしくなってうつむいたセラフィナに、アルフが満面の笑みで声をかけてきた。
「さあセラフィナ、次は君の番だよ」
「えっ、えっ?」
自分の番とは、いったいどういうことなのか。大いにうろたえるセラフィナに、またヴァレリーが助け舟を出す。
「恒例の自己紹介よお。新入りは、思いっきりのろける決まりになってるの。あきらめて、思いのたけをぶちまけちゃいなさいな」
その声を皮切りに、周囲から歓声が上がる。みな明らかに、セラフィナの言葉を待っている。期待に満ちた無数の目が、セラフィナに向けられていた。
ここで拒否したら、場が白けてしまうだろう。そう判断したセラフィナは、腹に力を入れて大きく息を吸った。
「……わたくしにとってアルフは、とても頼りになる、優しい方です」
酒場が一気に静まり返る。みなとてもわくわくした顔で、彼女をじっと見つめていた。続きをうながすその視線にせきたてられるように、セラフィナは一気に言い切る。
「わたくし、恋愛については何も分かりませんが……アルフのそばにいると、とっても幸せな気分になりますわ。頭がふわふわして……こんな感覚、生まれて初めてです」
顔を真っ赤にしている彼女の肩を、そっとアルフが抱く。セラフィナは恥ずかしさに負けたのか、くるりとみなに背を向けて、アルフの胸に額をつける。
次の瞬間、酒場中にまた歓声がわき起こった。今までで一番大きな、にぎやかな声だった。
その声を聞きながら、アルフは優しく微笑んでいた。明るい栗色の髪に隠れたセラフィナの口元にも、くすぐったそうな笑みが浮かんでいた。
「ところで、アルフはこれからのこととか、考えてるのか?」
自己紹介も済み、酒場に集まった者たちがてんでにお喋りをしている中、不意にカミーユがそう言った。
「セラフィナは貴族の令嬢だろう。ここにいる間はともかく、ここを辞めたらすぐに親に連れ戻されるぞ。今のうちに対策を練っておいたほうがいいと思うが」
あれからセラフィナの事情をすべて聞かされていたアルフが、困ったように無言で微笑む。ヴァレリーがおっとりと首をかしげ、あいづちを打った。
「そうねえ。紅蓮の一番隊、その隊長って立場も、辺境軍の外ではそこまで通用しないような気がするのよ」
「やはり、正規軍に転属するのが早いんじゃないか? 騎士の位を得ておけば、後々やりやすいと思う」
「でもそうすると、アルフはこの辺境から離れることになってしまうわね。セラフィナが寂しがるんじゃないかしら」
「だったらセラフィナも転属すればいい。貴族の令嬢にして騎士……聞いたことないな」
カミーユとヴァレリーは、勝手に先の展開を想像して盛り上がっていた。そしてアルフは、そんな二人を止めるでもなく、やけに真剣な目をして考え込んでいた。
「これからの、ことか……」
どうして彼がそんな顔をしていたのか、セラフィナはじきに知ることになった。それは、定例会がお開きになって居住棟に戻ろうとしていた、その時のことだった。
アルフは周囲に誰もいないのを確認してから、またあの鐘楼にセラフィナを誘ったのだった。もちろん、それを断るセラフィナではない。
そうして二人は、こっそりと鐘楼に足を踏み入れた。もうすっかり遅くなっていることもあって、周囲は一面の星空だ。遥か北、魔物たちの領域の奥深くに、険しい雪山が白く輝いている。
恐ろしい敵地とは思えないほど荘厳で美しいその姿にセラフィナが思わず見とれていると、隣に立ったアルフが静かにつぶやいた。
「……俺さ、ずっと逃げてた。今日カミーユに言われるまで、そのことに気づかなかった」
いつになく悲しげな声に、セラフィナは弾かれたようにアルフのほうを見る。かすかな星明りに照らされた彼の横顔は、ひどく寂しげに、セラフィナの胸を打った。
「辺境軍最強って呼ばれて、みんなにちやほやされて……将来のこととか全然考えずに、いい気になってた。俺、駄目男だね」
「駄目だなんて、そんなこと」
「ううん、駄目だよ。君を見習わなくちゃね。君はいつも一生懸命で、みんなのために頑張っていて……俺も、そんな風になりたいと思う」
アルフはゆっくりと、セラフィナに向き直る。その金色の目は、周囲の星にも負けないくらいに明るくきらめいていた。
「それで、これからどうするか、考えてみたんだけど……」
「ぜひ、聞かせてくださいな」
彼の声は、いつもの軽やかさを取り戻しつつあった。セラフィナは内心安堵しながら、にこりと笑う。
「俺、これからもここで頑張っていくよ。俺の力を生かせるのも、俺が必要とされてるのも、ここだから。たぶん、俺が一番力を持てるのも、ここだと思う」
「ならばわたくしは、あなたのそばで、あなたを支えていきますわ。ずっとここで、ずっと一緒に」
そうして二人は、顔を見合わせてうなずきあう。そしてアルフが、また口を開いた。
「……今、一つ夢ができたよ」
照れくさそうに、アルフが頬をかく。セラフィナから目をそらして、彼は続ける。
「いつかさ、司令官になりたいなって、そう思った。バティストのおっさんが引退したら、その後釜に座ってやろうかなって。司令官の権力があれば、今よりももっと、ずっと君を守ってあげられるし、辺境軍のみんなの力にもなれる」
「ふふ、素敵な夢ですわね。わたくしも応援しますわ」
「ははっ、君にそう言ってもらえるとすっごく嬉しいな」
「でも、守られてばかりというのも落ち着きませんわ。こうなったらわたくしも頑張りましょう。いつか、司令官となったあなたを、様々な面で支えられるように」
「ええっ、これ以上頑張るのかい?」
「だってこのままのわたくしでは、あなたに釣り合いませんわ。今でもぎりぎり……ぎりぎり、どちらかしら? 釣り合っているような、いないような……」
「釣り合ってるに決まってるよ! いや待てよ、君みたいな素敵な子には、むしろ俺のほうが釣り合ってなかったり……?」
「自信を持ってくださいな、アルフ。あなたはとても素晴らしい方なんですから」
「それを言うなら、君こそ最高の女性だよ。俺にはもったいないくらいに」
そうやってお互いを褒めちぎっていた二人が、同時にぷっと吹き出す。
「……俺たち、似たようなこと言ってるね」
「ふふ、そうですわね。そんなことですら、嬉しく思えてしまいます」
「俺もだよ」
誰もいない鐘楼で、二人は笑い合う。ひかえめな、しかしとても幸せそうな笑い声が、星空に吸い込まれていった。




